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フロースドゥシャーのパーミャチ【花の魂の記憶】

月兎の円舞曲で栄光を

作者: 乙丑

久しぶりの花言葉でございます。


 警視庁E署刑事部捜査一課に所属している、杉山という、四十歳をとうに過ぎた中肉中背の無精髭を生やした男が、馴染みの(その主人と孫娘からそう思われるのは心外だとツッコミがきそうだが)生花店へとやってきていた。

 店内には絢爛豪華な花が生き生きと客を出迎えているのだが、


「今日も今日とて、嬢ちゃんは店のお手伝いか?」


 と、カウンターで時期を終えた花の種をまとめていた少女に声をかける。

 その少女――日下菊李(ひのしたくくり)は視線を杉山へと向けたが、すぐに視線を手元へと戻した。

 菊李は使い古した青いオーバーオールを着ているが、花の(かんぱせ)とはよくいったもので、店で売られている花に巻けず劣らずで、杉山に向けた嫌そうな色など微塵もなく、花を見ているときの少女は安らいだ眼をしていた。


「だからなぁ、客かもしれんのにその態度はどうかと思うぞ」


 菊李が杉山に対して、無頓着な対応はもはや様式である。


「杉山さんが本当にそういう客だったらちゃんと対応しますけど、だからといって警察がこんな昼間にヒマだというわけではありませんよね?」


 声だけでも、さっさと帰れと感じさせるほどに、菊李の声は刺々しい。


「いや、今日はちゃんと買い物だ。というかあればの話だがな」


「言っておきますけど、うちは生花店ですから果物は売ってませんよ。野菜の種と苗は売っていますけど」


 いや、さすがにそういうのは売ってないだろと、杉山は言おうとしたが、カウンターテーブルのすみに、かわいらしいイチゴの苗があったため、


「ここはあれか? 花が咲けば果物でも置くのか?」


 と、苦笑を強いられていた。


「なんか勘違いしてますけど、イチゴは野菜ですよ」


「なわけないだろ? 女子が真っ先に思い浮かべるフルーツってイチゴじゃないか?」


「野菜と果物はちゃんと分類されているんですよ。そもそも果物は【()の物】という意味を持っていて、草木に生った果実が食用であるものを言います。野菜は生食、あるいは調理して副菜として食す草本作物の総称のことを言います。胡瓜(キュウリ)茄子(ナス)は実を食し、大根や牛蒡(ごぼう)は根を食し、キャベツやレタスは葉っぱを食すのはわかりますよね? 行政では茎や蔓に生った実……苺やメロン、西瓜(スイカ)は蔓を通して実を成長させますから野菜に分類されるんです」


 いつもどおり、菊李は花のこととなると生き生きしているなと杉山は頭をかいた。


「うーん、だったらちょっと聞きたいんだけどなぁ。ここにローリエはないか?」


「ローリエ、ですか? 香辛料の?」


「あぁそれだ。まぁ見たところなさそうだが」


 杉山は店内を見渡したが、ローリエと(しる)されているポップが刺さった苗が見当たらない。


「ローリエは作ってませんね」


 菊李は申し訳ないといった態度で頭を下げる。

 そこはやはりしっかりと客として対応していた。


「別に嬢ちゃんがあやまることじゃねぇよ。しかしここ以外にあんまり花屋って知らんのだがなぁ」


 杉山はどうしたものかと肩をすくめるのだが、菊李にとっては、そこは普通に香辛料を売っているお店やデパートに行けばいいのではと、いぶかしげな視線を向けていた。


「はて、そういえば嬢ちゃん、さっきローリエは作っていないって言ったな」


「言いましたけど?」


 菊李は首をかしげる。


「それってローリエをこの店で扱っているってことか?」


「前に話したことがありますけど、うちは草木の苗は売ってますけど、成長した樹木は売っていませんよ」


 そうなると、ローリエというのは樹木になるのかと杉山は考える。

 なにせこの男、名前は聞いたことがあっても、さして草木に興味のない男である。

 そもそもローリエというものはハープの一種だと考え(使い方としては間違っていないが)、ラベンダーやミントと同様、草花の中のひとつということで、日下生花店に来ていたのだ。


