幕間 孤独の花
エリカの記憶にある母親の姿は、いつも優しくエリカの鼻を撫でながら子守唄を歌い、微笑みかけており――
―――
およそ500年前――
「ご主人様っ! またお嬢様が暴れだしました!!」
一人の女の使用人が、屋敷の書斎へと駆けつけ叫ぶ。
書斎の机で日記をつけていた男――初代グロキシニア家当主は、頭を悩ませた。
「くそっ! 私はあんな悪魔の子供なんて欲しくなかった! それをあの女……!」
〝あの女〟とは、当主の前妻である。
病弱で余命幾何もない娘のために、自らの命を代償として大悪魔を召喚し、娘の体に受肉させたのである。
精神生命体である悪魔にも様々なものが存在する。
自我の希薄で弱いもの、強い自意識を持ち国を滅ぼせる程の力をもったもの。
娘の体に宿った悪魔は、〝自我は無いものの国を滅ぼせる程度の能力〟という特集な存在だった。
故に娘は、強大過ぎる力を持った幼子である。
幼い故に力の制御は困難。方法を教えるにも倒すにも、娘以上に強大な存在が必要だ。
そんなもの都合よく現れるはずもない。
当主が頭を悩ませていると、使用人の影からゆっくりと、娘の姿が浮き上がってきた。
「ご……ご主人様っ、た たすけてくだ」
使用人が言いきる前にその上半身は一瞬で削ぎ落とされ、辺りには鮮血と臓物が溢れ出た。
「一緒にあそぼーよパパ!!」
顔を深紅の絵の具に染めた娘は無邪気に父親を呼ぶものの、彼はもはや自分の娘として見ていなかった。
そこにあるのはただ恐怖と憎しみだけ。
「部屋に戻ってなさい! エリカ!!!」
自分も殺されるかもしれない恐怖の中、当主はエリカにそう懇願した。
エリカは両親が大好きだった。だから父親の頼みはなんでも聞くはずだったのだが……
――
「みんなエリカがさわればすぐ壊れちゃう……パパもエリカがきらいなの……どうしてなの? どうしてみんな脆いのよ?」
全ての家具が大きく損壊した子供部屋で、エリカは空想に更ける。
それは「マリカ」という名のメイドが自分と遊んでくれる夢。マリカはとても頑丈で、絶対に壊れない。いつもエリカに笑いかけ、楽しく魔法合戦をしてくれる。
「うふふ、エリカはマリカの事だーいすき!!」
だがそんなものは空想に過ぎず、いずれ現実に戻ったエリカはまた〝孤独〟を噛み締めるのみである。
すると癇癪を起こし、そしてまた屋敷の使用人が減るのだ。
―――
庭の古木がエリカの手により無惨にもへし折られたある日。
当主は一つの宣言をした。
「エリカを屋敷に封印する。決して外に出さぬようにな」
まずは国中の魔道士を集め、屋敷を結界で覆う。
だがエリカの前にはこの程度の結界は紙切れに等しいだろう。
それを踏まえた上で当主は、次のプランを組み合わせた案を考えだした。
〝エリカの行動範囲を増やすため頻繁に屋敷を改築する〟
〝数日に一回、数人の生贄を与える〟
この案は速やかに執り行われた。
結界と改築はただの気休め。おそらく一番大切なのは生贄だ。
試験的に重犯罪を犯した凶悪犯を数人連れてきて屋敷内に放牧した。
その時当主は、「3日間生き延びたものは罪をチャラにする」と宣言した。
だが3日経っても出てくるものは存在しなかった。
そして3日間、エリカの癇癪が起こる事も……
それから当主は、頻繁に凶悪犯をエリカに捧げた。
玩具、遊び相手、あるいはお人形として。
―――
『パパからお人形のプレゼント』と書かれた紙切れが、目の前に倒れる首の無い大男のズボンから出てきた。
「ぷぜれんと!! パパからぷぜれんとなの!!」
子供部屋で狂喜乱舞するエリカは、遊び相手として与えられた〝人形〟よりも、〝パパからプレゼントを与えられた〟という事実に対して喜んでいた。
せっかくのパパからのプレゼント、全部遊ばないと――
エリカは一種の義務感に従い、なぜかみんないなくなった屋敷内を逃げ惑う〝お人形さん〟を一つずつ着実に壊していった。
そして全て壊し終わってから少しすると、またお人形の贈り物が届けられた。
今度はパパからのメッセージは無かったものの、エリカは嬉しくて全部壊して、一部は食べたりもした。
その次も、そのまた次も、パパからの〝プレゼント〟は届けられた。
お人形さんが届けられては、狩り壊す。
そんな日常が何年続いただろうか。
エリカは飽きていた。お人形を壊すだけではつまらない。
着せ変えたり、中を観察してみたり、料理してみたり。
色々な遊びを試してみて、それらも全部飽きた。
それでも人形で遊び続けたエリカの願望は、〝頑丈な人形が欲しい〟とだけになった。
ある時久しぶりにパパが屋敷に入ってきて、「頻繁には届けられなくなるけど、必ず楽しめるものをあげる。その代わり、この人だけはお人形として使ってはダメ」とエリカに頼んできた。
パパに言われた通り、たまにパパとお人形と来る、その〝存在〟では遊ばないように気をつけた。
―――
ある日、4つのお人形がやってきた。
その内の2つは何か今までのとは違う感じがしたので、エリカは近くまで行って様子を見ていた。
その夜、エリカは特別じゃない方の人形を一つとって幻を見せていたぶった。
対して頑丈でもない。反応も面白くない。
エリカはその人形を壊さずに人形置き場に放置し、〝特別〟なお人形の様子を見に行こうとすると、なんと特別な人形の方から人形置き場へと近づいていくではないか。
エリカは様子を見て、人形置き場に入った所で特別なお人形を取っていった。
何かわからないワクワク感を抱き、その人形をいじる。壊さないよう、注意を払って遊んでいると――
「ヒカリー! どこなのだー!!」
もう一体の特別な人形が〝遊び部屋〟近くまでやって来ていた。
――その〝人形〟は、かつてエリカが夢見ていた頑丈な玩具そのもの。
エリカが触れても簡単には壊れず、壊れてもすぐに治る。
ところがエリカには、別の願望ができていた。
外へ出てみたい、色々なものに触れてみたい――
そんなエリカの願望は、叶えたいと強く願う〝夢〟へと変化してゆく。
――
狭くて暗い世界に寂しくひとりぼっち。
朝も昼も夜も全て等しく、ただ限りなく続く孤独を噛み締めるのみ。
慰めももはやその場しのぎにしか過ぎず、首を吊っても死ねず。
ただ、幸せな愛が欲しかった、楽しく閑静な日常を過ごしたかった。そんなエリカの願望は闇へと吸い込まれていった。
ある日深く暗い絶望の深淵にうずくまるエリカへ、温かな光が射し込んだ。
その光は、エリカに優しく手を差しのべる。
そのまぶしい光が何と呼ばれるものなのか、エリカはいずれ知る事になる。
その光の名は、〝希望〟であると――
***
エリカを屋敷に封印する前日――
当主は手記に、おそらく娘宛てにメッセージを書いていた。
〝すまないエリカ。愛しき我が娘よ、お前を悪魔に変えてしまい、更にはここに閉じ込めてしまって。こんな愚かな私をどうか許してくれ〟
ひょっとすると彼の中に残っていた微かな愛は、500年を越えて届いていたのかもしれない――




