表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

お嬢様とメイド 〜入れ替わった二人の初恋〜

作者:

「じゃあ頼んだわよ、ミア」


 そう言うとアメリアは、窓から庭へ飛び出して行った。


「ちゃんと帰ってきて下さいね、アメリア様ーー」


 ミアの声は聞こえただろうか。足の速いアメリアはもう遠くへ行ってしまった。



 一人になったミアはそっと姿見の前に立った。そこには、レースやフリルで飾られたワンピースを着た自分が映っていた。スカートもペチコートでふんわり広がっている。いつもの、ストンと下に落ちている一枚ものでペラっとしたスカートとは全然違う。クルッと回ってみると、スカートがフワッと揺れた。それが楽しくて何度も回った。


 鳶色の髪にはリボンがついている。


「ミアの髪は手入れしてないから艶はないけどね、ウェーブがあるからまとめればなんとかなるわ」


 さっき、アメリアがそう言いながらハーフアップにしてリボンをつけてくれたのだ。


「よし、これでなんとかお嬢っぽくなったかしら」


 一歩下がってミアの全身を眺めると満足げに頷いた。


「心配しなくてもすぐ帰るからね」


「本当に大丈夫ですか、アメリア様? 」


「だって、大道芸の一座は今日でこの街を離れるんだもの。お父様ったら絶対見に行っちゃダメだって許してくれなかったし、今日が最後のチャンスなのよ。大丈夫、お父様は滅多に部屋に来ないし、万が一来たとしてもミアは髪の色が一緒だから背中向けておけばバレないわ」


 レンドル商会の一人娘であるアメリアと、使用人のミアは髪の色も背格好もほぼ同じだった。


「お父様はマルクス商会の人が訪ねてくると言ってたから、部屋には来ないわ、きっと。象を見たら帰ってくるから、それまでよろしくね」




 アメリアのいなくなった部屋でミアは所在なくソファに座っていた。いつも午後はアメリアの遊び相手をして過ごしているが、夕方からは厨房の手伝いに回らなくてはならない。


(アメリア様、夕方までにちゃんと帰って来て下さいね……)


 その時、部屋の外で話し声が聞こえた。


(えっ! 旦那様? もしかしてこの部屋に入ってくるの?)


 ミアは焦った。アメリアの父、チャーリーはこの部屋に来ることは滅多にない。この屋敷では子供の住む場所と大人の住む場所はきちんと分けられているからだ。だが今、チャーリーが誰かと話している声が聞こえてくる。


 やがてドアがノックされ、チャーリーが恰幅のいい男性と少年を伴って入って来た。


「アメリア。マルクス商会のトーマス様だ。ご挨拶しなさい」


(どうしよう。話しかけられて背中を向けたままでいることは出来ないわ)


「アメリア? 早くしなさい」


 もう一度促されて、ミアは仕方なく振り向いた。


 その時チャーリーは、一瞬目を見開いたがすぐに状況を察知した。


「アメリア、マルクス商会のトーマス・マルクス様とご長男のフレデリック様だ。ご挨拶なさい」


(旦那様……このまま押し通すのですね)


 ミアも察して、いつもアメリアがやっている通り、きちんと礼をして挨拶した。


「失礼いたしました。私は娘のアメリアでございます。いつも父がお世話になっております」


「ほう、これはこれは可愛らしいお嬢様ですな。フレッド、お前もご挨拶を」


「フレデリック・マルクスと申します。アメリア様、初めまして」


 フレッドと呼ばれた少年はペコッと頭を下げた。


「二人は同い年だとか。フレッド、ワシらが商談している間、ここでお話させてもらいなさい」


 そしてチャーリーとトーマスは部屋を出て行った。去り際のチャーリーの困ったような目を見てミアは心苦しく、こうなった以上ちゃんとアメリアを演じようと決めた。


「フレデリック様、どうぞソファにお掛けになって下さい」


 珍しそうに部屋を見回しているフレッドにミアは声を掛けた。


「お茶のご用意をいたしましょうか?」


「いや、さっき客間で飲んだからいらないよ。それとさ、僕のことフレッドでいいよ」


 急にくだけた喋り方になったフレッドにミアは驚いた。


「今日は本当ならさ、象を見に行くはずだったんだ。なのに急にここに連れて来られちゃって。ねえ君、象は見たことある?」


(どうしよう。アメリア様は今頃象を見ているんだけど、それを言ったら大変なことになる)