「でもローリエをなにに使うんですか?」


「なににって、料理にだろ」


 それを聞いて、菊李はけげんな顔を浮かべた。


「なんだその疑ったような目は」


「逆に訊きますけど、杉山さんは客観的に自分を見て、料理をすると思います?」


 そう言い返され、杉山はぐうの音も出せなかった。

 目の前の女子高生に言われたとおり、杉山の、普段の食生活といえば、家で買ってきたコンビニの惣菜やカップ酒を飲むような怠惰な生活である。

 もちろん自炊をしたいとは思っているのだが、いかんせん面倒なことは基本嫌いだという性根と、いつ呼び出しを食らうか分らない警察家業である。

 そうなれば自炊もままならないため、短時間で料理ができるインスタントやコンビニ飯のほうが手間がかからなくていい。

 そういうわけでもないだろうが、最近下っ腹が気になっている杉山なのである。


「しかし、さっきから見渡してはいるがローリエなんてないぞ」


「いちおう苗ならありますけどね」


「いやだから、それが見つからないのだがなぁ」


と、杉山は肩をすくめた。


「んっ?」


 ふと、杉山がジャケットのポケットに手を突っ込んだときだった。

 その中に入っていた携帯が鳴り震えていたのである。


「あぁっと、もしもし、どしたぁ?」


「あぁ杉山刑事、今どちらに?」


 通話口から聞こえてきたのは、月極という同じ刑事部捜査一課に所属している、杉山の直属の部下だった。


「あぁ、今ちょっと知り合いのところだ」


 それでどうした? と、杉山は言葉をつなげる。


「殺しです」


 その一言で、杉山の目の色と雰囲気がガラリと変わった。


「場所は……あぁわかった。そこだったら今いる場所からそんなに離れていないな。迎えは大丈夫だ。それじゃ現場で落ち合おう」


 杉山は電話を切ると、


「野暮用ができた。今日は帰るぞ」


 そう言って、杉山は店を後にする。

 菊李は杉山のうしろ姿を目で追いながら、彼が【月桂樹】の苗の前を通り過ぎたとき、


「それがローリエなんですけどね」


 と、頬杖を突きながら、それこそ杉山が聞こえないくらいのボリュームで苦笑していた。



 ★



 杉山が現場に到着したのは、連絡を受けてから一〇分ほどのことであった。

 そこは日下生花店がある商店街の近くにある住宅街を少し入り込んだ場所で、一陣の人の黒集りができており、人のざわついた雑音が鳴り止まないでいる。


「もうすこし(さば)けんのかねぇ?」


 杉山はその近くに訪れるや、あまりの人の多さで呆気にとられていた。

 遠目から見ても、その中心に警察がいるなというのは目に取れる。


「あぁ杉山刑事」


 その予想は的中した。その中から杉山を呼ぶ若い声が聞こえ、杉山は片眉をしかめる。

 声をかけてきたのは、村上(むらおか)という、機動捜査隊に所属している二四歳の巡査だった。

 まだ警察学校から交番勤務を終えたばかりに若く、フレッシュな雰囲気がある。

 ダークグレーのスーツを着ており、あまり埃っぽくなく使い込まれていない。


「首尾は?」


 杉山は突き飛ばすような声で、村上に状況説明をうながした。


「女子高生が頭を殴打されてのようですね。返り血が周りに散らばっていて、よほど強い力で叩かれたみたいです」


 女子高生ねぇ……と、杉山は嘆息をつく。

 ほんの一〇分前まで、同じ女子高生である菊李と会話をしていた矢先のことだ。

 殺人の被害者に年齢など存在しない。場合によっては遺体が年端も行かない子供の場合もあるし、生まれたばかりの赤ん坊の場合もある。

 が、今は仕事だ。杉山は頭を振るうと、傍若無人な態度をとりながら、


「あぁっと、お前ら祭りじゃねぇんだ! かんけいねぇやつはさっさと消えろ!」


 と、ズンズンと音がなるほどの足取りで、石垣を割って入っていった。

 警察官が言う言葉ではないが、今は人だかりという名の濃霧を散らさない以上は、充分な現場検証もできやしない。

 人が多いということは犯人の足跡などないに等しい状態である。


「いちおう足跡(そくせき)くらいは残ってほしいものだな」


 杉山は人垣を掻き分けながら、すでに遺体のない殺人現場へと足を踏み入れた。

 死体があったと照明される白い線の周りは、そこだけが繰り抜かれたようにコンクリートを朱で染めていた。

 赤のペンキをぶちまけたのではない。被害者の血の池である。


「こりゃぁひでぇな」


 その様子だけでも、かなりの出血量だということは安易に想像ができる。

 殺されてからさほど時間が経っていないのだろう、苦々しい腐った鉄の臭いもしている。


「被害者は女子高生と言っていたな」


「あ、はい。害者の名前は――」


 村上が手帳を取り出し、被害者の名前を報告しようとしたのを、


「……ッ」


 杉山は殺気をこめた眼光で止めた。


「ど、どうかしましたか? 杉山刑事」


 その視線の意図に気付かなかった村上は、ギョッとした顔で聞き返す。


「おまえなぁ、すこし周りを見ろ」


 そういわれ、村上は周囲を見渡した。

 野次馬がいまだに帰っていないのである。それどころかスマホを取り出して写真を撮ろうとさえしていた。


「す、すみません」


 それに気付くと、村上は深々と頭を下げた。

 被害者や加害者の名前を、それこそ関係のない人間の前で口走れば、両方の名誉を傷つけてしまうと同時に、まったく関係のない第三者が、それだけでおもしろおかしくネットに書こうとするからだ。

 杉山も、さすがに上司である田所捜査課長から、耳にたこができるくらい言い続けられていたため、菊李に助言を求めようとしたときも、加害者と被害者の名前を伏せていたくらいだ。

 それを聞かされている菊李も、嫌気がさしているのだが。


「ったく、なにが面白くて殺人現場の写真なんぞ撮るかねぇ」


「ど、どうしましょうか?」


「どうもこうもないだろっ! ほらさっさと()けろっ!」


 これではオチオチ現場を見ることもできんなと、杉山の苛々しい顔を浮かべると、それに気付いた野次馬の何人かが写真に収めようと、スマホのカメラレンズを杉山に向けた。

 そんな面白半分で写真を撮ろうとしていることに気付かない杉山ではないが、だからといって、大声で制止に入れば、今の世の中ネットに書き込まれて叩かれるのは、火を見るより明らか。

 悪いほうは野次馬なのだが、手を出せば途端に杉山に批判の矛先が向けられる。

 さすがにそれだけは避けたいと思った反面、


「これだったら嬢ちゃんに嫌味を言われているときのほうが楽だわ」


 と、杉山は深々と肩を落とすのだった。



 ☆



 事件が起きてから三日後のこと。


「嬢ちゃんはいるかい?」


 日下生花店に訪れた杉山の顔はグタグタであった。


「どうかしたんですか?」


 いつものずうずうしい態度と違い、それこそアルコール依存症の人間が数日酒を絶たれて、あばれる気すらしなくなったくらいにしおらしくなっている杉山に、菊李は目を点にしていた。


