話がしたい
それから何度も私はヴィクターと話し合おうとした。だけど毎回逃げられた。ヴィクターは硬い表情のまま口をきいてくれない。
必要最低限の会話だけをして過ごすこと一週間。雲はどんどん ハートフィールドの方向に北上している。そしてポーリーンが新しい先見をした。
「三日後にここに魔力が落ちます」
ポーリーンが地図を指さした。そこは ハートフィールドの古い繁華街のど真ん中だった。入り組んだ細い道が毛細血管のようにクネクネと走る、建物が密集している場所だ。
「よりによってこんなところに……」
王子様も副司令官も絶句してポーリーンさんの指先を見つめている。我に返ったエルドレッド殿下が配下の兵士に指示を出した。
「今すぐこの地区の住民たちに避難指示を出せ。家財道具の持ち出しは禁じろ。手荷物ひとつだけにしてすぐに避難だ」
「はっ」
重い空気が支配する幕舎の中から私はヴィクターを引っ張り出した。
「なんだよ」
「話がしたい」
「俺には話すことがない」
「私にはある!」
不機嫌そうなヴィクターの服の袖を掴んで離さない私。怒りながらも付いて来るヴィクター。
今の幕舎は撤収されてハートフィールドに移動するのだろう。幕舎の中も外もたくさんの兵士たちが動き回っていた。
「ヴィクター、ごめんね」
「なにが?」
「私、あなたに何も相談しなかったわね」
「俺には関係ないからだろう?」
私はヴィクターに正面からギュッと抱きついた。
「なっ、なんだよ」
「今話をしなかったら、ずっと後悔するから。ちゃんと話をさせてほしい。お願い」
するとヴィクターは私を引き離すと私の両腕をつかんで私の顔を正面からジーッと見てきた。
「ハルは『死んでもいい』と思ってるだろ?」
「え?」
「自分の心をちゃんと見ろよ。ハルは『死んでもいい、仕方ない』って思ってるよな?」
「どうだったかな。そんなこと、思ってない、と思うけど」
「思ってるよ。それも、俺が作った魔法陣の下で死ぬのを覚悟してる。おまえ、俺のこと、指の先ほどでも考えてくれたか?一人で決めて一人で死のうとしてないか?俺はおまえが覚悟を決める時に相談すらしてもらえないような人間なのか?」
いつもはクールなヴィクターの目が潤んでいて、左の目尻から一滴涙がこぼれ落ちた。
「ごめん。私ね、施設に保護されて育ての親に大切にされたんだけどね、五歳の時に近所の人が噂話してるのを聞いて、自分が本当の子供じゃないのを知ったの」
「うん」
「弟が二人いて、私だけが違う家の子なんだって、五歳だったけど理解したの。それから、とにかく迷惑をかけないように生きてきたの」
「うん」
「嫌われないように、また捨てられないように、しっかりしなきゃって。だから人に頼るのは慣れてないの。私、ほんとの家族じゃなかったから……」
「ごめんな」
「えっ?」
「そんなふうに頑張って生きていた世界からいきなり連れてきてしまって、今度は本当に一人にしてしまって、ごめんな。どんなに謝っても謝りきれないけど、ハル、ほんとにごめん。……なのにおまえ、俺たちのために命を捨てようとしてるだろ。俺、申し訳なくて」
私の両腕をつかんでいた腕を私の体に回してヴィクターが泣いていた。
「ううん。死ぬとは決まってないよ。ずーっとヴィクターと一緒かもしれないよ。だからそんなに泣かないでよ。ねえ、今まで怖くてずっと聞けなかったんだけど、ポーリーンさんに聞いてみよっか?一年後の私がどうしているのか」
ヴィクターは私を抱きしめたまま返事をしない。
「一年後も私が元気にしてたら、ヴィクターは安心できるでしょ?」
「知りたくない」
「ヴィクターは天才なんだってポーリーンさんが言ってたもの。だからきっと私は人間違いされてない。私が必要だから選ばれたのよ。長い時間かかったけど、やっとそれを受け入れられたの。だからヴィクター、喧嘩したままなのは嫌なの。仲直りしなきゃ。仲直りして、私がやらなければならないこと、ちゃんと果たさなきゃ。ね?」
「あんなに嫌がっていたじゃないか。聖女じゃないって」
「そうね。ヴィクターは私が聖女だって言い張ってたわね」
「なんで俺たち、言い分が入れ替わってるんだよ」
「ふふ。ほんとね。さあ、ヴィクター、元気を出してよ。魔法陣の話、覚えてる?ヴィクターは作ることができるの?」
「……ああ。俺は凄腕の召喚師だからな。落ちてくる魔力を狙ったところに落とす魔法陣なんて、朝飯前だ」
ヴィクターが涙を滲ませたまま笑った。
「ヴィクター」
「なんだい」
「私がちゃんとやるべきことを終えたら、またどこかに行って二人で一緒に暮らそうか」
「ああ。そうだな。そうしよう。二人で暮らそう。そして俺をハルの家族にしてくれよ」
「うん。うん。家族になろうね」
その夜からヴィクターは巨大な魔法陣を作り上げる式を編み出すことに没頭した。私もヴィクターも(もしかしたら……)という恐れには目をつぶり、前だけを向くことにしたのだ。






