ロアの家
ゴトゴトと石畳の上を馬車が進んで行く。
現場である屋敷近くは騒然としていて野次馬が居たぐらいだったが、少し離れると喧騒が嘘のように無くなり、馬車が進む音だけが響く。
多分、今は深夜だろう。
窓から外を見回すと、広い土地に大きな家が建っている光景が続いた。
此処は、いわゆる貴族街だろうか?
カナトラにもあったが、そこよりも静かで住みやすそうな印象を受ける。
街灯のオレンジの淡い光が石の道を照らしていた。
しばらくして馬車が止まったので外を覗き込む。
森。
土地の周りを柵で囲んであって、大きな門の先に生い茂った豊かな森が見えた。
二人いる門番のうちの一人が門を開けた。
「え? 此処、森じゃ……」
「家は森の先にあるんだ。何せ敷地が広くってな、馬車なしだと敷地から出るのも苦労するんだ」
此処に来るまでに貴族の家を見てきた。
ロアの家もこんな風に大きいのかなって思ってた。
規格外。
そんな単語が頭に浮かんだ。
馬車は森の中に入って行った。
道はあるから心配はいらないと思うけど……
敷地が広いってロアは言ったけど、本当にその通りだ。
まだかなとそわそわしていたが、一向に着く様子は無い。
何処を見ても森。
景色を見るのにも飽きて、少し眠ってしまった。
「ミツキ、着いたよ」
「……ん、ぅ」
気が付くと、馬車は止まっていた。
ロアに手を貸してもらいながら、慌てて馬車を下りる。
「おおきい……」
見上げた屋敷は、先程見てきた貴族の家が霞んで見えるぐらいだった。
家の周りは芝生が続き、有り得ない程広大で、四方を森が囲んでいる。
建物は木造の五階建て。奥行きは暗いからなのか大きすぎて見えないのか判断が付かない。
ホテルか? 西洋風木造旅館。そう言ってもいいかもしれない。
立派な門をくぐって、これまた立派な金属製の玄関のドア。
その前に二人のメイドと年老いた執事が一人。蝋燭を持って待って居た。
「お帰りなさいませ、ロア様」
執事がそう言うと、続けてメイドも、お帰りなさいませ、と続けた。
ロアは普通に、
「ああ、ただいま」
そう言った。
ほんとに此処がロアの家なんだ……
さっきから冷や汗がだらだら流れる。
此処に居させてくれるって言ってたけど、不味い気がする。
メイドが玄関を開け、中に入る。
絵に描いたような、おとぎ話に出てくるような立派な玄関。
貴族の家とはこう言うモノだ、と立派な家具たちが主張しているようだ。
くらりと目眩がした。
わたし……此処にお世話になるんだよね?
「ミツキ?」
「は、はい」
「お風呂入る? 疲れたから寝る?」
「寝て早朝にシャワーがいいな……もう眠い……」
「分かった、部屋に案内するよ」
暗く無駄に広い廊下をロアに案内されて進む。
何度か角を曲がり階段を上って三階に来たようだ。
迷子になりそうだと不安になった。
「此処は……狭いかな」
一度開けた部屋をロアはそう言って閉めた。
気になってわたしがもう一度開けて中を確認する。
元の世界のわたしの部屋なんかよりずっとずっと広く、家具も揃っていて大きくて広いベッドもあった。
例えるなら……カナトラで泊まった良いホテル。
二人で丁度いい多きさの部屋だ。
此処で狭い……? ロアの基準が分からない。
ドアを閉め、先に行ってしまったロアを慌てて追いかける。
「此処で良いか」
特に中を確認せずにロアがそう言った。
扉にはレリーフが入っていたが、暗くて良く見えない。
ロアが扉を開け、入る事を促すのでゆっくりと中に入る。
「っ、ひろい……」
先程の部屋よりも広く、大きな窓があって庭が良く見えた。
家具も良いものばかりだと触らなくても見ただけで分かる。
何より、ベッドは……
「天蓋付き……」
上から垂れ幕が下りており、漫画ぐらいでしかお目にかかった事の無い天蓋付きのキングサイズ? と思うぐらいの大きさのあるベッドだ。
子供の頃はこんなベッドで寝てみたいと思っていたが、こんな所で叶うなんてなあ。
「メイドが着替え持ってくるから」
「着替えあるの?」
「何時までも隊長の上着着てるのも何か、な……女性の服は大体揃っているから」
「……え、どうして?」
「此処で働くメイドの多くは住み込みだ。だからだよ」
沢山女性が居るから、着替えもあるのだろうか?