「あぁもう! さすがに今回は泣きたいっ! つうか泣かせてくれ!」


 カウンターに来るや、うなだれる杉山を|見て、


「いったいなにがあったんですか」


 いつもと同じように彼を無下(むげ)にしたいと思っていた菊李ですら心配になっていた。


「加害者がまったくわかんねぇんだよ」


 それを見つけるのが警察の仕事じゃ……と、菊李は苦笑を浮かべる。


「嬢ちゃん、殺人が起きた場合、まず加害者を見つけるにはどうしたらいいと思う?」


「被害者の友人関係や周囲を調べるとかですか? 通り魔だったら意味はないでしょうけど」


「普通はそれで正解だ。それと通り魔の線はない」


 それを聞いて、菊李は怪訝な顔を浮かべる。


「遺体の状態を説明すると、頭蓋骨がパックリ割れていてな、強いへこみもあったことから凶器は金属バッドだということが判明した。通り魔ってのは隠しやすい折りたたみのナイフを使う傾向がある。もしくは人の横断量が多い十字路の繁華街を車で突っ込むかくらいだ」


 それは最早自爆テロと同意義な気がと、菊李は頭をかかえた。


「金属バットだなんてすぐにわかりますしね。ということは計画的な殺害だったってことですか?」


「そういうことになるな。現場は吐き気がするくらいに血がたまっていた」


「それでなんで加害者がわからないんですか」


 菊李がそう訊ねるや、杉山は菊李を指差した。


「……ボクがどうかしたんですか?」


 菊李、その指を見て、すこしだけムッとした顔で問う。


「一緒なんだよ」


「なにがですか?」


 合点がいかず、菊李の声が荒げる。


「嬢ちゃんと一緒で高校に行ったはいいけど、去年の暮れから学校に行ってなくて、友人との連絡も絶っていてな、スマホを解析したがそのほとんどが青い鳥で連絡を取り合っているくらいの赤の他人だっ!」


 まくし立てる杉山を見て、菊李はそれが落ち込んでいる原因かと長嘆をついた。


「杉山さん、ボクは通信教育を受けていますし、レポート提出のために毎週かならず学校に行っていますから、あまり一緒にしてほしくないんですけど」


「んっ、今のは失言だった。嬢ちゃんも理由があるみたいだしな」


 しかしなぁ……と杉山は叩頭(こうとう)する。


「警察としては友人や周囲の人物関係から被害者に恨みを持っている人間がいないと犯人捜しもままならないんだよ」


「そういえば、被害者は去年の暮れから不登校になっていたと言ってましたけど、なにかしていたんですか?」


「そりゃぁいじめにあってやむなくってところじゃないか?」


「可笑しくないですか? いじめが原因だとしても、それだったらまず去年の暮れじゃなくてもいいと思いますよ。引きこもりに時期なんて関係ないと思いますし」


 菊李に言い返され、杉山は我に帰った。


「たしかにおかしいな。それにどうもイジメの線はないというか、なんというか」


「煮えきりませんね。被害者は学校ではどうだったんですか?」


「んっとなぁ、たしか陸上部に所属していたみたいでな、去年のインターハイにも代表として出ていたみたいでな」


「結果はとにかく、学校に行かなくなった理由にはならないんじゃ?」


 たしかにと、杉山は片眉をしかめる。


「他に学校に行かなくなった理由はなにかわかります?」


「人間関係とか」


「人間関係って、インターハイの代表にするくらいですから、実力はあると思いますし、学校に行かない理由としては弱いと――」


 菊李は殺された女子高生の素性を想像していた。


「さっき杉山さん、人間関係がって言いましたよね?」


「あぁ、でも話を聞く限り、学校では結構明るい子だったらしくてな、去年から学校に来なくなったのを不審に思っている節があって」


「それって学校の中だけですか?」


「――っ! ちょっと待て? それじゃそれ以外の場合も考えられるってわけか? でもちょっと待ってくれよ? それだったら学校に行かなくなった理由にはならないんじゃないか?」


 たしかにそれだけを理由にするには弱すぎる。


「被害者が日記みたいなものを取っていてくれるか――」


 菊李は、「あっ」と声を荒げた。


「そういえば杉山さん、被害者は青い鳥をしていたとか言っていましたよね? アカウントとかわかりますか?」


「一応メモはしているが――」


 杉山は被害者のアカウントを菊李に教えた。


「これって個人情報保護違反な気がするんですけど」


 すぐに被害者のアカウントを教えた杉山に、菊李はあきれを通り越していた。


「別に本名が出ているわけじゃないんだ。それでなにが知りたいんだ」


「ボクの考えが間違いじゃなかったらと思いたいんですけど――」


 菊李は自分のスマホにインストールしている青い鳥のアプリを起動し、加害者のアカウントをユーザー検索にかけた。


「というか、嬢ちゃんもそれやってたのか?」


「やっても同じ花屋をしている人のアカウントくらいしかフォローしていませんよ――あった」


 菊李はスマホの画面を指で上にスライドしていきながら、加害者が投稿したつぶやきを読んでいく。


「……やっぱり、犯人はこれを見て被害者の住所を割り出していたんだ」


「やっぱりって、どういうことだ?」


 菊李の言葉に、杉山は首をかしげる。


「杉山さん、スマホの地図アプリって自分の居場所がわかりますよね? それってどうしてですか?」


「んっと、たしかGPSで居場所を特定されて……」


 杉山はギョッとした。


「おいちょっと待て? それって青い鳥でもできるのか?」


 菊李はスマホの画面を杉山に見せた。

 被害者が投稿したつぶやきの中に、【TOKYO SHIBUYA】と表示されていた。


「GPS機能が使われるアプリは、使用者がどこで投稿したのかというのが記入される場合があるんです。もちろん機能をオフにすれば大丈夫なんですけど、その中にもし写真をアップしていたら、それに写りこんでいる電柱に貼られている番地の看板や、店の名前が**店と書かれているだけでも特定されてしまう場合があるんです」