「いえ、私は見たことありませんわ」


「見てみたいと思う?」


「えっ、そうですね……見てみたいです」


 するとフレッドはパッと顔を輝かせ、前のめりになった。


「だよね! 見たいよね! すごく大きくて、いろんな芸が出来るんだってさ。いろんな国を旅して回ってるから、次に見られるのはいつになるかわかんないよ。あーあ、残念だったな」


 今度はソファにドサっともたれかかって残念そうに天を仰いだ。無邪気な様子がなんだか可笑しくて、ミアはクスクスと笑った。


「やっと笑った! さっきまで、なんだか不安そうな顔してたよね。もう平気?」


「はい、大丈夫です」


「じゃあさ、ちょっと庭に出て遊びたいな」


 活発なアメリアが自由に遊べるように、庭にはブランコや滑り台が置かれていた。この部屋から庭へは出入り自由で、ついさっきアメリアはここから出て行ったのである。


 二人は庭に出るとブランコに向かって走り出した。ちゃんとした家のレディなら走ったりしないところだが、アメリアは普段から走り回っているんだし構わないだろう、とミアは考えた。


 暖かくて日差しが気持ちの良い午後は走るだけでも楽しいものだ。十歳の幼い二人は声を上げて思う存分遊び回った。


 やがて、チャーリーの声が聞こえ、ミアとフレッドは部屋に戻った。トーマスはニコニコしており、


「いやあ、すっかり仲良くなったようですな。二人がいずれ結婚でもしたら、合併して大きな商会になれるかもしれませんなあ」


 と、大きな声で笑っていた。フレッドはニコッと笑ってミアに握手を求めてきた。


「アメリア、今日は楽しかったよ。象を見るより楽しかったかも。またいつか遊ぼうね」


「はい、フレッド様。またお会い出来るのを楽しみにしています」


 ミアがそっとフレッドの手を握るとフレッドはギュッと握り返してきた。


「それではレンドル様、私共はこれで失礼いたしますよ。今後ともよろしくお願いします」


 そして二人は帰って行った。


 玄関で見送っていたチャーリーとミアだが、二人の姿が見えなくなると早速、チャーリーの低い声が響き渡った。


「ミ〜ア〜」


「は、はいっ!」


「どういうことか、最初から説明してもらおうか」


 もうこうなるとどうにも弁明のしようがない。ミアはアメリアの計画を話し始めた。するとそこへ、鼻歌を歌いながらご機嫌で帰ってくるアメリアの姿が見えた。


「アメリア!」


 父の剣幕に、思わずビシッと姿勢を正したアメリアは一瞬逃げようとしたが、ミアが捕まっているのを見て観念した。


「アメリア。こっちへ来なさい」


「はい、お父様……」






 その後、二人はこってり絞られた。


「大道芸を見に行くなんて、しかも女の子一人で!

 危ないだろう!」


「大丈夫よお父様、ちゃんと象使いの人もいたから暴れたりしないわ」


「そういう事を言っているんじゃない。人がたくさん集まるところでは、人攫いが出ることもあるんだ。お前みたいな小さい女の子は格好の餌食なんだぞ。売り飛ばされて知らない国で働かされてもいいのか?」


 するとアメリアの顔がスッと青ざめ、シクシクと泣き始めた。


「ごめんなさい、お父様。もう二度と、一人であんな所行かないわ」


 娘には甘い父である。泣かれたらもうそれ以上は言えなくなった。


「ミアも。お前はアメリアの遊び相手でもあるがお目付役でもあるんだ。アメリアが悪さをしようとしたら、止めるのがお前の仕事だぞ」


「はい、旦那様。申し訳ありませんでした」


「お父様! ミアを怒らないで。私が我儘言ってミアに協力させたんだから。ミアは悪くないわ!」


 ミアに抱きついてワンワン泣くアメリアについに父は折れた。


「わかった。次からは絶対にやるんじゃないぞ」


「はい、旦那様」


「はい、お父様!」


 そして二人は夕飯抜きでアメリアの部屋に入れられたのである。


「うー、お腹空いた。ごめんね、ミア、私のせいで」


「いえ、私こそお役に立てなくて」


「ねえミア。私ね、今日大冒険してきたのよ」


「大冒険? どんな冒険ですか?」


「あのね、ほんとに攫われそうになったの」


「ええ! そんな、まさか!」


「ほんとなの。でもね、素敵な人が助けてくれたわ。だから大丈夫」


「でも……」


「だって、こうしてちゃんと帰って来てるでしょ? 

