回復魔法
頭が痛い。
「う……」
吐き気がする。
目の前がぐわんぐわんに揺れる。
その光景にさらに気分が悪くなる。
トイレ……ここで吐きたくない……
のそのそとベッドから這い出る。
「っ」
立てなかった。
足に力が入らない。
やばい、起き上がったらさらに気持ち悪い。
「ミツキ……?」
ロア、待って。話しかけないで。
まだ日が昇ったばかりの早朝。
わたしが起きた僅かな物音でロアは目覚める。
「大丈夫か?」
「……」
「何か欲しいものでもあるのか?」
答えられないから! お願いだから離れて!
……思い虚しく。
わたしは胃の中をひっくり返した。
*****
風邪が悪化した。
理由は分かってる。
頭から水をかぶってしばらくそのままだったからだ。
リバースした中身はロアによって片づけられた。
わたしはもちろん、ロアにも被害が及んだ。
……死にたい。
わたしと言う存在を消してほしい。
幸いなのはベッドには被害がなかった事だ。
と言うのも咄嗟に出てしまう時、前に倒れたのだ。
それを反射神経の良いロアが支えてしまう。
出したものはほぼロアへ行く事となった。
「ごめん……」
「気にするな、そんな時もある」
「ごめん」
もう一度謝った。
わたしもロアも着替えた。
床の掃除もロアがやってくれて、わたしは寝ている。
申し訳なくて消えたい。
「何か食べられるか?」
「……吐く」
「……分かった」
頭が上手く回らず、単語だけで会話する。
「少し出てくる」
「どこ?」
「……汚れた服を洗いに」
「ごめん」
「昼までには帰る」
そう言ってロアは部屋を出て行く。
服を洗いに行っただけではなさそうだ。
服と一緒に大剣も持って行った。
洗うのに必要ないだろう。
「ゴホッ!」
昨日までなかった咳が出始める。喉が荒れ始めた。
せき込みながら水を飲んでごまかす。
昨日よりつらい。
ほんとはロアと一緒に居たい。
また酷い状態でロアが帰って来たらと考えると、心配でたまらない。
「ごほっ、ろあ……」
枕に顔をうずめ、目を閉じた。
弱った体は睡眠が必要ですぐにまた眠りに落ちた。
*****
体が温かかった。
今まで熱くて寒いと思っていたのに。
頭痛も体のだるさも、吐き気も無くなっていく。
起きている事も大変に感じていたのに、今は外を出歩きたい気分だ。
「……?」
目を開けた。
ロアが居た。
わたしの手を握って真剣な表情をしている。
周りを見た。
わたしとロアが淡く光っていた。
「っ!?」
跳び起きた。
「ミツキ、目が覚めたのか!」
「……ロア?」
「うなされてたから心配した」
「あ、あの……これって?」
わたしは自分の淡く光る腕辺りを指差す。
「ああ……今、回復魔法を使ってるから」
「えっ? 回復魔法使えたの?」
「さっき使えるようになったんだ」
首を傾げる。
「どうして使えるようになったの?」
「え? うーん……」
ロアは少し間を開けて、
「なんと、なく?」
疑問形で返って来た。
冷静になってロアを観察する。
服も、ロア自身も昨日ほどでは無いが汚れていた。
「危ない事してきたの……?」
「危ない事なんかしてないよ」
「じゃあなんでそんなに汚れてるの?」
「………」
ロアは黙りこくった。
「もうしないから」
「ロアっ」
「回復魔法を覚えたくて少し無茶してただけ」
だからもうしない、と言われた。
ロアの手が離れた。体の発光がおさまる。
体のあちこちを調べる。
今までの不調を笑い飛ばせるような程元気になった。
こっちの世界に来た時よりも体調が良い。
ゆっくり立ち上がる。
気分は爽快でめまいもふらつきもない。
走り出したい気分だ。
「良くなったろ?」
「うん……ありがとう、ロア」
ロアは確かに無茶をして回復魔法を覚えた。
それはきっとわたしの為にだ。
わたしが弱いから。風邪を引いて寝込んでうなされていたからだ。
なら、もういい。
わたしの為にしてくれた事。
もうしないとロアが言うなら、しないのだろう。
信用しよう。安心しよう……
「わたしの為だったんだよね」
「……ああ」
「分かった、もう聞かない」
何をしていたのかは聞かない事にした。
「でももう、無茶はしないでね」
ロアが頷いたのを見て、ようやく安心した。
ロアの回復魔法のお陰で元気になったので、村を見る事にした。
わたしもロアも着替えて、帽子を深くかぶった。
規模が小さな村。
建物も少ない。
現実世界では見た事も無いような背の高い木々が村を覆っている。
「深き森の村フロラリア。見た通り木が有名な村だよ」
ロアの話に耳を傾ける。
此処フロラリアは林業が盛んで、ここで取れた木は品質が良いにもかかわらず王都が近いので安く手に入ると人気が高い。
しかし、日が昇っているにも関わらず村は薄暗いので、身を隠すため王都を離れた悪い人がまず訪れる村でもある。
「じゃあ、騎兵は腕の立つ人が多いの?」
「……そうだな、前の町よりも腕の立つ騎兵が配属されてるよ」
「魔力が高位の人とか?」
「五人ぐらいいたかな」
ロアの顔を見る。
疑問に思った事を聞いてみる。
「なんで人数知ってるの?」
「えっ」
「だって……そう言うのって普通、内部の人間でもない限り分からないでしょ?」
「あ、えーと……うーん」
ロアは斜め上を見て考え始める。
「そうだ! 言ったろ! 俺は見ただけで相手の持ってる魔力の大体の量が分かるって」
「あー……言ってたけど」
出会ったばかりの時、そう言ってた気がする。
「じゃあ騎兵全員と会った事があるの?」
ロアが言葉を詰まらせる。
此処に来てまだ数日。
治安が悪いならそれなりに騎兵の数は居るだろうし。
全員と会った事があるって……どういう事?
