猫、のようなもの
「だからさっきから言ってるだろう。そいつは魔物だ。すぐに下ろせ」
「ええー。可愛いのに。羽は付いてるけど九割八分は猫よ」
「訳のわからない理屈はやめろ」
「にゃあぁん」
「ほら、怒らないでって言ってるよ?」
「言ってない」
よく見ると『猫のようなもの』は怪我をしていた。左の後ろ足、腿のあたりからジクジクと血が出ていた。猫って喧嘩するとその辺りを狙うのよね。魔物も同じなのかな。
「怪我してるのね」
「なぁぁん」
「魔物のくせに可愛いふりをしやがる」
「ヴィクター。意地悪言わないで」
私がそっと金粉の湧き出し口に魔物の猫、略して魔猫を下ろした。宿の奥さんに貰った傷薬を塗ってやると、塗っている間は緊張して尻尾を太くしていた魔猫もやがて落ち着いて丸まった。
「信じられん。魔物が手当てをさせたり人間に懐くなど聞いたことがない」
「ヴィクターは聞いたことがないことがいっぱいあるね」
「ハルに関してだけだ」
「そうだ!たしかあれがあったわ」
「俺の話を聞いてるか?」
リュックの中をかき回して奥から紙に包んであるチーズを取り出した。少しちぎって猫の前に差し出すと、スンスンしてから手に顔を近づけてパクリと食べてくれた。
「猫ちゃん。怪我が早く治るといいね。真っ黒だからクロと呼ぶわね。クロ!」
「にゃん」
「おお、よしよし。クロはお利口さんね」
ヴィクターが口をパクパクしている。
「ヴィクター、表情がうるさいよ」
「ハル、名前をつけるなんて。なんてことを。手から食べ物を与えて名前をつけたらもう、ハルの従魔になってしまうんだぞ!」
「え?従魔?従魔って?こんなことで従えることができるなら、ここじゃTNR もさぞや簡単だわね」
「てぃーえぬあーるとはなんだ」
「あー、えーと、前の世界のことだから忘れて」
「こんなに可愛いのにこの世界の人にとっては魔物なのか。残念だけど連れて歩くわけにはいかないわね。ごめんねクロ。ここでお別れしなくちゃならないらしいわ」
休憩というには少々時間をとりすぎた。私とヴィクターはまた馬に乗り、クロに別れを告げて進むことにした。従魔になったらしいけど、付いては来ない。クロは私を見送るだけで動かなかった。なあんだ。
その後、馬で進むとスローン領はあちこちに金の粉を噴き出す場所があった。時折りふわりと魔力が湧き出る場所もあれば、こんこんと細く湧き出す場所、いくつもの湧き出し方が集まっているところもあった。
「本当に何も感じないの?」
「全体的に魔力に満ちているのは感じるが、どこから湧いて出てるかまではわからないな。ハルにここだと言われればわかるくらいだ」
「ふうん。魔法使いなら魔力に敏感なのかと思ってた」
首をかしげるヴィクター。
「魔法使いの体内には大量の魔力が蓄えられているからな。ふわふわ湧き出すくらいの量では察知できないのかもしれない」
「ニンニク料理をガッツリ食べちゃうと隠し味のニンニクの香りがわからなくなる、みたいな感じかしら」
ヴィクターがちょっと哀しそうな顔をする。
「その例え方には納得したくないがそんな感じだ」
「でもね、つむじ風が人工的なものだとして、魔力を湧き出す場所がこんなにあるなら、わざわざ魔力持ちを狙う必要は無いと思わない?ここに来ればいいんだし」
「いや、目的が違うんじゃないか?」
そっか。目的が違うのかな。魔力を集めるのが目的ではなくて、魔力持ちの人間から魔力を奪うことが目的ってことなのかな。
でも私の考えは仮定の上に仮定を乗っけているから、あまりにあやふやだね。この考えはいったん置いておこう。
私たちは領主の館には行かずに宿屋を取った。
「私たち、働いて稼げるし」
「そうだな。領主様に世話になる理由がない。誰にも雇われてない自由な暮らしだ」
「うん。自由な暮らし。私、こんな生活に憧れていたけど、実現するとは思わなかったわ」
宿は例によって安さ優先で食事なし。宿のご主人に「ここには何をしに来たんですか?」と問われてヴィクターがサラッと「旅行です」と言う。私はニコニコとうなずく。
「新婚さんかい?」
「あー、ええまあ」
「じゃあ部屋は二階の角部屋だよ」
鍵を渡されて部屋に入ると、うん、予想してたけどベッドが二つきっちりくっつけて置いてあった。まずは荷物を片付ける前にベッドの配置を変えてロープを張るところから始めた。
「さて。ハルはこれからどうしたい?」
「まずは市場かな」
「好きだなぁ、市場が」
「楽しいんだもの。前の世界でも旅行に行くと各地の市場や朝市を見て回るのが大好きだったの。それに、商売の種が落ちてるかもよ?」
「そうだな。よし、じゃあ早速行くか」
♦︎
そこの市場は地方都市らしいのんびりした感じで、大小様々な店が並んでいる。まずは腹ごしらえと、地味だけどお客が多い店に入った。
ヴィクターは焼肉と野菜の汁物とパン、私は魚のソテーと汁物、パンを頼んだ。野菜の汁物は野菜が甘い。汁の味付けは多分塩とバターだけなのに豊かなコクがある。少しずつ交換して食べたけれど、肉も魚も美味しい。
「うまい」
「美味しいね」
「はぁぁ幸せ」と食事の美味しさに浸っていたら
「ハルは楽しみを見つける才能があるな」
と感心された。
「そう?」
「ああ。いつも感心する。幸せそうなハルといると心が豊かになる」
「ほう。つまり?」
「つまり……一緒にいると、楽しい」
顔を見たら赤くなってる。
「言う人が照れると言われる方はもっと恥ずかしいから」
「すまん」
「ふふっ」と二人で笑いながら夕食を食べた。