⑤《市場の日》 前半
(20190411 後半の描写を読み返したら酷い文章だったので直しました。内容に変更はありません。)
「……ただいま戻りました」
二日間閉め切った部屋の扉を開けて声をかけた。薄暗い空間から挨拶は返らず、自分のぼそぼそとかすれた声が響いて消える。
二階にある室内のわずかに下がった気温に慣れてくると、陽射しに乾いた肌に、外出先の空気を拾ったように薄く貼り付いた土埃が不快に感じられて、頬を手の甲で拭う。
視界が朧気なまま身体に染み付いた感覚でまっすぐ進み、ベッド脇の小机の前で立ち止まる。腰のベルトに通した革鞄から市場で買い入れたマルメロのジャム入りの小壺を取り出して小机の端に置いた。
風を通すために窓辺に進んで木戸を開くと、荒涼とした礫砂漠の景色が現れ、背後で簡易なベッドと小机が中央にあるばかりの簡素な部屋が照らされた。人の姿はない。
小机にはいなくなって久しい相手のために買い集めた土産が積み重なって崩れかかる。
蜂蜜漬けのナッツが入った小壺にワインの小樽、織模様が美しい細い飾帯と草花柄が彫られた薄く平らな金の指輪、四角形の両側に密度の異なる歯のついた葡萄柄の木櫛とビーズの飾り付きのヘアピン……少しばかり値の張るそれらに加え、香り良い薬草も束ね置いている。薄れてしまったが、置いた直後の清々しい香りは部屋に溢れるほどだった。その隣に並ぶカップとスプーンは、自給自足の生活で身に着けた木彫りの技で、女性が好みそうな装飾を施した自作の品だ。買い入れたヘアピンを真似て髪飾りも木彫りしている。
同居人を失った二年の間に繰り返した己の不毛な行動が、幾度になるのかを目に映る形にして教えるそれは、出鱈目な祭壇の様相だ。
教会が薦める「聖なる癒やし」を苦々しく思い出させる。
虚しさを噛みしめた。莫迦莫迦しくとも、やめられないのだ。彼女がここにいるようにふるまうことが、霧散しそうになる意識を日常に引き止め、わずかばかり心を慰めていた。
一人暮らしに戻ってから、眠りの多くを惨めで報われない気分に突き飛ばされるようにして目が覚める。そんなときは大抵、寝苦しさからシーツがめくれていて、記憶がなくとも、あのときの夢を見たのだとわかる。住み慣れた家とは思えないほどの居心地の悪さを抱えて、凍えた足をベッドの上でさすり、不快な夢を見たから身体が凍えているのか、身体が凍えたから不快な夢を見たのかを考えている。ぎこちなく腕を抱いていると、遅まきながら肩も冷えて、喉が乾いていることに気が付き、惨めさに震えた。
買い物のために砂漠の家を出るようになったのは、この半年間で五度目になる。その前の半年間が三度で、その前は一度。軟禁する相手がいなくなって、相手の身を案じずに長時間出歩けるようになった。
それだけが救いと苦笑いして、野菜の青臭さとチーズとパンの匂いが交じる市場に立つ。青空の下、知らない街の賑わいに自ら飲み込まれるように、修道服のごわつく黒いフードを深く被り人波に流されて歩く。
思考は水紋のように辺りに広がり、湿地のようにずぶずぶと沈む。
かつて師匠を異端者として暴力で死に至らしめた人間たちは、その弟子の顔を九年経っても覚えているだろうか。人混みの中で姿を探すことはあるだろうか。自分たちが人を殺したことを覚えているだろうか。頭のおかしな老人を殴って蹴ったとだけ記憶して、とうに忘れただろうか。
