#001 栄光の手 3
メビウスからの最初の指令は、美術品泥棒の始末だった。
その泥棒を追うと、色々な者達が返り討ちにあっているみたいだった。警察の者達も、何名も命を落としている。
美術館や博物館などに忍び込んで、特定の美術品を盗んでいく。
それが、怪盗ベレトだった。
程なくして、ベレトからの予告状が来ていた。
この街の警察署に送り届けられたらしい。
刑事の一人だった。
彼は顎の大部分を消失して、そして胸を大きく抉られていた。
どうやら、下顎の骨と、肋骨が奪い取られていたみたいだった。そして、顎の部分にタロットの死神のカードが挟まれて、ベレトからの犯行声明文がねじ込まれていた。
更に、怪盗であるだけでなく、彼の手によって、多くの女性達が強姦されて、全身を皮膚や筋肉を剥がされて、彼が『アート』と称する状態にされて晒されてきた事も多い。
完全なまでの猟奇殺人犯だ。
カナリーは、今夜、博物館に向かわなければならない。
動悸がする。眩暈もしてきた。
だが、此処で折れるわけにはいけない。
気晴らしをしようと思った。
彼女は、球体関節人形が好きだった。
人形に自分自身の心の空白や、痛みを投影する。その行為によって、少しだけ救われたような気がした。
カナリーは『白色の傷』へと向かう事を決める。
今、この街で展示会が開かれているのだ。
謎に満ちた人形作家コッペリアの生み出した、数々の人形、それらは『白色の傷シリーズ』と呼ばれていて、あちこちで展覧会が開かれている。展示会の場も白色の傷と呼ばれる。彼の作品を見る事が、彼女にとっての癒やしだった。
きっと、とても感受性が強い人間なのだろう。
コッペリアの作品は痛みに満ち満ちている。粘土の中に自身の涙や血などを混ぜているとも言われる。彼は山奥の工房にて人を避けて生活しているとも、噂によれば、失踪したとも言われている。
カナリーはずっと孤独だった。彼女の孤独を和らげてくれるのは、彼の作品群だった。糸で縫い付けられ、包帯を巻かれ、顔をズタズタに刻まれた人形達は彼女の心を打った。コッペリアの作品は、虐待や性暴力や、あるいは戦争や病気をテーマにしたものが多かった。それでも何故か、彼自身の孤独をイメージしたオブジェのように思えた。カナリーの孤独と重なった。写真集も全て購入した。
こうして、人形達を見ていると、まるで自分自身の心の奥底を見透かされているかのようだった。
†
展示会場に辿り着く。
今回のテーマは『夜』をイメージしているみたいだった。
部屋全体が薄暗く、僅かばかりの照明によって、作品が照らし出されている。
「彼とはよく一緒に展示させて貰っているわ」
展示会の中で、カナリーは、ふいに声を掛けられている。
「私も此処で個展を開いた事はあるわ」
妙齢の女性だった。
赤と緑を基調にした、ビロードのドレスを纏っている。
「貴女は……?」
「私? 私はオブジダン。彼とは同業者よ、ねえ、貴女、もしかして私の作品も知っているんじゃないの?」
†
オブシダンは、彼女のファン達からサインや握手を求められて、しばらくの間、カナリーは、外で夕焼けを見ながら彼女を待ち続ける事になった。
どうやら、コッペリアと同時に、展示出来たのは、彼女にとっての誇りみたいだった。
オブシダンはメビウスとは直接、面識が無いのだと言った。なので、メビウスと対面する事が出来たカナリーを、少し羨んでいるように思えた。
この妙齢の人形作家を見ていると、どうしても、所謂、自分と同じような『能力者』とは思えなかった。
これから、二人は、怪盗ベレトが狙おうとしている博物館に向かうのだ。……命の保証は無かった。ベレトは人を殺害する事も何とも思っていない。しかも、かなり残虐で、人とは思えない方法で殺すのだ。そんな相手と、いきなり対峙しなければならない。正直、カナリーは気が重かった。
狙っているのは『眼球』と呼ばれる、琥珀色をした、二つの丸い宝石だ。
この宝石は、本物の人間の手の骨を加工した入れ物に入っている。
オブシダンは、おそらくは、宝石そのものではなく、手の骨が目当てで、宝石を盗もうとしているのだろう、と言った。
†
警備員達は、すんなりとカナリーを夜の博物館の中へと入れてくれた。
