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砂漠の家 ~おまけ後日譚~  作者: 言代ねむ
1/15

①《来訪者の日》 前半

 薄青い空の下、庭の畑にすきを入れていると、ホクロが乾いた土の上を走り込んできて、足代わりの無骨な指を私の前でバタつかせてなにかを訴える。切り落とされた男の手から作った見た目もそのままの自作のペットは、知能はあっても声を出せない。

 顔を上げて庭の囲いの向こうに目を向けると、礫砂漠の端にある森の入口に細い人影が見えた。こちらに歩いてくるようだ。荷馬車をひいていないので、半年に一度だけ訪れる顔馴染みの死体運びの業者ではない。

「ホクロ、私の側で身をひそめて、私が呼ぶまで彼らに姿を見せないでください」

 岩の混じる乾いた地面ばかりが遠くまで続く荒涼とした景色の中、唯一の目印のように存在する小さな修道院跡の建物は、すでにあちらから注意を向けられているに違いなかった。

 その庭に立つ男の姿も目に入っているだろうか。

 農具を庭の中央の耕して小高くなった土へ突き立てる。顔馴染みの業者が訪れた場合、この家へ来客があったことを遠くから知らせて注意を促す合図だ。

 何気ないそぶりで家に入り、戸口に鍵をかけて二階へ駆け上がる。

「ルナリアさん! どこですか」

 同居女性の姿を探し、次に石の床に伸びる鎖を探して視線を低く見回す。彼女が部屋から出ているのなら、扉の下部を半円形にくり抜いた手のひらをさしこめる程度の穴から鎖が伸びているはずだが見当たらない。

 彼女の寝室にあてている部屋の扉を開けた。木戸の隙間から細く光がさし込む薄暗い部屋のベッドに、眠る女性の姿がある。彼女の片足を繋ぐ細長い鎖がベッドのシーツの間から床に落ちて溜まっている。その先は部屋の中央の床石の一つに繋がっている。

 肩を揺すると、瞼をこすって不機嫌に身体を起こした。艶やかな黒髪が肩を滑る。習慣となっている昼間の睡眠を妨害された彼女が私を睨みあげた。

「森から人が出てきました」

 そう告げると、表情を変えた彼女が鎖を鳴らしながらベッドを反対側へ滑り降り、窓を開けようと手を伸ばす。私はシーツの上から体重をかけて鎖を抑えつつ素早くベッドを乗り越え、鎖を踏んで彼女の腕を掴んだ。

「いけません」

 背の高い彼女の目を少し見上げるように捉えて強く云い渡す。

「人が立ち去るまでこの部屋に隠れていてください。音も立てないでください」

「……私があなたに従う理由があると思うの?」

 彼女は反発心を隠さない。

「私以外の人間が、私よりもましな扱いをするとは限りません」

 簡潔に返すも、眉をよせて懐疑的な彼女に危険性を云い含める。

「鎖に繋がれた女性を見つけて、なにをしても良いと考える人間がいないと思いますか」

 強気な青い瞳に怯えが浮かび、疑問に揺れる。考え込むように立ち尽くした彼女の肩を押してベッドに誘導した。無闇に脅したいわけではないが、彼女には世間知らずで不用意なところがある。

「食事とトイレはあとで用意しますので」

 云い残し、部屋に鍵をかけるべく扉へ向かう。

「イリス」

 私の背に彼女が問いかけた。

「親切な誰かが私を助けようとしたらあなたはどうするの」

 肩越しにふり返り、彼女と視線が重なる。

 私が、どうするか? ――親切な誰かを? 彼女を? どうする――と? 

 頭をよぎった様々な言葉にし難い映像を、的確に表現し削り整えるのは容易ではない。悩んだ私が口を開く前に、彼女は私の瞳からなにかを読み取ったように身震いして目を伏せ、己の腕をかき抱いた。どうやら説明は必要なくなったらしい。



