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砂漠の家 ~おまけ後日譚~  作者: 言代ねむ
2/15

①《来訪者の日》 後半

 庭から男たちの話し声が聞こえる。閉じられた窓から細く朝日がさし込む二階の寝室で監禁されたまま、常日頃の昼夜逆転生活通りに眠れぬ夜を過ごした私は、ベッドに腰かけそれを聞く。

 聞き覚えのない軽薄な調子の明るい声は、昨日の来訪者のものだろう。想像したより若い男のようだ。どうやら二人で庭に出て方角を示しつつ道の確認をしているらしい。会話の半分ほどが聞き取れた。

 質問に答える丁寧な口調はイリスだ。心のひび割れた男なのに、口調は常に穏やかだ。いまこの瞬間も、不都合が生じれば相手の手足を潰して監禁することくらい考えているのだろうに。

 なにを考えているのかわからない人間は怖いというが、なにを考えているかわかる人間は考えている内容が怖かった。

 訪問者の様子を目で確かめたいが無理だ。

 先ほど窓辺に立って、ごく細く木戸を指先で押し開いた。話し声から男たちの立ち位置に見当をつけ、最低限の覗きのための隙間を作る。訪問者が常識的で勘が働くタイプならば、助けを求められるかもしれない。

 息を止め、ほんの少しの動作で隠れられるよう、顔をそらし気味にそろそろと覗くと、途端にイリスが顔を向けようとする気配があった。訪問者の姿は後頭部を確認したくらいで、慌てて身体を引き、木戸も閉じたが、木戸の揺れは見られたかもしれない。

 イリスが怖かった。あれは音や気配に反応したのではない。あらかじめ二階に注意を払っていたのだ。窓を閉じたいまもきっとこちらの様子を窺っている。

 気が重くなってうなだれていると、くぐもった金属の触れ合う音が室内から響いた。イリスが死体から作った趣味の悪いペットだろう。主人に命じられて食べ物でも運んできたのか。

 何度か音が続くと部屋の入り口のドアが開いた。蜘蛛のような身体を石の床に無意識に探して顔を向けると、しかしそこに小さな人間の輪郭があった。薄暗い室内でドアノブに背伸びするように手をかけて入り口を押し開き、ぼんやりこちらを見ていた。

 とっさに声がでない。何ヶ月もイリス以外の人間を前にしていないのだ。大人の半分ほどもない身体から危険がないと判断しても、よろこびや期待より緊張が走った。

 来訪者に連れがいたのか。こんな幼児が歩きの旅を? まだ会話すらまともにできないのではないのか。他者に助けを求めるにしても、子供では全く期待できない。

 なぜこの部屋のドアが開いたのか。大人に放置された子供が好奇心で屋内をうろついたのは想像できるが、イリスが昨夜食事を運び入れたときに施錠を忘れたのか。

 いいや、そんな男ではない。

 無為にイリスを刺激したくない。男たちの会話はまだ庭から聞こえている。役に立たないなら、イリスに気づかれる前に追い出すべきだ。それとも来訪者への言伝てに使えるだろうか。

「……初めまシて」

 子供が舌っ足らずに挨拶した。その瞬間、眼の前の存在への認識が、言葉のろくに通じない動物のようなものから、人間へ改められる。

 おそるおそる言葉をかけた。

「……どうやってここへ入ってきたの」



 旅の絵描きが支度を終えて、一夜の宿のお礼と別れの挨拶をする。

「お世話になりました、イリスさん」

 玄関を出る前に叔父に促された子供が筒状に丸めた羊皮紙を私にさしだし、渡し終わると駆け戻って叔父の脚に隠れた。宿賃代わりにと一枚の絵を渡されたのだった。小銭も渡されたが、足りない分にと。

 宿屋ではないし、何事もなく帰ってくれるなら一晩の宿くらい無償でも良かったが、固辞して違和感を抱かせることもない。部屋に閉じ込めて退屈させてしまったルナリアのわずかな娯楽にできるだろうか。