 怖かったけど、いい思い出だわ。秋からは初等学校に通うようになるし、もう冒険はできないわねえ」


 アメリアが学校に通い始めたらミアは本格的にメイドの仕事をすることになる。遊び相手は必要無くなるからだ。


「そうですね。今日のことは私もいい思い出です」


(綺麗なワンピースを着て、リボンをつけて、フレッド様と楽しく遊んだこと。楽しかったな。きっとこんな事、二度とないわ。一生、覚えておこう)





 あれから五年が過ぎた。アメリアは今日から高等学校に入学する。

 ミアは、メイドとしてすっかり一人前になり、下働きから昇格してアメリアの世話係になった。


「アメリア様、新しい学校楽しみですねえ」


「そうね。他の町からも入学してくるから、いろんな人に出会えそうね」


 ミアが丁寧に櫛で髪を梳かし、一部を編み込みにしてあとは肩に下ろした。アメリアの髪は真っ直ぐでサラサラで、バレッタやリボンをつけてもスルッと落ちてしまう。だからいつも編み込んで可愛いらしく仕上げるのだ。


「出来ましたよ、アメリア様」


「ありがと、ミア。じゃあ、行ってくるわね」


「行ってらっしゃいませ」





 学校に着くと、グレイスが走り寄ってきた。


「アメリア! 」


「グレイス、早いわね」


 グレイスは初等学校からの友達だ。


「ねぇねぇ、すごくカッコいい人が新入生にいるわよ。さっき、すれ違っちゃった」


「ええ? グレイスのカッコいいは信用できないからなあ」


「んもう、ホントだって! みんな振り返って見てたもの。あ、ほら、あの人!」


 グレイスの指差した方を見ると、なるほど、周りから明らかに浮くくらいの美男子がいた。金髪に青い瞳、均整の取れた身体付き。


「確かに、素敵な人ねえ。私の好みではないけど」


「ええ、そうなの? どんな人が好みなのよ」


「もっとワイルドでニヒルな悪い男って感じの人がいいな」


「何言ってるのか全くわからないわ」


 グレイスは呆れたように笑った。


「そんなの学校にいる訳ないじゃない。街のチンピラみたいな人」


「いやでも、中身はまともな、ちゃんとした人じゃなきゃダメよ? 中身もワルじゃ困るもの」


「はいはい、わかりました。良家の子女が陰のある男性に惹かれるってアレですね」


「だって本当にそうなんだものー」


 そう話しながら女子クラスに着いた二人は、後ろの方の席に並んで座った。


 その時、教室の入り口から女子の歓声が上がった。


「え、何、どしたの」


 すると、さっきのイケメン男子が入り口から顔を覗かせた。周りにいた女子は目をハートにして彼を見つめている。


「グレイス、イケメンが来たわよ」


「どうしたのかしらね」


 教室の中をキョロキョロと見回した後、彼は意外に低い渋めの声でこう言った。


「失礼。アメリア・レンドルさんはいますか?」


 アメリアは驚いてグレイスを見た。グレイスも目をまん丸にしてアメリアを見ていた。


「アメリア、あなたあの人と知り合いだったの?」


「いやいやいや、全然よ! 初めて会ったわ。前に会ったなら絶対覚えてるし」


 二人がコソコソ話している間に、アメリアの中等学校時の同級生がアメリアの方を指差して彼に教えていた。


 イケメンがこちらへやって来る。彼が歩く度、女子が道を開けて花道のようになった。


「君がアメリア?」


「は、はいっ」


 目の前のイケメンの破壊力に圧倒されながら、アメリアは答えた。


「やっと会えた! 僕のこと、覚えてるかな?」


 僕のこと覚えてるかな? ですって? アメリアは頭をフル回転させて記憶を辿ったが、どう考えても会った覚えがない。


「あの、人違いでは? 私、失礼ながらお会いした覚えが無いのですが」


「五年前、君の家に遊びに行って、庭で一緒に遊んだフレッドだよ。フレデリック・マルクスだ」


 ますますもって、記憶が無い。私、頭でも打ったのか。


 その時、始業のチャイムが鳴った。


「アメリア、また終業時に来るからそれまでに思い出しておいてくれ」


 そう言い残してフレデリックとやらは出て行った。


「ちょっと、アメリア! どういうこと? 知り合いだったんなら紹介してよ〜」


 グレイスが興奮して詰め寄ってきた。周りの女子も皆、アメリアを凝視している。


「だって、本当に知らないんだもの……」


 グレイスはともかく、入学初日からクラスメイトを敵に回してしまったようでアメリアはイケメンを恨んだ。


(何でこんな事に? とにかく、彼の誤解を解かなきゃ)


