ルキア神
そろそろ完結に向けてゆきます
それは、一華とヒカリが出会う1年前に遡る――
いくつもの鎧や木偶人形が並ぶ室内。修練場と呼ばれているその部屋で、木剣を握る小柄な赤髪の少女が息を切らしている。
少女の眼前には、同じく木剣を構えた男が1人。
「立て! 休むな!!」
男は9歳のシャクヤに対して冷徹に言い放つ。
「はあ……はあ……」
シャクヤは、血縁上は父親にあたる〝シャルク〟の剣術稽古に、もう9時間は付き合わされている。
自身は師範と交代しながら、シャクヤに一切の休みを与えずに、教育をするのだ。それも毎日。
更にはあらゆる娯楽さえも与えない。
「稽古は終わり。部屋で昨日の続きをやりなさい」
かつてヒカリと呼ばれていた少女は、転生してからというもの全くと言っていいほど自由が無かった。
シャクヤは、ヒカリは、いつか自由になるのが夢になっていた。
前世の記憶があるシャクヤにとって、勉強は量こそあれど比較的楽勝なので、半ば休憩時間のようなものなのだ。
この勉強時間にリリームはやってくる。
「やあやあ、今日も来たよ」
机とベッドとしかない殺風景な部屋のクローゼットから、ひょっこり顔を出す、赤い髪色の少女、リリーム。衣服はシャクヤのクローゼットに無数にある赤いワンピースを借りている。
「ああ!! また痣がこんなに!!! あいつがシャクちゃんのパパじゃなきゃ、アタイがぶっ飛ばしてやるのに!!」
リリームは無い胸を張り、ぷくーっと頬を膨らませる。
そんな彼女の顔を見て、シャクヤは少し気分が晴れたようだ。
「さて、今日はどんな折り方を教えてくれるんだい?」
「うーとね、今日はドラゴンだ!!」
懐から正方形の紙を何枚も取り出して、シャクヤに〝折り紙〟をレクチャーする。
ほぼ毎日、リリームは抜け穴からシャクヤの部屋へ侵入し、こうして折り紙をしたりして遊んでいるのだ。少しだけ。
(リリームに初めて会ったのはいつだっけな――)
シャクヤは思い出す。
4年前、悪漢に襲われていた所をリリームに助けられたのだ。
その後意気投合し、こっそりと〝抜け穴〟を互いに利用して会うようになる。
娯楽を禁じられている中、リリームとの関わりが無ければシャクヤはとっくに壊れていただろう。
そんな事を考えている最中、廊下からシャクヤの部屋へ向かう足音が聞こえてきた。
シャクヤは屋敷の人間の足音を聞き分けられるようになっていた。
こうもわざとらしく足音を鳴らすのは1人しかいない。
「……ヤバい。親父が来る!!」
ドアノブをがちゃりと回し、開けた扉からずかずかと大股でシャクヤの部屋へ入るシャルク。
「進捗はどうだ? 明日までに終わらせるのだ」
(はいはいわかっていますとも……)
声に出さず、飄々とシャルクを見つめる。
部屋にはシャクヤとシャルクの二人と、そして
(――大丈夫だよな……)
横目でクローゼットをチラ見する。
何の変哲も無い、ただのクローゼットには今、リリームが隠れているのだ。
〝抜け穴〟から出るにしても物音が立つため、今は息を潜めるしかない。
そんな時、シャクヤは大変な事態に気づいてしまった。
『!?』
ドラゴンを模した折り紙が、クローゼット前に一個転がっていた。
幸いまだ見つかっていないようだが、気づかれたらどうなる事か――
その時、クローゼットの隙間から出た白い手が、折り紙のドラゴンを素早く中へ取り込んだ。
(ナイスだぜリリー!! あとは出ていくまで待てば――)
しかし、シャルクは想定通りには動いてくれなかった。
「? 今何か……」
視界の端で何かが動いたのに気付き、不審に思ったシャルクはクローゼットへ近づいてゆく。
(ヤバいヤバいヤバい)
音が外に漏れていないか不安になるほど、鼓動が胸の奥を激しく打ち付ける。
世界がスローモーションのように、ゆっくりと滑らかに動く。
シャルクがクローゼットの取っ手に手をかけようとした瞬間――
ガッシャーン!!