 ルナリアを閉じ込めた扉を背に大きく息を吸い、吐き出す。あとは手の中の鍵を隠せば、扉一枚分の安全が得られる。

 街や村を追われたならず者がここに辿り着いた可能性はあった。旅人を装った賊の下見も考えられた。盗み目的より、根城を得るためだ。

 階段を降りながら、ドアをノックする音を聞く。

 ホクロに鍵の隠し場所を教えたあと、毒針を持たせて玄関近くの家具の陰に潜ませた。

 対処に失敗したなら、ホクロには毒針を持ったまま彼女の部屋へ扉の穴を通って入り、彼女を守るよう追加指示もしてある。

 腰の革ベルトに下げたナイフの位置を確認し、なに喰わぬ顔で私は扉を叩いた相手を出迎える。

「どなたでしょうか」

 人好きのする笑顔が一晩の宿を借りられないかと申し入れてきた。そこに立っていたのは簡素な緑色のショート・チュニックにズボンと長靴下と短靴のありふれた庶民の服装をした男だった。荷物をつめた布袋を肩に背負い、痩せて背が高くそこそこのハンサムだ。やわらかそうな黒い短髪に黒い瞳で二十代後半くらいだろう。

 意外だったのは男が隣に五、六歳の男の子を連れていたことだ。


 夕食時に作り置きの乾燥豆のスープと黒パンでもてなしながら話を聞いた。

 テーブルに着いて黒パンを一口ずつちぎる子供の存在によって、警戒心はほとんど失せていた。男と似たりよったりの服をだぶつかせて着て、別の動物のような小さな手を動かして、小さな口に食べ物を押し込む。幼児をこんなに近くで見たのは何年ぶりだろうか。

 子連れを装った盗賊の下見の可能性も残るが、寂れた場所の廃墟暮らしを襲うのにそこまで手間をかけるとは思いにくい。

 ただ子供は男に似ていなかった。、髪は癖毛でボサボサ、目が細く、つやのない白い顔にソバカスが散っていた。それでも髪と瞳の色が同じであるし、年齢差から親子だと推測するが、男は否定した。

 男は旅の絵描きで、子供は甥だという。一年ほど前に兄が亡くなり、ひき取ったところらしい。

「この子は義姉さん似なんだ。僕とは似ていないだろ」

 隣から男が子供の頬をつつく。子供は身内のからかいに慣れているのか、不快そうではあるが反応をしない。叔父がひき取っているならその義姉も亡くなったのだろうか。

 幼いのに子供らしい無邪気さや行儀の悪さがなく、口数も表情も叔父と正反対だ。境遇がそうさせたのか、そもそもの性質か。

「大人びたお子さんですね」

 そんな子供も一定数はいるものだが。

 食事を手早く終えた男が、布袋から筒状に丸めた羊皮紙をいくつも取り出して一枚ずつ広げ始めた。自作の絵画だという。

 男は話し上手で、最近の街の様子や、これまでに旅してきた場所や、仕事の失敗談などの他愛ない話を、絵の説明を交えてテンポよく展開していく。隠しておきたい同居人のことがなければ、時間を気にせず楽しめただろう内容だった。

 男の絵は無難で平凡に見えた。風景画がほとんどだったので、旅の思い出がほしい人間や見知らぬ土地に思いを馳せたい人間にはそれでも十分だろう。話上手なハンサムに旅の思い出と共に勧められれば、旅先で浮き立った気分のご婦人方は機嫌よく夫や父親に絵をねだるだろう。

 ご機嫌なご婦人方の一人は、私に捕まる前、あるいは私に無事に帰された場合のルナリアかもしれなかった。

 こんな場所で鎖に繋がれていなければ、彼女は家族や友人たちと旅行に出かけ、どこかの街角で絵を並べて人よせする男の話を楽しんだかもしれない。もしもいま、ここに連れてくることが可能だったなら、男の話に笑顔になったかもしれない。

 考えごとに意識がそれていたらしい。男がやわらかく言葉をとめていた。注意が戻って目が合うと親しげに笑いかけ話を再開した。

 男の話術に感心した。声だけ明るく一方的に話しているように感じていたが、こちらの様子に気を配っている。相手の耳に入っていないようであればタイミングを待ち、表情でひきつけてから会話を進めている。

 私はこんな風に相手の気持ちを推し量りながら、絶妙なタイミングで表情やテンポを変えて会話をしたことなどない。

 もしかして彼女はいつも退屈していたのではないのか。自分のペースで自分の毎日を話すだけの私と会話している間、ずっと。目の前の男は何気ない出来事さえ、切り口を変えてくすりと笑える話に仕上げている。