 絵は男が描いたものではなく、子供の作品だと云う。なるほど、お礼とは云っても商品は手放さないか。商売人らしい精神だ、と羊皮紙を開いて驚いた。

 まず肌艶のよい太った中年男性がなにか声をかけている横顔が目に飛び込んできた。どこかの市場の様子らしい。中年男性は果物屋の店主のようで、肉感ある腕でごろごろとした果物の山から林檎をひとつ掴んで通行人に示している。隣で野菜を並べた老女の皺深い表情、肉屋の痩せた若者、被ったフードの破れや背後の建物のレンガの欠けや質感まで、その場にいるように伝わってくる。店主の野太い声が容易に想像できるし、茄子の艶や肉の切り口など、商品から行き交う客の息遣いまで、色のない線画なのにひとつひとつが匂い立つようだ。

 部分的に曖昧な影になっているのは、芸術的効果なのか手抜きなのか。どちらにしろ描き手の癖でそれらしく画面を埋めているようなものではない。どこも忠実に現場の形を絵に置き換えている。

 昨夜は話半分に聞いていたが、実物を目にすればはっきりと才能が感じられた。

 自分もまた彼らと同じような作業を日々くり返しているが、地下室で死体を前にひたすら描いているのは図だ。脂肪、血管、筋肉、骨、内蔵などを見たまま正確に羊皮紙に写し取る。それは芸術ではない。もしこれが人物画なら、晴れやかな表情や味わいのある仕草や力強い動きの瞬間を記憶に留め、衣装と背景を美しく配置を変え、時に存在しない宝石やレースや豪奢な家具を描くだろう。

 その点において、正確に描かれた以上のものを評価できる審美眼を自分は持たない。

 だから子供の絵を芸術ではなく、正確で緻密な模写として評価し、素晴らしいと思った。

 よくよく見れば描線に勢いがなかったり、細かく震えて線を描き重ねてあるのだが、ペンの重さを持て余すような手で描いているのだ、それは身体の成長と共に改善される。

 男の絵とはまるで次元が違う。衝撃のまま、叔父の脚から顔を半分覗かせている子供を凝視した。

 この才能ならば教えればすぐに私の作業を代われるだろう。


 昨夜の絵描きの様子を思い出す。

 子供の父親である亡くなった兄を嫌っているようだった。

 長距離を歩けない小さな子供を連れての旅は苦労が多かったはず。


 もし私がこの子をひき取りたいと告げたなら、意外と簡単に手放すのではないか。

「あの……」

 顔をあげると絵描きの男と目が合う。不思議なことに、あれほどにこやかだった男がいまは無表情にこちらを見ていた。熱も湿度も色もない視線のなんとも云えない圧迫感に、疑問が溢れる。

 たじろいで泳いだ目線が、男の手が子供の細い肩を掴むようにしっかり抱きよせていることに気づいた。自分の思い違いを知る。

 男は子供を手放す気がない。

 この瞬間、私は男に子供を傷つける可能性のある者と判断され、男は子供を守っていた。

 黒い瞳にこもっていたのは、敵意、だ。

 男はきっと子供が歩けなくなるたび休憩をとり、ときに背負い、ときに抱え、ろくに進めない旅を続けてきたのだ。置き去りにしようと考えたことがない。

 一呼吸置いて、用意した言葉を取り替える。

「……いえ、なんでもありません」

 私はきっと物欲しそうに、物を見るように、彼の養い子を見ていたのだ。

 私の反省を読み取ったように男が警戒を解いた。



 軽い足取りで森へ向かう旅の絵描きが子供に問いかけた。

「へえ、会ったんだ。美人だったか、あの人の奥さん」

 子供は少し悩んだあと答えた。

「……私のハハよりはきれいデ、チチよりはきれいデはありまセンでした」

 途端に不機嫌になった男が、それじゃわかんねえよ、と吐き捨てる。

「世の中のほぼ全員がその範囲に入るだろ。ややブスから美人まで幅広すぎるだろうが」

 男は片頬を歪め、あきれた様子をたっぷり表現する。

「……イリスさんほどきれいデはありまセンでした」

 訂正された甥の言葉に叔父は空を仰いだ。

「それでもまだ微妙だなあ……」



 来訪者二人が森の入り口に入っていくのを庭で見届けてから、足早に二階の彼女の寝室へ入った。

 普段なら彼女は眠っている時間だったが、閉め切られた薄暗い部屋でベッドに腰かけていた。丸一日部屋に閉じ込めらた鬱屈から解放されるタイミングを待ち焦がれていたのだろう。沈んだ顔だったが、目にしてほっとした。