おそらくもう、探してはいない。偶然に出逢えば、あるいは過去の正義感の取り残しをさらうように追ってくるかもしれない。
しかしすでに馴染みのない街を歩くだけなら、ほとんどの危機は去ったと思う。
逃げ隠れて仮住まいを転々とした日々は身体に染み付いている。師匠を失った直後から、宿を変え師匠の知人を頼り怯えて逃げ出しと、定まらない暮らしで数ヶ月をやり過ごした。人の目を逃れ続けた果てに行き着いたのが、廃墟となった砂漠の修道院だ。環境を整えつつ暮らし始めて独りで六年。行き倒れのルナリアさんと暮らしたのが半年で、ルナリアさんに逃げ出されてからはまた独りで二年。
ようやく周囲を見回す余裕をもって人混みを歩けるようになったのは、九年ぶりのことだ。
ルナリアさんのことは、探していない。探し出せる気がしないから、ここ一年で増えた遠出は気晴らしを兼ねた他意のない買い出しだ。
店先で果物を選んでいる最中、手元に長い影が落ちた。隣から商品へ手を伸ばした女性の存在に、俯いたまま神経が集中した。その女性がルナリアさんでないことは、女性のスカートの裾を掴んでいた幼い女の子が「お母さん」と呼ぶのを聞くまでもなく、胸や腰のほっそりとした体型で理解できた。
だが背の高い女性を見かけるとつい目で追ってしまう。どこの街でも、道でも、市場でも。
女性は手早く店主とのやり取りを済ませると、熟れた果物を腕に提げた籠に詰め、板についたあしらいで子供の頭をなでて手を引いた。顔を見れば口元に黒子のある色白の優美な女性で、髪型や服装は気負いなく都会的にまとめてある。子供は三歳くらいだろうか。背の高い母親が幼子と手を繋ぐのは大変そうで、女性はわずかに背を丸めて歩く。その様子も我が子にかける明るく落ち着いた声音も、自分の知らないものだ。
別人だとわかっているのに、後ろ姿に誘われるように後を追って歩きだした。
この街を訪れるのは二度目で、知人の一人もいない。砂漠の住処から街としては三番目に近い距離にある馴染みのない場所で、名も知らぬ若い母親の後ろ姿に、ルナリアさんの姿が重なる。
ルナリアさんが私の前から姿を消して二年が経過した。もし家族の元へ戻りすぐに結婚し出産したなら、子供は一歳になる。彼女の家族が住む街がどこに存在するのかわからないが、この瞬間もあの母子のように買い物を楽しんでいるのかもしれない。
少なくとも、二年前の帰宅途中の森で盗賊に遭遇して暴力を受けたり、負った怪我が原因で苦しんでいたり、自分の元に運ばれてくる解剖用の若い女性遺体の多くのように、妊娠中毒症や出産で命を落としていないことを願う。
相変わらずの昼夜逆転の生活で、昼間の大半を眠って過ごし、夜も家に籠って安全に暮らしているなら、それもいい。
前方では人混みから我が子を庇いながら進んでいた若い母親が、子供が衝動的に手を解いて方向転換しようとしたのを窘めている。自分の母親の顔を思い出せない人間には縁のない穏やかで温かな光景だった。
ルナリアさんに対して、恨めしい気持ちで心が塗り潰されたこともあったが、静まり返るような日々が二年続いたいまでは、どこでどうしているのか一生知ることが出来なくても、この光景と等しく幸福であってほしいと思う。
幸福な彼女の想像は自分の気持ちをいくばくか救う。
忽然と、自分に疑問が浮かんだ。
――何故、この世界に溢れる他の誰でもなく、拘束で苦しめた相手に親しみを感じている?
