第四話 人間を救うのが女神だろう!?
キャンパスライフ。
なんて甘美な響きなんだろうか。
多くの期待と、ほんの少しの不安を抱きながら迎える入学式。授業についていけるだろうか、サークルはどこに入ろうか、友達はちゃんと出来るのだろうか。最初はそんな風に考えつつも、徐々に馴染んでいく大学生活。
きっと色んな出会いを経験するに違いない。これまでの高校生徒は違った人間関係。自分の世界が一気に広がる解放感。それはきっと自由。
時に笑い時に泣いて、誰もが一度は夢に描く青春を謳歌する中で出会う、運命の恋人。
ぎこちなく、少しずつ心を通わせていき、不意に訪れるすれ違い。傷つき、悩みながら、それでも紡ぎ続ける関係は、きっとお互いにとってかけがえのないものへと発展していく。
そんな、そんな素晴らしきキャンパスライフが待っていたはずなのに……。
「……終わった。俺のキャンパスライフが。終わった……」
希望に満ちた未来はすでになく。絶望に打ちひしがれる俺は、ただひとり部屋の隅でうずくまる。
「あ、あの。あのね。そんなに落ち込まなくてもいいと思うの。それだとその、私がとても酷いことをしたみたいじゃない?」
ちらりと視線を向けた先には気まずそうな表情をしたリアナがいる。
「な、なに? その『その通りだよ』みたいな表情は……」
「……察しはいいんだな」
大きくため息を吐いて俺は自分の殻に閉じこもる。
いいんだ、いいんだ。俺はこのままこうして餓死するその瞬間を迎えるんだから。
ああ、ごめんよ父さん、母さん。突然異世界に転生なんかしちゃって。せめて最後に一目会ってから死を迎えたかったよ。
「鬱陶しいわね」
「ベルベティ? 何をするの?」
「どきなさい、リアナ。──人間。ちょっといいかしら?」
「はい?」
呼びかけられ振り向いた俺の視界に飛び込んできたのはって、蹴りぃいッ!?
「──へぶあっ!?!?」
クリーンヒット。絵に描いたようにきれいなローキックが鳩尾に突き刺さる。
ていうか、ちょっと待て。つま先。つま先はダメだろう……。息が。
「そこでウジウジされても鬱陶しいだけなのよね」
「だ、だからって、蹴ることはっ、げほっ、ないだろ……っ」
「女神である私が人間如きを足蹴にして、何か問題でもあるのかしら?」
「どんだけ上からだよ」
こんな暴力女神を誰が信仰するって言うんだ。
顔面がいいからって何でも許されると思うなよ!?
「いいことを教えてあげるわ、人間。あんたがこの世界で生きていく方法よ」
「──何?」
待て、そんな方法があるのか?
「あんたはこう言ったわよね。『必須なんだよ飲食は』って。だったらすればいいじゃない。飲食を」
簡単でしょう? とめっちゃ得意げに言ってきたところ悪いんだが。
「この神殿には飲み食い出来るものがひとつもないと聞いてるが?」
「ええ、ないわね。私たちには必要のないものだもの」
「それでどうやって飲食をしろと?」
まさか床や壁、ソファや机なんかの家具を食えって言ってるんじゃないだろうな?
「あんたってバカなのね」
「なんだと!?」
「だってそうじゃない。こんなの少し考えれば誰だってわかることよ」
なんだろうか。女神ってのは総じて人を怒らせる存在なのだろうか。なんでこんな物言いしか出来ないんだ。結論から言え、結論から。
「つまり、この神殿の外から調達すればいいんですよ」
「……ちょっと、マリエリ」
「ベティちゃんは、もったいぶり過ぎなんですよ。自分のプライドを満たしてからじゃないと会話出来ないなんて、相変わらず難儀ですよね」
「喧嘩を売られてるのかしら、私は」
「きゃ~、怖いです」
「とか言いながら俺の背中に隠れるのはやめてくれない!?」
あふ、おっぱいが当たってるって、そうじゃない。今は柔らかさを堪能する時じゃない。
「え、何。神殿の外に食料があるの?」
「それは行ってみてのお楽しみです」
「無い可能性もあるってこと?」
「魔物はたくさんいるので、捕まえて食べてみればいいんですよ」
「マジで!?」
え、待って。それめっちゃ重要な情報じゃない?
生存への希望が見えてきた!
「ちっ」
「なんでベルベティは舌打ちしてんだよ」
「様を付けなさいって言ったわよね、人間」
「俺は一生あんたを様付けでは呼ばないと決めたんだ」
この決意は覆さないぞ。
「遊って変なところで強気なのね」
「リアナは常にトラブルを巻き起こしてそうだよな」
「何それ! 失礼でしょう、私に対して!!」
「今さらあんたに対して遠慮もクソもあるか。しょうもない理由で人を窮地に立たせてるのは、どこのどいつだ」
「うう……。それを言われると弱いんだけど~……」
はっはっは。そうやって良心の呵責に責められ続けるがいい。とまあ、女神いじりはこれぐらいにして。
「で、どうやって魔物を捕まえればいいんだ?」
「そんなの自分で考えなさいよ」
「ここまで話しといて梯子を外すとかありえなくないか!?」
「なんで私がそこまで人間の面倒を見なきゃいけないのよ」
「それが女神の言い草かッ!?」
人を慈しみ、護り、導くのが女神じゃないのか?
