早朝の口付け
起き上がって、ぼおっと外を見た。
背の高い城壁のさらに上。
今日も天気は快晴だ。
早朝の鋭い朝日が街を照らす。
昨日の事が頭をよぎる。
「いくな」
声に出して言われていたら、わたしはどうしていただろうか。
家に帰る事を、諦めただろうか。
諦めて、それで……どうするのだろう。
考えたって意味がないのに、考えすぎたって答えなんか出てこないのに。
「おはよう、ミツキ」
「……おはよう、ロア」
いい感じに寝不足だ。
でも、もう少し。
もう少しで家に帰れる。
それだけでわたしは元気になれた。
ロアはわたしより早く起きて、荷物をまとめていた。
今日中、もしくは明日には王都に着く。
目的地はもうすぐそこ。別れまで、あと少し。
「もう出るぞ、早く着替えろ」
「……うん」
眠たい目を擦って、適当に着替えを選ぶ。
あまり選択肢はないのだけどね。
緩慢な動きでリュックをあさる。
今日はこのワンピースにしよう……
「……ミツキ」
小さな声でロアが呼んだ。
着替え片手にゆっくりと振り向く。
「ロア……」
その着替えは結局床に落とした。
ロアはわたしに言いたい事があって、でも言えないのだろう。
苦しそうな、寂しそうな顔をしていた。
昨日と、同じ顔だ。
「どうしてもか」
一言だけ、わたしに聞いて来た。
色んな気持ちが入り混じっているのは、聞いただけで分かる。
ロアの事を拒否するのは心が痛んだ。
でももう止まれないのだ。
わたしは一言、
「どうしてもだよ」
そう告げた。
「……どうして」
ロアはもう一度そう言った。
言いながら、わたしの腕を掴んで俯いた。
わたしは残った腕でロアの背を撫でた。
「ねえ、ロアはさ。いきなり知らない世界に来たらどうする?」
その世界で楽しく気楽に生きる道を探す?
そうだね、そう言う道もあるだろうね。
今まで生きて来た事を全部思い出にして違う世界で生きて行く。
それもある意味では正解なんだよ。
「でもわたしは、今までの事を思い出にする事は出来ない」
わたしと言う存在の全ては故郷で作られたものだから、故郷で生きて故郷で死にたい。
誰に望まれなくたっていい。
わたしの故郷の記憶が、早く帰りたいって……そう願っているの。
「俺がこの世界にミツキが残る事を望んでいても?」
「ロアは違う世界に来て帰りたいって思わないの?」
「そんな事! なってみなくちゃ分からない!!」
ぎゅうっと抱きしめられる。
困ったな、とぼんやり思う。
「ロア」
名前を呼んで、向き合う。
悲しそうな顔を見て、わたしも悲しい気持ちになる。
「最初の約束、忘れないで」
ロアが息をのんだ。
「わたしも忘れてないから……ね?」
ロアは約束を破ったりしないでしょ。
この世界で一番信用している人。
……わたしの好きな人。
「分かった……」
ロアは絞り出す様にそう言って、じっとわたしを見た。
「約束、必ず守るよ」
その言葉に微笑んだ。
「ありがとう」
話は終わった、と思ったがまだ何かあるのだろうか。
ロアが離れてくれない。
「ロア?」
ロアはじっとわたしを見ている。
相変わらず綺麗な瞳だ。
これだけ近くで見るとわずかな色の判別も出来る。
ロアの瞳は完璧な赤、と言うよりはほんの少し明るくて……ローズレッドの様な赤色だ。
少しだけピンクを帯びている。
綺麗な色だ。
「遅れちゃうよ?」
馬車に乗れないと王都へ行けない。
早く着替えなくちゃいけないのに。
困った表情でロアを見る。
「なあ、ミツキ」
「? どうしたの?」
ロアは少しためて、小さくわたしにお願いをした。
「キスしたい」
驚いたわたしはロアから離れようと抵抗した。
「ロア!」
が、抵抗は無駄だった。
わたしがロアをどうにか出来るはずがなかった。
元々ロアの腕の中に居たが、ますます強く抱きとめられた。
「嫌?」
何も答えられない。
正直嫌ではなかった。
思い出にしてもいいかもと思っているぐらいだ。
でも、それ以上に恥ずかしかった。
とても頷けるような図太い神経はしていない。
「駄目?」
「うぅ……」
再三のお願いに、真っ赤になりながらどうすべきか考える。
「……」
「ミツキ」
「………」
「……」
「……口じゃなければ」
「よしきた」
ぼすん、と再びベッドに強制的に横になった。
ロアに投げられたのだ。
「ちょ、まっ……!」
慌てて起き上がろうとしたが、固まる。
ロアが悪戯を思いついた子供の様な表情をしていた。
わたしに覆いかぶさっているため影がかかっていて、にやりと笑っていた。
それに、ロアの瞳には……欲が見て取れた。
「ん、ん……」
首筋に口付けられてぴくりと反応する。
「ふあ、っ!」
ねっとりと舐められて体が強張る。
「キスだけって……!」
「口に出来ないんだからこのぐらいサービスしろ、減るものじゃないし」
「ヤダよ! 減るよ!」
「うるさいなあ」
「っ!?!?」
首筋を強めに噛まれて、とんでもない事を許可してしまったと後悔した。
こんな時だと言うのに心臓はうるさく高鳴ったまま。緊張感がない。
これが惚れた弱みと言うものか。
「……っ」
頬には何度もキスされた。
する前にロアと目が合うのがとっても恥ずかしかった。
おでこにも、まぶたにも……
「ひっ」
耳に至っては舐められたし噛まれた。
「やめてよぉ」
「口以外ならいいんだろ?」
今度は手の甲に、指先に。
手にキスとかお姫様が出てくる物語でしか見た事ないよ……
これ見よがしに何度もキスされた。
「ロア、馬車遅れる」
「まだ大丈夫」
その根拠は一体どこから?
