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砂漠の家 ~おまけ後日譚~  作者: 言代ねむ
10/15

⑤《市場の日》 後半


 民家の壁に挟まれた細く曲がりくねった道を、女性の背中を追いながらいくつか過ぎて、先程の大通りより半分ほど道幅が狭くなった通りへ出た。景色が開けたと同時に、宿屋とパン屋の看板が目に入る。ロバにひかれた荷車が横を通り過ぎ、立ち話の老人や、買い物籠を提げた婦人たち、近くに居酒屋があるのか談笑する酔っ払いの姿があった。まばらな人の姿に、張り詰めていた肩の筋肉が緩む。賑わいのない細い道を追うばかりでは、こちらが何をしているのかあからさまで、まぎれる人混みがあるのはありがたかった。

 顔を伏せて周囲に視線を走らせる。物乞いや座り込む浮浪者などの不審な人間の姿はなく、市場近くのような、慌ただしく華やぎ、無関心と苛立ちとが交じる雑多な空気は感じられなかった。老人や酔っぱらいが颯爽と歩く女性に目を向けても、その視線は穏やかなもので、治安の不安は少なく思えた。

 か弱い女性が日常的に身を晒す場所で秩序が感じられることに安堵する。

 自分が人を攫おうとしている事実は、遅れて思い出した。


 尾行が目立たぬよう歩を緩めて間もなく、女性が宿屋の斜向いの民家に入って行った。

 自宅だろうか。腰ベルトに通した革鞄の位置を直すふりで徐々に足を止め、歩き疲れて休むように二軒離れた民家の壁に背を預けた。周囲の音をかき分けるように耳を澄ますと室内から会話らしきくぐもった音を拾えた気がしたが、しばらく待っても出てくる気配はない。

 視線を上げると、周囲と高さを揃えたようなその三階建ての建物は、人口が密集した街中ではよくある造りなのだが、採光のために極めて狭い庭を敷地内に残したL字型をしていた。とはいっても庭が道に面して奥に細長いのは少し珍しい。どの家や店も、採光を確保しつつ住人の増加に合わせて庭を削りながら建て増しを繰り返した結果として、小さな庭が敷地に残るのだが、それは大抵の場合、元々採光できる道側ではなく隣家との境にあった。通りからは家の壁ばかりで全く覗けないものだ。

 建て増しする時点で何かしらの兼ね合いがあったのだろうが、女性の入った家の庭は道側に残され塀で囲まれた。その配置の御蔭で庭に面した二階の窓がひとつ開いているのが、塀の上から視線を延ばして確認できた。

 天井付近の壁が見える。棚などの家具があるわけでなく、硝子窓があるわけもなく、市民の家としてごく普通の簡素な部屋なのだろう。

 荷馬車が二台、自分の横を通り過ぎた頃、外から変化の覗えなかった民家の二階の窓に影が揺れた。彼女か、彼女の家族か。

 見上げつつ、通りに人の姿がまばらになった頃合いで、肩に口を寄せて密やかに助手を呼ぶ。

「ホクロ」

 服の内側で、革ベルトに乗るように脇腹にあった小動物程度の重みが、服の内側に爪をかけるようにして背中を駆け上がり、首の後ろを通ってフードのたるみから少しだけ姿を覗かせる。

 無骨な男の手が肩に乗るが、手首の奥にはあるはずの肉体の厚みがない。人によっては大きな蜘蛛と見間違えるかもしれないそれは、男の遺体から切り落とした手首から先に細工を施して命を与えた生き物だ。親指の付け根の目立つ黒子に、人間だった頃の気配が残る。

 縦移動が可能なのは、予め鉤爪付きの指輪をはめさせているからだ。親指と中指と薬指の第一関節付近に三つ。ホクロは主人を傷つけぬよう、鉤爪のあるその三本をそっと曲げ、指示を待つように私の頬に身体をよせた。

「見つからないことを最優先して、私の視線の先の家に何人いるか調べてください。どの部屋にルナリアさんらしき女性がいて、近くに人がいるかどうかも。終わったら家の中で身を潜めて、日が暮れる頃に二階の窓を閉めたまま閂を外してこの場所へ戻ってください」

