欲情
古い洋館な外観と比べてだいぶ質素な部屋だ。
天井からは古びた燭台がぶらさがっており、壁際にはスタンドランプが立て掛けられている。
そんな部屋の窓からは、無数の雨粒が地に打ち付けられる音が聞こえてくる。さっきまで晴れてたのに。
「俺はな、生まれ変わって〝シャクヤ〟と名付けられたんだ。ハナノ帝国って所の侯爵のお嬢様さ。家出中のな」
少し体調の戻ったヒカリはラフな格好に着替えながら、自分の事情について語りだした。
「こうしゃ……? シャクヤ?」
「侯・爵・だ。貴族の娘って事。んで、シャクヤってのが俺の今の名前」
「初耳なのだけど、なんで今さらそんな話をするのだ?」
「さっきの奴らが俺を追って来たハナノの騎士どもだ。チカ姉にはいずれ話しておかないと思ってな。呼び方はヒカリでいいよ」
あの白鎧の騎士がそうか。イセナは大丈夫だろうか? さすがに負けたりはしてないだろうけど。
『もしもしイセナ? さっきは大丈夫だった……?』
心配になったので、思念でイセナへコンタクトを図った。
『ん? ああ、オイラは大丈夫。あいつらは丁重に帝国とやらへ送り返したよ。ただ、それからちょっと面倒な事になったんよ……』
『面倒な事?』
『あー、色々あってトゥーラ王国はどうやら、ハナノ帝国って所に目をつけられたっぽいんよ。しかもどうやらオイラが最前防衛線らしいしそれに、ユニコーンとかいうのが来てな……』
『イセナが最前線? 最後の聞き取れなかったのだ、もっと大きな声で言ってほしいのだ』
『何でもないんよ! とにかく国で一番強い、《高位》を所持してる存在がオイラだけだから、国から離れちゃだめらしいんよ!!』
『えー、じゃあわたし達と一緒に行く事は――』
――「チカ姉?」
思念に夢中だったわたしへ、いきなりヒカリがわたしを呼びかけた。
「何なのだヒカリ?」
「また誰かこの屋敷に来たみたいだぜ」
ヒカリの言う通り、部屋の外からバートムさんの声と、低い男の声が聞こえてくる。
『どうしたんよ?』
『また後でかけるのだ。失礼するのだ』
思念通話を切り、わたしは部屋の扉をほんの少しだけ開けて玄関の方を覗き見た。
「ズルク様、お部屋へご案内します」
「へっ、俺にふさわしい部屋だろうな?」
「もちろんですとも、Aランク冒険者様を泊める為に準備してきましたから」
バートムさんがへりくだって一人の男を迎えているのが見える。筋肉質な体つきかつなんか狡猾そうな顔をしている。
ズルクという男は支配人のバートムさんに案内され、わたし達の部屋の前をぶつくさ言いながら通り、3つ隣の部屋へ入って行った。
「……ズルク?」
玄関からの声が聞こえていたのか、ヒカリは男の名前を口にし、眉をしかめている。
「どうかしたのか?」
「噂を聞いた事ある。確かSランクに次ぐ上位冒険者だったか」
えすらんく。
冒険者の中でF≪Sまでランク付けられており、上のランクに行くほど、冒険者として優秀らしい。
「へえ、結構凄いのが来てるのだな」
「あー、でもあまり良い噂聞かないからな、ズルクには」
***
窓から射し込んでいた黄昏の光は夜のとばりに吸い込まれ、部屋の中は燭台とランプのゆらぐ灯りのみでほんのり照らされている。
結局イセナは、一緒に行く事は無理らしかった。
昼からしばらくイセナとヒカリを交えた思念で他愛もない話をして過ごしていると、誰かが部屋の扉をトントンと軽く叩いた。
「失礼。少し早いですが夕食をご用意しました」
心なしか面倒くさそうなイントネーションで、バートム氏はわたし達に食事と食堂の場所を扉越しに教えてくれた。
「ありがとうなのだ」
ヒカリの体調もだいぶ戻ったようなので、一緒にディナーに参加できそうだ。たくさんは食べられなさそうだが。
たしか食堂は玄関からにまっすぐ階段を登った通路の先だったな。
「おや、君たちも冒険者かい?」
