第1話
どうも、モブです。
前世は現代日本人で、今世は中世ヨーロッパ的な世界観(細部はめちゃくちゃ。何せバス・トイレは現代仕様で、そして魔法が存在する)に生まれてベルタという名前で男爵令嬢やっています。
おそらくよくある乙女ゲーム転生とか、少女漫画転生とか、そういう奴だと思うのですけど、私はその原作を知りません。残念なことに。
前世は別の趣味に忙しくて漫画やゲームなどのホビーはおろそかでした。
でも小説は嗜んでいましたからその流れでネット小説は少し詳しいです。転生もの、面白いですよね。
私、王立魔導学校一年生です。つい二ヶ月前に入学しました。
魔導学校。何かしらの舞台になりそうな予感がビンビンします。
しかも全寮制です。ロマンスの香りがします。きっとそのうち主人公が転入してきたり、部屋にヒーローを連れ込んだりしてよろしくするのでしょう。
朝です。太陽が丁度顔を出す頃です。
私の趣味のためには早起きが必須です。でも夜もおちおち寝ていられないこともあるので、たまに寝不足です。その分ラブが高まっているので平気ですけど。
昨日の夜に下ごしらえをしておいた生地をプレートに流し込んでオーブンで焼きます。
その間に手早くサンドイッチとスープで朝食を済ませ、ささっと授業の課題を終わらせて身支度も整えます。
お気に入りのピンクブロンドの髪を2つにくくって髪型も完成。
オーブンを開けばそこは鮮やかなオレンジの大地。ニンジンのケーキです。
粗熱を取る時間がないので反則ですが魔法でさっと冷ましてしまいます。一切れずつに切り分けてラッピングし、バスケットに詰めて準備完了。
私は女子寮を出て間にある柵を秘密の抜け道から通過し、男子寮へ向かいます。
男子寮の扉をそっと開けて下駄箱へ向かい、愛しい彼の下駄箱へ。
3年生の列の右から7つ目、上から4つ目の下駄箱の取っ手にバスケットを引っ掛けます。よし。
ここが私のお慕いする彼、エミリオ・イプシマス様の下駄箱なのです。
「エミリオ様の好物がニンジンのケーキだってこと、ベルタは存じておりますわ」
うふふ。
食べてくれるかしら。美味しいって思ってくれるかしら。
特に用はありませんけど下駄箱を開けて見るとお靴の側面に土が。ハンカチで擦って白い靴をピカピカにします。完璧。
名残惜しいけれど他の男子生徒が起きてくるまでに退散しなくちゃ。
私は男子寮から出てさっと木の陰に隠れます。
待つこと10分程度。
扉を開けて彼が出てきます。エミリオ様と、そのご友人のバルド・マグス様です。
白いふわふわの猫っ毛にルビーのような鮮やかな瞳のをしたエミリオ様は、華奢で美しい、正に白皙の美少年といった風体です。
対してエミリオ様より背が高くガタイも良いバルド様は、まるでエミリオ様を守る勇ましい騎士様のようで、仲良さげに並ぶお二人を見るとドキドキしてしまいます。
お二人は幼馴染だそうで、いつも親しげにお喋りして、行動を共にしていらっしゃるのです。
あ、お話し声が聞こえます。
「それ、本当に受け取るのか? どこの誰が作ったのかも分からない怪しげな食い物を?」
「わざわざ僕の好物を作ってくれたんだよ、嬉しいさ。それにまだあたたかい。きっと朝早く起きて用意してくれたんだよ。受け取らなかったら悪いじゃない」
「お前の感覚は俺には理解できん」
「そう? 誰かが僕のために何かしてくれたら嬉しい。それだけのことだよ」
エミリオ様が手にしているもの。それは私がさっきお差し入れしたバスケット!