……まあ、最近は駄女神だのなんだのってキャラ付けも流行ってるけど、そんな色物は今求めてないんだよ!
「リアちゃんが何とかすればいいと思いますよ」
「確かにそうね」
「あー、確かにって、私が!? なんで!?」
それが本心だとしたら、すげぇなこの女神。ここまでの展開を何一つとして理解しちゃいない。
「あんたが俺をこの世界に転生させたからだろうが」
「責任ぐらいは取るべきですよ」
「あんたも一端の女神を名乗るならね」
「なんでマリエリもベルベティも遊の味方をしてるの!?」
なんでって、それが正論だからだろう。
「あら、そう言えばさっき、ご褒美に私に出来ることなら何でもしてあげるって言ってたわよね?」
「はえ!?」
「言ってましたね」
お、形勢が変わったぞ。
ベルベティとマリエリがリアナを追い詰めだした。
「あ、あれはほんの冗談っていうか、その場の勢いっていうか。ノリよ! ノリ!」
「ノリでもなんでも、女神が人間に言ったことを覆すのはダメだと思うんですよ」
「そうよねぇ。そんなことをする女神なんて、誰も信仰しなくなるわよねぇ」
「え、えぇ!? ちょ、ちょっと待って! なに? なんなのこの流れ!?」
慌てふためくリアナが助けを求めるように俺を見る。
「美しき女神様。どうか哀れなわたくしめをお助けください」
「ちょっとぉ!? いきなり拝まないで頂戴!?」
うるせぇ。こちとら命がかかってんだよ。
「あら、どうするのリアナ。拝み、希う人間を見捨てるの? あんたそれでも女神?」
「女神様……。どうか、わたくしめにお慈悲を」
「こんなに真剣なんですよ。人の信心を裏切るんですか? 女神なのに?」
「女神様……。どうか慈しみを」
「な、なにこれ……。なんなのぉ!?」
あ、なんだろこれ。ちょっと楽しくなってきた。
ちらりと見れば、ベルベティもマリエリも、それはまあ楽しそうな嗜虐に満ちた笑みを浮かべている。どんまい、リアナ。
「お願いいたします。女神様」
ダメ押しのように繰り返す。是が非でもリアナには俺のために尽力してもらわなければならない。でなきゃ、俺が死ぬ。
「う、うう。ううう……」
「……揺れてますよ。もう一押しです」
耳元でマリエリが囁いてくる。ていうか、どうでもいいけど、あんたがさっきから背中に胸を押し当ててくるのはなんなの? 確信犯? 無自覚? 揺れるのはリアナの心じゃなくて、あんたのおっぱいだろって言いたい。
「余計なことを考えてたら、ダメですよ」
「……はい」
なんでバレたし。まあ、いい。気を取り直して。
「女神リアナ。美しきあなた様のご加護を、どうかわたくしめにお与えください」
さあ、どうだ。哀れな子羊たる俺の潤んだ瞳を見て、まだなお拒絶することが出来るって言うのか!?
「わ、わかったぁ!! 遊のために頑張ればいいんでしょう!?」
おっしゃ! 堕ちた!!
「意外とチョロかったわね」
「それがリアナのいいところなんですよ」
「いや、マジでありがたい! これで死なずに済む!! ありがとうな、リアナ!!」
嬉しさのあまり、リアナの手を掴み感謝を述べる。
「ま、まあ。あそこまで言われたらね。私だって女神だし、遊を転生させちゃった責任もあるし。仕方なくだからねッ、仕方なくッ!」
「いやいや、それでもありがたい! もうマジで、本当にどうしようかと思った!! リアナがいてくれてよかったよ!!」
「や、やめてよ。そんなにおだてたって、何もないからね!?」
「あー、マジでホッとしたぁ。転生直後に死亡フラグって、シャレにならないからな。頼むな、リアナ」
「わかった! わかったから! それに、いつまで手を握ってるの!?」
「え? あ」
言われて気づいた。勢いあまってリアナの手を握り締めてた。
ていうか、リアナの顔がめっちゃ近ッ!?
「ッ!? わ、悪いッ!!」
「べ、別に人間に手を握られたからってどうってことない、わよ……」
お互い思い出したように手を離し、微妙な距離感でチラチラと視線を送り合う。そのやりとりにふと思い出すのは、中学時代のとある女子との関係性。お互いに意識してるんだかしてないんだか、いまいち判然としない、曖昧でこそばゆい距離感に──。
「へぶ!?」
「きゃ!?」
いってぇ!? え、何? なんで蹴られたの、俺!?
「ラブコメの波動がむかついたわ」
「そっすか」
女神って結構俗っぽいことも知ってんだな。