部屋を出た途端、先に廊下へ出ていたズルクと遭遇した。
改めて見ると凄い悪人面だな。
「はい、でもここのクエストを受けた訳じゃないので明日には出発する予定です」
ヒカリはズルクに対してそう言い、足早に食堂へ向かった。
「ククク、どっちもイケそうだ」
白いテーブルクロスの敷かれた、それぞれの丸いテーブルの上に乗った食器類には豪華な食事の数々が―――
と、言えなくもない光景が薄暗い食堂に広がっている。
目立った装飾が無い上に窓も無いためどこか物寂しさを感じさせる暗さとなっている。おかげであまり食欲をそそられない。
……泊めてもらってるのに贅沢言っちゃ悪いよね、ごめんなさい。
わたし達の隣のテーブルにはナルスさんとアンさんが座っているようだ。
その反対側のテーブルにはズルクが。
「ふふ……」
ズルクはニヤニヤしながらいやらしい目で見てくる。
気持ち悪いので、ナルスさん達の近くによって食事をとるとしよう。
食後。
思っていたより美味しかった。人間の体(?)に戻ってから一層食事が楽しみになったわ。いくら食べても太らないし、いくらでも入るし。
「あなた達も例のクエストでここへ?」
ふと、隣のテーブルからナルス達に声をかけられた。
「クエスト? どんななのだそれは」
クエストってのは、民間人が冒険者に依頼して困り事を解決してもらうシステムだ。
ってヒカリが言ってた。詳しくは知らん。
「ギルドに登録してるなら聞いたことないか? グロキシニア家の屋敷で何人も行方不明になってるって噂。僕達はその原因究明を請け負ってるんだ」
行方不明?
この城みたいな館で何人も……?
「きっとここに巣食う魔物の仕業よ。私達こそが退治してやって名をあげるのよ!」
「そしたらきっと、大幅ランクアップ間違いないよな!」
二人、すっごく意気込んでるみたいだ。
失踪者いるとか物騒な話だが、その分報酬があるのだろう。
ちなみにトゥーラ王国を救ったあの報酬は、ヒカリが自らの成果でないと受け取りを拒否している。
目立ちたくないと言ってたが、今思えばあれは帝国に目をつけられないようする為だったのだろう。
Sランクになっておいてな……
腹もふくれ、わたし達は部屋で明日の予定をたてる。
明日は〝ディアリア王国〟へ到着するつもりだ。
「チカ姉は空飛べないのか? 羽とか出して飛べたらすぐ到着できると思うんだが」
「翼っぽいのなら出せるのだ。ただ、見た目がそれっぽくないというか……」
そんな会話をしていると、また誰かが扉をどんどんと叩いた。
「部屋を開けて、お話でもしようぜ? かわいコちゃん?」
この声は確かズルクだ。
なんだか声の抑揚がとてもいやらしい。
「俺達は明日早いので、お断りします」
「そんな事言わずにさあ、ちょっとだけだから」
「少女二人と密室でナニをするつもりですか?」
ひょっとするとこいつ、わたしとヒカリの体が目当てか!?
「キモっ!!」
思わず声に出てしまった。ドアの向こうから、気に入らなそうなズルクの空咳がする。
「とにかくそういう事なんで、お引き取りください」
そう言って扉に鍵をかけようとした所、ズルクが強引に扉を押し開いてきた。扉の前にいたヒカリはぶつかって尻もちをついた。
「いいからヤらせろ? オレはAランク。お前らみたいなケツの青いガキが口答えしていい存在じゃねぇんだよ?」
「ヒカリ!」
燭台の火がゆらぐ。
ぬるりと入ってきたズルクは、素早く抵抗するヒカリの胸ぐらを掴み持ち上げた。
「やっ……」
「黙れ。死にたくなけりゃ静かにしてろ」
凄まじい悪寒で、ぷつぷつと鳥肌が立つのを感じる。
「その手を離すのだ!」
「お前も黙ってろ。動くな。お友達に怪我させたくなかったらな」
ヒカリが人質にとられ、思うように動けない。
これはまずい状況だ、このままではヒカリの純潔がこんなクソ男に……!!
