ロアの事1
数刻後、ロアが帰って来た。
「ロア」
「悪いな、時間を取らせて」
「大丈夫だよ」
にこりと笑いかける。
「ロア様、仲直りはしてきましたか?」
老父が問いかけて、ロアは眉を寄せる。
「取り敢えず、問題ない程度には」
「さようでございますか」
「……ミツキ」
ロアはわたしの手を取って、優しく引く。
「行くぞ」
「う、うん……先生、お世話になりました」
頭を下げると、老父も笑顔になった。
「どうか御達者で」
「はい」
「頑張ってくださいね」
頬に熱が集まる。
「少し……頑張ってみたいかも、知れないです」
「それはいいですね」
「? 何の話だ?」
ロアがわたし達を不思議そうに見る。
ロアの赤い目とわたしの目が合って、わたしの顔がますます熱くなっていく。
「何でもないっ」
「ミツキ?」
「何でもないのっ!」
何でもないと繰り返すと、ロアの顔が困惑に彩られる。
「顔赤いけど大丈夫か?」
ロアの手がわたしの額に触れる。
「ぴっ」
「熱があるのか? また体調が悪いのか?」
「ひ、あ………ちがう」
「違う?」
ロアの顔が近いって!
心配そうな綺麗な赤い瞳がわたしを覗き込む。
どうしたらいいか分からなくて固まっていると、老父が笑いながら呟いた。
「……若いとはいいものですねぇ」
ぽつりと呟かれたそれにロアが真っ先に反応した。
「ミツキとはそう言うのでは……」
「そうですか」
「そうだ」
「私にはお嬢さんを口説いているように見えましたがねえ」
「………」
ロアは黙った。
そっとロアの表情を窺う。
顔は赤くは無く、仏頂面だった。でも……耳が少し赤かった。
「あっ、ロア」
ロアに少し乱暴に手を引かれ、部屋を出て行く。
「っ、先生! さようなら」
「ロア様、お嬢さん、また何時でも来てくださいね」
別れの挨拶をして、診療所を後にした。
ロアは何も言わなかった。
……少し頑張りたいかも、知れない。
向こうの世界に帰る前に、気持ちが少しでも伝わればいいな……
勿論感謝の気持ちを、だけど。
振り向いて、診療所を見た。
此処には機会があったらまた来たいな。
そう思った。
*****
「ねえ、ロア」
わたしとロアはあの後に旅に必要な物を買い足して宿屋に戻ってきた。
時刻はすでに夕方。昼食が早かったので早くにお腹が減ったのですでに夕飯を済ませてある。
此処で出てきたお肉はやっぱり鹿肉だった。
「どうした?」
「あの……わたし、ロアの事が知りたい」
「……俺の事?」
頷いた。
ロアの目を真っ直ぐに見据える。
ロアはきょとんとした顔で何度か瞬きを繰り返した。
「俺は俺だ。他に何があるんだ?」
すっと目を逸らしたので、はぐらかそうとしているのが分かった。
えーと……この場合は話しやすそうなところから聞いて行こうかな。
「ロアは兄弟は居るの?」
「兄弟?」
「うん、わたしはね、弟が居るんだけど……」
どうしようもないおふざけさんなの! と少し怒りながら言う。
勉強もしないし遊んでばっかり! 嫌になっちゃうの!
そう言うと、
「俺は……」
ロアは言いかけて、一度やめる。
わたしは黙ってロアの言葉を待つと、再び口を開く。
「……姉が居るんだ」
「お姉さんが居るんだ」
「ああ……少し年が離れてるんだが」
「へえ、どのぐらい?」
「五年ぐらい」
「じゃあ今25才ぐらい?」
「そうだな」
ロアは窓から外を眺めた。
何かを懐かしんでいる様な、そんな雰囲気だった。
「お姉さんはロアの家に居るの?」
「……いや、姉はもう結婚して家を出ているから」
「あ……そうなんだ」
この世界の結婚は早い。
女性が20歳前に結婚するのは当たり前の様だ。
わたしぐらいの年齢の女性が結婚適齢期の様だった。
「仲は良かったの?」
「……さあ、どうだろう?」
「そうでもないの?」
「うーん…………弟って姉に怒られる運命なんだよ」
「ロアもお姉さんに怒られてたの?」
「子供の頃の話」
少しロアが笑う。
話を聞くと、ロアの姉は結婚して少し遠くに嫁いで行ってしまったので、年に数回会えるかどうかと言う感じらしい。
姉との仲は悪くないようだ。
「ロアは何人家族なの?」
「……家族……」
「ロア?」
「……………」
ロアは押し黙ってしまったので話題を変えてみる。
「あー……えと……」
「……」
「そうだ、ロアってどのぐらい魔力を持ってるの?」
今まで外を見ていたロアが振り向いてわたしを見る。
じっと見つめられ、聞いてはいけなかったかなと思い始めた時、
「内包してる魔力の量で位が決まるのは覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。上から……」
最高位(規格外の存在)
高位(強い魔法が使える)
上位(常用的に魔法が使える)
中位(日常的に魔法が使える)