こうして市場を歩いていても、ぶつかるように人々とすれ違う。お喋りに夢中になっている中年女性たち、両手に荷物を提げた小太りの男性、店主に値切りを持ちかける旅装の夫婦、はぐれた仲間を探して呼びかけている青年、連れ立って歩く修道女、同じ修道服姿でも手持ちの古着を着ているだけの自分とは違って本物の修道士たち、どこでも子供は駆け回り、市場の外れでは地面に腰を下ろした物乞いの老人と子供がやせ細った暗いまなざしを通行人に向ける。
砂漠の家を出てみれば、多くの人間の顔を見ることができる。声を聴くことができる。
健全な関係を構築する可能性のある人間が数多く存在しているのに、私がこだわり執着するのは歪な繋がりひとつ。
いや。いや、いや、いや――
この中で誰と挨拶を超えた言葉が交わせるだろうか。暮らしぶりを尋ねても、食事を一緒にと誘っても不審者だ。友人になりたいとも家族になりたいとも云い出せるはずがない。仮に興味を向けられても、住んでいる場所も仕事も正直に話すことができない。お前は何者だと問われたら、逃げ出すしかない。そんな人間を誰が信用するだろう。
どうして私という人間はこうなってしまったのか。
すでに何度も繰り返された問いが、また頭をもたげる。
師匠がまだ生きていて、人体の解剖に興味を持っていなかった時分には、こうではなかった。請われるまま貧しい農家の病人や怪我人を医者のように診て回る師匠に助手としてついて歩き、治療を施した農夫やその子供と世間話ができた。顔見知りとなって近況や身の上を語ることもあった。師匠と共に身を寄せていた修道院では、年上の修道士たちと互いの健康や日常の不便を心配して声をかけ合うこともあった。
それが崩れていった。幼い子供の癒せない深い怪我を前に、手を尽くしても救えない知人の病を前に、師匠の関心は、癒せない理由を、救えない仕組みを直接目にすることへ傾いていった。
温かな手で皮膚の表面を撫でそっと薬草を塗りつけるような治療ではなく、市場で肉屋が豚を解体するように、黄色い脂肪の奥の血管や骨や内臓の形を確かめ、そこにある病巣をしっかりと目に捕らえて触れ、刃物で取り除くような手段を求めてしまった。
教会はそんな手段を好意的に捉えないのにもかかわらず。
聖遺物に触れて長年の病が快癒するというような美しい奇跡が望ましいのだ。痛みも恐怖も嫌悪も感じることのない「聖なる癒やし」を教会は薦める。
必要があれば温かな皮膚を切り裂き、赤黒い患部を血を滴らせながら切り取るといった「実用的な癒やし」の必要性を師匠が周囲の人間へ語るたび、学術的に死体に触れる機会を持つたび、教会の教えを過激に捉える人間たちによって、師匠への認識は異教徒や悪魔崇拝者に対するがごとく変質していった。修道士の一部や信者たちから非難が集まって修道院には居られなくなり、始めた二人暮らしでは、常に知らない誰かに見張られているような不穏な空気がつきまとった。
親しかったはずの人々とも交流が減り、とうとうある日、深夜になっても帰らぬ師匠を探し歩いて、道端でゴミの塊のようになったその身体を発見した。
人の健康や長寿を願って始めたことなのに、なぜこんなに割りを食うのだろう。
回想が一段落したところで外界に意識を戻すと、母子は市場を抜け、行き交う馬車を避けて石畳の道を渡っていた。こちら側と同じように石造りの建物と木組みの家が並ぶ大通りの端を歩いて、そのまま帰るか子供の父親と合流するのだろうと、道向こうを眺めていたが、母子は同じように買い物籠を提げた女性と合流した。背格好の似通った二人の女性が子供と連れ立って歩き出すと、すれ違う通行人の何人かが少しだけ長く目を留める。
これ以上追う理由がない。そろそろ引き返そうと足を止めた。砂漠の家から一番近い距離にある街まで、乗り合い馬車を利用して戻る予定だ。長距離になるがそこから歩いて帰宅する。買い物が遅れて馬車の出発を逃せば、この街でもう一泊して余計な出費をするか、徒歩で戻れるだけ戻って森の中で危険な野宿をするはめになる。
市場へと身体の方向を変え、最後に一目すると、ゆったりと街道を進む母子とその連れの三人の風景は都会の空気に馴染み、書物の中の挿絵のように別世界の出来事に感じられた。せがまれたのか、母親が子供を抱き上げようと屈み、連れの女性がそれを止めて母親に自分の籠を渡し、代わりに子供を抱き上げた。
そのとき聞こえた声に、身体が凍りつく。