 なんとも云えない胸のむかつきを感じた。この想像は精神衛生上よくない。彼女を誰かに会わせるつもりなどないのだから、想像などしなくていい。

「なにか気になることでも?」

 男が私の顔色を読み取る。

「いいえ、なんでもありません」

 取り繕うようにほほえむ。もし鏡を覗いたなら惨めな人間がこちらを見返していることだろう。

 男が話を変えた。急に、この子は大人並みの絵を描くのだ、と自慢を始める。当の本人は不器用に木のスプーンを口に運ぼうとしているところだ。

 気もそぞろな私を見て取って、話題を単純なものに取り替えたのだろう。

 明るい親馬鹿なエピソードのいくつかを聞き流しつつ、幼児に死体の模写も可能だろうかと考えた。地下室で自分と幼児が死体を挟んでスケッチに没頭する様子を想像する。以前彼女に、幼子が行き倒れていたら私たちの子供にして皆で家族になりましょう、と話したことがあった。

 いいや、あれは孤児の場合の話だ。ここにいるのは保護者つき。ただの思いきを打ち消し、会話を続ける。尋ねられて私は自分の仕事を古い医学書の研究と答え、付近の共同墓地を守っていることや、自給自足が基本のここでの生活の不自由な部分を説明した。

 気がつくと子供が食事の手を止め幼い瞳をまっすぐに私へ向けていた。不思議に思っていると、男が面白くなさそうに子供の髪をくしゃりとかき混ぜた。

「うれしそうだね、お前」

 子供が無言のまま唇を尖らせる。私にはどこがうれしそうだったのかわからない。

「どうなさったのですか」

「イリスさんの口調がこの子の亡くなった父親と似ているんですよ」

「あなたのお兄様ですか?」

 はい、と答えた男の横顔に皮肉が短く浮かぶ。男は次の瞬間には笑顏をこちらへ向けていた。

 男の事情に立ち入る気はない。

「ところでイリスさん、さっきから気になっていたんですけど、一人暮らしじゃないですよね。同居の人は一緒に食べないんですか」

 側の炉に吊るされた鍋の中身の量を確認して男がいぶかる。食べ終え空になった木皿の数からも予測できたことなので、用意していた嘘を吐く。

「ええ、妻が病気で寝たきりなので、食事はあとで部屋へ運びます」

「こんな場所で病気ですか……気がかりですね」

「伝染る病気ではありませんが、二階には近づかないようお願いします。静かに寝かせてやりたいのです」


 「寝たきりの妻」の分のスープを取り分けると鍋を炉から外し、燃え残っている薪を灰に埋める。炎は消えても灰の中で薪はくすぶり続けるので、朝になればまた取り出されて種火となる。

 絵描きたちの寝床は、炉が燃えている内に納屋から三人で藁を運んで炉の近くに設えていた。平らにならして、シーツを被せる。炎の暖かさが藁に移って心地よいのか、子供は頬ずりすると、こてんと身体を横たえ、すぐに寝息を立て始めた。その人形のような頼りない身体に、自分の隠しごとでそれていた注意が向く。

 こんな子供を歩かせて旅に出るなど無茶ではないだろうか。子供としては小さくても、荷物としては大きい。鍛えた肉体を持つでもない男が、背負って長距離を移動できると思えない。

 こちらの疑問をよそに、革靴を脱ぎ捨てた男が子供をまたいで奥に身体を横たえた。甥と一緒にシーツをかぶる。

「お休みなさい、イリスさん」

 挨拶と共に、シーツの端からひらっと指先をふる。自分と同年代の男のまるで子供のような軽快で無造作な動きに戸惑うが、不快ではない。

 この男が殺されるところを想像する。いまの愛嬌を思い出して胸が痛むだろう。絵描きなら指を潰すだけでも気の毒だ。

 彼らがどんな風に旅をしているのか知らないが、互いの平穏を乱すことなく立ち去ってほしいと願う。

 地下室には厳重に鍵をかけた。ホクロも空き部屋に潜ませている。ルナリアを鎖に繋ぐことになったときのような失敗はしたくない。

「はい、ゆっくりお休みなってください」

 食卓を照らしていた燭台とスープと黒パンをお盆に載せて、台所兼食事部屋をあとにする。

 さて、急がねばならない。監禁している彼女には、食事よりも先に室内での用便のために空の壺と藁を運び込むべきだった。手洗いのための水瓶も必要だ。室内にトイレを用意される彼女の不機嫌な表情が浮かんだ。

 今回は機嫌が直るまで何日かかるだろう。孤独な暮らしを思えば他人の機嫌をとるのもそれなりに楽しいが、私の都合で不自由を強いられる彼女に不要な負荷を与えたいわけではない。すでに排便を我慢して怒っていないければいいと思った。









《後半へ続く》



投稿前の文章チェックしてくれた身内が「この一文で前半終わるの!?」と云いました。

なんのことかと思いました。

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