金色の雲
上空の魔力溜まりは回転を続け、その中では魔力が吹き荒れている。やがて濃密すぎる魔力同士がぶつかり合い火花を散らし始めた。魔力溜まりの中でバチバチと無数の光が発生して、魔力の有る無しに関係なく全ての人間の目にその姿が見えるようになっていった。
「おい、あれはなんだ?」
ハートフィールド領とサムナー領の住人が空を指差して見上げた。見たこともない金色の雲はピカピカと光を発しながら渦を巻き、ゆっくりと ハートフィールド領からサムナー領の方へと移動していた。
人々はやっと恐れるべき相手の一部を見ることができた。
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王子エルドレッド・アーガイン・ホルダールと軍の副司令官ダグラス・エドワーズの率いる兵士たち三百人は恐慌に陥りかけていた。
森の中に配属されていた百人が手に持つ籠の中で小鳥やネズミは籠から逃げ出そうと暴れ回っている。野生の動物たちは目を血走らせて走り、兵士たちは無視されるか、運が悪ければ大型の動物に跳ね飛ばされた。
動物たちが地を駆け鳥たちは必死に羽ばたいてサムナー領へと逃げて行く。その後からゆっくりと金色の竜巻が進んで来たが、魔力の無い兵士たちは自分たちを竜巻が通り抜けてもほとんどの者が何も感じなかった。ごくわずかに何人かが温かな空気の塊のような物が通ったように感じただけである。
しかし兵士の一人が上を見て目を丸くし、口をポカンとあけている。さっきまで何も無かった青空にバチバチと火花を散らす雲のような火花の塊が浮かんでいたのだ。
笛を鳴らし、遠くの仲間に上を指さす。指の先を見た兵士がまた笛を鳴らして上を指差した。王子エルドレッドと副司令官ダグラスもやがて頭上の火花の塊に気づいた。
先に我に返ったのはダグラス副司令官だった。
「あれが本体か?見えるようになってくれたなら好都合だ。すぐに住民のうち魔力持ちを避難させろ」
合図に使われる笛は決められたリズムで二回鳴らしてまた鳴らす、を繰り返すものだった。笛が次々と鳴り、町中にいた兵士たちは「魔力持ちは避難せよ!魔力切れになるぞ!」と家々を回って伝えた。
「殿下、あの雲から離れてください!危険です!」
ダグラスに促されて王子エルドレッドが馬に乗ろうとしたが、馬は暴れて乗るどころではなかった。馬は手綱を持っている兵士に向かって後足で立ち上がって威嚇し、ついには手綱を振り切って雲の進行方向とは直角の方向に向かって逃げ出した。
「アリオン!待て!アリオン!」
いつもは忠実な愛馬の様子に唖然としていたエルドレッドだったが、ダグラスは
「殿下!殿下も同じ方向へ逃げてください!早く!」
と叫んだ。
エルドレッドが二人の兵士に伴われて馬が逃げた方向を目指して森の中を走ったが、竜巻きは王子の強い魔力に引き寄せられて進路を変えるとゆっくりそちらに向かう。足元が走りにくい森の中で王子はやがて追いつかれてしまった。
「カハッ」
走っている最中に小さく息を吐き出してエルドレッドは走っている勢いのまま前のめりに地面に突っ込んだ。
「殿下!殿下!」
慌てて駆け寄った二人の兵士が抱き起こしたが、エルドレッドは意識がなかった。
「呼吸はある。俺が背負う。お前は殿下が落ちないようにお支えしろ」
体格の良い方がエルドレッドを背負い、早足で進んだ。意識のないエルドレッドは脱力しているため、もう一人の兵士が後ろから王子の身体を支えねばならず、歩は遅かった。
金色の竜巻は王子の魔力を吸い上げた後は再びもとの進路に戻り、 ハートフィールドの都市部よりずっと南をゆっくり東のサムナー領へと移動していた。
サムナー領はほぼ正方形に近い領地で、東は隣国との国境、南は海、西の南よりはヤマネコたちがいたウルテウス領、西の北寄りはハートフィールド、北は山脈と森林に囲まれている。王都はハートフィールドの北に隣接している。
副司令官ダグラス・エドワーズは金色の雲を見上げながら作戦を考えていた。作戦といっても領民の避難を管理して魔力切れを防ぐだけだったが。
「このまま東か南に進んでくれれば国外に行ってしまうのだがな。国境方面に直進してくれることを祈るしかないな」
サムナー領では名簿を手にした兵士たちが魔力持ちの家を訪ねては避難を呼びかけた。声をかけられた魔力持ちたちは馬や馬車、何もない者は徒歩でわずかな手荷物を持って避難した。皆が何度も上空の金色の雲を見上げながら逃げ出した。彼らは魔力持ちなので地区の委員や商会長などを務めている者が多かった。
「副司令官!殿下が倒れました!」
大きく迂回してやっと部隊に戻ってきた兵士の背中の上で、王子は意識を失ったままだ。
「やられたのか?」
「はい。ですがお命に障りはありません。眠っていらっしゃるようです」
「意識を失っていらっしゃるのだろう。まずいな。そんなことが町で頻発したら……。とりあえず殿下を急ぎテントの中へ!」
ダグラス副司令官は今回の件を甘くみていたことを思い知った。
(何も副司令官の自分が出なくても)と思っていたが、この件を他国に知られたらどうなるか、その危うさに気づいたのだ。






