ロアの事2
久しぶりにシャワーを浴びて、体の隅々まで綺麗にした。
特に髪は念入りに二回洗った。
髪を洗うのは一体何日ぶりだろうか。
……考えるのはよそう。
かちゃっ
ゆっくりドアを開けて、ロアの様子を窺う。
ロアはベッドに寝ころんでナイフを夕日に透かして見ていた。
刀身が赤く輝く。
ロアは常に何本かナイフを体中に仕込んでいる。
袖にも懐にも足にも。
本当に危なくなった時に最低限戦えるように。
ドアを開けて近づく。
わたしに気が付いたロアと目が合う。
「そのナイフ綺麗だね」
「ああ」
ロアが持っているナイフは幾度となく見た事があるが、このナイフは見た事が無かった。
ロアが普段使っているナイフに比べると二回り位小さい気がする。
それに、綺麗な装飾品が付いていて実用的ではなさそうだった。
「これは貰い物なんだ」
「誰から貰ったの?」
「……姉さんだよ」
まだロアが十代中ごろの時、お姉さんが嫁いだ。
その時に貰った物だと語った。
「これはただのお守りだよ」
「……そう、お姉さんの事大切だった?」
「まあ、幸せになったみたいだから……良いんだけどな」
ナイフを鞘に納め、ロアが起き上がる。
わたしを隣に座らせて、髪をかわかしてくれた。
一通り乾かし終えて、ロアが問う。
「それで、何が聞きたいんだ?」
「えっと、じゃあ……最高位魔力保持者について」
「あー……怪我しないところまで言ったよな」
「うん」
最高位魔力保持者、とは。
生まれつきの魔力が高く、怪我はすぐに治り普通の風邪は引かない。
「ここまでは良いよな」
「うん」
「じゃあ、次だけど……これが一番の特徴かな」
見た目、肉体の年齢が二十代前半の一番いい状態で止まる。
つまり年を取らず、老いない。
「えっ!?」
「俺ももうすぐ見た目の年齢が止まる事になるな」
「ほ、本当に?」
「うん。俺の父も祖父も最高位だけど、見た目は若いままだから」
ロアの父親も祖父も20代の見た目だって……?
若返りとかそんなレベルでは無い、不老なのだ。
わたしの母が目尻の皺を気にしていたのを思い出した。
魔力すごい……あ、でも魔力を持ってるのは男性のみだった。
ロアが続ける。
「最高位に関しては見た目の年齢と実際の年齢が同じではないから、注意が必要なんだ」
「え? 注意って……?」
「中身が60代なのに見た目が20代だから……若年者に見られて軽くあしらわれてキレたって言う話」
「実際にあった話なの?」
「ああ、最高位魔力保持者を怒らせたら大変な事になりかねないからな」
ロアの魔法を思い出す。
あのドラゴンが真っ直ぐ自分に向かってきたら……ぶるり。
死を覚悟するしかないだろう。
「それからデメリットだけど……」
「デメリットがあるの?」
「うん……魔力風邪って言うんだけど」
魔力風邪とは。
初期症状は普通の風邪と同じ。
言葉の通り魔力が風邪を引いている様な物で、魔力が高いほど重症化しやすい。
「滅多に無いけど、死ぬこともあるから」
「風邪で死んじゃうの……?」
「後遺症が残ったり……」
「怖いね……」
「……ミツキ」
名を呼ばれ、ロアを見る。
「っ!」
ロアは笑っていた。
でも目が笑ってなかった。
黒くて邪悪な微笑み。
「俺は言ったよな」
「……はい?」
「体調が悪くなったら言えって」
「は、ひ……」
「魔力風邪じゃなかったから良かったけど」
ロアにガッと両肩を掴まれ、正面を向きあう。
だらだらと汗が滝のように流れ落ちる。
おでことおでこがくっ付く位近付いて、わたしの目を少し睨む。
「今度やったらタダじゃ置かないからな……」
あわわわ……
こくこくと何度も頷く。
もうしないです。ちゃんと言います。
魔力風邪は魔力を持っていれば誰しもがなる可能性があるようだ。
それでロアは怒っているようだった。
何度も頷くと、ロアがようやく離れてくれた。
「まあ、言ってなかった俺も悪いけど」
「……ごめんなさい」
「分かってくれれば良し……他に聞きたい事は?」
ちらりとロアを見る。もう怒っては無いようだ。
聞きたい事……山ほどあってどれから聞こう。
「ロアは、両親は? お母さんは居るの?」
「……いるけど」
「……?」
ロアは言いにくそうに顔を少し歪める。
「ロアが旅に出て心配してないの?」
「……心配はしてないと思う」
「お父さんは……?」
「怒ってる。心配なんかしてない」
息子が旅に出て心配しない親が居るだろうか?
仲悪いのかな? うーん……
「なんで怒ってるの?」
「……俺が勝手に家を出たから、かな」
「えっ……家出したって事?」
「うん、近いかな」
ロアって家出青年だったの……?