受け取ってくださったんですね。やっぱり愛ですよね、エミリオ様。私の愛、受け取ってくださいませ。
エミリオ様はご覧の通り稀代の美少年で、名門イプシマス公爵家のご長男で、去年の魔導大会では王子殿下に次いで2位で、魔法の才能は誰より飛び抜けていると言われています。
そうです。おそらく攻略対象やヒーローか何かだと思われます。
だってこんな素晴らしい人がモブなわけないもの。モブにこんな方がいたらヒロインの気が散って主軸の話が進まないもの。うん、絶対そうです。
きっとそのうちやってきたヒロインと恋愛なさるお方。でも好き。
好きになってしまったんだもの。乙女なら自分の恋を誤魔化すことなんてできません。
良いんです、エミリオ様の目にとまることがなくっても。どうせ地味顔だし、存在感ありませんし。
エミリオ様がお幸せでいてくだされば私はそれが嬉しいです。
そもそもあんな素敵な方の視界に入ったりしたら申し訳なさすぎて爆発してしまいます。
エミリオ様の結婚式、きっと素敵だろうなあ。ファン枠で参加していっぱいご祝儀を送りたいです。
エミリオ様たちが校舎に向かわれるので、それに私も付いて行きます。一緒に登校です。
え? ストーキング?
いいえ、これは愛の探偵活動です。
エミリオ様たちは3年生。教室の階数が違いますし、授業も全然異なります。だから校舎へ着くまでが私がエミリオ様を朝にお見かけできる最大のチャンスなのです。
いわば出待ちという奴ですね。毎朝の日課です。
私は写真機を構えてレンズからエミリオ様を眺めます。
これは専門学校で魔導工学を専攻している私の兄の作品です。光の魔素を読み取って熱魔法に変換し、それを紙に焼き付けるというもので、温度によって発色が変わる特殊なインクが塗りつけられた専用の紙とセットで使います。
要はカメラセットですね。
いくらめちゃくちゃな世界といえど流石にカメラはなかったので、お兄様にお願いして作ってもらいました。これでいつでもエミリオ様のお姿がコレクションし放題です。
「あ、今のお顔、とっても素敵です。やはりバルド様と2人きりの時が1番リラックスしてらっしゃいますね、エミリオ様。ふふ……ふ、うふふ……」
笑いが止まりません。
またベストショットが増えてしまいます。
もう部屋の壁は貼り付けるところがないので、今日からは天井ですね。見上げればいつでも会えますよ、エミリオ様。
「食うのか? それ……」
「うん。バルドも食べる?」
「全力で遠慮する」
「そう」
あっ、エミリオ様が、バスケットから小袋を取り出して……開けて、中のケーキを!
ん、んんぅ……もぐもぐしてる……お可愛らしい……! やだ、撮影する手が止まりません。
お味はどうかしら? 美味しく作れたと自分では思うのですけど、気に入っていただけたかしら?
「うん、美味しいよ。バルドも食べたら良いのに」
美味しい……!
美味しいって、エミリオ様が言ってくださった!
嬉しい。私の想い、受け取ってくださったんですね。
そのケーキのように、エミリオ様は私の捧げる愛をどうぞ無造作に受け取って、お好きなようにご消費くださいね。それが私たちの愛の形なのです。そうですよね。
その成就のためなら私、なんだってできます。
これからももっとお菓子作りも頑張ります。たくさん上達しますからね。
「何か入っていたらどうする」
「僕らには並大抵の毒は効かないよ」
「そういうことじゃない。気分の問題だ」
「でも、このケーキはあんまり甘すぎないんだ。僕の好みに合わせてくれてる。これから毒殺しようって輩がそこまで気を配るかなぁ」
「そこまで好みを把握してるのがまずおかしいだろ……」
甘さを控えめにしたことまで気づいてくださった……!
