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砂漠の家 ~おまけ後日譚~  作者: 言代ねむ
14/15

⑦《家を出る日》 後半

今回はずっとルナリアさんのターン。

「ここまでだな。あんたたち、降りてくれ」


 日焼けした中年の御者が荷台をふり返って声をかけ、森の半ばで私とイリスは乗合馬車から降ろされる。周囲から漂う樹木の香りは濃く、森を抜けた先の砂漠へはまだ距離があった。普段の経路を外れる遠出を嫌った御者がイリスとの交渉で譲歩したのがここまでであり、無人となった乗合馬車は馬に鞭打って、すぐにその場を後にするべく回転する。次の街や村への中継地点にない寂れた場所へたった二人を運ぶには、イリスが御者に示した金額はいくらか足りなかったようだ。

 私が実家から持ち出した荷物の半分を左手に引き受けたイリスが、右手で私の腕を掴んで足早に馬車から離れる。残りのかさばる荷物を背負った私は、その強引な誘導によろけた。人通りが絶えて久しい道であっても、乾燥した地域ゆえに下草は茂りはしないが、適応して育つ樹木の根は浮き上がり、元より取り除ききれない岩が路面に頭を出す。起伏に足をとられる私を気遣わないイリスに違和感を覚え目を向けたが、修道服の黒いフードを被って強張った横顔で先を急ぐばかりだ。ホクロはそんな彼の服のどこに潜ったのか、姿を見せない。

 痛いほど腕を引かれて足早にならざるをえない私は、さほど経たずに喉の奥が辛くなって、肺の奥から絞り出される呼気が植物に似た独特の臭気を放つようになる。引きこもりがちに過ごす人間の体力など、幼児と変わりない。体力の限界は早く、倒れ込みそうになる。

 すでに乗合馬車の音は遠く、その影も迫り出した樹木の向こうに隠れたというのに、私が走り出して御者に助けを求めるとでも思うらしい。

 イリスの背に服越しに浮き上がる肩甲骨を眺め、人攫いにあっているみたいだな、と自嘲する。

 誤認がはなはだしいのだ。イリスが左手に持つ荷物も、私が背負う荷物も、家から持ち出した長年の愛用品だ。逃げ出すつもりなら持ち出したりしない。結婚を宣言して、両親に挨拶をさせて、いまさら何もなかったことになどできるものか。

 娘が紹介した相手の正体など両親は知りたくないだろう。不出来な娘がようやく人並みの行動をとったのだ。それがまやかしと知れば、死体を刻む男の気味の悪さを嫌悪し非難するよりも激しく、そんな男と関わりを持った娘を責め立てる。娘の不用意さを嘆き、落ち度だと声を荒げ、重い溜息を吐いて、親としてのささやかでありふれた期待が裏切られたとなじるのだ。


 イリスではなく、私が、両親の抱いた期待に応えられない。


 両親の元へ戻る選択肢など残されていないというのに、イリスはひたすらに森を進み、その歩調が私の体力をやすやすと削る。文句を浴びせようと顔を上げれば、筋の通らない不安に神経を尖らせたイリスの横顔が憐れだ。イリスは私の様子に気がついていないだけ。私の状態に気づいた途端に猛省して態度を一変させる。きっと瞳を潤ませて視線を揺らし、心底恐縮したように詫びながら恥じ入るのだ。だからわざわざ主張などしないでその瞬間を待てばいい。この疲労の仕返しだ、と考えて黙って腕を引かれる。



 忍耐の甲斐があって、イリスがこちらの様子に気が回るようになったのは、ようやく森の終わりが見えた頃だった。周囲の木々が一層乾燥した環境に適応して細くまばらになり、植物のかさついた色を左右に分けるように荒涼とした礫砂漠の黄色が中央に現れる。見慣れた景色に心のゆとりを取り戻したらしく、捕らえた腕を掴む指から力みが抜け、胸をなで下ろすように自分の背後に目を向けた。そこで背負った荷物に乗られ、いまにも膝から崩れそうになっている存在に気がついた。