少し不安になって来た時だった。
「ちょっ!」
鼻を噛まれたので暴れ始める。
「噛むのヤダ」
「なんで? 別に痛く無いだろ?」
確かに全部甘噛みで痛くは無いけれど……
でも、でも!
「人間として大切な何かが壊れそうでヤダ」
わたしは獣じゃない、人間だ……ロアも人間、だよね?
ロアはさわやかに笑いながら、
「愛情表現だよ」
と、のたまうので、
「人間らしい愛情表現しようよ……」
と忠告した。
ロアから一瞬笑顔が消えて、今度はニヒルに笑った。
「口は駄目なんだろ」
低い声に怖い言い方で背筋が凍った。
ああ、もしかしてロアは……口にしたいのかな。
口にしたいけど出来ないからこうして抗議しているのかな。
やらかしてるなあ、わたし。
全部が全部、悪い方向に進んでいってるよ。
耳にキスされ、
「好きだよ」
そう耳元で囁かれて、頭が爆発しそうだ。
「うぅ、ロア……」
いつまでこうして居るつもりなのだろうか。
馬車……乗り遅れる……帰るのが遅くなる……ハッ、まさかそれが狙いか!?
どうしよう、考えろ……回らない頭で考えろ、わたし。
「ねえ、ロア」
ロアの腕を掴む。
「ロアも家に帰らなきゃ不味いんじゃないの?」
作戦1、ロアの家の事を伝える。
ロアは眉を寄せた後、
「ああ、そうだな」
そう言ってまたキスを再開した。
意味なかった。どうしよ。
ロアが不機嫌になるだけだった。心なしか噛む力がさっきより強い様な気がする。
じ、じゃあ……
「約束! 忘れてないよね?」
作戦2、約束の再確認。
ロアは目を細めてにこりと微笑んだ。
「さっき話した事を忘れる様な事はしないよ」
そう言って頬にキスされた。
わたしを放す気は無い様だ。
どうしよう……冷汗が背中を流れていく。
最後の作戦……これは最終手段なのだけど……
「ロア」
呼ぶと目が合った。
「口にしてもいいよ……その代わり放して?」
作戦3、口を許可する。
もうこの手しか思いつかなかった。
ロアは真っ直ぐにわたしを見ていた。
少し怖かったけど、目を閉じてロアの行動を待った。
「……っ」
触れるだけだった。
今までの舐めたり噛んだりは何だったのだろうか?
そう思ってしまうくらいの優しいキスだった。
ロアは約束通り、わたしを放してくれた。
ベッドから起き上がってロアの様子を探る。
「ロア……?」
「ごめんな、ミツキ……嫌だったか」
「そんな、事……」
ロアに頭をぽんぽんされる。
嫌では、無かった。
むしろ幸せな気分だった。楽しいひと時だった。
ロアと一緒になる人はこんな時間を何時でも体験できると考えたら、羨ましくなった。
「嫌じゃないよ……わたしもロアの事が好きだから」
「………はあぁあ……」
大きなため息を吐いて、ロアは脱力した。
「何で終わった後に言うんだ? もう少し前に言ってくれれば……」
「? くれれば、なに?」
「もっとこう……」
エッチな事とか、と真顔で言うので一発叩いた。
朝から何を言うんだ! ビックリしたじゃないか。
「ロアの馬鹿! 着替えてくる!」
ぷんぷんと怒りながら落とした着替えを持って脱衣所に向かう。
「ミツキ」
「ぅん?」
名前を呼ばれたので振り向く。
「ありがとう」
寂しそうな顔だった。
「まだ早いよ、でも……どういたしまして」
わたしも、ちゃんと最後にはお礼を言わなくちゃ。
泣かないで伝えられるだろうか。
王都まで、あと少し……