下位(簡単な魔法を数度使える)
最下位(魔力はあるが魔法が使えない)
なし(魔力なし)
「だよね?」
「うん、あってる」
ロアは言葉を選んでいるようで、ゆっくり話し始める。
「俺は火の最高位魔力保持者だ」
「………」
「驚かないのか?」
「何となくそんな気はしてたから」
最初にロアの魔法を見た時、思ったのだ。
ドラゴンを作って町を吹き飛ばしたり空を割ったり出来るだなんて普通の人間には出来ない。わたしも魔法を使えるようになって理解した。
あれは常人では不可能だと。
それにあんな事が出来る人間がほいほい沢山居たらこの世界は大変な事になっているだろう事もすぐに分かる。
選ばれた人間のみが出来る離れ業なのだ。
「最高位の人って規格外の存在なんでしょう?」
「……そうだな」
「具体的に言うと、どう規格外なの?」
「どこから話そうか……」
最高位の人間とその他では全く違う生命体だと言ってもいいぐらい違う様だ。
規格外と言われる所以はいろいろあって、
「まず怪我や病気はしない」
「え? 怪我も?」
「魔力が潤沢にあれば致命傷でなければすぐに傷は治る。傷跡も残らない」
「ほ、ほんとに?」
「試してみるか?」
ロアは一瞬でナイフを手に取って自分の腕に当てたので
「いい! やだやめて!」
「いいよ別に、すぐに治るし」
ロアの腕にしがみ付く。
「ほんとに! ほんとにいいから!」
「でも見たほうが早いだろ」
「やだ! ほんとにやだ!」
「ミツキ……」
「駄目なんだってば!」
「大丈夫だよ」
「やだああぁあああ!!」
必死に訴えて、ロアを見上げる。
「っ! ロア!」
ロアは堪え切れなかったようで、口元がぐにゃぐにゃになって小刻みに震えていた。
「ブフッ」
「何で笑うの!?」
「いや必死すぎて」
「必死になるよぉ! ロアに怪我してほしくないよぉ!」
「すぐ治るのに」
「無駄な怪我絶対駄目!」
ロアはにっこりと笑顔になった。
ぎくりと体の動きが止まり、心臓が跳ねる。
「心配してくれるのか?」
「………」
「ありがとう」
「………」
「嬉しいよ」
頭に血が上って行く。
ロアはナイフをしまって、椅子に座った。
「えっと、何話してたっけ?」
「……ろあ」
「うん?」
わたしはロアの肩のあたりを叩いた。
「ミツキ?」
ぼすぼすぼすぼす……
こんな事をしてもロアにはびくともしない事は分かってる。
ロアは困惑気味にわたしに何度も声をかける。
「ミツキ?」
顔が合わせられないので俯いてロアの肩を叩き続ける。
何度ロアはわたしに不整脈を起こさせるの。このままじゃ死んじゃうよ!
わたし絶対顔赤い、どうしよう……どう説明しよう。
また拳を軽く振り下ろす。
ぱし
その手を取られた。
「大丈夫か?」
「……っ」
「ミツキ……? 顔赤いけど大丈夫か……?」
ロアのもう片方の手がわたしの頬をゆっくり撫でた。
手の温かさにぶるりと震える。
「ぃっ」
咄嗟にロアを突き放した。
「ミツキ?」
「ロアのっ」
「……え?」
空気を沢山吸い込んだ。
「ロアの馬鹿っ!!」
わたしは着替えを掴んでシャワーを浴びに向かう。
「え? ……ミツキ?」
ロアの声を背中に聞きながらわたしは脱衣所で籠城を決め込む。
………両手で顔を覆う。
やっちゃった……どうしよ……ロアに嫌われたりしないよね。
だって、だって、だって……あのまま一緒には居られなかったよ……!
恥ずかしすぎて顔から火が出るかと思ったよ!
まだ話の途中だったのに。
「……」
わたしとロアはどういう関係なのだろう。
今更思う。
わたしにとってロアとは、助けてくれている人……好きな人。
ロアは、わたしの事、どう思っているのだろう?
「……ミツキ」
思いにふけっていたら、ドアの向こうからロアの声がした。
「俺、気に障る事した?」
「……」
「だったら、謝る、ごめん」
「……ロアのせいじゃ、ない」
ロアを必要以上に意識しているわたしのせいだ。
「わたしこそごめん、いきなりあんなこと言って」
「……うん」
「ごめんなさい」
「もう気にしてないよ」
二人で黙る。
少し気まずい空気が流れる。
「お詫びと言ったら何だけど……」
「……?」
「ミツキが知りたい事、教えるから」
「……ロアの事も?」
「うん、答えられる範囲で」
「……ほんと?」
「約束」
「……約束だよ」
だから早く出て来いって事みたいだった。
一つ息を吐く。分かったよ、ロア。
ロアの事もっともっと知りたい。
好きな人の事を知りたくなるのは至って普通の事だ。
「待ってるからな」
その言葉を最後に、ロアの気配がドアの前から消えた。
シャワーを浴びよう。ずっと洗っていなかった髪を洗ってさっぱりして、ロアに髪を乾かしてもらおう……
あんまり意識しないように頑張ろう。
そう思った。




