風邪
ひたすら馬を走らせる。
ミツキはぐったりとして動かない。
気絶してしまったようだ。
「くそっ、ミツキ!」
カナトラまであと二日はかかる。
……仕方ない。
王都までは遠回りになるが、あの村に行くしかない。
道を外れ、草原をかける。
そのまま森の中へ。
少しでも早く、安全な場所へ。
*****
深き森の村、フロラリア。
多くの背の高い木々が空を覆い、葉の隙間から陽が零れていた。
村に着いた時、すでに空は赤くなりつつあった。
馬に乗ったまま村に入る。
咎められる行動だが、仕方ない。
そのまま、村唯一の診療所に滑り込む。
驚いている看護師に伝える。
「頼む! この子熱があるんだ!」
「は、はい!」
「医者は居ないのか!?」
「先生なら奥に……」
奥の扉を乱暴に開ける。
「助けてくれ! 頼む!!」
「おお、これはこれは……」
年老いた老父だった。
驚いた表情をし、俺とミツキを見た。
「この子をベッドに寝かせてくれますか? ロア様」
「……お前、元騎兵か何かか?」
「いいえ、軍医だったのです。この町の、ですが」
「そうか……」
俺はこの村に来るのは二回目だ。
一度目の時は単純に観光だった。
森を切り開いて作られた王都近くの小さな村。
利便性はあまり良くないが、滞在してみると中々に良い場所だった。
その際、この村の騎兵と交流を持った。
それで俺の事を知っているのだろう。
「ミツキ……」
ミツキはぐったりとしていて息も絶え絶えだ。
老父は女性看護師を呼んだ。
「診察します、ロア様は待合室に」
「俺が居たらまずいのか?」
「ロア様……」
「心配なんだ」
老父は困ったように笑った。
「もしかすると服を脱がせるかも知れないので……」
それだけで察した。
何も言わずに部屋を出て行く。
ミツキ……大丈夫だよな。
まさか、魔力風邪じゃないよな。
不安だ。魔力風邪なら死ぬこともある。
それだけが恐ろしかった。
待合室に戻ると、診療所の外はちょっとした騒ぎになっていた。
いきなり俺が乗ったまま村に入ったせいだろう。
騎兵が乗って来た白馬を観察していた。
「目撃者の話では乗ったままここまで来たとか」
「そんなに急いでたのか?」
「けが人が居ないのが幸いですね」
面倒な事にならない内に顔を出すことにした。
「悪い、その馬俺のだ」
「……………ロア様?」
「ロア様だ! えっ本物?」
一様に驚く騎兵の相手をする。
「何故こちらに?」
「連れが高熱を出して倒れたんだ」
それで急いで一番近いこの村に来た。
馬でそのまま村に入った件は、
「ロア様ならなんの問題もないですね」
「悪いな、手を煩わせて」
「いいえ! とんでもないです!」
殆ど無かった事になった。
……後で父上に何か言われそうだ。
にこにこ笑う騎兵は続けて、
「また村の騎兵隊にいらしてくださいね」
「ああ……気が向いたらな」
問題なしとの判断をして、騎兵が去って行く。
……ミツキはまだ時間がかかるだろう。
本当は側に居たい。
でも、俺には何も出来ない。
歯痒かった。
せめて、回復魔法が使えれば……
色々な気持ちを押し殺して、先に宿を探すことにした。
*****
馬小屋がある宿を探し、部屋を取った。
ミツキの具合が良くなるまでは世話になる事になる。
日は落ちた。
遠くがかすかに明るいだけ。
村の家の明かりを頼りにたった一人、歩く。
診療所に着くと看護師に促され中に通された。
「ミツキ」
良かった。
ミツキは少しは楽になったようで心地よく寝ていた。
老父は口を開く。
「先程目が覚められたのでお話を伺いました」
「……ミツキは何と?」
「推察するに、恐らく疲労による風邪でしょう」
「疲労?」
「ええ、無理をしていたようで体力が落ちてこのような事に……」
無理を、していた……?
呼吸が止まった。
拳を握りしめる。
「幸い、時間はかかりますが大事にはなりません。薬を処方しておきます」
「……」
「ロア様?」
ミツキが無理をしていた事に気が付かなかった。
何てことだ。
俺は、俺は……
知らない間にミツキに苦痛を与えていた?
ミツキを、苦しめていた?
俺は……なんて無能な男なんだ。
ミツキを傷つけた現実から逃れるようにきつく瞼を閉じる。
『ロア、お前は一人では何もできない』
瞼の裏で今でも鮮明に思い出す。
『お前は無力だ』
壁を叩きつけた。
無力ではない、その証明で旅に出た。
それなのに、俺は!
