おまじない
シャワーを浴び終え、部屋に戻るとロアが待っていた。
「おいで」
どき。
折角静まった心臓が大きく脈打つ。
これはそう言う意味ではないと言い聞かせ、手招きをするロアの隣に座る。
髪を乾かしてくれるようだ。
「ミツキの髪って、綺麗だよな」
「そ、う、ですか?」
「癖が無くて、綺麗な黒で……光を反射してる」
そんな風に言われたら嬉しくなっちゃう。
癖のないストレートは母譲りだ。縮毛強制をしていないのはちょっとした自慢だ。
と言うかそんなセリフがポンポン出てくるってことは、ロアって結構遊んでるのかな?
「ロアってモテるの?」
「……なんだ、藪から棒に」
「ロアってかっこいいから」
「うーん……これと言ってかな」
なんか、含みがあるな……やっぱりモテるのか。
外はすっかり暗くなっていたが、夜は始まったばかり、通りは明るく騒がしい。
酔っ払いたちを騎兵がなだめていた。
騎兵と言えば、
「ロアって騎兵と知り合いなの?」
ロアは騎兵に対し、横暴とも取れる対応をしていた。
騎兵は明らかに年下のロアの機嫌を窺っていたような?
「ああ、前にこの町に来たとき魔力を持った少女を保護したんだ」
「わたしみたいな?」
「ミツキより幼かったよ」
「じゃあ子供だ」
「うん、その子はミツキと違って帰る場所が分かっていたから、この町の騎兵に預けたんだ」
その時の騎兵の対応があまりよろしくなかったらしく、ロアがキレて、騎兵に説教をしたらしい。
それであのような対応をしているとロアは言った。
ロアはまだ、この町の騎兵に対して怒っているようで、
「この町を治める貴族が悪いんだ……町民たちでは無く、己の事ばかりで」
「悪い貴族が居るんですね」
「ああ……近々、痛い目を見るだろうさ」
ロアがクスリと笑う。
負の感情が、ひしひしと背中にあたる。
怖いよ、ロア。とても振り向けない。
話題を変えてみる。
「ろ、ロアはわたしみたいな人を何人も助けているの?」
「……そうだな、何人か保護した事がある」
いずれもわたしよりも幼い女の子らしい。
どの子も帰る場所や行くべき場所が分かっていたのでその町の騎兵に預けて行ったそうだ。
今、この国では摘発が進んでいる事もあって、他の国に拉致し、そこで競りにかけられるようだ。
立派な人身売買だ。
「ロアって正義の味方みたいだね」
「そんな風に言われるのは初めてだ」
「ヒーローとも言うけど」
「英雄みたいなものか?」
「英雄、って絵本の?」
「ああ、あとで少しずつ読もうな」
髪を乾かし終わったそうで、頭にぽんと手を置かれた。
ロアは立ち上がって微笑む。
「疲れたろ、先に寝てていい」
「ロアは?」
「俺も疲れたからシャワー浴びて寝る」
「……ロア、その」
「ん?」
ロアはポーチが沢山付いているベルトを外していた。
「いつ、次の町に行くの?」
本音を言うと、この国の事なんてどうでもいい。
魔法の事は別として、最低限必要な事と割り切って学んだが……
わたしは早く帰りたいのだ。
ロアの言う物知りな人と会って、手がかりをつかみたい。
向こうに帰ったらいらない知識だ。
焦っているのもある。
もう丸一日経ってしまっている。
家族を心配させてはないだろうか。
「うーん……」
ロアは少し考えて、困ったように笑う。
「なんにしても少しは字が読めるようにならないとな」
がっくし。
そうだよね……町を歩いたけど、道路標識みたいなものが頻繁に立ってたし。
読めないとやっぱりロアが心配か。
「じゃあ、読めるようになったら」
「その時はこの町を出よう」
「ほんとですか!」
「ああ、約束だ」
次に向かうのは王都隣の街、カナトラと言うらしい。
この町よりも段違いで大きく人も多い、路地が入り組んでて迷子になりやすい。
文字が読めないわたしでは危険と言う判断だ。
「それに裏路地は、まだ治安が悪くてな」
この町みたいに小さくて騎兵の数が足りていれば治安は悪くないが、大きくなると人手も必要になり目が届きにくくなる。
カナトラも裏路地以外の治安はすごくよく、流通の要になっているらしい。
ロアが言うには王都騎士隊を数人使って、近々裏路地の掃除をするらしい。
「あくまで噂だがな」
装備を外したロアが着替えを持って脱衣所に向かう。
「先に寝てていいから」
「……うん」
「おやすみミツキ」
「おやすみなさい……ロア」
部屋にある蝋燭が一瞬にしてすべて消えた。
目を開ける。
眠れない。
不安で押しつぶされそうだ。
隣でロアは心地よく寝ていた。
あの時すべて消えた蝋燭だったが、一本だけ明かりが灯されていた。
ロアの近くに大きな紙が広がっていた。
地図かな……?
文字は読めないが地図らしきものであるのは確認できた。
蝋燭には燭台が付いていたので近くに持ってくる。
一つ絵本を開く。
確かこれは……英雄の娘、だったはずだ。
他三冊とは違い女の子向けであるのが絵を見れば分かる。
すれ違いの末、二人は結ばれる……そんなストーリーだろう。
アーク神の絵本を開き、内容を思い出しながら文字を照らし合わせてみる。
うーんと、最初の一文は何だったか。
ロアを起こさないように静かに考える。
『おねえちゃん』
「ぴッ!?」
声をかけられて、叫びそうになったところを慌てて口を両手でふさぐ。
周りを見回すと、声をかけてきたのはどうやら妖精の様だ。
妖精のほとんどがすやすやと眠っている。
……あれ?