「そういえば、生活安全課のやつが注意喚起をしていたな。嬢ちゃんの言っていたとおりだとすれば、旅行に行っていることが空き巣にばれる場合も――」


 杉山はうむと唸り、菊李を一瞥した。


「杉山さん、被害者がどうして学校に行かなくなったのかわかりましたよ」


 被害者が投稿しているつぶやきは、飼っている猫の写真、所属している陸上部の大会の様子を、人が写っていないという細心の注意をはらったような、他愛もない写真だった。

 後はリツイートの返信などが羅列しているのだが、


「ちょっと待て? こんな話は聞いていないぞ」


 一連の流れが目に飛び込んだ。



【今お風呂から上がってきたけど、入っているときに変な視線を感じた】


【妙な人から線のフレンズ登録申請があった。即効ブロックした】


【友達と下着を買いに行ったんだけど、なんで私が買った下着の色を知ってるんだろうか?】


【学校の帰り、いつも同じ白い車が横を通るんだけど、私の気のせいかな?】


【友達が家に遊びに来るんだけど、どうしよう私が外に出たほうがいいかな?】


【ポストの中に変なビンが入ってた】


【変な、白い液体が入ってる】


【どうしよう。今日お母さん帰ってくるの夜だ】


【密林で注文した本が今日届くんだけど、まだ来ない】


【本届いた。大好きなアイドルの写真集。初回限定版ブルーレイが付いてる】


【私着払いにしていたのに、もう支払われてた】


【なにこれ? えっと、別にお母さんにお願いしてないし、そもそもお母さん今家にいない】


【お父さん仕事で海外に単身赴任してる】


【怖い、怖い、怖い】


【どうしよう。学校に行けないわけじゃないんだけど、なんか外に出るのが怖い】


【友達に会いたい。ちゃんと目の前で友達と話したい】


【今、線で友達からあそばないかって連絡が来た】


【家にいるのが今は怖い。友達のところに行く】


【ストーカーって、考えられないというか、私って周りからがさつだって言われているし、可愛いなんて思ってないよ】


【いや本当に。友達からそう言われているし、自分でもそう思ってる】


【普段使わない道で駅まで行こう。怖くなったら走ればいいし】



 被害者のつぶやきは――そこで止まっていた。


「くそっ、加害者についての情報はどこにもないか」


 スマホを見ていた杉山は、拳をカウンターに強く叩きつけた。

 耳を劈くような衝撃音に、菊李はピクリと肩をすぼめ、文句を言おうとしたが、杉山の歯を噛み締めた苦痛の顔色を見て、言葉を押し殺す。


「ストーカー被害に遭っていたのは間違いないですよね?」


「状況から察すればだがなぁ、だが証拠がない」


「どうしてですか? これだけ苦しんでいるのに?」


「嬢ちゃん、いちおうストーカー規制法があるがな、それは被害者が加害者を特定出来ていればの話だ。もちろん実害があれば警察は動けるが、この場合、もしかしたら被害者の妄想という場合もある」


 その説明に、菊李は言い返せずにいた。

 加害者が投稿したつぶやきに、ストーカーの影はあっても、それが誰なのかを特定するものがなかったのだ。


「白い車」


「それも可能性としてはあるだろうが、この世の中、日本だけでどれだけ白い車があると思ってるんだ」


「だったら白い液体」


「被害者が気持ち悪がって捨ててるのが関の山だ」


「――密林の支払い」


「それなら誰が支払ったのかを調べることは可能だが……あまり期待しないほうが良いぞ」


 菊李もそれは思っていた。

 つぶやきが投稿された時間から、荷物がいつ届いたのかというのはわかるのだが、いかんせんその投稿があったのは、今から二ヶ月前のことで、その配達を担当していた運転手が、それを覚えている可能性は低い。

 なにせ、通販で購入した商品を配達する量は一日一万件と言われているくらいだ。地域別に分けたとしても、着払いだけでもその大半は占めている。いちいち記憶している配達員は皆無といえよう。


「とりあえず、被害者はストーカーに遭っていた。その線を中心に被害者の周囲を洗いなおしてみるよ」


 杉山は頭を振るうと、菊李が飲んでいた自家製のレモンティーを飲み干した。

 それこそ、菊李が「あっ」と吐く間もなくである。

 あまりにも突然すぎて、呆然としていた菊李であったが、視線をスマホに落としたときだった。

 その時、不意に画面に指が触れてしまい、写真画像を大きく表示させてしまった。


「あれ?」


 その時画面に映っていた、加害者が投稿していたつぶやきに添付されているケーキ屋の行列に並んでいるという写真の中で、店のウィンドゥに、ダークグレーのスーツを着た若い、二十代前半とも、すこし過ぎているとも取れる男性が、ジッとそちらを見ているような、そんな風にも取れる人影が映りこんでいた。