オブシダンは外で待機するみたいだった。
「基本的には、絶対に持ち場を離れないようにね」
彼女はそれだけ告げた。
赤い煙が揺らめいていく。
オブシダンは香を焚いていた。
この香によって、周辺にいる者達の動向を読み取る事が出来るらしい。
そして、彼女は、自分は基本的に補助的な力なのだとだけ言った。
博物館には幾つもの奇妙なオブジェが並べられていたが、中でも、カナリーの気を引いたのは、巨大なサーベル・タイガーの剥製だった。
丁度、その剥製の隣に、ベレトが狙っている宝石は展示されていた。
この場所は地下一階だった。階段を一つ降りると、幻想の庭園をイメージして、様々な美術が配置されている。此処は全四階建ての建物で、うち一階はオペラのホール、三、四階はレストランやカフェテラスになっていた。二階は絵画を中心に飾られている。
夕方が終わり、真夜中へと近付いてきた頃だろうか。
それは、唐突に起こった。
遠くで、男達の叫び声が起こった。
どうやら、二階の通路の辺りだろう。
カナリーは、思わず、持ち場を離れて、その場所へと向かう。
運動が得意ではないので、走ると、すぐに動悸がした。
カナリーはふと、奇妙なものを見つける。
それは空中へと浮いていた。
人の形をしていた。
警備員達だった。
彼らは背中をへの字に、あるいは七の字のように頭をもたげて、あるいは九の字のように上半身を丸めて、様々な形で、みな空中に浮かんでいた。どうやら、みな死亡しているみたいだった。
一体、何が起こったのか分からない。
後ろから、別の警備員の一人がやってきた。背の高い男だった。彼は死体を見ながら検分していた。
「貴方はお名前は何と言いますか?」
警備員はカナリーに訊ねる。
「カナリー、と申します……」
この警備員は、何処か、尋常ではない気配を漂わせていた。
「あれ、見てください」
死んだ警備員達の身体の一部が、不自然に天井へ向かって尖っている。どうやら、そこが致命傷になっているみたいだった。いずれも喉や心臓などだ。
それらの部位には何かが突き刺さっていた。
それは、黒塗りの鉄製の刃物だった。ナイフというには短すぎて、剣というには長い。小刀とでも言うべきか。
どうやら、小刀の鞘の部分だけで、警備員達の死体を空中に支えているみたいだった。
奇妙な光景だった。
それ自体が、一つの前衛芸術のそれを思わせた。
「クソッ! 一体、何が起こっているんだっ?」
大柄の警備員は壁を叩く。
「貴方は……?」
彼は、帽子を直して、少し答えに詰まっているみたいだったが、すぐに口を開く。
「………………。カナリーさん。私はシンジゲートから派遣されてきた職員です。貴方達を支援しなければならない。此処の警備員達もそうです。臨時とは言え、彼らは私の部下だった……、ああ…………」
大柄の男は、もう一度、壁を拳で叩く。
「これは何が起こっているのですか?」
「異形の力です。行っているのは、人間を超えた者達の力です。あるいは元々、人でさえなかったのかもしれない」
二人は走る。
目当ての宝石が盗まれていないかを。
カナリーは元いた配置へと戻る。
オブシダンが宙に浮いていた。
どうやら、彼女は失神しているみたいだった。
まるで、重力を無視するかのように、彼女は少し大き目の絨毯に支えられて、空中高く浮かんでいた、いや……浮かんでいる、というよりも、停止している、といった方がいいかもしれない。絨毯の下に、まるで透明な人間一人を軽々と支えられるくらいのガラス板があるかのように。
オブシダンが向かってきた通路にも、血が点々と続いていた。どうやら、他の警備員達の死体だろう。
そして。
そこに、そいつは佇んでいた。全身を青と紫色のローブで纏っていた。顔を同じような色調のフードで纏っている。
「ベレトか……?」
カナリーの隣にいた、大柄の男は訊ねた。
「宝石は何処だ?」
フードの男は訊ねる。
この場所に展示されている宝石には眼もくれていない。
「何処だ、と聞いている」
大柄の警備員は、渋々、言う。
「よく、そこにあるのが偽物だと分かったな」
「俺の鑑識眼を舐めるな。それから触れたら爆破するように仕掛けてあるだろう? それにほら、骨も偽物だ。レプリカだろう。舐めるなよ」