 ホクロは少し遅れて私の肩を人差し指で二度叩いた。教え込んだ「肯定」の合図だった。

「……私も荷車と縄を用意して日が暮れる頃にここへ戻ります」

 そう伝えて、ベルトに通した革鞄から指輪を三つ取り出した。どれも薄い円形の飾り部分に、直線を二つ重ねただけの粗雑な魔除け記号が複数彫り込んである。全体的に歪んでいて装飾的価値も資産価値もなく、貧しい暮らしの人間が気休めに家族に持たせるお守り程度の品だ。

 そのひとつを自分の左の薬指にはめる。隣の指をずらし、円形の端に親指の爪をかけると、三分の一ほどが扉の構造で内側に折れ、記号に紛れていた短い針が空中に現れる。針に掘られた溝に茶色い液体が絡んでいることを確認して飾りを戻す。仕組みは左右対称になっているので、反対側も同じように確認する。残りの指輪も次々とはめかえて確認を済ませた。最後のひとつは自分の指に残す。

 右手を袖に隠してホクロを掴み、鉤爪の指輪を避けて、空いている人差し指と小指に隠し針の付いた粗雑な指輪を押し込んでいく。

 睡眠薬の中和剤となる丸薬を取り出して口に入れ、道を進みながら塀の角にホクロを放つ。



 日が落ちれば闇に沈むのは村でも街でも大差ない。宿屋から漏れる明かりは比較的目立つものだったが、通りを見渡すには役立たず、距離にして二軒ほど離れた場所に用意した輸送道具の輪郭は町並みに同化した。手探りで手押しの荷車と木製の空箱を足場に塀を越え、目的の民家の庭に侵入した。いまは閉じられた二階の窓を確認しつつ、月明かりに目を馴染ませる。

 ホクロは家人の数をはっきりと確認できなかった他は仕事を果たした。慣れない場所で複数の指示を与えるのは初めてのことで、不足の事態やいくつかの抜け落ちを覚悟したが、まずまずの成果だった。昼間に窓が空けられていた二階の部屋には、彼女以外の出入りはなかったらしい。彼女が眠るのもその部屋と予測する。複雑な指示を避けたために閂を外す窓の指定は二階としか出来なかったが、他の指示が関連してホクロが閂を外したのもその部屋になった。

 家人は一階の一室に集まっているようだ。時刻から考えれば食事の最中だ。

 ホクロを屋根まで登らせて、手がかりとなる結び目を等間隔に作った縄を屋根にかけさせた。狙ったタイミングで登り始めるより、降りる方が簡単だ。彼女の部屋を覗いて可能なら身を隠し、不可能なら屋根での待機を決めて民家の壁を登った。



 屋根から垂れる縄を握って慌てて外に飛び出し、慎重に閉じ合わせた窓が、内側からガタリと鳴る。地面は足の先から遠く、夜露を含んだ風が頬を打つ。二階の外壁付近の不安定な足場で、とっさに身を隠すこともできずに身を強張らせた。

 無人の間に潜むことを考えた女性の部屋が、小さく簡素で適した場所がないとは、先程窓から侵入してすぐに気がついた。部屋の隅に寄せられていた物置代わりの椅子をどけて、扉の影で女性の入室を狙う手段をとれるか判断に迷っている内に、階下の扉が開く音を聞いて、窓の外へ引き返すことになった。

 部屋に入った誰かが持ち込んだ明かりをどこかへ置き、ベッドに腰掛ける音を窓からじりじりと遠ざかりながら聞いた。

 一旦屋根に登ろうとしたが、間の悪いことに屋根が音を立てた。それは家自体が軋む音で、原因は一瞬だけ強く吹いた風だった。住人なら聞き慣れていたと思う。

 しかしどういった気まぐれか、部屋の中の人間が立ち上がり窓辺へ近づく足音が聞こえたのだった。

 そして息を止めた私の目前で木戸は開かれ、大通りで見かけた美しい女性が別方向へ首を伸ばしながら青い闇の中に現れた。自宅前の通りを見下ろそうと身を乗り出したらしいところで、ごく近くにある人影に気がついた。女性は肩を跳ね上げ、後退りながら私と目を合わせた。


 この瞬間まで、私は女性がルナリアさんだという絶対の自信を持っていなかった。もし彼女を攫う段階で人違いが判明したならば、それでも誘拐を実行するのか、我が身の危険を承知で中断するのか迷いがあった。女性に夫がいたら、子供がいたら、悲鳴を上げてそれを主張されたら、私は精神的に耐えられるのか。