 杉山が警視庁E署に戻ったのは、それから三十分ほど過ぎたころである。


「あ、杉山刑事」


 部署に入った途端、瑞々しいはつらつとした声が杉山の耳に飛び込む。

 村上が机に束ねていた書類を胸にかかえて、杉山のほうへとかけてきたのだ。


「あぁっと、なんでお前がここにいるんだ?」


 村上が所属しているのは機動捜査隊である。

 対して、杉山が所属しているのは刑事課。

 本来ならば事件の書類を渡す以外は入ることすら許されない領域である。


「いやぁ殺された須田愛華(すだまなか)ですけど、ストーカー被害にあっていたみたいですね」


 みたいだな……と口に出そうになったのを、杉山は喉仏が潰れそうないきおいでグッとこらえた。


「なんでお前がそれを知っているんだ?」


 今しがたそのことを知ったばかりだった杉山は、さも当たり前のように話す村上を怪訝な顔で睨む。


「なにをって、被害者のつぶやきを見てですよ」


 なるほどと杉山は得心がいった。


「しかもこのストーカーって、かなり前から目をつけていたみたいですよ。ほとんどのつぶやきにコメントを書いていますし」


「しかしそれだけでストーカー被害としては弱いんじゃないか? やはり実害がなければ動けんわけだし」


「まぁこんな住所が特定できるようなことをしていたんじゃ、すぐに場所がわかりますって」


 それに関しては、杉山も、菊李に言われてから気にはなっていた。


『今の女子高生が、自分の住所がばれるようなことはするだろうか』


 どうもそこが引っかかって歯痒い。


「殺された須田愛華って陸上部だったみたいなんですけど、どうして殺されたんでしょうかね? 危ないと思えば逃げられたはずなのに」


 村上に言われて、杉山は首をかしげた。

 が、日下生花店にいた時、菊李のスマホを通して読んだ被害者――須田愛華のつぶやきの中に、怖くなったら逃走すればいいという節の投稿があったことを思い出す。


「犯人は顔見知りか?」


「そういう可能性もあるんですかね?」


「……なんでそこでお前が食い入るように聞いてくるんだ。機捜は別にやる仕事があるだろ」


 ほら帰った帰ったと、杉山は村上を手で追い払う仕草を見せる。


「はいはいわかりました」


 素直に部屋を出ようとする村上を目で追いながら、杉山は自分の机に向かい、それこそ椅子が壊れるんじゃなかろうかといわんばかりに、ドカリと腰をおろした。



 菊李は、親代わり(,,,,)である祖父母が経営している生花店の手伝いとして、店で取り扱っている生花や、開店祝いの花束などを配達することがある。

 もちろん、その時は別の従業員が運転するトラックに乗ってのことだ。


「あれ?」


 その帰り道、車窓から外を見ていた菊李は、思わず首をかしげた。

 例の、須田愛華が青い鳥に投稿していた写真に撮られていたケーキ屋が目に留まったのである。

 夕方を少し過ぎていることもあってか、店の前では女子高生が列を作っていた。それだけでも店はかなり繁盛していることがわかる。


「ここって人気なんですかね?」


 甘いものは好きではあるが、どちらかといえば和の、静かに緑茶と一緒に食べるほうが好きなほうである菊李は、運転手へと視線をうつす。


「あそこは去年できたみたいだけど、まぁケーキ屋なんてものは女子があつまりやすいんじゃないかね」


 四十代だというのに、白髪が目立った水野という男性店員の説明を聞きながら、菊李は眉をしかめた。


「菊李ちゃんはそういうのは苦手かい? 人が集まる場所は」


「嫌いじゃないですけど、食事は静かに食べたいです」


 そう言い返し、菊李はケーキ屋へと目を戻す。

 菊李は、友達と食事をすること自体は嫌いではなかった。

 中学校の時まで、気持ちが落ち着いているときは朝から登校しており、昼食も班を作って同級生と和気藹々と会食もしていた。

 車が走り出した。信号で停まっていたのを今になって気付いた菊李は、「あっ」と声を出す。


「どうかしたのかい?」


「ここって人が隠れられる場所なんてあります?」


「あるにはあるけど、ちょっとそれは危ないんじゃないかね? 交通量も多いし」


 車は北へと向いていた。菊李は助手席からケーキ屋を見ていたため、必然的にケーキ屋の位置は西になり、窓も車道のほうに向けられている。

 菊李はスマホを取り出し、須田愛華のつぶやきを見直しながら、気になっていたケーキ屋の写真を表示させる。それと見比べてみるや、ケーキ屋の窓は明るく、人が映りこむようなことはなかった。

 店の中でおいしそうにケーキを頬張っている女子中高生や、仕事帰りのOLの姿が外からでもうかがえる。

 おかしいなと思いながら、そのつぶやきが投稿されたのが午前七時ころであることに気付き、


「お店がまだ開いてなかったんだ」


 菊李は片眉をしかめた。

 たしかにこの時間ならば店の中は暗く、人が窓に映りこむことはあっただろう。

 が、妙に納得いかないことがあった。

 あの写真に写りこんでいたダークグレースーツを着た男性は、どうして店のほうを見ていたのだろうか――もしくは別のなにかを見ていたのか……。

 菊李は不本意ながらも、杉山が店に来たときにでも訊ねてみようかと思った。



 その願いはすぐに叶った。

 店の中に、それこそカウンターテーブルでコーヒーを飲んでいる杉山と、もうひとり、月極(つききめ)という三十代間近の刑事と一緒にいるのが目に入ったのである。


「おぅお帰り」


 菊李が店に入ってきたことに気付いた杉山が大きく手を振る。


「なんのようですか?」


 それを見て、菊李は眉をしかめる。それこそいやそうな顔だ。


「ちょっと嬢ちゃんに訊きたいんだけどよぉ、たしか青い鳥をやっていたな」


 質問の意味が理解できず、菊李は首をかしげる。


「それでよ、GPSはオフにしているのか?」


「別にプライベートのことはつぶやいていませんから、GPSは切ってませんよ」


「はて、青い鳥ってのは思ったことをつぶやくんじゃないのか? 俺は使わんからわからんけども」


「お店の情報とかをつぶやく程度のことしかしてませんよ」


 そういう使い方ならば、GPS機能を使っていてもおかしくはないかと、杉山は肩をすくめた。


「それに殺された女子高生だったら、まずGPS機能を切っていたと思いますよ。あのつぶやきからして、私生活のことも結構投稿していましたし」


「やっぱりそうだよなぁ。ちょっと気になって婦警にも訊いてみたんだが、やっぱりプライベートのこともつぶやくから青い鳥でGPSの機能は起動させないように設定しているみたいだ」