「ミツキには言ってなかったが、この村に来るのは二回目なんだ」
「そうなの?」
ロア曰く、最初来た時に潜伏していた指名手配犯を見つけ、騎兵と協力して捕まえたらしい。
その時だいたいの騎兵と面識を持ったとの事。
「ほんとにぃ?」
「……本当だ」
「……………」
「ミツキ、そんな目で見るな」
話している時のロアの様子がおかしかった。
なんか……嘘っぽいような。
疑念を抱きつつ人が少ない通りを進んで行く。
ふと、足を止めた。
「……」
甘い匂いだ。
ぐううう……
腹の虫が鳴く。
元気になってお腹が空いた。
そう言えば、異世界に来てから甘いものを食べていないような……
「ミツキ?」
「ロア、この匂い何?」
「ああ……これは、蜂蜜じゃないか?」
異世界にも甘味があったのか……!
少し感動する。
聞けば、この村は林業の次に養蜂も盛んらしい。
「少し早いがミツキも元気になったし……昼にするか」
その言葉に早速元気になった体はよだれを垂らした。
甘いものが好きなわたしは勿論、蜂蜜も好きだ。
ロアが買ってきたのは焼いたトーストに蜂蜜が塗ってあるシンプルなものだ。
サクッ
カリカリに焼かれたトーストから音が零れる。
蜂蜜は、わたしが知っている蜂蜜とそう大差なかったが、花の香りが強かった。何の花だろう? きっと異世界の花だろうな。
味もおいしいし、香りも最高。
「ミツキは甘いものが好きなのか?」
「うん! すごく好きだよ! どうして?」
「……嬉しそうに食べてるから」
思わず赤くなって、口元を隠した。
そんなに嬉しそうに食べてた? すごく恥ずかしい……
「甘いものは貴重だし、高いからな」
「えっ!? ……これは?」
ロアの言葉にびっくりする。
このトーストも高かったのかな、と恐れ戦いていたらそうでもないとの事。
産地であるここで買えばまだ買える値段だが、他の町に輸出すると値段がはねあがるようだ。
その他の甘いもの、例えば砂糖何かは国の南の方で栽培されてはいるが量は多いとは言えず、貴族用みたいなものらしい。
「じゃあケーキってすごく高いの?」
「……まず生クリームが難しいよな、砂糖使うだろ?」
そっか……そうだよね……
日本ではコンビニでいくらでも買えた安いケーキも、ここじゃ中々難しいのか。
かの有名なマリーアントワネットを思い出した。
パンがなければケーキを食べればいいじゃない。
いえ、ケーキは大変高価で庶民はそもそも手に入らないんですよ……
どれだけ彼女が明後日の方向を見て物を言っていたのかが分かる。
「ちょっと待ってて」
ロアはまた蜂蜜屋さんに入って行くと、すぐに戻って来た。
「ミツキにあげる」
大きめの瓶に蜂蜜が沢山入っていた。
「えっ! い、いや……駄目だよそんな」
「甘いもの好きなんだろ? そんなに大切そうに蜂蜜食べる人初めて見たから」
「うっ」
甘いものが高価な物と知って買って貰ったトーストをわたしは大事に大事に、ちょこっとずつ食べていた。
何時向こうに帰れるか分からないし……甘いものは高価だって言うし……わたしは甘いもの好きだし……
「俺が持ってるから、パンにでも塗って一緒に食べよう」
「う………うん」
ロアが爽やかに笑うので、わたしは頷くしかなかった。
変わらずちょこっとずつトーストをかじりながら、聞く。
「ロアは甘いものは?」
「俺?」
「うん」
「俺は何でも食べるよ。好き嫌いないから」
「勝手かも知れないけど……辛いものとか好きそうなイメージがあって……」
そう、勝手なイメージ。
あんまりロアがケーキとか食べてるのが想像しにくい。
辛いものが好きそうなイメージは、ロアが火属性の魔力を持っているからだろう。
自分の考えが安直すぎて嫌になって来た。
「辛いものか……」
ロアは空を見上げて少し考えて、
「甘いものの方が好きかも知れない」
「っ、んぐ! げほっげほっ!」
まさかの答えにトーストが喉に詰まった。
ロア、甘いものが意外にも好きだったんだ。
ものすごく私と気が合いそうだなぁ。
わたしも辛いものより甘いものの方が好き。
ロアがすごく微妙な顔をしながらわたしの背をポンポン叩いて、同時に回復魔法をかけてくれる。回復魔法はちょっとやりすぎな気がする。
「意外か?」
「うん……とっても」
「いいだろ、別に」
ロアは不貞腐れたような表情をしてそっぽを向く。
わたしはようやくトーストを食べ終えて、ロアと視線を交わす。
「蜂蜜一緒に食べようね」
そう言って微笑んだ。