 しかし予想外の自体に陥った。


 室内からの微かな明かりで、女性の右半分が照らされていた。容貌は確認できる。結い上げきれずにこぼれ落ちた後れ毛が優雅に縁取るその中心で、くっきりと印象的な瞳が緊張に揺れ、意志の強さを感じる眉が皺を作っていた。小さく整った唇と、いくらか不健康そうに灰色がかった肌に退廃的な雰囲気が漂い、欠点らしい欠点の見当たらない都会的な容貌に、好ましく気持ちはひきつけられたが、それを上回る情報を読み取れない。


 間近で顔を合わせてなお、私は女性が何者なのか判断がつかなかった。


 取るべき行動はわかっていた。女性がルナリアさんであれ、別人であれ、女性の口を塞いで部屋に入り込むのだ。指輪の毒針で意識を失わせ、女性がルナリアさんなら家人が寝静まるのを待って一階へ降りて運び出す。別人なら申し訳ないが体調の不良と共に記憶が混濁する薬を飲み込んでもらう。

 もし口を塞ぐのが間に合わず、声を上げられて異変を家人に察知されたなら、ナイフを取り出し女性を人質にして家人の行動を牽制する。玄関を目指しながら、追いかけてくるであろう家人たちをホクロに背後から襲わせて指輪の毒で眠らせる。


 わかっているのに、執着したたった一人の相手を見分けられない自分への衝撃に動きが鈍る。


 縄を握る自分の手が冷たく汗ばんでいく。足を踏み外さないかという不安が膨らむ。木戸が風に煽られてギイギイと揺れ、私の前で時間の流れが鈍くもたつき出した。

 計画の躓きから立ち直りきれない私に対して、女性がぎこちない表情を意外なものを目にしたという程度に緩めた。状況に似つかわしくない態度の軟化に疑問が溢れる。戸惑う私を見据えて、女性は悲鳴も誰何も一言も漏らさず唇を引き結び、心底呆れたような冷めた視線を投げかける。

 その突き放した仕草に、見覚えがる。……懐かしく、憎らしく、愛しい。

 迷いが消えた。


 ――ああ、私の知っている女性だ。間違いなく。





 母と共に夕食作りを終え、父母と末の妹と私の四人でテーブルを囲んだ食事の間、部屋の隅に五人目の人間に立たれているような感覚が拭えなかった。

 勿論そんな事実があれば、代わり映えのしない家族の夕食の時間が滞りなく進むはずもなく、それぞれの顔を見回せば、父は手元だけを見て自分のペースで好きな物を食べ進めているし、母はテーブルを見渡しては、皆が進んで手を伸ばさない料理を見つけて自分から積極的に消費している。末の妹は父よりは気にかけて、皆に行き渡る前にひとつの料理を食べ切らないように好きな物をつまむ。

 調子を乱されていつもより食が進まないのは私だけだ。テーブルの上は他愛ない会話が行き交っていた。

「ルナリア、あの子たちは明日こっちに来るって云っていた?」

 母が皿のひとつに視線を落として私に言葉を向ける。昼過ぎに私が上の妹と市場の買い物へ出かけたからだ。余りそうなおかずを食べきるべきか、手を付けずに包んで、この場にいない既婚の娘に持ち帰らせるべきか母は迷っていた。上の妹が嫁いで数年経つが、長生きした祖父母と婚期の遅れた娘が三人揃った生活が長かった母は、家族が減っても料理を作り過ぎる癖がある。

「聞いてないけど……明日は雨が降りそうだから、来ないんじゃない。旦那さんの仕事が多分、休みになるでしょう?」

 既婚の妹は幼い娘を連れて頻繁に実家に顔をだすが、自宅にいる夫を放ってまで実家を訪れはしなかった。義弟は働き者の大工だが、雨の日は仕事が休みになる。

「そうね……でも一応残しておくか」

 母は意見を聞き流し自分の判断をつぶやく。末の妹が「ねえ、残るなら私がもう少し食べたい」と口を挟む。ちぐはぐな会話はいつものことなので気に留めず、自分の気がかりに意識を戻した。

 それは部屋の外に別の気配があるということでもなかった。生まれてからの年数とほぼ同じだけ住み続けている家の中では、他人が入り込めば扉越しの足音でも気づく。母が台所で鍋を動かす音と、妹が動かす音は不思議と違いがあるし、父が台所にある唯一の戸棚を開閉する音は無造作に大きく響くので間違えようがない。