 その後のオリエンテーションなどは全く頭に入って来なかった。そして授業が終わるとアメリアはすぐに教室を飛び出した。


「アメリア」


 フレデリックはもう廊下に立っていた。


「あの。私、本当に記憶に無いんです。良かったら話を聞かせてもらえませんか?」


「ああ、そうだね。僕もちょっと気になる事があるんだ」


 二人は場所を中庭に移し、ベンチに座って(もちろん距離は空けた)話す事にした。


「五年前、あなたが私の家に来て一緒に遊んだって本当ですか?」


「もちろん。五番街のレンドル商会を父と一緒に訪問したんだ」


「五番街なら、うちに間違いないわ」


「父同士が商談する間の遊び相手として、君を紹介されたんだ。君の部屋で話して、それから庭に出てブランコで遊んだ」


(うちの庭にブランコがある事も知ってる。じゃあ嘘は言ってないのかも)


「どんな話をしたのか覚えてる?」


「その時、街に大道芸が来ていてさ、象を見に行く予定だったのに見れなくて。象が見たかったなあ、なんて二人で話したんだよ」


(……あっ!)


 アメリアは思い出した。あの、家を抜け出して一人で象を見に行った日だ。ということは、フレデリックがアメリアだと思っているのは。


「ごめんなさい、それ、私じゃないわ」


「私じゃないって?」


「実は私も象が見たくて。あの日、うちで働いてる同い年の子に私の格好をさせて部屋に置いといて、私は抜け出して外に出ていたのよ」


「じゃああの日僕が遊んだのは……」


「うちのメイドの、ミアだわ。背格好も髪の色も一緒なの」


「そういうことかー」


 フレデリックは天を仰ぎ、長い手足を投げ出した。


「何かおかしいとは思ってたんだよ。雰囲気は似てるけど顔が違うし、全く記憶に無いみたいだし。同姓同名の人違いかと思ったよ」


「ごめんなさい、ややこしい話になっちゃって。でも、あんなに大勢の前で名前出して探さなくてもよかったのに」


 いらぬ注目を浴びてしまった、とアメリアは文句を言った。


「新入生の名簿に君の名を見つけて舞い上がっちゃってさ。その勢いで言ってしまった。ごめん」


「まあいいですけど。ところで、もし私がミアだったらどうするつもりだったの?」


「もちろん、交際を申し込むつもりだったよ」


「えええ?! 展開早くない?」


「だって五年間好きだったんだよ? やっと会えたんだから早くはないさ」


「そういうものかしらね。じゃあ、どうする? ミアに会いたい?」


「会いたい。会わせてくれる?」


「いいわよ。これからうちに来る?」


 アメリアとしては、さっさとこの二人をくっつけて、自分の身の潔白をクラスメイトに証明したい一心だった。


 一緒に並んで帰ることで結局、噂が駆け巡ることになってしまったのだが。




「ただいま、ミア」


「お帰りなさいませ、アメリア様。お客様ですか?」


 アメリアの背後に人影を見つけたミアが尋ねた。


「ええ、学校のお友達よ。客間にお通しして、お茶を出してくれる? 私は着替えてくるから」


「かしこまりました。では、こちらへどう…ぞ…?」


 フレデリックの顔を見たミアは、明らかに驚いていた。


 そして、フレデリックの方も嬉しそうに笑顔を見せた。


「やあ。僕のことを覚えてる?」


「はい、フレデリック様……ですね?」


 二人とも顔を真っ赤にして見つめ合っている。


(一件落着、ってとこね)


 アメリアは微笑みながら肩をすくめて、着替えに向かった。


 客間に戻ると、二人はまだ話し続けていた。


「ごめんねー、お邪魔するわよー」


「アメリア様! すみません、出過ぎた真似を」


「何言ってんの、この部屋は誰もいないんだからミアも座りなさい、ほらほら」


 ソファに座ろうとしないミアのため、フレデリックもずっと立ったまま話していたのだ。


「で? どうなったの、フレデリック」


「ありがとう、アメリア。ミアに僕の気持ちは伝えたよ。ミアには突然の事でまだ返事は出来ないと言われたけど」


「まあ、それはそうよね。急だもの。でもミアも好きなんじゃないの?」


 言われてミアの顔が真っ赤になった。


「もう付き合ってしまいなさいよ、ミア」


「いえ、でも……私、お返事は三年後に、と申し上げたんです」


「何で三年後なの?」


「私は今は仕事に全力投球したいですし、三年後に旦那様との雇用契約が終わりますので、その時にもう一度考えたいと思いますので」


「フレデリックは? あんなに交際する気満々だったじゃない」


「いや、僕もミアの責任感ある考え方に感心したんだ。気持ちは通じ合えた訳だし、僕もこの三年間勉学に励んで、商会を継げるだけの力を付けて、再びミアに申し込むことに決めたよ」


