眠れる森の――
真っ暗闇。
どこまでも続く、深い深い闇の中に、わたしは一人立っていた。
『……か……ちゃん……』
どこからか、誰かを呼ぶ声が聞こえる。
『いち……ちゃん……』
なんだか懐かしい声だ。
誰を呼んでいるのだろう?
『一華ちゃん!』
その声がはっきりと聞こえたと同時に、目の前に懐かしい人物が浮かび上がるように現れた。
肩まで伸ばしたセミロングの髪は濃い目のブロンドで、そのスカートとシャツはかつてわたしが通っていた高校の制服だ。
見間違えるハズも無い。
この女の子は、彼女の名前は――
待雪ヒオリ。
前世のわたしの親友であり、ヒカリの姉だった女の子。
『ヒオリ!?』
目の前に佇む懐かしい人物。
思わず近づこうとするも、なぜか体を動かせない。
『久しぶり、一華ちゃん。……ケドなんだかずいぶん変わったね』
あの頃と変わらず、ヒオリはあでやかに笑う。
『そうなのだ! なんか気がついたらヤバい化け物になってて……』
『知ってるよ。一華ちゃんが邪竜の体に宿った事も、弟が女の子になっちゃった事も全部』
『どうして知ってるのだ? ひょっとしてヒオリもこの世界に――』
わたしが言いきる前にヒオリは少し困った顔をして、遮るように答えた。
『ごめんね、今は時間があまりないの。私はヒカリの目を覚まさせる方法を伝えに来ただけだから……』
『ヒカリを目覚めさせるってどうすればいいのだ!?』
『焦らないで、あの呪いを解く事ができるのは一華ちゃんしかいないの。だから落ち着いて聞いて』
興奮気味のわたしをたしなめ、ヒオリはその方法について語ろうとした。
『一華ちゃんがね、ヒカリに……その……』
『ヒカリに?』
ヒオリはなぜか顔を赤らめ、言うのを躊躇しているように見える。
『――すればいいの! そうすれば……』
『何? よく聞こえなかったのだ!!』
ところがヒオリは顔を押え、まるでわたしに呆れるような素振りを見せた。
『ヒオリ? 待って! まだ――』
その瞬間、わたしの体は後方へ磁石に引っ張られるかのようにヒオリから引き離され、意識は暗闇の中へ吸い込まれていった。
*
「……ろ…」
……?
「起きろイチカ。呪術師が来たからどいた方がいいんよ」
「むにゃっ!?」
イセナに揺すられて気がつくと、わたしはヒカリの眠るベットに突っ伏して寝てたようだった。
人間の体になって、また寝れるようになったみたい。
赤い格子窓からは黄昏の西日が差し込み、ヒカリの眠るベットを照している。
夕方まで寝てしまったのか……何だか懐かしい夢を見てた気がする。
「あーはいはいその娘の呪いを解けばいいのねはいはいさっさと終わらせてたんまりもらうからね」
イセナの後ろの引き扉から、シャーマンみたいな格好をしたなんか胡散臭そうな、頭髪の寂しい老人が現れた。
「だ、誰なのだ!?」
「あたしゃウンサという一流の呪術師さ。すぐにその娘にかけられた呪いを解いて楽にしてあげるからねー」
ウンサはヒカリの額に指を当て、目を閉じ何かを念じた。
「……!? これは駄目だねあたしでも解けないよ。他のに任せても同じ結果になるだろうからその娘は諦めるこったね」
「は?」
胡散臭いジジイは、そのまま何もせず逃げるように部屋を出ていった。感じ悪い。
それからわたしは、しばらくヒカリの隣の屋で寝泊まりする事になった。
その後で、晩餐会が開かれていたようだったが、とても行く気にはなれなかった。
翌朝もヒカリは目を覚まさない。
わたしはとっくに起きて、お外へ散歩へ行って来たというのに。
昼になって、昨日とは別の呪術師がヒカリを見に来た。
でも、昨日のジジイ同様に、自分では解けなかったらしい。
次の日も、目を覚まさない。
デイゴス達は、もう行ってしまったのだろうか。
今日も別の呪術師が来た。
そして昨日と同じ事を言って帰っていった。
その次の日も、更に次の日もヒカリは――
ある日、わたしの様子に見かねたイセナが部屋に入ってきた。
「……いつまでそんなしょんぼりしてるんよ?」
「わかんない、わかんないよ! このままヒカリが目覚めなかったらわたし……」
「気持ちは分かるんよ。ただ、何もせずひたすらその部屋で1日を過ごすのは良くない。もっと色々試してみるべきよ」
「色々って?」
「例えば、アビリティの練習とかな。オマエ、全然アビリティ使ってないだろ? 力任せに魔法くらいしか使ってないみたいだし」
言われてみれば……わたしはあまり能力を使いこなせていないのかもしれない。
あのピエロにも技量が伴っていないとか言われてたし。
「それに、ヒカリが目を覚ましたとしてオマエが未だアビリティを使えていなかったら?」
「……わかったのだ」
それからわたしはイセナの力も借りて、〝技量〟を高める特訓を始めた。
まずは、アビリティを手足のように使いこなす練習だ。
《ステータス管理》をでアビリティの権能を改めて調べ、色々使ってみている。
ちなみに魔法とかを使っても大丈夫なように、町はずれにある闘技場とやらで練習をしてる。