「そうなると被害者は機械音痴だったとか?」


 月極の言葉に、


「写真をアップしていましたから機械音痴というのはないのでは?」


 菊李は肩をすくめる。


「それにさっき、配達の帰りに、アップされていたケーキ屋の前を通りましたけど、妙なんですよ」


「妙なことって?」


 月極がけげんな視線を菊李に向ける。


「わたしは最初被害者がケーキ屋に並んでいるときのことを投稿していたと思ったんです。でもつぶやきがあったのは平日の午前七時ごろで、去年の十二月のことなんです」


「それって、被害者が学校に行かなくなった時期と一緒じゃないか?」


「それで杉山さんたちに聞こうと思ったんですけど――これって誰なのか判別はできますか?」


 菊李は自分のスマホに保存していた、ダークグレーのスーツを着た男性がケーキ屋の窓に映りこんでいる画像を杉山たちに見せた。

 それを見て、杉山は虚を衝かれた。


「――っ! いや、判別できるかって話じゃねぇ」


 杉山は月極を一瞥する。月極もはっきりとうなずいてみせた。


「こいつぁ、今回の事件で初動捜査に参加していた機捜の刑事だ」



 ♭



 さてひとつ問題ができた……と、杉山は刑事一課にある自分の机で悩みこんでいた。

 須田愛華が青い鳥に投稿したつぶやきに添付されていた写真に写りこんでいたのは村上だったのは、直接彼に会っているためすぐにわかったのだが、この写真がはたして二人の接点の決め手になるだろうかという点だ。

 ものというのは光の屈折によって見えたり、見えなかったりする。

 目の前のものが光を反射した場合、窓に人影が映りこむことはあるのだが、村上が偶然ケーキ屋の窓に視線を向けていたのではないかと言われれば、なるほどといわざるをえない。

 もちろんそれだけで納得がいくはずのない杉山である。


「はて?」


 捜査一課と二課の隔たりとして作られている壁窓を見て、杉山は首をかしげる。二課側の窓はカーテンが閉められており、窓に杉山の苦々しい顔が映りこんでいる。

 それを見て、疲れてるのかねぇと杉山は肩に手を置こうとした刹那、あることに気付くと、デスクの隅に置かれた電話の受話器を取った。


「もしもし、こちらは日下生花店ですが――」


「あぁ警視庁E署の杉山というものだ。ちょっと嬢ちゃん……じゃねぇな、日下菊李を呼んでほしいんだが」


 杉山は電話に出た日下生花店の店員を急かすような声で菊李を呼ぶように命じた。

 しばらくして……


「なんのようですか?」


 不貞腐れたような声の菊李に、思わず杉山は、


「嬢ちゃんでもそういう声は出すんだな」


 と苦笑を浮かべた。


「冷やかしだったら切りますよ。今おじいと一緒に見ているテレビが面白いところだったのに」


「んなもん再放送で流れるだろ? そんなことより店で嬢ちゃんが見せたケーキ屋の写真だけどな、今見れるか?」


 そういわれ、菊李はポケットの中に入れていたスマホを手に取り、例の、村上が映りこんでいるケーキ屋の写真を表示させた。


「これがどうかしたんですか?」


「……可笑しくないか? 写真のケーキ屋の窓は壁一面に張れている、角度的にも写真を撮っている被害者が窓に映り込んでいないとと可笑しいだろ?」


 言われ、菊李は「あっ」と声を出した。

 写真に写りこんでいるのは、道路を行きかう車と、窓のほうに視線を向けているダークグレーのスーツを着た男性――村上の姿だけだ。

 その中に、女子高生が窓を見ている……もといスマホのレンズを窓のほうに向けているというのが映りこんでいなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください? それじゃぁこの写真って――」


「あぁ被害者が投稿したものじゃない。そのアカウントに不正アクセスして投稿されているんだよ」


 杉山が説明している時だった。


「杉山さん」


 月極が声をかけてきた。


「なんのようだ?」


「殺された須田愛華のお姉さんが尋ねにこられました」


「姉? 応接室に通しておいてくれ」


 そう命じると、杉山は意識を電話のほうへと向けたが――。

 聞こえてくるのは一定の電子音。


「切りやがったあのくそがきぃっ!」


 あまりにもそっけない菊李の対応に、杉山は頭に血がのぼると、受話器を電話に叩きつけた。(もちろん杉山の弁償になるので壊れない程度に)

 菊李も好きで電話を切ったのではなく、電話で呼ばれるまで見ていた時代劇が終わりそうになっていたのである。

 ちょうど、旅のご隠居が悪事を暴き、自分の正体を明かす絶好のシーンのときだった。



 警視庁E署の応接室に、栗毛色の、ハーフアップの女性が座っていた。


「刑事捜査一課の杉山といいます」


「右に同じく、月極です」


 杉山と月極は、女性に頭を下げる。


「須田愛華の姉で、愛花あいかといいます」


 女性、須田愛花は、杉山と月極に深々と頭を下げる。

 そのしぐさに、杉山は思わず首が痒くなっていた。最近の若い女性にしては礼儀正しいと思ったのだ。


「それで、こちらに用事というのは?」


「――妹はわたしの犠牲になってしまったんだと思うんです」


「犠牲……ですか? それはいったいどういう?」


 月極が愛花にそれを聞こうとしたときだった。


「おいお姉さん、あんた今犠牲になったって言ったな? もしかしてと思うが、妹さんはスマホを持っているか?」


 杉山がいぶかしげな声で愛花に問いただした。


「ス、スマホくらいだったら今の高校生では誰でも持っていると思います」


「あぁそうだろうな。それだったら聞きたいことがあるんだが、おい月極、お前ちょっとスマホを出せ」


 そういわれ、月極はおもわずギョッとする。


「な、なんでですか? それだったら先輩の――」


「んぅ? 俺の携帯はガラケーでな、電話とメールくらいしかできんのだ」


 それがどうしたと、杉山は月極の顔をいやらしく覗き込んだ。

 自分の携帯では青い鳥で須田愛華が投稿していたつぶやきは読めないとわかっていた杉山は、菊李のところへといき、もしかしたら彼女がなにか情報になることを見つけてくれるとふんで訪ねに行っていたのである。