 六年前に亡くなった祖母が、最後の数年を膝を痛めて引きずるように歩いた重い歩調だって、この耳はまだ覚えていると思う。

 だから錯覚だと理解してる。

 予感がそういった形をとっているのだと、テーブルの中央に盛られた桑の実とサクランボを眺める。潰れた果実が多いのは、市場の帰りに籠から籠へ強引に分け合ったからだ。不満を漏らしながら、視力の弱い父が目を眇めつつ潰れたものを避けて、大粒の色よい果物から口に放り込んでいく。果物に興味がない母と末の妹はあまり手を出さない。市場で一緒だった既婚の妹も同じ調子だった。

 口約束を破って家まで送れなかったが、幼い姪だけが今頃ぷっくりと小さな指を赤く染めてこれらをつまんでいるのだろうか。



 それぞれが自分勝手に意見を投げて、相手の返事を聞き流す家族の団欒をやり過ごし、膨れたのかわからない腹で自室に戻って蝋燭一本の明かりで休んでいると、窓の外で何かが軋むような物音がした。聞き慣れない音ではない。普段なら風の仕業と気に留めない程度のそれがきっかけとなって、閉め切った木戸の向こうに、道端に佇んでこちらを見上げている男の姿があるのではないかという想像が膨らんだ。

 日が沈んでから閉めたつもりだった木戸の閂が外れている。ぴたりと閉じ合わさるのは珍しいが、閉めたと思ったのが記憶違いで風に煽られて勝手に閉じたのか。

 通りを見下ろすために窓を開け身を乗り出した私の視線は、そこにいた彼を一度空振りした。窓枠にかかるあるはずのない大きな影に弾けるように顔をあげて、手の届く距離に迫っていた彼に息を呑む。

 望まなかった予感通りに、彼はそこにいた。どう用意したのか、屋根から垂らした縄を掴んでバランスを取りながら、壁面のわずかな出っ張りに足をかけて、こちらを凝視していた。

 予想外の距離に驚き、予想通りの彼の行動に驚く。身体が鳥肌立って強張り、身動きが取れなくなって混乱を呼びそうになるが、彼の顔に等しく動揺が見えると、呆れが急速に膨れ上がった。

 なだらかになった感情で温度低下した視線を注ぐと、二年ぶりに見る彼は少し困ったように微笑んだ。



 二年を経ても変わらず、イリスは極端な行動と裏腹に柔和な印象の男だった。民家に不法侵入しようと壁を伝っている状況でさえ、路地裏で荒れた暮らしを送る無法者や、市場で活気よく働く者たちにはない気品のようなものが所作に滲む。

 仮に神に仕える静かな暮らしを選んだ貴族の子弟だと云われたら、信じてしまいそうになるが、実際の彼は貧しい農家の生まれで、血縁は知る限り亡くなっていると、望まぬ半年間の軟禁生活の中でぽつぽつと聞かされた。幼い彼を引き取った師匠が厳しい人だったという話が、生まれに似合わぬ物腰に繋がっているのだろうか。

 実際の王侯貴族の優雅さとは別物なのだろうが、物静かで無駄のない立ち居振る舞いは、あの頃、見ていて十分に心地よかった。

 状況を考えれば、私を殺すか攫いに来たのだろう。目が合ったときの表情で、殺す気はないと判断する。良くも悪くも彼は素直で、悪意や害意を笑顔で包むような男ではなかった。私を殺しに来たなら、哀しい顔をしただろう。

 彼の存在には市場の帰りに気がついた。妹の子を抱き上げながら、周囲へ流れた視界を彼の姿がかすめた。

 大通りの賑わいに紛れて距離もあったが、隠れようともしていない。修道服姿の人間は他にも歩いている。だからといって、顔を隠しただけで自分の正体も隠せると彼は思っているのだろうか。

「思ったよりこの子が成長していて重い?」

 隣から買い物籠を二つ腕に提げた上の妹が尋ねた。

「……確かに重くなったねえ」

 しっとりと熱く重い幼児の身体を抱え直しながら答え、密かに上の妹の顔を見やる。子供の頃から日焼けしない体質で、家族の中で一人だけいつも色白だった。

 私よりふっくらとした唇とすっきりとした頬のラインで、鼻もわずかに高い。自分の顔に感じる些細なコンプレックスを修正したような容姿だと、少女時代は思って過ごしてきた。成長してお洒落にこだわるようになったこの妹と、身なりにあまり構わないで、妹たちに注意されながら髪や服や小物に気を配るようになった自分とでは性格もかなり異なる。