これはもう愛です。そうですよねエミリオ様。
そりゃあエミリオ様は普段は好き嫌いなんて無いみたいなお顔でお食事なさっていますけど、ずっと見ていれば分かります。
お菓子は好きだけど甘すぎる味付けは嫌いなことなんて、エミリオ様ファンとしては一般常識なのです。
エミリオ様たちが校舎に入り5階への階段を登って教室に入室なさる所までご一緒したら、ここでお別れです。悲しいですが。
私の教室は3階なので、戻って授業の予習をしませんと。
あぁ、お勉強って退屈です。だって集中しないとできませんから。
他のことはしながらエミリオ様のことを考えられますけど、お勉強はできません。辛いです。
でもしない訳には参りませんので勉強時間は死ぬ気で集中し、エミリオ様に関係のない知識でも無理やり頭に刻み込みます。一度で済ませたいですから。
あーあ、エミリオ様を拝見できない時間は灰色です。
頑張って1から4限の授業を乗り切って、待ちに待ったお昼休憩です。
私は荷物の整理もそこそこに教科書を詰め込んで教室を飛び出します。向かうは食堂。エミリオ様はいつも食堂で昼食を摂られます。
食堂へ飛び込みいつもの席をゲット。エミリオ様はいつも吹き抜けになった2階の、柱の横の席をお取りになるので、私は丁度斜め下からお姿が窺える席を確保しています。
あ、エミリオ様とバルド様がいらっしゃいました。食券売り場に並ばれます。
大貴族のご子息は基本的に昼食を持参なさいますから、エミリオ様はちょっと特殊なのです。食堂はやや大衆寄りです。
庶民的な食券売り場に並ぶエミリオ様、すてき。
2人の生徒が並んだ後に私を並び、こっそりエミリオ様のご注文を盗み見ます。
まぁ、香草とキノコのクリームソーススパゲティですか。エミリオ様は今週はスパゲティ週間なのですね。もちろんお付き合いいたしますわ。
あら、デザートはお頼みにならないのですか? いつもはガトーショコラなどを好んで注文なさいますのに。
……まさか体調がよろしくないのかしら。
お薬? 医者? 大変!
「エミリオ、今日はデザートはいいのか?」
「うん。今日はこのキャロットケーキがあるから」
エミリオ様……!
そんな、こんなにも沢山の人がいる場所で仰るなんて……恥ずかしです。
でもそれはエミリオ様が私の愛を受け取ってくださった証なのですものね。恥じるようなことがあってはなりませんね。
だって愛、なのですものね。
「ふふ……」
もちろん私は自分の立場を分かっています。出しゃばるような真似はしませんわ。
でも、この気持ちを噛みしめることは許してくださいますよね?
エミリオ様たちが料理の載ったトレーを持って2階へ向かわれます。私も自分の席へ。
そしてエミリオ様を拝見しながらエミリオ様とおんなじ物を口にします。
つまりこれから、私とエミリオ様の体は同じ物質が組み込まれるという訳です。
やだ、私ったらはしたない。
あぁ、エミリオ様とバルド様が何かお話ししている様子なのは分かりますけど、流石にこの距離だと内容は聞き取れません。けれど楽しそうに談笑していらっしゃいます。一枚パチリ。
エミリオ様の屈託のない微笑みは貴重なのです。バルド様と2人きりの時しか見られません。またコレクションが増えてしまいました。
このままエミリオ様の写真が増えて行ったらそのうち私の部屋の壁はエミリオ様で埋め尽くされてしまいます。
あぁ、そんなことになったら、360度エミリオ様……素晴らしいです。
やだ、でも壁が埋まってしまったらその次の写真はどうしましょう。
もちろん古いものはそのまま貼っておくと劣化しますからアルバムに丁寧に保管しますけど、でもやっぱり常に見える所に貼っておきたいのです。
アルバムもそろそろ13冊目、本棚がぎっしりです。増えすぎる前に実家に送るべきなのかもしれませんけれど、これも辛いです。家に送ってしまったらすぐには見れません。我儘でしょうか。でも、恋って我儘なものですよね。
あ、エミリオ様が席をお立ちになりました。いけないいけない、浸りすぎていました。私もそそくさと残りを口に詰め込んで飲み込み、トレーを持って席を後にします。エミリオ様に後ろからついて行ってトレーを片付けて、今日の昼食はこれでおしまいですね。寂しいです。
あ、エミリオ様のお口の端にソースが。
「エミリオ、口の横にソースがついてる」
「え? どこ?」
「ここだ。じっとしてろ、拭いてやる」
そう言ったかと思うとバルド様が近くの無人の机から紙ナプキンを取り、エミリオ様のお口の周りを拭いました。
ありがとうございますバルド様。流石エミリオ様の幼馴染!