どうやら、やはり、この男は、宝石の方ではなく、宝石の装飾になっている人の骨の方を欲しているみたいだった。
フードの男は、懐から小刀を取り出す。
「上の女を取引に使おうか?」
大柄の警備員は顎を撫でながら、しばらく考えた後、告げた。
「構わない。彼女は人質にならない。我々の任務は宝石を守る事。彼女は名誉の殉死だ。とにかく、渡さない」
カナリーの顔が驚愕する。大柄の男は意見を変えるつもりは無いみたいだった。
「成る程………………」
ベレトは、くるん、くるん、と小刀を回す。
「いいだろう。お前を少し楽しませて聞き出す事にする。その方が効率が良さそうだからな。いいか、覚えておけ、俺は宝探しは好きじゃない。俺は生粋の強盗だからな。恋文を綴って、それを届ける。一方的に相手を探し続けるのは好きじゃないんだ。すぐにでも、口説いてしまいたいんだよ」
怪盗の両眼は、少しだけ、怒りに震えているように見えた。
警備員は突然、機関銃を手にしていた。
何処にしまっていたのだろうか……。
そして彼は、引き金を引いて、ベレトに撃ち込んでいく。
カナリーと、そして、警備員は一体、何が起こっているのか分からなかった。
ベレトの周りに、まるで透明な盾でも存在するかのように、銃弾が空中に停止していた。
不思議な光景だった。
「ふふうぅ、この夜陰の悪魔、ベレト様を舐めるな」
彼は粘性さえ帯びた声で告げる。
ベレトは銃弾の上を、まるで階段のように登っていく。
重力を完全に無視していた。
「まだ撃ち込んでみるか? 無駄だと思うけどなぁ」
小馬鹿にしたような笑い声が響く。
「カナリーさん、このゴードロックが奴を捕らえます!」
警備員は名を名乗ると、手すりをよじ登り、一階のホールへと飛び降りる。
そして、大きめのショット・ガンを、ベレトの間近に向けて放った。
怪盗は、左手を前に突き出しただけだった。
発砲音がした。
銃弾が空中で静止している。落下する事もなく、静止していた。
だが。
ゴードロックは、更に懐に隠し持っていた拳銃の引き金を引く。
すると、ベレトのフードが弾け飛んだ。
カナリーは寒気がした。
フードの下から顔を現したのは、とても美しい顔だった。
そう、それはまるで人形だった。
いや、人形そのものにも見える。長く美しい白に近い金髪をしていた。唇は林檎のように紅色で、瞳は深い海のようなブルーだ。
服装は、ウェディングドレスのような白い服の上に、黒いビスチェを身に付けていた。両腕は肩から素肌を露にして、手の近くには黒いアーム・ウォーマーを身に付けていた。
カナリーは思い出す、メビウスも人形だ。ただ、メビウスの無表情さに比べて、ベレトの方は、とても邪悪そうな表情をしていた。
「女だったのか?」
ゴードロックは、驚いたような顔をする。
「男だけど?」
「オカマか?」
「煩ぇな。似合うし、美しいと思うから、こんな格好をしている」
ベレトは笑う。そして、首筋を抑えた。
どうやら、先ほど、ゴードロックが発射した拳銃の弾が、彼の首をかすめたみたいだった。
「よくも俺の首をっ!」
ベレトは、警備員姿の男の左手を鷲掴みする。
ゴードロックは、何をされたのか、分からないみたいだった。
「……なんだ、腕がまるで動かない……いや」
ベレトは、ゴードロックの靴に蹴りを入れる。すると、どうやら、ゴードロックは両脚を動かせずにいるみたいだった。最後にベレトは彼の右肩に肘打ちをする。
ゴードロックは倒れる事も出来ずに、不自然な態勢で硬直していた。
「さて、死んで貰うぞ」
ベレトは刃物を取り出す。
突如。
博物館一階ホール中央の、サーベル・タイガーの像が動き、ベレトへと襲い掛かる。
それは、ベレトがゴードロックを殺害するのを防ぐには、充分な攻撃だった。
オブシダンだった。
彼女は香を辺りに向けて焚いていた。
淡い赤の香が周辺に漂っていく。
博物館に展示されている、鳥の剥製なども動き出していく。
そして。
まるで白い霧のように、ベレトの周辺が香の煙を横に退けていた。それはまるで白いアメーバのようにも見えた。
「それが、貴方の能力の射程距離なのね」
オブシダンは告げる。
「畜生がっ!」
ベレトは、歯軋りすると、屈辱に歪んだ顔で、跳躍して、二階へと向かった。
†