今見えないはずなんだけど。
疑問が顔に出てたのか教えてくれた。
『制御がへた』
『勝手にスイッチ入った』
『また切れば問題ないよ』
そっか、勝手に見えるようになっちゃったのか。
じゃあ、また切ろう。
暗いはずの部屋が明るくて、余計に眠れなさそうだ。
『待って! おねえちゃん!』
一人の妖精が声をあげる。
『おねえちゃん、文字が読めないの?』
「……うん、そうだよ」
ロアを起こさないように小声で言う。
『それは変だね』
『おかしい』
首を傾げる。
何かおかしいだろうか。
『言葉は聞けるし、話せるんでしょ?』
「うん、そうだけど」
この世界に来てから、日本語に変換して聞こえるし、話せる。
ん? よく考えたら変だな。
なんで変換できるんだろう。
妖精に聞いてみる。
『神様の力』
『アーク様じゃないっぽいけど』
『おねえちゃんに思いつくだけのおまじない、したみたい』
豊かな銀の髪、優しい金の瞳……
(お前の幸せを祈っているぞ)
そう言った女神を思い出す。
わたしの……幸せって?
『おまじないの一つに文字翻訳があるのに』
『なんで使えないの?』
『ねー、変だね』
「えっ、本当……?」
『妖精は嘘つかない!』
そう言って胸を張る。
見た目と相まって可愛らしい。
「ど、どうやったら使えるようになるかな」
『妖精の眼の使い方と同じだよ』
『切り替えられるよ!』
「そうなんだ。試してみるね」
目を閉じて……同じように想像する。
理科の実験で使う電池の回路。
銅線を繋いで、スイッチを入れる。
妖精の眼と違い、音が鳴らなかった。
恐る恐る目を開ける。
「……あ!」
大きな声を出してしまい、慌てて手で覆う。
翻訳されてる!
異世界の文字の下に日本語翻訳されている物が追加されているように見える。
絵本の表紙を見る。
英雄の娘。
確かにそう書かれていた。
「読める! 読めるよ!」
『よかったねー!』
『読めないと不便だからね』
『やったあ!』
「ありがとう! 妖精さん!」
妖精も嬉しそうにふわふわ飛んだ。
これで、次の街に行ける!
家に帰れる!
嬉しくてにこにこしながら、疑問に思った事を妖精に聞く。
「どうして、わたしが翻訳の力を持ってるって分かったの?」
『そんなの簡単だよぉ!』
妖精によると、妖精とは神様の力の一部から自然発生したものらしく、神様の力にとても敏感。
わたしが神様と関わり合いがあることもすぐに分かったようだ。
神様にとって妖精とは手足の様な物。
お使いを頼まれることもあるし、彼らの目を通じて天界からこの世界を見ているようだ。
『じゃあね、おねえちゃん』
『おやすみ』
『ちゃんと寝るんだよ』
「うん……おやすみ」
妖精に挨拶をして、妖精の眼を切る。
真っ暗な世界が戻ってきた。
蝋燭がゆらりとゆれる。
妖精にはああ言ったが、眠れそうもない。
「……」
絵本を開いて、読む。
最初の真っ白なページに一文。
この物語は事実をもとにしたフィクションです。
ちゃんと読めている事に感動する。
その時、
「にゃーあ」
「っ!?」
声が出そうなくらいビックリする。
猫?
外からじゃない。
明らかにこの部屋の中から……
「にゃおん」
「あっ」
猫は、いつの間にかベッドに座った状態のわたしの足にすり寄っていた。
可愛い。
猫はしなやかな動きでベッドの上に乗り、膝の上に乗ってきた。
「わっ、ねこちゃんっ」
膝にごろんと寝転がったり、胸や顔をすりすりしてきた。
なんかこの子、絵本読むの邪魔してくる。
暗くてよく見えなかった猫と目が合った。
半透明の赤い体。
作りものみたいな眼。
それは、今日見た事があった。
この子、ロアが魔法で作ったドラゴンと似てる。
ゆっくりとロアの方を見る。
「ミツキ?」
「ひゃっ! ごめんなさい!」
目が合って、取り敢えず謝った。
ロアは起き上がって寝癖のついた頭を掻く。
「いつから起きてたのっ」
「うん? ミツキが起き上がった時ぐらいから?」
最初からじゃないか。
必死に声を抑えていたのが馬鹿みたいだ。
「眠れないのか?」
ぎくり。
「寝れてます」
「寝れてる奴はこんな時間に起きないだろ」
「……はい、ごもっともです」
猫がドラゴン同様、赤い粒子になって消える。
「寝れないかも知れないが、寝ようとする努力はあってもいいと俺は思うのだが」
「……はい」
横になった。
睡眠は大切だよね……元の世界でもそう言われてた。
横になると少しずつ眠たくなっていく。
ロアの大きな手が、わたしの頭をやさしく撫でる。
「なあに?」
「おまじないだよ」
「なんのおまじない?」
ふと、神様のおまじないを思い出した。
ロアは柔らかく笑う。
「悪い夢を見ないように」
「ろあ……」
「そばに居るから、な?」
「……うん」
目を閉じる。
「おやすみ」
「ろあ、おやすみ」
大きな手が心地よかった。
安心してか、睡魔がやってきた。
ロア、好き。
元の世界に帰るわたしには、一生言えないけど。
おやすみなさい。
また、明日。