わたしは状況を打開すべく脳をフル稼働させた。
「いいぞ、これだから〝素人狩り〟はやめられない。しかしあの銀髪のガキはいないようだな」
「銀髪?」
ズルクはヒカリを床に押し倒し、ヒカリの両手を紐状のもので縛りつけた。
「くっ……お前こんなことして、協会が黙ってるとでも思っているのか……?」
「許されるんだよ、オレはこのディアリア王国領の貴族だからな。ここで起こった事なんて、いくらでも書き換えられる」
そう言いながらズルクはヒカリの衣服を小さなハサミで切り、わたしを見てこう言った。
「お友達が犯されようとしてるのをただ見る事しかできないなんて、どんな気持ち? ねえどんな気持ちぃ?」
ただ見ている事しかできない か。
大丈夫、わたしにはイセナとの修行で会得した力がある。
「ヒカリは渡さないのだ……」
「はあ? 今何て言った?」
「ヒカリはわたしが守るのだ!」
*
「ヒカリ立てる?」
「大丈夫だ。その、ありがと……チカ姉」
なんかかわいい。ヒカリは頬を赤く染め、指先で髪をくるくると回して遊んでる。おまけにわたしの顔を直視しない。
完全に女の子の顔だ……あのヒカリが。
「てめえ魔人だったのかよ! クソがぁ!」
そう吐き散らすズルクの体は黒いロープのような物体でぐるぐる巻きに縛られ、扉の前にゴミみたく転がせてあった。
「チカ姉の能力って応用が凄いな」
何とか貞操を保ったヒカリが感心するのも無理は無い。何を隠そう、ズルクを縛る黒いロープのようなものはわたしの体の一部なのだから。
わたしの邪竜たる〝本体〟の質量の大半は、アビリティ《異空間魔法》に収納されておりいつでも出し入れが可能なのだ。
これに《肉体変形》を併用すれば、わたしの近くの空間ならどんな形の物体でも召喚できるのだ。例えばロープとかを死角から出すとか。
……という理論も、《頭脳明晰》が無ければ理解不可能だっただろう。アビリティ様々である。
欠点は肉体変形を使うと角や尻尾が隠せなくなる事くらいか。
「次は無いのだ」
わたしは身動きのとれないズルクを廊下まで転がし扉と鍵をかけ、ズルクを縛るロープを再び《収納》させた。
「女の分際でよくも……! 覚えてろクソ魔人めが!!」
ズルクはそう吐き捨てて、3つ隣の部屋へ戻っていった。
わたしは再び角と尻尾を変形で隠した。
「せめて俺もアビリティが一つでも使えたらな……」
そう、ヒカリの今の能力封印された状態ではあの程度の雑魚にも力負けしてしまうのだ。だからわたしがしっかり守ってあげないと。
「すまない、早く力を取り戻すからな」
「謝る必要は無いのだ。なんだか昔に戻ったみたいで懐かしいのだ。泣き虫だったヒカリをよしよししてた頃を思い出すね」
「あの頃は関係ないだろ!?」
「わはは! それでこそ気の強いいつものヒカリなのだ」
そんな昔話をしている内に夜が更けてゆく。明日はディアリア王国へ出発だ。
それぞれのベッドにもぐり、眠りについた。
そして夜が明け―――
朝食にはまだ早いが、パーカーを着て一通り出発の準備を完了させ部屋を出ると、廊下にアンさんが立っていた。
おろおろしたそぶりで、何かあったらしい。
――ここで何人も行方不明になってるんです と、なぜか脳裏に昨夜聞いた話が繰り返し再生された。
そしてアンさんは一呼吸置き、一言で状況を説明した。
「ナルスがいなくなったんです!!」と。
次回 ナルスさん救出大作戦。私も混ざりたいケドな……