「子供じゃないんだけど」
「子供じゃないなら、そんなところにソースを付けるな」
「……はーい」
そして、そのままゴミ箱へ放られる紙ナプキン。
やだ、大変。
私はエミリオ様たちが立ち去った後でさっと紙ナプキンを回収。エミリオ様の肌に触れたものですから、大切に保管しなくては。
それにしてもエミリオ様、バルド様の前だからって気を抜きすぎです。もうどれだけお可愛わらしいんですか! 私をどうするおつもりなんです!?
「ここが食堂ですよ! 殿下!」
「あ、あぁ、そうか」
すると、出入り口の方から甲高い女性の声と、それに押し負けたような男性の声が聞こえました。
エミリオ様たちが丁度ドアを開けようとした所だったらしく、その方たちと鉢合わせになった形です。
内開きのドアがエミリオ様にぶつかったりしなくて良かった。
エミリオ様の白い肌に傷なんか出来た日にはもう、世界の終わりですね。
ところでいきなり入ってきた女性は金髪碧眼の可愛らしい子で、タイの色から判断するに私と同じ一年生です。
そして畏れ多いことに腕を引いているのはこの国の第一王子殿下、オズワルド様。
これで私はぴーんと来ました。
もしかして彼女、ヒロインでは?
だって王太子殿下に対してあんな気安げな態度。高位貴族であっても中々取れないでしょう。これはヒロイン的特性、誰に対しても天真爛漫な態度が発揮されているんじゃないでしょうか。
そしてこれは殿下やエミリオ様たちとの接触イベント、みたいな?
だって殿下もおそらくイケメンさんの部類ですし、絶対攻略対象もしくはヒーローでしょう。それが2人も集まればもう間違いありません。
「やぁ、オズワルド。可愛らしい女の子を連れてるね。デート?」
エミリオ様がオズワルド殿下に親しげに話しかけます。お2人はご友人です。
「いや……俺もよく分からん。何故だ?」
「だって殿下が食堂のご飯を食べたこともないのに美味しくないなんて言うから!」
「そんなことは言っていないぞ。俺は使用人が用意した弁当があるので食堂は利用しないが、生徒から人気があるのも知っている」
「文句を言うなら一度食べてから……え? 言ってない?」
「あぁ、何を勘違いしたのかは知らんが、さっさとこの腕を離せ。不敬だぞ」
「で、でも、え……? あれ?」
何だか会話が噛み合っていないような?
「え、エミリオ様は食堂の料理がお好きなんですよね?」
「うん、そうだね」
今度は女子生徒がエミリオ様に声をかけます。
細かいことを言うようですが、名乗りもせず、目下の者が目上の方に自分から声をかけるのは身の程知らずな行為に当たります。
エミリオ様もオズワルド様もファンの多い方々ですし、彼女はもう少し気をつけた方が良いのでは……。
「私もここのお料理、大好きなんです!」
「そうなんだ」
綺麗な微笑みでそう答えるエミリオ様。バルド様といる時とは違う、対外的な表情です。
「はい……あの、えっと、素朴で、好きなんです」
「ふぅん」
エミリオ様は終始ニコニコしていますが、何故か女子生徒は焦った様子でした。思ったようにことが進まなくて戸惑っているようにも見えます。
ここで、私は嫌な予想に思い当たりました。
「エミリオ、そろそろ予鈴だぞ」
「そうだねバルド。もう教室に戻ろう。それじゃあね、オズワルド」
「あぁ」
やだ、エミリオ様が行ってしまう。私も急がないと。
そしてオズワルド様と女子生徒の横を通る時、私は聞いてしまったのです。
「なんでゲームと違うの?」
そんな女子生徒の呟きを。