女性にしては低めで、子供相手にも淡々と投げ出すように話すその声が、懐かしく憎らしく耳に届いて、感覚の全てが一気に連れの女性へ吸いよせられた。
慌てて踵を返し、道を挟んだまま後を追う。
まばらな人の流れに垣間見えた横顔を、離れたまま呆然と眺める。無造作にゆるく結い上げた髪の下の垢抜けた容貌に、砂漠の家で共に暮らした彼女の素朴で冷ややかな面影があった。
混乱したまま自分の判断を疑う。あまりにも纏う空気が異なる。
このところ街中を歩いて、自分のような人間でも服装の流行を知るところとなったが、母子の連れの女性も流行にそった衣服を身に着けていた。すなわち上半身が身体のラインにそって腰から下は裾へ自然に広がる衣服である。鮮やかに青いそれに、幅広の明るい色合いの革ベルトを組み合わせて余計な小物も付けず、すっきりと着こなしていた。
僻遠の地で自給自足の暮らしをする人間に、都会女性の着こなしの良し悪しは理解し難いが、現在流行している衣服がシンプルながら手間をかけて作られていることはわかる。
庶民の大半が家族と共有の大きめの衣服を頭から被り、腰紐やベルトを締めることで身体に合わせているのだ。身につける人間の腕の太さや長さ、胸の高さや腰の位置などをぴたりと合わせた衣服はそれだけでシルエットが美しかったし、若い母親と連れの女性の二人は、ベルトは勿論、丸く開いた襟を縁取る布の色から髪をまとめるピンのビーズ飾りにまで配色に気を配っていた。奇抜さも甘さもなく統一された全身は、こなれた雰囲気を作り出している。
自分に似合う物を理解して身につけた女性二人が、颯爽と歩く様子は凛とした輝きが伴い気安く声をかけ辛い。
砂漠の家で暮らしていたルナリアさんは、三枚きりの衣服を着回して不満もなさそうだった。だぶついた毛織の白いコット(長袖で裾が踵まであるチュニック)を二枚と、上に重ねる袖無しの茶色いシュルコ(丈長の上着)を一枚きりだ。飾り気のない、農村や街にありふれた服装は素朴で可愛らしかったが、野暮ったいとも云えた。髪の手入れも私に任せて本人は構わないでいたので、着飾ることに興味があったように思えない。
彼女をルナリアさんだと感じた自分を疑って、幼児を抱く女性に視線を這わせる。横を歩く、果物屋で隣り合わせた若い母親より、胸や腰の肉付きが良く、背もわずかに高かった。髪は黒色で、遠目にはっきりとしない瞳の色が青ならば、ルナリアさんの特徴と全て合致する。
周囲の喧騒の切れ間に漏れ聞こえる会話に耳をそばだて疑いは確信に近づいていく。
ルナリアさんらしき女性が、他愛なく笑いながら周囲に目を向けた気がした。たじろいで距離を空けたが、二人の女性は気に留めた様子なく歩き続けている。
私が反射的に背の高い女性を目で追ってしまうように、帰郷したルナリアさんもまた、砂漠の家で見慣れた黒い修道服に反応してしまうのだとしても、修道服姿の通行人は私だけではない。
私は彼女をどう攫うべきか考え始めていた。
家まで後をつけて家人が寝静まる深夜に侵入するか、家を見張って一人出歩くのを狙うか、それともあの母子と一緒にいる状況で襲ってしまうか。人を呼ばれる可能性が倍になるが、子供が一緒なら母親は子供の守りを優先するだろう。連れへの対処まで手が回らないのではないか。下手に目撃される前に、心構えをさせず襲うほうが有利ではないか――
直前に知らない場所で幸福でいてほしいと願ったばかりなのに、手の届く場所で見つけた途端、あの空虚な部屋に彼女を戻したくなった。
身勝手だと理解していても、住居と自身にぽっかりと空いてしまった穴を、彼女とよせ集めた贈り物を詰めて塞げば、満たされ幸福になれるはずだという考えが膨らんでいく。
浮き立つ気持ちで、荷車を手に入れなければならない、と考える。彼女を縛る縄と眠らせておく薬品も必要だ。危険がないよう量は絶対に間違えない。
いくつかの拉致の手順が冴え返った脳内で組み上がると、ルナリアさんらしき女性が立ち止まった。背を真っ直ぐに、街中でしばし棒立ちになる。
私も足を止めて状況を窺っていると、女性は抱えた子供を母親へ渡し、二つの籠から中身を半分ずつ交換して元の籠だけを受け取った。別れの挨拶を交わして、それぞれ別の方向へ歩き出す。
すっきりと気持ちの良い身のこなしで大通りを外れていく垢抜けた後ろ姿から、距離をとりつつ一人になった女性を追った。
《続く》