「ロア様!」
「っ! は、」
「どうなされたのです」
何度か荒く呼吸し、深呼吸し始める。
「いい、大事ない。構うな」
「しかし」
「嫌な事を思い出しただけだ、気にするな」
壁は大穴が開いてしまっている。
悪い事をした。
後で必要な金額を置いて行くとしよう。
「すまない」
「いえ、良いのです……その、ロア様」
「……何だ?」
「ロア様は、回復魔法は?」
「俺は、使えないんだ……」
「そうですか……この子を早く治したいなら魔法が一番なのですが……」
「魔法で治る病なのか!?」
話を聞くには、健康な人にはまずかからない菌で、元気になればおのずと直るらしい。
一度弱った人間が元気になるのには時間がかかる。
しかし、回復魔法があればすぐに元気になるそうだ。
「そうなのか、クソッ」
回復魔法は使えない。
そんなものは必要ないと学ぶのを拒否していたからだ。
こんな所で裏目に出るとは。
回復魔法が使えるのはごく一部の人間のみ。
俺の場合は祖父も使え、父も使える……学べば使えるはずだった。
「安静にしてください。時間はかかりますが、元気になりますから」
「分かった」
治療代と壁の修復代を置いて行く。
「多すぎです! こんなに!」
「いい、これからも世話になる………迷惑をかける」
「ロア様……」
「また来る」
ミツキを背負って診療所を後にする。
ミツキは変わらず熱にうなされている。
ごめんな、ミツキ……苦しい思いをさせて。
俺は、無力だ……
何もすることが出来ない。
「父上の言った通りか……」
ぽつりと呟いた。
*****
宿に戻りミツキを寝かせ、額に濡れタオルを乗せる。
ミツキは、未だ眠ったままだ。
「ミツキ……ごめんな」
今は夕飯時だ。
いつもなら腹が空く頃だ。
でも、今日は全く空かない。
そもそもここまで来るのに朝食も昼食も食べずに真っ直ぐ来た。
そろそろ何か食べないとまずい気がする。
俺は魔力の燃費が悪いのだ。
ミツキの頭を撫でる。
俺まで倒れたら立ち行かなくなる。
「ちょっと出かけて来る……すぐ戻る」
聞こえていないのは分かっていた。
ミツキ、早く元気になって、王都に行こうな……
音をたてないようにゆっくり部屋の扉を閉めてカギをかけた。
夕飯は二食抜いた事もあり何時もの二倍ほど入った。
もしもの時の為に大目に食べておく。
それと、宿のコックに頼んで、病人食を作ってもらった。
豆と細かく切った野菜のスープだ。
栄養は十分。
恐らくミツキが食べる頃には冷めてしまうが、俺が温めれば良いだけの話だ。
音をなるべく立てずに部屋に戻る。
野菜のスープと薬を机の上に一緒に置いておく。
今のミツキに必要なのは休息だろう。
睡眠の方が大切だ。
ぬるくなってしまった濡れタオルを桶で汲んできた水で濡らし、絞る。
またミツキの額に乗せる。
「ごめんな……」
俺は今日、一体何度ミツキに謝っただろう。
一生分謝った気がする。
……それでも、足りなかった。
気を付けていれば、防げたことだった。
それだけに、後悔ばかりが先立つ。
ミツキの手を握る。
まだ魔力操作が上手くないミツキは、魔力を流し続けていた。
体調が悪いと起こる現象だ。
無理もない。
ミツキはまだ魔力に慣れていないから。
「……」
ミツキの体に無理のないように少しづつ魔力を渡していく。
こんなになるまで無理して……ごめんな……
俺が頼りなかったよな……
「……ん……ぅ…………」
「ミツキ……?」
魔力を流し始めると、ミツキが身を捩った。
小さく名を呼ぶ。
ミツキの瞼が開いて、綺麗な青が覗く。
「良かった、目が覚めたのか?」
「ぅ……ろあ……?」
ミツキの虚ろな目を見る。
つらそうだ。
ミツキは起き上がろうとするので慌てて静止した。
「まだ寝てていい」
「でも、行かなきゃ……」
「どこに行くつもりだ」
「家に……帰る……」
咄嗟に声をかけられなかった。
ミツキの大粒の涙が溢れ始める。
「お母さん、お父さん……」
「ミツキ……」
「苦しいのはもう……やだよぉ……」
胸が締め付けられる思いだった。
ごめん、ミツキ、本当に……ごめん……
何もできない無力な俺を恨んでもいいから……
動かない体で必死に家に帰ろうとするミツキを何とか寝かしつけて、
「ミツキ……」
一つ決めた。
ふと外を見る。
外はもう真っ暗だった。
……明日にすることにした。
「おやすみ、ミツキ」
決めた事を実行する為、早めに寝る事にした。