 さっと青褪め、身体を強張らせたイリスは、慌ててこちらの肩を支えようと腕を回してくる。その腕を押し留めて、彼から離れた。

「ルナリアさん」

 ふらりと上半身を起こせば、土埃に霞む古びた修道院の建物が、景色の左に鶏の卵ほどの大きさで目に入る。建物へ至る途中には、家出した私がかつて行き倒れた岩場があって、大岩が地面からまばらに生えている。そこを通り過ぎれば、切り刻むための遺体を地下に隠したイリスの住処しか、荒涼とした景色の中に存在しない。

「……ち、わる」

 ぼやきは荒い息でかすれる。

 鎖で砂漠の家に繋がれていた頃には、さして気にならなかった仄暗い事実がいまは薄気味悪く物騒に感じられた。肉親と別れの挨拶を交わしたのは今朝のことで、平穏に賑わう街で両親によって手堅く維持された健全な暮らしの感覚が、まだ私に残って違和感を訴える。

 森の出口を左に曲がって進む。よろめくような足取りだったが、それでも人攫いの心に不安は膨らむようで、不意をつかれた者の警戒の声音で名を呼ばれた。後を追われ、横に張り付かれながら歩いて、やがて砂漠の家の表に面した畑の前に立った。畑は野犬など獣の侵入を防ぐ程度の間隔を空けて、顔の高さの木杭で囲われている。

 先んじたイリスが、畑を囲う木杭の柵の扉を開けて中へ促す仕草を見せたが、視線を反らして畑の外側を柵に沿って歩きだす。狼狽したイリスが行く手を阻むために遠慮がちに回り込むのを何度かのろのろと避けていると、柵は建物の横壁に繋がっているために自然と建物の裏へ行き着く。

 冷やりとする陰に入ると、つい休憩してしまいそうになるが、奥から崩れて半分ほどが天井のない横長の建物の外観を見上げて、建物の背面全体が視界に収まるようによたよたと後ずさった。再び陽光を浴びて、肌がチリチリする。一度も入ったことのない背後の森が近づくにつれ、イリスの警戒が色濃くなる。我慢の限界が来たように私へ腕を伸ばしてきたところで、視線を高く固定したまま私は足を止めた。私の目にはくっきりと、空を切り取る崩れかけのレンガの壁が映り込む。


 どうということもない。


 意外性も感動もなく、予想通りの簡素な建物が、表側より壁が崩れず残っている分だけ大きく目に映った。風化に任せてかつて建物があった場所に不規則に積みあがるレンガの山、畑の柵と建物の頑丈な繋ぎ目、飾り気のない壁面には湿って苔むしたあとに乾いた黒っぽい汚れがある。

 私がこの場所で立ち止まっている理由を、イリスが視線でうるさく問いかけてくる。わけがわからないという風だ。

 それはそうだろう、イリスにとっては日常の一部で変哲のないもの。私にしても特別な物があると思ったわけではない。だが鎖に繋がれた私には、半年をここで過ごしても一度として見ることの出来なかった景色だった。


 抱きかかえた鎖の束の重さが蘇る。痛む足首にまとわりつく金属音、自分のペットを見張りにつけていても、建物の外へ出た私の姿が柵に隠れるたびに鋭い声で捜し始めたイリス。


 そこにあるのにいけない場所。私だって何かを期待したわけではない。この建物を裏側から眺めてみたかっただけ。


 鎖で繋がれていた己の不自由さを笑った。






 かつて鎖に繋がれながら眠った、ざらざらと砂粒が入り込む白っぽく乾いたあの部屋。鎖が床をこする音を思い出しながら、見覚えのある二階の戸口を抜けて薄暗い室内へ入ると、かすかに爽やかな香りが鼻をくすぐった。藁や干し草とは別の植物の香りだ。閉め切られて視界が悪く、壁伝いに進んで窓の木戸を開ける。ふり返ると、射し込んだ光に掃き清められた床と、記憶通りに配置された中央のベッド、その脇の小机が浮かび上がった。