「す、すみませんご主人さま!!」
「何をやっとるんだ貴様!!!」
部屋の外で、1人のメイドが飾られていた花瓶を割ってしまったようだった。
「すみません……! ついうっかり」
「貴様自分が何を割ったのか分かっているのか!? それはかの有名な職人が作った――」
クローゼットの中にいるリリームへ、「今のうちだ」とアイコンタクトを向ける。
ごとっと小さな音を立て、クローゼット内からリリームの気配は去っていった。
それから数日、何事もない日々が続いた。
とは言っても、シャクヤにとって、この国での毎日は苦痛でしかない。
この国は何かがおかしい。
〝神〟と呼ばれるモノが10年前に現れてから、仲の悪かったハズの貴族たちは異様な団結を見せ、街の犯罪率は異常なほど低下したと、そんな噂をシャクヤは使用人から盗み聞いた。
〝神〟は人々のあらゆる悩みを親身になって解消し、様々な事件も即座に解決してみせた。
何度か〝神〟の顔を見た事はある。
年の瀬は15歳程度だろうか。美しい金色の瞳に白い肌、天使の羽を思わせる純白の髪をした、いわゆる美少年の見た目をしていた。
違和感しかない。
ある時は国外から現れた迷惑な冒険者どもを叩きのめし、ある時は貴族間のいざこざを体を張って解決したとか。
帝国の為に尽くしているのは確かだが、だからと言って、あそこまで狂信的になるものなのか? 国民どころか、最高権力を持つ皇帝までもが狂信しているのはおかしいだろう。
不気味である。
何が一番不気味かと言うと、シャクヤの他にこの事態へ違和感を抱く者がいないのだ。
神の前には貴族も平民も等しく平等。皆、口々に言う。
「気持ち悪りい……」
そう呟きながらシャクヤは鏡を覗く。
鏡には、いつも通りの自分が映っている。
自分。シャクヤだ。
ここ最近、やけに胸が張って痛い。それに加えて頭痛と腹痛、若干の吐き気がある。
それをシャルクに話した所、しばらくの間、剣稽古は中止になった。
今まで多少の体調不良程度ではやめなかった稽古を、今回は中止にするとは。
(これがアレか……アレが来たら、俺は〝神〟の元に――)
痛むお腹をさすり、鏡を見つめる。
赤い髪をツインテールに束ねた少女が、ヒカリを切なげに見つめていた。
「やあやあシャクヤちゃん! 遊びに来たよー!」
その日の夜も、リリームは遊びに訪れた。
「リリーか、よく来たね……」
「今日はね、良いもの見せてあげるよ!」
「え? ちょ――」
リリームに手を引かれ、シャクヤはクローゼットの抜け穴へ誘われる。
クローゼットの内側の壁板には1枚、隠し扉みたいに開く箇所がある。その向こうからは階段が壁の裏を伝っており、裏庭の茂みあたりの壁にある、小さな扉に繋がるのだ。茂みに隠れているので、ほとんどの人間は気づかないだろう。
何故こんな通路があるのかはわからないが、いつもリリームはここを通ってシャクヤに会いに来ている。
「見せたいものって何?」
「いいからいいから」
リリームとシャクヤは闇夜をしばらく進んだ。
どのくらい進んだか、多分2分くらいかな、とシャクヤは考えた。
「ここ!」
到着したのは、領地の西の端っこにあるはげ山。
付近には一切の明りは無く、完全に真っ暗で何も見えない。
「一体ここに何があるって……」
「空を見てごらんよ?」
「空? わあぁ……」
まるで、黒い画用紙の上に宝石のビーズをばらまいたような、煌めく満点の星空が広がっていた。
「お星さまはね、たくさんの神様たちが、この世界を覗き見るために針で開けた穴なんだって」
「そっか、どこからか神様が覗いてるのか……」
――――
帝国で信仰される〝神〟は、数年前とある1人の娘を嫁に取ると宣言した。
その娘が初潮を迎えたその日に、娶るとしたのだ。
国中が彼女を祝福した。
彼女の親は、神に見合う娘にするべく、徹底的な教育を施した。
人々は言う。神の妻になれるなんて光栄な事だと。
誰も、彼女自身の意思を考えた事は無い。
「おめでとう、シャクヤ」