「あぁもう、わかりましたよ」


 月極は苦痛の念を出しながら、自分のスマホを操作し始めた。


「それでなにを見たいんですか?」


「殺された須田愛華が投稿したつぶやきの中に、ケーキ屋の写真が添付されているはずだ」


 そこまで言われ、月極は首をかしげた。

 その写真を見せて、いったいなにを聞こうとしているのだろうか。


「この写真なんですが」


 ケーキ屋の写真が表示されている月極のスマホを、愛花に見せるや、


「な、なんで……」


 と、愛花の血色よい顔色が、一瞬にして青褪めていった。

 それだけで、これはただことではないことがわかる。


「こいつが誰なのか知ってるんだな?」


「か、彼は私の同級生で、たしか村上(むらかみ)っていう人だったと思います」


「はて、村上(むらおか)の間違いじゃ?」


 愛花が村上の名前を言い間違えたことに、月極は片眉をしかめる。


「いや、もしかしたら彼女の反応がただしいのかもしれん。人の名前ってのは付き合いがあれば間違えるなんてことはそうそうないだろうが、互いに自己紹介しているならまだしも、一言二言くらいしか喋ったことのない間柄じゃぁ相手の名前を覚えているなんてことはないだろ。つまりあんたからして、村上はまったくの赤の他人に(ひと)しいってことだ」


 須田愛花は、杉山の問いかけにうなずいて答える。


「高校に通っていたとき、ちょっと話をしたくらいです。彼が図書室で探していた本を、私が偶然見つけたくらいで」


 それだけの関係か……と、杉山は肩をすくめた。

 同じ学校に通っていても三年間会話を交わしたことのない人もいる。村上と須田愛花もその中のひとつでしかない。


「それであんたにちょっと聞きたいんだがな、妹さんはどうして学校に行けなくなった? どうもそこが納得いかんのだ。俺の知り合いに、人と深く関わるのが苦手で自宅が経営している花屋を手伝いながら、高校の通信教育を受けている女子高生がいてな、その子は普段俺をつっけんどんな態度で接するんだが、好きな花のこととなると途端に饒舌な口調で話してくれるんだ」


 月極は、その女子高生が菊李であることに気付く。


「もしかしたらだが、須田愛華は学校に行かないんじゃなくて、行けなくなっちまったんじゃないのか?」


「……はい、妹も私と同じ高校に通っていて、同じ陸上部で短距離走のレギュラーになっていたんです。ただ去年の大会で学校に変な写真が送られたみたいで」


「変な写真ですか?」


「妹が……家の脱衣所で着替えているところを写真に撮られていたんです。それだけじゃなく妹がやってもいないことをあることないこと書いて学校のメールボックスに送りつけたりもしていたんです。足がつかないようにフリーメールで」


 それが学校に行けなくなった原因か……と杉山は頭を振る。


「なんでそれを警察に言わなかった?」


 杉山が怒鳴りつけるや、


「それを警察に言って、何かしてくれましたか? 私の時にはなにもしなかったのに!」


 愛花がそれすら食い殺そうと口が裂けるほどのいきおいで杉山を糾弾した。


「私のときは――ちょっと待て? あんた俺たちと話し始めたときに、妹は自分の犠牲になったって言っていたな……もしかして」


 杉山は頭の中でグワングワンと鐘楼が鳴り響くほどの痛みを感じた。


「どうしたんですか? 杉山刑事」


「そりゃぁ逃げるわけねぇよ。隙だらけじゃねぇか……相手が姉につきまとっていたことを知らないどころか、警察官じゃぁよぉ――」


 杉山は顔がつぶれるほどの力で、自分の顔に顔を覆った。



 Ш



 事件発生から一週間が経った。

 日下生花店の店内は、季節に関係なく暖かい。


「いらっしゃいませ」


 店番をしていた菊李は、店に入ってきた杉山を見て、


「犯人は捕まったんですか?」


 とたずねるが、杉山は菊李を一瞥しただけで、静かにカウンターへと足を向けていた。


「なぁ嬢ちゃん、この前言っていたローリエだけどよぉ」


「杉山さん、花屋で買うものが決まっているなら、まず花には別名があることを知ってください。もしかしたら別の名前で売られている場合もあるんですから」


 と、菊李はいつもどおりに、杉山にしか見せない刺々しい態度で接客をしながら、カウンターの下に置いてあった、月桂樹の苗木をカウンターの上に乗せた。


「ローリエっていうのは、月桂樹のことだったのか」


 杉山は、店の中でそれを見かけたことを思い出し、苦笑を浮かべる。


「月桂樹は(くすのき)科月桂樹属に準じます」


「そいつの花言葉は?」


「一般的には【栄光】、【勝利】、【栄誉】と言われていますけど――」


 菊李はグッと言葉を飲み込む。

 今の杉山にもうひとつの言葉を言っていいのかと思ったのだ。


「その様子だと、まだあるんじゃないのか?」


 菊李の様子を察した杉山が問いかけるや、


「月桂樹の花につけられた花言葉は【裏切り】」


 菊李は苦々しい顔で答えた。それを聞いて、杉山はグッと感情をこらえる。


「月桂樹が生まれた経緯は、ギリシア神話でアポロにからかわれたエロースという愛の神がその仕返しに、相手に恋をする黄金の矢をアポロに撃ち、逆に相手が嫌いになる鉛の矢を河の神の娘であるダフネに撃ったんです。ダフネはアポロからの求愛から逃げるために月桂樹になったといわれています」