あれ? でも父親から手紙は来てたんだよね。
「あの手紙は、お父さんからだよね……?」
「そうだな」
「どんな事書いてあるの?」
「……いつも同じだよ、帰って来い、って」
それはロアの事を心配している様な気がする。
帰って来いって何時でも家に居場所を作って置いてくれてるんじゃないのかな?
直接心配してるとは言えないだけで。
ちょっと不器用なお父さんなだけだ。
「どうしてロアはお父さんが苦手なの?」
「………」
「ロア?」
「……ごめん、まだ言えない」
ロアは俯いて、そのまま話さなくなった。
少し深入りしすぎたような気がして、謝る。
「分かった……答えにくい事聞いてごめん」
「色々あるんだ」
「……」
「一言では言い表せないし……気持ちの整理もついてない」
「……ロア」
「まだ俺は……子供なんだよ」
そんな事は無い気がした。
ロアはわたしを助けてくれて……人を助けるだけの力があって……
立派な人だと思うけど……ロアは納得してないのか。
「王都に帰るの、やめる?」
ぽつりと呟いた。
ロアが振り向いた。
「無理して会いたくない家族に会わなくてもいいと思う」
「ミツキ……俺は」
「わたし一人で何とかするから」
「ミツキ」
「ね、そうしようか」
腕を掴まれてぐいっと引っ張られる。
妖しく輝く赤の瞳と目が合う。
「ミツキ!」
「……ロア?」
「俺は一度決めた事は必ずやり遂げる」
「……家族に会いたくないんでしょ?」
「会いたくないけど! ミツキの方が優先度が高いに決まってるだろ!」
ここからなら、何とか徒歩で王都に行けるようだし……大きな図書館もあるみたいだからそこで調べようかなと思った。
本当はロアと一緒が良いけど、嫌ならここで別れても……
「俺はどっちにしろ家に帰らなくちゃならなかったし……ミツキは家族に会いたいんだろ?」
「会いたい、けど……」
「じゃあもうこの話は終わりにしよう。そんな泣きそうな顔をするな」
わたし、そんな顔してたの?
自分の顔に触れる。確かに少し歪んでいた。
ロアが家族の事を話さない理由が分かった気がした。
わたしにあまり気を使わせたくなかったのかも知れない。
ロアの大きくて優しい手がわたしの頭を撫でる。
心を鷲掴みにされた気分だった。
目に涙の膜が張る。
「どうして、ロアはそんなに優しいの?」
「……どうしてだろう?」
「わたし、ロアに嫌な事聞いたのに」
「そうだな……」
ロアは少し考えていた。
「最初に言っただろ」
「……?」
「お前が家に帰るのを手伝うって」
そうだ、最初に会った時、そう言ってくれた。
「ミツキが家に帰るまでが俺の任務だから」
優しい言葉にぽろりと涙が落ちる。
「何? 結局泣いてるのか?」
「っ、だってロアが……」
「俺のせい? 罪が重いな」
そっと抱き寄せられて、ロアの腕の中に納まる。
「ロア?」
「なあ、ミツキ……今だけ」
「……?」
「今だけ良いだろ……?」
今だけ。
約束事もさっきまでの会話も全部忘れて……
赤くなる顔を俯く事で隠して、ロアに寄りかかる。
「……」
目をゆっくり閉じる。
今だけは全部の事を忘れて、ロアの事だけ考えた。
老父の言葉を思い出した。
……ロアはわたしの事をどう思っているのだろうか。
ロアの体温を強く感じながら、聞きたい思いに駆られつつも、聞けない自分が居た。
「……これあげる」
ふと聞こえたロアの声に目を開けると、手に何かを握らされた。
「えっ! これ……」
赤いルビーが散りばめられた……ロアがお姉さんから貰った綺麗で小ぶりなナイフ。
「駄目だよ! 大切な物なんでしょ?」
「うん、でも俺には小さいし……ミツキも一つくらい持ってた方がいいかなって」
「でも……」
ナイフなんか扱った事ないし……包丁ならあるけど……包丁よりは小さいか。
「違うのでいいよ……安い物で」
「いいよ、俺があげるって言ってるんだから」
「でもこれ……宝石でしょ? 高いよ」
宝石を指差して言う。
これルビーだよね? 多分……イミテーションじゃないと思う。
ロアは少し考えて
「護身用で持っておいて、少しは安心できるから」
「……でも」
「じゃあ……王都に帰ったら返してくれる?」
じっとロアを見つめる。
断らせてはくれないようだ。
仕方ない、そんなに重たいものでもないし、王都に帰ったら返せばいいや。
「分かった、ありがとう、ロア」
使う事が無い事を祈ろう。
と言うか実用的なナイフでは無く観賞用だと思うし……
わたしがナイフを受け取ると、ロアは嬉しそうに微笑んだ。




