妖しい影
トゥーラ王国は平原を抜けた先の森の中にあるらしく、今しがたその森が見えてきた所だ。
それにしても、霧が濃い。
森に近づく程濃くなってゆくので、王国内はかなりの濃霧と予想できる。
「不気味なのだ……」
「ああ、確かにな」
わたし達は、森の中へ足を踏み入れた。
数メートル先を見通す事さえ厳しい森の中、石畳で舗装されたまっすぐな道があり、ヒカリはその上を歩いていた。
しばらく道を進んでいると、苔むした龍の石像が現れた。普段なら神秘的に感じられるだろうが、濃霧に包まれた森の中では気味が悪い。
「なあなあヒカリ、そろそろ"クエストの概要"を教えてほしいのだ。国を救うとはどういう事なのだ?」
「概要? "1週間前、突如トゥーラの森が謎の霧に覆われ、森内部に入った者の帰還無し。トゥーラ王国内との通信も取れていない。調査を依頼する"
……ってのだけど、言ってなかったか?」
「帰還者無し? わたし達もう森に入っているよね? 出れないの……?」
普段は明るく振る舞うわたしでも、虫とホラー系はマジで苦手。
こんな『帰れなくなる系』とかホント無理。
「ビビりすぎだぜチカ姉、帰れなくなるとかありえ無いから! 試しに来た道を戻ってみようか」
ヒカリはそう言って元来た道を引き返した。
「霧が濃いな、前が見えやしねえ」
「本当に帰れるの……?」
ヒカリは真っ直ぐ歩いた。
間違いなく真っ直ぐ歩いていた。
それなのに―――
「あれ? これはさっきの石像……? んな馬鹿な、もう一度行ってみよう」
それから何度も来た道を戻ったが、必ず同じ場所へ戻ってきてしまうようだ。
「マジかよ。ま、こういう事もたまによくあるわ」
「あってたまるか!」
*
生前の世界の中華のような国。
それがトゥーラ王国に到着して抱いた印象だ。
眼前の開閉式の大門から広がる街は、濃霧の中でも見えるくらい鮮やかな赤色をしている。
赤い大門をくぐり、辺りを見渡した。
「不気味だぜ、広い街なのに全然人の気配が無いわ」
故郷の中華街を彷彿とさせる建築物の間を、まっすぐ太い道が奥まで伸びている。
本来なら活気に溢れていそうだが、霧に包まれた今は静かで、寂しさを感じさせる。
「もう少し進んでみよう。なんか手掛かりを見つけられるかも」
何か一際大きな建物がある。
「おっ、冒険者ギルド……があるけど、ここも人の動く気配は無いな」
ヒカリはガチャリと扉を開け、中を見渡した。
広い屋内は赤く、部屋の中心には受付と書かれた丸いカウンターがある。四方の壁についた、幾何学的な格子窓とかもう完全に中華街のやつだ。
「人が倒れてる」
ふとヒカリが指差した先には、冒険者とみられる人間が複数、まとまって床に倒れていた。
「大丈夫ですか?」と声をかけるが反応は無い。
しかし誰も死んではいないようで、呼吸も脈も確認できた。
「外傷は無いか……睡眠魔法だな、これは」
「すいみ……? 何なのだそれは?」
「睡眠魔法。相手を無理やり眠らせる魔法だ。
かかっても普通は簡単に起こせるのに、こいつらは眠ったまま。何かがおかしい」
えっ怖。この国に謎の魔法を使う敵がいるって事じゃん。
怖っ、えっ?
「俺達はこれを解決しなきゃならない訳か……面倒だな」
それからヒカリは、不自然な体勢で寝てる人達をあお向けにしてからギルドを出た。
おそらくこの国に人がいないんじゃなくて、みんな屋内で眠ってるんだろう。何者かの魔法によって。
「あれ?」
「どうしたのだ? ヒカリ」
「今そこに人影が……」
ヒカリが指差した方向にあるのは、赤い建物に挟まれた狭い路地。
ただでさえ濃い霧の中、人が隠れるにはぴったりの場所だろう。
「行ってみるか」
ヒカリは嫌がるわたしを無視し、路地へ足を踏み入れた。
路地の中は複雑に入り組んでおり、まるで迷路のようだ。
ただでさえ狭く暗い中、霧が更に視界を阻み、もう来た道を戻るのも難しい。
「本当に見たのかー?」
「確かに見た。人影がこっちに手を振って、この路地に入ってたんだ」
「明らかに誘い込まれているのだ!」
わたしは得体の知れぬ恐怖にかられ、叫びだした。
「大丈夫大丈夫、万一何かあっても俺強いし、何とか……―――」
「……?」
無言のヒカリが指差す先には黒い影が、手招きしていた。
この薄暗い路地と濃霧のなかでは、かろうじて人形とわかる程度で、そのシルエットでは女性とも男性ともつかない。
「出たのだ……! お化けなのだ……!!」
「……静かに。アレが何なのか、近づいて確める」
怯えるわたしに対し、ヒカリは臆する事なく謎の影へ近づいたが――
また影は消えてしまった。霧のように。
「どこへ行った?」
どうやらヒカリはまだあの影を諦めないらしい。
キョロキョロ辺りを見渡している。
「ヒカリ……右奥の道なのだ……」
わたしはヒカリより先に、こちらを手招きする影を見つけてしまったのでヒカリに教えた。教えなくてもどうせすぐに気付かれるし。
「こちらを誘導している……? 何のために?」
近づくとやはり、影は消えた。
影がいた場所をよく見ると、路地が開けて街の広場に通じていた。
『嫌ァ!! 離して! 離して!!』
突然、広場から若い少女と思われる悲鳴が響き渡った。
「ヒカリ! あれ!!」
「ああ、俺達の出番らしい」
広場の中央には入り口で見たものと同じ龍の石像があり、霧でぼやけてよく見えないが、その付近で人が紐状の何かと戦っているようだ。
路地を抜け、悲鳴のする方向へ駆け出すヒカリ。そこで見たものは、
「うおおお!! リナリアを離せええええ!」
石像に鎖でくくりつけられている少女と、鎖を蛇のように操り、少女の仲間を攻撃する赤黒髪の男だった。
次回 愚者は小娘に襲いかかるケド、相手が悪かった