「それってストーカーみたいなものじゃないか」


 一方的な愛情表現は、それこそストーカーのゆがんだ愛情と同じである。


「自分のせいでダフネが月桂樹になってしまったことを悲しみ苦しんだアポロは、せめて私の聖樹になってほしいと頼んだんです。すると月桂樹(ダフネ)は枝を揺らしてうなずき、月桂樹の葉をアポロの頭に落としました。アポロはそれを永遠の愛の証として、月桂冠(げっけいかん)を作り、永遠に身につけたといわれています。勝利と栄光のシンボルとして、昔のオリンピック競技で優勝した人が月桂冠を被っているのはそこから来ているんです」


 杉山は菊李から月桂樹の由来を聞きながら、逮捕した村上を憎々しく思っていた。

 伝説とはいえ都合のいい話ではあるが、まだアポロのほうに心がある。

 勘違いでつきまとっていた須田愛花の妹を殺してしまい、それをあろうことか、自分が殺したわけじゃない、自分じゃない誰かが殺したのだと狂言を吐きやがる。

 あの日、本当に偶然ではあったが、須田愛華は、姉と同じハーフアップの髪形にし、姉がよく外出時に来ていた桃色のワンピースを身にまとって外出をしてしまう。

 それを村上は、付きまとっていた須田愛花だと思い込み、後をつけると、ちょうど愛華は陸上部に所属している男子生徒と一緒に買い物をしていたのを目撃し、感情が高ぶるのを押さえ込みながら、彼女が一人になったところを見計らって、近くの家から盗んだ金属バットでうしろから襲い殺したのだ。

 自分を裏切るどころか、知ってすらいない須田愛華を……。


「冗談じゃない。誰かを好きになるのに文句を言う気はないが、あきらめも肝心だってことを覚えとけってんだ」


 それに気付いた姉は、自分が妹を殺したも同然だと苦しんでいた。

 須田愛花が苦しむべきではないし、村上からストーカー被害に遭っていた彼女の苦痛を忖度(そんたく)できなかった警察にも責任があった。


「なぁ嬢ちゃん、今回の事件、もし嬢ちゃんが同じ目に遭っていたらどうしていた?」


「ボクがストーカーに遭っていたらですか?」


 菊李が聞き返すと、杉山は静かにうなずいてみせる。


「そうですね、しつこいようだったら杉山さんに連絡をしていたと思いますよ。ちょっと不本意ですけど」


「おりゃぁ捜査一課の刑事だ。ストーカー対策は基本的に生活安全課の仕事になっちまうんだがなぁ」


 苦笑を浮かべながら、杉山はポケットから財布を取り出す。


「それで……」


「それでも――」


 ローリエの値段を聞こうとしていた杉山の言葉をかき消すように、菊李はジッと杉山を見上げる。


「それでもボクは警察の人で最初に頼りたいのは杉山さんだと思います。警察は事件が起きないとまったくなにもしてくれない。だから警察は嫌いなんです。でもボクを心配して見に来てくれていることはわかってますし、ボクの話を黙って聞いてくれる人なんて、同じ花屋をしてる人以外だと杉山さんくらいなんですよ」


 菊李の告白に、杉山は本当にこしょばゆくなり、頭をかく。


「それとローリエは前に言いましたけど、うちはあくまで生花店ですから香辛料は取り扱っていないんです」


「っと、そうだったな」


 言われていたことを思い出し、杉山は財布をポケットにしまいこむ。


「まぁ今回の事件はこれで解決した。いやなことは忘れて、また明日も見に来てやる」


「いっておきますけど、明日ボクは学校で店にはいませんよ」


 ちいさく笑みを浮かべる菊李は、犯人が同僚の、部署が違えど同じ警察官であったことに心を苦しめていた杉山が、自分の話ですこしは楽になってほしいと思った。

 彼女にとって、杉山は中肉中背の、無精髭を生やしたふてぶてしい男なのだ。梅雨のようにじめじめした雰囲気など、彼女が知っている杉山には似合わない。

 そう思っていたからだろう。


「杉山さんって本とか読みます?」


「まぁたしなむていどにはな。それがどうかしたか?」


 杉山はいぶかしげな顔で菊李を見やる。


「それだった月桂樹の葉っぱを押し花にしたしおりがあるので、よかったら使ってください」


 菊李にもらった月桂樹のしおりを見て、


「まぁ嬢ちゃんが作ったってことは、ちゃんと意味があるんだろうな」


 杉山はそれ以上は聞かなかった。

 彼女が大好きな花で、誰かを傷つけるような言葉を代弁するとはどうしても思えなかったのだ。


「まぁ使わせてもらうさ。それじゃ……またな」


 杉山はちいさく頭を下げると店を後にした。

 菊李もそれ以上のことを話そうとはしなかった。

 彼に渡した月桂樹の葉っぱで作った押し花のしおりは、菊李の、杉山に対する信頼のあらわれてもあったからだ。

 月桂樹の葉っぱには、前途のほかに【私は死ぬまで変わりません】という言葉が込められている。

 その意味を込めて作ったしおりを渡した菊李にとっては、杉山にあるがままの彼でいてほしいと思った。


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