「俺は風呂入って自室で寝るから。何かあったら呼んで」
「どうやって呼んだらいいの?」
「あのベル、鳴らすとメイドが来るから、それで」
机の上にハンドベルが置いてあった。
メイド経由でロアを呼ぶって事かな。
探しに行っても広いから迷子になるだろうし……ロアの部屋が何処にあるのか分からないし……呼んだ方が早いよね。
「あ、来たみたい。じゃあ後よろしく」
後から来たメイドにそう言って、部屋を出て行こうとするので、
「ロア」
その背中に話しかけた。
「ありがとう、ほんとに感謝してる」
「……家に帰れるようになったら、もう一回言ってくれ」
グリグリと頭を撫でられた後、そのまま部屋を出て行った。
代わりにメイドが一人、頭を下げてから部屋に入った。
20代半ばほどの女性メイドに服を渡される。
「あ、あの……これで寝るんですか?」
「はい」
にこにこ笑いながらそう言われ、もう一度服を見る。
暗くて色はよく分からないが……
「これってドレス……ですよね?」
「はい、寝る用のドレスです」
寝る用の……?
貴族女性用のパジャマがこれなのか?
「普通のはありませんか……?」
恐る恐る聞くと、普通のシャツに緩めのズボンが出てきた。
「普通はドレスなんですよ? こちらでよければ」
「これでいいです。ありがとうございます」
「下着はこちらです。お着替えお手伝いしますね」
「……へ?」
ライトから借りた上着を脱ごうとして、固まる。
着替えを手伝うって言った?
メイドは上着のボタンを外して手早く脱がそうとしてくる。
「あ、あ、あの!」
「はい」
「自分で! 一人で出来ますので!」
「そうですか……ではお着替えが済むまで廊下で待って居ますね」
メイドの話によると、わたしの脱いだ物を洗濯に出したいから待って居るようだ。
わたしの着替えで人を待たせている、そう思うと申し訳なくて手早く服を脱いだ。
引き裂かれたワンピースを見て、今日一番怖かった事を思い出して泣きそうになった。
怖かった、本当に……ロアには感謝してもしきれない。
後でちゃんとお礼を言わなきゃ。
貸してもらった着替えはサイズぴったりだった。
「あの……終わりました」
廊下で待って居るメイドに声を掛けて、脱いだ服を渡すと、ワンピースを見て眉をひそめた。
「今日の事、さぞ怖かったでしょう」
「……そう、ですね」
メイドが何処まで知っているのか知らないが、頷いた。
「私も魔力を持っていて、攫われました。あなたと同じですね」
「えっ」
「嫁に行くのが嫌で、仕事を探して此処に住み込みで勤めています。私達のような女性には働く場所が限られてしまって……安全な場所で無いといけないから」
「そうだったのですか……」
「はい、私と同じ境遇の子は沢山居ますから。気軽に話しかけて下さいね」
メイドは微笑んだ。
此処にはわたしと同じ、魔力を持った人達が働いているのか。
「最後に、お名前伺ってもよろしいですか?」
「あ、はい。美月と申します」
「私はセレナです。ミツキ様、よろしくお願いします」
セレナは深々と頭を下げたので、同じように頭を下げた。
「部屋はお好きなようにお使いください」
「はい」
「朝、モーニングコールをしますが……今日はとても遅いので明日は起こしませんね。ゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます……」
「入浴は朝食の前と後、どちらがよろしいですか?」
「前で……」
安全な場所に来て、緊張の糸がすっかり切れてしまって睡魔が襲ってきた。
こっくりこっくりと舟をこぎ始める。
セレナが気が付いたようで微笑んだ。
「もうお休みください、ミツキ様」
「すみません……」
「いいえ、体を休める事は大切ですから」
ベッドで横になると、布団をかけてくれた。
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさい……」
そのまま意識を飛ばした。
*****
セレナは蝋燭片手に一人廊下を歩いていた。
「あ、セレナ」
若いメイドに話しかけられ、立ち止まる。
「どうだった? ロア様が連れてきた子」
「どうって……まだ少ししか話してないけど……」
セレナはう~んと考えて、
「奥様と似てるかしら? 我が強くなくておしとやかな感じよ」
「守ってあげたい系?」
「一言で言えばそうね」
「ほ~。いいね! 坊ちゃまと合いそう!」
「私もそう思うわ」
「グラスバルトの未来は明るいぞ! 明日、あたしも会ってみようっと」
「その話し方はやめた方が良いかもね。変に警戒されるかも」
「りょーかい! 明日ババ様に報告?」
「もう寝てるだろうし、早朝にするわ」
二人はそう会話をして、セレナは明日も早くから仕事があると言う事で途中で話を切り上げた。
「おやすみセレナ!」
「夜勤頑張って、サラ」
「うん、ありがと!」
小声で会話していた二人は別れた。