 さて、この妹は、彼の目に私に似て映るだろうか。

 そしていつだったか彼は、幼子を自分の子にして家族を作りたいと云ってはいなかったか。


 分担して市場で買い集めた食料を、上の妹の家まで運んで分ける約束だった。このままでは彼を妹の家まで案内してしまう。

 不意に立ち止まって動かない私に、妹が問いかけるような目線を向ける。

 ねえ、悪いんだけど、と前置きして抱えた姪を妹へ渡す。

「疲れたからこのまま帰ることにするよ。この子も疲れて眠そうだし、あなたもすぐに帰りなよ」



 私とは別の形で自宅に引きこもっていた男が、遠いとも近いとも云えない距離を移動して私と再会することはないだろうと高をくくって生活していたが、一方でこんな日が来る可能性を想像しないでもなかった。


 これが二年前の逃げ出した直後だったなら、事情は違った。どこかから視線を向けられているような不安から、目に入る黒っぽい衣服のすべてに心の内で怯えていた。

 だが思い過ごしが積み重なり、住み慣れた街の空気に馴染んで安全を実感できるようになると、人間は同じ衣服を着ていても体型で見分けがつくことを知った。その姿勢や足運びにも個人の癖が出る。

 最初に見分けがつくようになったのは、大柄な人間だった。腹を突き出してがに股で歩く修道士と、猫背で萎縮したように歩く背の高い修道士。慣れてくると肉体労働者のように胸板が厚く肩幅のある修道士も見分けがついた。次に肩をいからせて歩く中肉中背の修道士と、肩の丸い優雅な足取りの修道士で、貴族出身かと想像した。

 両手を後ろで握って前屈みにふわふわと歩く人は遠目でも年寄りなのだろうと思えたし、大股で軽い足運びの人は修道士になりたての若者に思えた。

 イリスの体型は細く薄くなめし革のようにしなやかで強そうで、上の妹に似ていた。姿勢正しく几帳面で慎重な足運びだった。

 だから、フードを深く被っていてもすぐにわかった。



 ため息を付いて、窓の外へ手を差し出した。

 彼はいぶかって私の手を凝視し、私の顔と見比べた。

「……入って。様子だけ見て帰るつもりなんてなかったんでしょう?」

 妹の部屋が近いので、声量を控えた。

 不信感を強く顔に浮かべて動こうとしない彼に、温度のない言葉を投げる。

「また、他人との話し方を忘れているの?」

 怯えた眼差しで鋭く部屋を見回した彼は、他者の姿がないことを確認しておずおずと部屋に入った。

 縄から手を離すと、蜘蛛のような動きで窓枠を伝ってホクロが降りてきた。見ない間にずいぶんと装飾が増えたと思えば、全ての指に妙な指輪をはめている。装飾目的などではない。内側に鉤爪を備えている。魔除けの記号がついた指輪もある。

「私を殺しに来たの?」

 見据えると、彼は横に首をふる。

「連れ戻しに来たの?」

 家族を気にしてかすかな声で問うと、相手は哀しみや罪悪感の気配のあるなんとも云えない表情で私を見返した。

 私がこういう態度をとるだろうことは、彼も予測していたに違いない。別れ際を思えば、妄想でも温かな再会を期待することは出来なかっただろう。

 微笑みひとつ向けず、優しい言葉をかけるでもない相手に執着する彼は滑稽だった。

 出鼻を挫かれ取るべき行動に迷っている彼の手首を掴む。腕に金具が当たり、ホクロと揃いの魔除けの指輪をしていることに引っかかりを覚えつつ、身体を硬くする彼を引きずるように扉へ誘った。ホクロが主人を引き留めようとするかのように足首に飛びつき、黒い裾の下に隠れた。

「来て。両親に挨拶してくれるなら、あなたの家に戻ってもいい」

 訳がわからないという風に不信感を強くする彼の耳元で脅す。


「来ないなら悲鳴を上げる」


 廊下で目を丸くした妹と出くわし、ついてくるよう促した。

 食堂でくつろいでいた父親と、洗い物を済ませたところの母親に声をかけ、突然家の中に現れた見知らぬ青年を家族へ紹介する。目を丸くしたり、怪訝な顔をしたりする両親がなにか言葉を発する前に宣言する。


「私、家を出ていくわ。この人と結婚することにした」








《終わり》



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