首席召喚師
「クロ!いたの?いつからいたの?ていうか、どこから入ったの?」
「にゃあん」
ガタタッと椅子の音をさせてシリルさんが立ち上がり、ワインの瓶を手に持って構えた。クロがそれを見て鼻にシワを寄せ、「シャー」と小さく鳴いた。
「違う違う!この子は私と仲良しなの!乱暴しないで!」
「仲良し?魔物が?食い殺されるぞハル」
「本当にハルと仲良しなので大丈夫ですよシリルさん」
シリルさんは瓶を下ろしてくれたけど、椅子には座らなかった。信じられないらしく「魔物と仲良し?」と繰り返している。
「私、魔物と人間のルールを知らなくて。うっかり契約しちゃったの」
「意味がわからないんだが。それは害を為さないのかい?」
「ええ。仲良しだもの。ね?クロ」
「にゃ」
クロがぴょんと私の膝に飛び乗った。そっと抱いて背中や喉を撫でた。普通の家猫よりはだいぶ大きい。体重は七、八キロくらいだろうか。ゴロゴロと喉を鳴らして満足そうな顔だ。後ろ足のジクジクしていた怪我は乾きつつある。良かった。
「懐いてる……。今日は信じられないことが次々起きる」
「ハルと一緒だとこんなことが続くので退屈する暇がありませんよ」
シリルさんがクロをジッと見る。
「ハル、その、私もその魔物に触ることはできるだろうか」
「どうかな。クロ、シリルさんに触らせてあげてくれる?」
「にゃ」
「大丈夫みたい」
シリルさんが怖々とクロに触る。私はクロを安心させるために両腕で包むように抱いた。
及び腰の姿勢で、指先だけでそっとクロに触るシリルさん。クロは目を閉じてジッと動かない。
「魔物に触れるのは初めてだが、ちゃんと生きているのだな」
「可愛いでしょう?」
「か、可愛いかどうかはよくわからんが。どうやって魔物と仲良くなれたんだい?」
どうとは?なんだろう。
「可愛かったし、最初から私に懐いてくれたの」
「可愛い……?怖くはなかったのかい」
「はい」
やっとシリルさんが椅子に座った。ヴィクターが私に訓戒を垂れた。
「ハル。主従契約をした魔物は主が望めばいつどこにいても駆けつける。今後は人前で『クロに会いたい』と言わないようにね」
「そうなのね。知らなかった」
「驚いていきなり攻撃する者がいればクロも反撃せざるを得なくなる。クロのためにも用心した方がいい」
「わかった。気をつける」
クロはそのまま私の膝の上で大人しくしていた。「洗い物は俺たちがやるから」と男性二人が片付けをしてくれて、私はモフモフを堪能した。
台所の片付けが終わったので「クロ、もう帰っていいよ」と言うとクロは私の膝の上からすうっと消えた。
「さあ、俺たちはそろそろ帰ろう」
「うん。シリルさん、突然来たのに歓迎してくれてありがとうございました」
するとシリルさんが眉を下げて遠慮がちに提案してくれた。
「余計な詮索はしたくないのだが、ヴィクターは魔法使いとして身体に何か不具合があるのなら、それが良くなるまで我が家に滞在しないか?好きなだけあれを浴びればいい」
ヴィクターは少し考え込んでいたが
「ありがとうございます。良ければそうさせてもらえると助かります」
と答えた。私はブンブンとうなずいた。
「そうか、よかった。私はこの歳になってこんなに楽しい時間を過ごせるとは思わなかったものでね。このままお別れするのが残念でたまらないんだ。こちらこそありがとう」
「よかったわね、ヴィクター。ありがとうございます、シリルさん。では今夜は宿屋に戻りますが、明日また荷物を持ってお邪魔します。おやすみなさい。そしてありがとう」
「ああ、おやすみ。良い夢を」
♦︎
帰り道。
「私、ヴィクターに聞きたいことがあるの」
「なんだ?」
「あなたが召喚師として働けなくなったにしても、上の人はなぜ追い出したのかしら。王城でそのまま雇っておくことはできたんじゃないかな」
「ああ、それは……俺は宰相のベネディクト・ファラーに嫌われてたからかな。彼も召喚師だったから」
「だった?」
「俺が十五歳で召喚師として配属されるまでは、ベネディクトが王城で一番の召喚師だった。当時ベネディクトは四十過ぎで召喚師としてはギリギリの時だった」
馬はゆっくり歩いている。夜風が気持ちよかった。
「当時は召喚の予定は無かったが、入ったばかりの小僧の俺が能力判定で首席召喚師の地位に収まったんだ。俺は最初からベネディクトに嫌われていたよ」
「そんな。嫉妬ってこと?」
「俺が十代の小僧だったのが余計に腹立たしかったのかもしれない」
あれ?それならヴィクターがいなくなって今は宰相が首席召喚師に復活してるのかな。
「異世界からの召喚には膨大な魔力が必要になる。宰相はもう五十歳だ。召喚師としてのピークはとうに過ぎている。彼にもう召喚師は務まらないよ」
「なるほど」
「首席召喚師としての地位を小僧だった俺に奪われた時から、ベネディクトは宰相の地位を手に入れることに目標を変えたんだ。何人もいるライバルを抑えて宰相になるために、彼はずいぶん苦労したはずだ」
「うん」
「やっと宰相になって、王国の大災害を防ぐべく俺に召喚させたら失敗した。召喚失敗は宰相としては大きな傷だ。おれは二度もベネディクトの経歴に傷をつけた。排除したくもなるだろう」
「誰が悪いわけでもないのに」
「人間の感情は理屈じゃないさ」
私は馬の手綱をもっているヴィクターの腕をよしよしするようにポンポンと優しく叩いた。なんだか彼に優しくしたい気分だったのだ。






