#002 ベレトの塔 1
「お前は自分が何者なのか分からないっていう顔をしているな?」
それは影だけだった。
カナリーはランタンの明かりを落とさないように、慎重に前に進んでいく。
「他の者達に興味は無いが、お前には、興味が湧いた。お前のその力は一体、何なんだろうな? 何かを抑圧しているように思えるがな」
まるで、彼女の心の底を覗き込むような声だった。
「貴方は、……何?」
「私は影のような存在だよ。少しだけ違うかもしれないがな」
その人物は、くくっ、と笑う。
「これから先にいる者は、生贄の儀式に取り憑かれた者だよ。お前はきっと、何か強いトラウマがある、っていう顔をしている。お前は自らのトラウマを乗り越える為に此処に来たのか? なら、お前の運命に興味があるんだよ」
カナリーは息を飲む。
ランタンを間違って落とさないように、強く握り締める。
暗闇になってしまうと、この影に心を全て飲み込まれるような気がした。
「処でこんな話をしたいと思うんだ。ある街の文化の話だ」
影は、取りとめもなく話し始める。
「ある街の文化の事だよ。そこは電化製品の技術はそれなりに発展していて、パソコンも小型電話機も普及しているし、TVに、アニメも流せるんだ。ビルも並んでいる。でも、原始的な文化が伝統行事として、残っているんだよ」
流暢に奇妙な話を紡いでいく。
「ある街の事だが、そこでは、伝統的な行事として、供犠が残っているんだ。生贄の儀式だな。年端もいかない少女を使って、少女を十字架に磔にする。台座の上に鎖で繋ぐ場合もある。そして、国民の見ている前で、その少女は生きながらにして、ワニや蛇や、大トカゲによって貪り喰われていくんだ。巨大昆虫や食虫植物の場合もあるな。それは、その街の宗教だからだ。少女は半裸だったり、裸体を晒していたりするらしい。その行事は年に数回は行われて、その映像は配信され、写真や絵ハガキ、アニメ絵による戯画などにされて、商品として売られるそうだ」
影は、語り続ける。
「つまり、この伝統は街おこしの為の『商品の形』なんだな。残酷な生贄が見世物として、伝統行事になっているんだ」
カナリーの頬から、汗が流れ落ちる。
「儀式には生娘が使われるそうだが。儀式用に選別された少女が生娘では無いと判断された場合、別の儀式に使われるそうだ」
彼女は何を話しているのだろう、カナリーの理解を超え始めていた。
「その別の儀式だが、公の場では公開されないが。最低、七日間。長くて、一ヶ月以上に渡って、身体に食虫植物の種や、食人虫の卵を植え付けられて、少しずつ、長い間、苦しみ続けて死ぬ事になるそうだ。しかもその光景も、映像に映されて、フィルムやアニメ化されて売られるそうだ。何でも、どちらの儀式も、犠牲になる少女の顔、容姿を模して、ペンダントやコーヒー・カップの柄、ポスターなど、あらゆる商品として出回るそうだ。そのイベントが行われる前は、しきりに街中に生贄の娘の顔写真が印刷された宣伝ポスターが出回るそうなんだ」
一体、彼女は何を話しているのだろう?
きっと、悪趣味な冗談なのだろう。カナリーはそう判断する事にした。
†
ミキシングは愚図だとよく人から言われた。
もしくは、呆け者、馬鹿者、昼行灯、呼ばれ方は様々だ。
だから、必死で道化を演じた。
場を和ませる役回りをしていた。
屈辱を隠す為に、笑った。
けれども、そんな事をすればする程、余計に周りから嘲笑される。彼は耐えられなかった。
そんな人生を送る中、ドーンの中枢の噂を聞いて、彼は生涯を掛けてでも、そのものに近付こうと思った。そう、中枢にいる人物が、自らの下で働いてくれる者を募っている事をだ……。中枢の下で働く事においてのメリットは少ない。普通の賞金稼ぎをやっていた方がよほど儲かる。ドーンの基本の仕事である、色々な人間や国から賞金をかけられた賞金首を始末する仕事の方が、稼ぎは多い。だから、普通は稼ぎが多く、リスクも少ない方をやる。
だが、そんなものよりも大切なものが、彼には欲しかった。それは自尊心だった。
中枢からの特別任務を行う度に、これまで自分を見下してきた奴らを逆に、見下せる。
マトモに給料は支払われないかもしれない。
あるのは、名誉だけだとも聞く。
充分だった。
これまで、自分を馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたい。それが、彼にとってのシンプルな人生の意味だった。
そして、彼の方から、メビウスに近付いた。
たとえ、足手まといになっても構わない。とにかく強大な地位にいる者の傍にいる事、それが彼にとっての精神の支えになった。今まで自分を馬鹿にした奴らを見下せる。
霧のような人生に、道が開けるのだ。
……そうか。それ程、私に付いていきたいのか。
彼は必至で懇願した。
……まあ、構わない。これからはお前は私直属の部下になり、特別任務に付いて貰おうか。ランキングに標記されていない者達を始末する事になるだろう。
そして、普通のハンター達よりも、シビアな仕事が多いのだろう。だからこそ、やるだけの意味はあった。
そんな仕事を、メビウスは了承してくれた。
光明が差し込んできたような気がした。
特別任務は大変だったが、仲間達は温かかった。もしかすると、彼らもはぐれ者達ばかりだったのかもしれない。