 詫びながら窓の木戸を開けた。風が通りよどんだ空気を流していく。まぶしそうに目を細めた彼女が窓辺によってきて、森の方へ顔を向けた。旅人の姿を確認したかったとわかるが、すでに森の中だ。

 日を浴びる彼女の青白い横顔を眺める。青白いと云っても、死体ばかりを観察し描き写す生活の人間にとっては、しっとりと温かくやわらかな生者の気配がある。血が通い肌の香りが漂う。

 彼女を危険にさらさずに済んだ。

 彼女を逃さずに済んだ。

 絵を描く子供は手に入らなかったが充分だ。

 自分は急に欲張りすぎたのだ。何年も一人きりの生活だったのは、まだたった数ヶ月前のこと。頭に靄がかかったまま耳の奥で無音が破れ鐘のように響く日々に生じたいらだちを忘れるなど愚かしい。

 自分以外の誰かがいる生活のありがたみがわからなくなるとは。

 昨日は外に出ないで過ごした彼女の黒髪は、砂埃を浴びず艷やかに風になびいていた。

 そっと一房を掬い上げ、口元によせた。匂いをかぎ、唇で髪の一本一本の感触を確かめる。

 彼女があきれと嫌悪の混じる視線を向けた。

「あなたのせいで部屋の隅でトイレを済ませなきゃいけなかったんだけど。髪に匂いが移った気がする。よく平気よね」

 促されるように部屋の隅へ視線をやると、食事と一緒にさし入れた陶器製の容器と水瓶が置かれている。

 死体の匂いに慣れた人間にそんなことを云われても、と思った。



 窓の外に身をのり出した私の視界の端で、来訪者を送り出し気抜けした家主の視線が送られてきていた。私の横からだ。

 やがて陶酔した様子で私の髪を一房掴み、唇をよせる。

 自分だったら、家族が相手でも真似できない。そんな正直な感想を伝えると、イリスは透明な気配できょとんとしている。

 疑う気にもならない悪意のなさで、そのまま告げてくる。

「……ルナリアさんはきれいですね、とても」

 気持ち悪いなあ、と思った。

 この人は頭の中で私をどこまで壊していいと考えているのだろう。

 どうやっても逃げ出さないよう両足の骨を潰されているかもしれない。余計なことをさせないために腕がないかもしれないし、変に曲がっているかもれない。変色し歪な手足でベッドで横になっていても、彼は幼子をあやす親のようにほほえんで見下ろすに違いない。


 部屋に入ってきた子供には、結局何事も伝えずに帰した。

「……どうやってここへ入ってきたの」という私の問いかけに、返事が要領を得なかったからだ。

 子供はイリスが隠した鍵を見つけたわけではなかった。まず「なにか」を「見間違え」て二階に上がり、物置や崩れた空き部屋を見て回る内に、鍵のかかった部屋を通りがかり「鍵はない」が「自分で開けて」この部屋に入ったと云う。

「ドアの小さな穴にさし込んだ物があるでしょう?」と尋ねると、小さな手を開いて細長い金属の先を何回か曲げた物をこちらへ示した。要するに金属の屑だ。どこか街の工房で拾ったのだろうか。

 ともかく、それは鍵ではない。施錠されたドアが開いた理由がわからない。

 見間違えたというものにしても、「見間違えた」と云うだけで「なに」を「どう」とは頑なに言葉にしない。「ありえない」かららしい。

 会話が実らない。

 私の足首に鉄輪と鎖を見ると、子供は部屋を見回し、窓を縁取るレンガのでっぱりに駆けよって云った。

「足輪のその部分ヲ……この角度デここへふりおろすと多分、十回目には壊せると思いマス。そうシたら、ここが緩んデ少し輪が開くようになるのデ、きついけれど足は抜けマス」

