プロローグ
ガタン、と言う強めの振動で目が覚めた。
車の後部座席、街灯が列をなして並び、対向車のヘッドライトが覚醒したばかりの目と脳を刺激した。
「高速に乗ったんだね、お父さん」
運転席の父親に話しかけた。
淡く光る車備え付けのデジタル時計は午前1時を過ぎていた。
助手席に乗る母親の反応が皆無な事から寝ている事が分かる。
「悪い、起こしたか?」
「お父さんの所為じゃないよ、眠くない?」
「ああ、今の所大丈夫」
そう言いながら眠気覚まし用の強めのガムを噛んでいる。
わたし達家族は旅行に出かけていて、今帰っている途中だ。
ちらりと、隣の座席を見る。
よだれを垂らして寝息を立てているのがわたしの弟だ。
旅行中一番はしゃいでいたから、電池切れだろう。
「ん? なんだ?」
父が声を出す。
前を走行中の車がハザードを付けて緩やかに減速していく。
そして、完全に停車した。
「渋滞?」
「そうみたいだ、事故でもあったのか」
父は溜息を吐いた。
わたしも溜息を吐いて座席に深く腰掛けた。
携帯電話でゲームでもするかな。
そしてふと、チカチカっとした強いライトが後ろから届いて、気になって振り向いた。
少し遠くに大きなトラックが見えた。
きっと荷物をたくさん積んでいるのだろう。
「……ぇ?」
減速するそぶりを見せず真っ直ぐに突っ込んでくるように見えた。
一瞬だけ対向車のライトに照らされて見えた運転手は俯いて眠っているように見えた。
トラックは、もう目と鼻の先。
「ぶつかる!」
大声を出して、わたしは咄嗟に弟を抱き込んだ。
「ねえちゃん……?」
弟の何とも間の抜けた声が聞こえた。
ゴン、とも、バン、とも、ドン、とも言い難い破壊の音が意識の遠く彼方で聞こえた。
わたしは目を開けた。
道路の上で転がっているのは分かった。
体はピクリとも動かないし、声も出せない。
痛くは無かった、けど、体はどんどん冷えて、目もかすむ。
弟は?
家族は?
どうなったの?
周りに人はいない。
誰も教えてくれない。
でも、死ぬ前に一つ、分かった事がある。
今日は、満月だったってこと。
死の直前になると、五感が敏感になるのだろうか?
今まで見たどんな星空より、きらめいて、またたいて、脳に染みた。
綺麗。
月の光を全身に浴びて、わたしはおそらく死ぬのだろう。
まだ、見ていたかった。
月の優しい光を……
まだ、死にたくなかった。
せめて家族が無事である事を月に願って、ゆっくり目を閉じた。
「おお、なんと! かわいそうになあ……!」
ぼんやりと意識が戻ってくる。
ぼちゃっ、ぼちゃっ。
何の音だろうか。
「なんと家族思いな健気な少女なのだ……!」
声の主を見上げる。
美しい女性であった。
豊かで長い銀の絹糸を集めたような髪。
月の光の様な綺麗で、控えめな黄金の瞳。
全てを反射する真っ白で、くすみ一つない肌。
だが、彼女は人間ではない。
体はわたしの知っている大仏などより、はるかに大きく、わたしはその両手に掬い上げられている様な状態だったからだ。
つぅ、と涙が頬を伝い落ちてくる。
周りの光景は、一言で言うなら宇宙。
星屑たちが彼女を慰めるようにチカチカとひときわ輝き、涙がそれを反射する。
ぼちゃ、どぽん。
この音は彼女の大きな涙が、手の平に溜まり、池になり、そこに落ちる音だったのだ。
わたしは、そんな綺麗な池の中心に居る。
「今失うには惜しい……死んだことを無かったことに」
「なりませんぞ女神様!」
下の方から声がした。
「時間を戻すことは禁じられております!」
「しかし」
「一人の人間に肩入れするのも、禁じられております」
もう一つの声の主の姿はとうとう見えなかった。
女神、と呼ばれた彼女は悲しみをゆっくり吐き出すように息をついて、
「わかった」
「分かっていただければ、よいのです」
もう一人の発言の途中だった。
「アークの世界に送ろう」
「なっ、なにを仰っているのですか!?」
「もう決めた」
「ま、ま、待ってください! アーク様だってそんなっああー!!」
ざぱぁ、と水が一気になくなりわたしも一緒に落ちていく。
もともとおぼろげだった意識が、さらに遠くなる。
「お前の幸せを祈っているぞ」
その言葉を最後に、目の前も、意識も、真っ暗になった。