「んー……まあ、二人がそれでいいなら私はいいけど」


「ありがとう、アメリア。これからもよろしく頼むよ」





「本当にあれで良かったの? ミア」


 フレデリックが帰った後、アメリアはミアに聞いた。


「はい。フレデリック様のお気持ちはとても嬉しかったけど、身分が違い過ぎますもの。三年も経てば、他のお嬢様方と比べて私のことなんて色褪せて見えると思うんです」


「身分って言ったって、お貴族様じゃないんだし。私たち、お互い平民じゃない」


「でも、やっぱり私はただの使用人ですもの。平民のなかでも階層はありますから。三年後、フレデリック様が後悔しないように、今は約束などしない方がいいんです」


 うーん、とアメリアは唸った。


 確かに同じ平民でも貧富の差はあり、ミアが引け目を感じるのはわかる。だけど。


「わかったわ、ミア。その代わり、もし三年後にフレデリックが申し込んで来たら、絶対に断ったら駄目よ。約束よ」


 ミアは驚いた顔をしたが、


「わかりました、アメリア様」


 と返事をした。



 それから、アメリアは学校から帰るとミアに読み書きや計算を教え始めた。商会の女主人になるならそれが出来なければ話にならない。


 そして学校では、なぜかフレデリックと共に過ごしていた。


 実はアメリアは地頭が良いのか成績が優秀だった。休み時間は全て勉強に当てていたフレデリックから教えを乞われ、いつの間にか勉強を見るようになったのだ。


 当然、学校では二人は付き合っている、という目で見られている。


 アメリアはグレイスだけには本当の事を打ち明けたが(グレイスはこういうロマンスが大好物で完全にミアの味方になったので、人に話したりはしない)、あとは噂など知ったことかと放っておいた。


 そしてそろそろ、三年が経とうとしている。


 アメリアは一人で港の桟橋を歩いていた。昔から、考え事をする時はここに来て海を見るのが常であった。


(もうすぐ、学校は卒業だわ。フレデリックはあれからずっと勉学に励み、今では私よりも成績が良くなった。そして相変わらずミアを愛してる。いつも、私からミアの近況を聞きたくて一緒にいるようなものだものね)


 アメリアは自分の感情を持て余していた。この三年間、ずっとフレデリックと過ごしてきて、確かな友情を築くことが出来た。きっと、ミアと結婚した後も、この仲は続いていくだろう。


(だけど……私の中のこの想いは、絶対に言っちゃいけない)


 友情が愛情に変わってしまったなど、二人に気づかれてはならない。優しくて誠実で、一途なフレデリックを愛してしまったことなど。


(来月の卒業パーティーで一度だけ。一度だけダンスを踊ってもらってこの気持ちにサヨナラしよう)


 知らぬ間に流れていた涙を拭こうとハンカチを探していると、誰かが目の前にハンカチを差し出してくれた。


「あ、ありがとうございます……」


 つい受け取って涙を拭いてしまった。


「あんた、前も泣いていたな」


 驚いて上を向くと、スーツを着崩した黒い髪の男がアメリアを見下ろしていた。言葉は乱暴だが瞳は優しい。


「……どこかで、お会いしましたっけ」


「前に会った時は、人攫いに引っ張られて泣いていた」


(あっ! あの時の……!)



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 アメリアとミアが入れ替わり、象を見に行ったあの日。人混みの中で夢中になって象を見ていたら、不意に誰かに手を引っ張られた。やめて、と叫んでも人々の歓声に紛れて誰も気付かない。どんどん引っぱられついに人が居ない所に出ると抱え上げられて暗い所に入れられそうになった。