単にそのまま使うだけよりも、他のアビリティと組合わせたり、使い方に工夫を凝らしてみたり――
数日間の試行錯誤の中で、わたしは様々な技を獲得していった。
*
赤いベットに横たわるヒカリ。
今日も目を覚まさない。本当に寝ぼすけだ。
以前までのわたしは、この世界に対する無意識的な拒絶があったんだと思う。だからアビリティもあまり使わなかったし、ヒカリに依存していたのだろう。
でも今は少し違う。
この国で過ごす内に、ちょっとだけこの世界に順応できた気がする。だからこうしてヒカリの覚醒を落ち着いて待つ事もできるのだ。
これもイセナのおかげだ。彼女の印象は、初めて会った時と全く違ったものになっている。笑えるね。
『もしもしイチカ? オイラ久しぶりに水竜の里へ戻ってみようと思うんよ』
頭の中に、イセナの声が響く。
これはわたしの《思念通話》によるものだ。
離れた相手とも、電話みたいな事ができる便利アビリティである。
『それで、オイラを見下してた奴らにギャフンと言わせてやるんよ!』
『それならここでその様子を実況してほしいのだ!』
『良いアイデアだ! 待ってろ、面白く解説してやるよ』
いつの間にか、わたしとイセナは友達と呼べる仲になっていた。
ヒカリが目覚めたら三人で美味しいものでも食べに行こう。
そんな横で眠れる乙女(元男)。
日々、この呪いを解除する術を模索中だが、未だかすりもしない。
「寝すぎなのだ。だから昔から遅刻ばかりするのだ……」
懐かしい思い出を思いだし、微笑ましい気分になっていた所に、再び〝ヤツ〟は現れた。
『モシモシ? 聞こえて、聞こえてますか?』
『は? 誰なのだ!?』
飄々とした、あの性別のわからない声が思念通話に割り込んできた。
『ンっふっふ! わたくしですよ、しがないピエロです! どうやら彼女の呪いはまだ解けて、解けていないようデスネ?』
『お……お前はあの、白黒ピエロ!?』
イセナの反応が無い。どうやら向こうも同じアビリティでわたしに語りかけてきているようだ。
『何のためにわたしに思念を飛ばしているのだ?』
わたしは冷静に質問をした。
『おっと、何か悪い事の為じゃない、ないですよ? ただ、その娘さんの呪いを解くヒントを差し上げようと思いましてね?』
『訳がわからないのだ。呪いをかけたお前が、なぜ解呪のヒントをくれるのだ?』
『そりゃあ決まって、決まってますよ! 貴女は〝主人公〟! いつまでもこの話に進展が無いと、〝観客〟は飽きてしまうでしょう? だから、だからあたしは物語を進める為にこうして貴女に干渉するのです!』
また〝主人公〟だの〝観客〟だのという、訳のわからない単語が出てきた。
『……じゃあ観客って何なのだ?』
『それを今、貴女に言っても面白くない、面白くないでしょう。これは後々への〝伏線〟としてとっておいてほしいですね! ンっふっふっ!』
何がしたいんだコイツ。でもまあいいや。本題のヒントとやらを聞いてみるとしよう。
『じゃあ、ヒカリを覚ますヒントは何なのだ?』
『おお! がっつくね! いいでしょう、教えて、教えてさしあげまする!』
嬉しそうな声色の思念を飛ばしてくるピエロ。
『それはですね、乙女なら、乙女なら誰もが一度は憧れるモノです! おとぎ話でありがちの解呪法です! ちなみに貴女にしか解けないよう設定してまするね!』
乙女が憧れる、おとぎ話でよくある……なんか察しがついたかも。
でも、今は考えないようにしよう。想像しただけでもうなんか……
『嘘じゃないのか?』
『私、隠し事、隠し事は多いものの嘘はつかない主義ですわ! 信頼して、どうぞ』
怪しいが、後でその方法を試してみよう。
……心の準備ができたらね。
『ワタシからは以上、以上ですネ! それではまた、バイバ~イ!』
最後まで変な奴だ。
敵なのにアドバイスして、観客だの主人公だのと訳のわからない事を――
『おっと忘れてました! ワタクシ、《コランダム》という名前、名前ですヨ! 〝月〟からやって来たのです! 覚えてくれたら光栄ね! それではまた会いましょうイチカさん! バイバイ!』
いきなり現れて、いきなり去ってゆく。嵐のようなピエロだ。
えっと、コランダム? 癪だが覚えておこう。
それより今は、解呪の方法だ。実践してみるしかあるまい。
……やらなくちゃいけないのか。「アレ」を、ヒカリに。
前の世界では救命にもやるし、まあ何だその……
断じて恋人同士がやるアレではないんだからね!?
わたしは覚悟を決め、布団の上で眠るヒカリの頬を手で包みこみ、そっと顔を近づけ―――
***
『ヤバいヤバい、笑いが止まらないんよ! あいつの天狗鼻がへし折れて……あれ? 何かあったのかイチカ?』
わたしは脳内に響くイセナの高笑いをバックに、目の前で起こった光景に気を取られていた。
「あれ……誰?」
ああ、その声をどれほど待ちわびただろう?
「おはよう、ヒカリ!」
気がつくとわたしは、ヒカリに抱きついていたのだった。
次回 突然の出発。ヒカリは色々大変みたい