給料の方は、それなりに支払われた。
メビウスの手ではなく、初老の男から手渡された。彼は土地を使って、資金を集めているのだと言う。そして、メビウスに強く忠誠を誓っているのだと言う。初めて、給料の入った封筒を手渡された時、彼は人生の勝者になれたのだと実感した。
†
人の肉を切った包丁や、ナイフ、小刀が壁に立て掛けられている。
血塗れの、白いドレスと纏った長い金髪の男が、物音に気付いて振り返ったみたいだった。
まさか自分が、最初に、ベレトの下に辿り着くとは思わなかった。
ゴードロックか、花鬱か、どちらかだろうと思った。
ミキシングは、鼻息を荒げる。
「ムシケラが。よく来たな」
ベレトは、本当に小さな甲虫か、ミミズでも見るような眼で、ミキシングを見ていた。
「他にも侵入者がいるみたいだな」
ベレトは、腕に付いた血を、布で拭いていく。
そして、肉切り包丁を握り締め直す。
「お前から解剖してやろうか? お前に恋の詩を並べたくはないがな」
ベレトは冷酷な瞳で告げる。
大柄の太った男は、自分を奮い立たせる。
ミキシングは、両の拳を突き出す。
触れたものを、爆破する拳だ。それは多重にも重なり、爆発していく。それは一つの音楽だった。彼はこれで、ベレトを倒すつもりだった。
しかし……、この部屋の中で、奇妙な事が起こっていた。
空中に。
ナイフが制止していた。
まるで、見えないガラスの上に浮いているかのように静止していた。
気付くと。
周り全てが、ナイフや、斧、刀剣などによって囲まれていた。それら全ては宙に浮かんでいた。
「俺の能力はまだ完成していない。力は発展の途中だ。だからな、色々と実験がしたいんだよ、お前に俺の愛の情熱を注ぐ事に決めたんだ。ラブ・ソングだよ、受け取ってくれ」
ベレトは、ミキシングに向かって、手斧を放り投げる。それは、空中で、突然、止まった。
「ちなみに能力を解除すると、一斉にお前に向かうぞ。やってみるな?」
「やってみろよおっ!」
ミキシングは、全身から湯気を出していた。
そして、自らの周囲を爆発させていく。
次々と、刃物が彼に向かっていくが、全て爆発の衝撃によって弾き飛ばしていく。
ベレトに向かって、全力の拳の爆撃を振るう。
だが……。
ベレトは無傷だった。服に傷一つさえ付いていない。
それ処か、埃一つさえ付いていないように見えた。
そもそも、彼の拳は、空中で停止している。
「『固定』しているからな。俺の周囲全てをな」
ミキシングは、パニックになっていく。
攻撃が届かない。
何が起こっているのか、太った大男には理解出来ないみたいだった。
ミキシングは、狼狽する。仲間達を呼ぶべきだろう。だが……。
「花鬱やゴードロックも俺と同じ、単純に切ったり撃ったりするだけの力だ。なら、俺一人で充分だよなあ。俺達のメンツは、単純な攻撃の能力者が多いからなあ」
彼は独り言をブツブツと呟き始める。
ベレトはそれを聞き逃さなかった。
「ほう、そうなのか」
ミキシングはだんだん感情を激しく現していく。
「ああ、花鬱の奴は、沢山、刀を出すだけだ。ゴードロックは、銃器を小さくしてポケットに仕舞っているだけだ。あいつら、俺とおんなじような力しかない癖に、大した事無い癖に、この俺に命令しやがって…………」
「仲間達なんだな。どんな連中だ?」
「着物のイケスカネェ女が花鬱で、未練たらしく軍服着ている奴がゴードロックだよぉ! ゴードの奴は、お前の事を手ごわいって言ってやがったぜぇ。ああ、クソだよなあ。俺がてめぇなんぞ、軽く倒してやるよぉ」
「お前の仲間はお前に優しくないんだな、他に仲良い奴はいるのか? お前に優しくしてくれるのか?」
「カナリーはなんだか分からねぇ新入りだ。オブシダンは獣を使って外を見張って楽だよなぁっ! ああ、俺達突撃部隊より楽そうでいいんだよぉ!」
「後、一人いるな? この塔を見つけてきた奴が」
「テラリスは陰気だけどよぉ。あいつは特別、俺に優しくしてくれんだよぉ。奴は白いハト使って、色々な場所を探索してるんだよ。力の痕跡がハトを通じて見つけられるんだとよ。あいつ、色々な場所を見つけられるんだよぉ。隠したリンゴだって見つけられる」
そしは、ふと、少し冷静になったみたいだった。
「ああ、待て待て、今、仲間の事、散々言ったけどよぉ。花鬱とゴードの事、なんだかんだで、あいつら優しいよ。俺に以前、つるんでいた奴らよりも、よっぽど、俺を尊重してくれるよぉ。だからさ、会ったら、俺がこんな事言っていたって言わないでくれよ、疲れて、愚痴っちまったんだよぉ!」
太った大男は、両手をばたばたと動かしていた。
「ありがとう。尋問も拷問も無しで、お前自ら仲間の能力をペラペラと喋ってくれてな。随分と愚図なんだな、お前」
それを聞いて、ミキシングは、我に返った。
そして、顔を羞恥と怒りで満たしながら、ベレトへと向かっていった。
ベレトは、近くにあった縄に触れる。
一瞬の出来事だった。
突然、大量の岩が、ミキシングに向かって降り注いでいく。コンクリートのブロックも混ざっていた。
避ける事も出来ずに、大男は全身にトラップの攻撃を受けていく。
「俺のやっている、命を”固定”する為の研究に付き合ってくれ」
ベレトは、気を失っている大男の瞼を開き、眼球の運動を確かめていた。
†