 変に具体的でこれが大人の言葉なら試してしまうところだが、子供の戯言だ。本気で心配されているのが感じられるだけの。

「大丈夫。自分でなんとかするよ。ここに入ったことが知られないように、早く一階へ戻りなさい。……私が鎖で繋がれていたことも、云っては駄目」

 最後の言葉を口に出すことに迷って視線が流れたが、これで正解だろう。子供が的確に状況を理解して大人に言葉を伝えるのは難しい。不明瞭な伝言を、イリスの穏やかで誠実そうな物腰に惑わされて、来訪者の男が本人に直接真偽を尋ねようものなら、温和に否定され、それを信じて背を向けた瞬間、殴りつけられるなどして捕らえられる。

 二人いるのなら、子供の方を残して殺されるかもしれない。

 残された子供が私のように鎖に繋がれ、その後のイリスから過剰に警戒されるのもありがたくない。

 子供は一度ふり向いてから出ていった。閉まったドアが小刻みに揺れ、金属が触れ合うくぐもった音がした。鍵をかける真似事だろうか。私も訪問者を見送ったイリスが入ってくるときには、ドアの鍵が開いていたことに気づかなかった真似をしなければならない。

 ふと疑問が浮かんだ。

 そもそもイリスにとって生かすべき人間の順位はどうなっているのだろう。

 大人の男と子供なら、肉体的に制圧しやすい子供だと思う。それに大人の男では捕らえても女子供より反抗的で危険だ。

 年寄りと子供だったら? 長生きする子供だろうか。子供は成長して逃げ出すかもしれない。

 若い女と母親のような年配の女性だったら? 寂しい人間は娘と妻と母親の誰を優先して望む? 

「私の話に言葉を返してもらいたかった」と最初にイリスは云っていた。それはただ相槌を打つ人間なのか、自分の思いつかない言葉を返す人間なのか。

 知的な会話が望みだとしたら、残されるのは子供ではなく大人のほうだ。

 イリスはままごとの人形を並べるように家族を揃えたがっていた。

 自分一人が捕らえられているから考えなかったが、あの丁寧な扱いは気に入っている相手へ向けたものなのか、一人しかいないから丁寧になるのか、それとも誰にでもあの扱いなのか。

 深く考えて背筋が冷えた。

 勘違いしていたかもしれない。彼の細やかな世話を私への好意のように受け取っていなかったか。

 彼は街中から私を選んで攫ってきたわけではないのだ。それは自分から進んで罪を犯さない彼の良心の証しかもしれなかったが、同時に彼の好みや愛情の範囲外に囚われの私が存在することを意味する。

 私は従順に過ごしても誰かと取り替えられる可能性があるのだろうか。


 思い返して思考が暗く沈んでいく。

 右手に森が始まり、他は岩と砂利が果てまで続くような景色に来訪者の姿はすでにない。

 次にあの森を通って来訪者が訪れるチャンスはあるのだろうか。

 いまさらながら、子供が見間違えたと云っていたのはホクロの姿ではなかったかと思いつく。子供の言動に信用性があるなら、森に入ってから鎖に繋がれた人間がいることを伝えてもらえば良かっただろうか。

 二人がひき返して来る姿を確認したイリスの注意がそれた隙に、自分は隠し続けている鎖の千切れを解いて、イリスと顔を合せた彼らがどうなるかなど考えないでただ全力で自分だけを救うために反対方向へ逃げていくのだ。


 …………。

 ………………。


 ああ、いつか。

 この男の形良い後頭部に斧をふり下ろしたい。


「ルナリアさん?」

 私を見つめていたイリスの顔が曇る。

「……どうして泣きそうな顔をしているんですか」

 甘い声で心配された。








《終わり》


今回はなかなか書き進まなくて仕上げがしんどかったです。(´Д`;)

前後編なのであまり投稿日を離したくなくて最後は徹夜で頑張りましたが、

次のネタはゆっくり二~三週間後の日曜日投稿を目指します。


実は【世界不適応者のお伽噺】のほうのヒロインが叔父さんのお見舞いに行く話や、叔父さんの過去語りのほうが先に書きたい。


【砂漠の家】の後日談は、なぜか二次創作のBL小説にチャレンジしている気分になります。

自作小説なのに、本当に、なぜ。縛りが多い物語だからだろうか。

ルナリアさんは現状がアレなだけで、普通の環境に暮らしていればごく普通の人です。

つまりルナリアさんの魅力は鎖に繋がれていることであり、

外せない状況で起きる物語は少ないのです……OTL

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