 小机には見覚えのない品物が限界を超えて積み上がっている。

 異様な存在感に一瞬足を止め、近づくと、振動を拾った小机が何か小さな物を床に落としたらしくカツンと跳ねた。下手に手を伸ばすと次々と崩れそうだ。


「……なにごと?」


 目を眇めて顔を寄せると、置かれていたのは手前にローズマリーやセージなどの乾いたハーブの束。さきほど感じた香りの元らしい。その横に花模様の金の指輪、ビーズ飾りのヘアピンがあり、後ろにワインの小樽とおそらく蜂蜜漬けの果物の入った壺が積まれている。更にその上部に重ね置きされた素朴な草模様の木製カップとスプーンがあり、色合いの美しい細帯がしなだれかかって、精緻な葡萄柄の櫛がそれに引っかかる……といった有様だった。

 それらがどういった目的でここへ集められたのか簡単に想像がついて背筋がぞわりとする。

 戸口で見守るイリスに背を向ける角度をとりつつ、金の指輪をつまみ上げる。はずみで指がハーブの束にあたって葉が散った。指輪は紙のように薄い金の板に模様を彫って不格好に丸めた粗い作りで、貴族の指を飾るような品ではなかった。しかし材質が金の細工物など庶民が一様に手に入れられるものでもない。材質と細工がちぐはぐなそれは、神経を使う仕事を的確にこなす彼が選んだものにしては粗雑な作りだった。首を傾げるが、怠惰に過ごしていた頃の私を、草臥れた服を着て髪や肌も洗いざらしの状態だったにもかかわらず、きれいだの可愛いだの褒め続けた男だ。単純化された花模様も同じ感性で可愛いと思ったのかもしれない。そっと小机に戻した。

 他の装飾品は金製品ほどの価値はなさそうだが、手慣れた職人の技が感じられた。細帯は色数が多く、櫛の柄は手抜きがない。

 ひとつずつ吟味されて、買い集められている。私の食の好みに合わせた嗜好品が中身と思われる壺と小樽も数があった。

 木製カップとスプーンは、イリスの手作りだろう。ぽってりとした形状に彼の手業の癖が見える。辺鄙な場所で一人暮らすイリスは、建物も道具も自分で修理して、簡単な日常品なら自作していた。この未使用の木製食器には彼なりの新しい気遣いなのか、女性が好みそうな蔓草の柄が縁に彫り込まれている。

 全体に統一感がないのは短期間に目的を持って集められた物ではないからだろう。一か所の市場を歩いてこの品数が集まるものではないし、まとめて買い上げるには持ち歩くのが憚られる大金が必要だ。

 これが上等な女性服の一枚、より高価な装飾品ひとつだけだったなら、消費された金額が同じでも印象は違っていただろう。


 庶民の平凡な女性が一生の内に手に入れる量を超えた贈り物に、彼の執念が薄ら寒くなる。


 床に落ちていたビーズ飾り付きのヘアピンを拾い上げ、自覚した指先の震えに反対側の手を重ねて握りこむ。落ち着け。これは、違う。これらは孤独に暮らす彼の元に、たまたま現れた相手へ捧げられたものだ。あの頃に彼を正気に繋ぎ止める役割を果たすなら、行き倒れていたのが犯罪者でも老人でも男でもイリスは執着しただろう。私である必要がない。

 だから自分とは関係ない、という冷めた感覚が降りてくるのを待つ。

 私は取り乱さずふり返って、入り口に佇む彼に要求した。


「自分からここへ戻った私を、まさか鎖で繋ぐなんて、恩を仇で返す真似はしないでしょう?」


 ――ああ、気持ち悪い。……怖いなあ。でもきっと、また二人きりの生活の中で十日と経たずに慣れてしまうのだろう。








《終わり》



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