 その時、何処かから石が飛んできて男の額にピシッと当たった。


「うわっ」


 思わず男はアメリアを抱えていた手を離し、ドサッと地面に落ちたアメリアの前に少年が立ち塞がった。


「おっさん、人攫いは良くないぜ」


「なんだとガキが。お前も攫うぞ」


 殴りかかってきた男をヒョイとかわすと、腹にタックルして脚を取り、男を上手く地面に倒した。


「行くぞ」


 少年はアメリアの手を取り、走り出した。追いつかれないように走って走って五番街まできてようやく、アメリアは言葉が出た。


「あのっ、あ、ありがとう……!」


 息が上がる。黒髪の少年は全然平気らしく、走っても息一つ乱れていなかった。


「一人でウロチョロしてたらマジで攫われるぞ。お嬢さんはお家で大人しくしてな」


 お嬢さんと言われたアメリアはムッとしてつい反論してしまった。


「た、助けてくれたのは感謝してるけど、お嬢さんとか言ってバカにしないで」


 少年はニヤッと笑うと


「それだけ元気なら攫われかけたショックもないようだな。まあ次からは気をつけろよ」


 そう言って片手を上げて来た道を戻ろうとした。


「待って! 私はアメリア・レンドルよ。あなたは?」


「俺はヒューゴ。苗字は無い。船に乗ってあちこち回ってる」


「また会える?」


「さあな。またこの街に来たら、会いに来てやるよ」


「絶対よ。待ってるからね!」





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





「思い出した! ヒューゴ!」


「いきなり呼び捨てかよ。ヒューゴさん、とか言えないの」


「ご、ごめんなさい。ついあの時のまま」


「今日は何で泣いてたんだよ」


「……失恋」


 ヒューゴはプッと吹き出すと、お腹を抱えて笑い出した。


「ちょっと! 乙女の失恋を笑うとはどういうことよ」


「いや、相変わらずお嬢さんだなあと思ってさ。平和だよ」


 アメリアはムッとしてそっぽを向いた。


「なあアメリア、失恋を癒やすにはどうしたら一番いいと思う?」


「え? そうね、美味しいモノを食べるとか?」


「違うね。新しい恋をすることだ」


 ヒューゴはアメリアに近づくと、顎をくいっと持ち上げてキスをした。


「……!」


 アメリアはヒューゴを突き飛ばし、真っ赤になって後ずさった。


「な、な、何すんのよ! 私の、ファーストキス……!」


 ヒューゴはニッと笑うと言った。


「キスは初めてだったのか? ラッキーだな」


「何がラッキーよ! 私にはアンラッキーじゃないの!」


「惚れた女の初めてのキスを貰えた俺がラッキーだって言ってんの」


「惚れた……?」


 アメリアは頭が混乱した。まだニ回しか会ってないのに惚れたって?


「あの時のあんたは気が強くて、でも可愛くて。一目惚れするには充分だったよ。次にこの街に来る時は金持ちになって結婚を申し込もうと思ってがむしゃらに働いた。そして今日、船を降りたらあんたがいた」


「え……本気なの?」


「本気に決まってるだろ。これから一か月、この街に滞在する予定だからその間に必ずあんたを堕としてみせる」


「ば、ばか言わないでよ! そんなこと、絶対にないから」


 アメリアは踵を返すと、その場を立ち去ろうとした。ヒューゴはすぐに追い付いてきた。


「だから、一人で歩くと危ないだろ。送っていくからそれぐらい許せ」


 確かに、話しているうちにあたりは薄暗くなってきた。一人で帰るには少し怖い。


「わかったわ。一緒に歩くのは許してあげる。でも、あなたを好きになるなんて絶対、ないからね!」


 はいはい、と言って隣を歩くヒューゴ。その姿を見ながらアメリアは、初恋の相手がヒューゴだったのを思い出していた。


(そういえば、ワイルドな見た目が好きとか思ってたのはあの時のヒューゴの影響だったんだわ。助けてくれた彼がすごく素敵に見えて。でもでも、こんな失礼な男だったなんて、絶対、無い無い無い!)







 ひと月後。学校の卒業ダンスパーティーにはたくさんの人が参加していた。


 卒業生は皆それぞれパートナーを連れている。


 フレデリックはミアを連れていた。正式に結婚の申し込みをし、婚約者となったのだ。


 そしてアメリアの隣には、『ワイルドでニヒルで悪そうな』男がいた。とある商会の下働きから成り上がり、今では自分の商会を立ち上げて貿易事業で頭角を表しているヒューゴ・アダムスだ。


「言っとくけど、パートナーがいないからとりあえずあなたに出てもらったんだからね! 好きとかじゃないからね!」


「わかってるって」


 そう言ってヒューゴはアメリアの頬にキスをした。真っ赤になったその顔が、アメリアの気持ちを表していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 登場人物が皆好感が持ててほっこりしました。 皆幸せになって良かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