#006 代償の鳥篭 1
錬金術師は、果たして、この世界にどれだけの影響力を持っているのだろうか。
それは酷く未知数だった。
…………。
ゴードロックは、オブシダンに、彼女の作り出す獣の人形達は、彼女自身の意思で操っているのかと訊ねた事がある。オブシダンは首を横に振った。獣達は自らの自立した意思を持つのだと。
魂なるものが、この世界にあるのかどうかは分からない。
幽霊なる存在はいるが、それはタダの精神の残滓でしかないのではないのか。この世界の幽霊達は、能力者になるように、別の存在になったものであって、人間に魂というものがあるわけではないのではないか。不滅なる霊魂が存在するわけではないのではないのか。
オブシダンは、そのような事を、粗暴な軍人崩れに語ったのだった。
ゴードロックは分からない、と答えた。分からないけど、人の意思を信じている、と、彼は答えた。
生命を創り出すとは、どのような事なのだろう。
オブシダンは分からないのだと、軍人崩れに言う。
自分達が追っている錬金術師は何を思い、この世界に人工生命体をバラ撒いたのか分からない。
†
<愚かだな、人の子よ。お前がどれだけ異常であったとしても、所詮、人間の女の腹から生まれた人の子に過ぎんのだよ>
怪物は蔑みの言葉を放つ。
絶壁だった。
滝が流れている。
遺跡からしばらく離れた場所だった。山岳だ。
透き通った水の流れる滝だった。
空が晴れ渡っている。まだ、真昼時なのだ。
ベレトとダウンナンバー、魔人と怪物の二つは対峙していた。
それぞれ、相手の動きを待っていた。
「ああ、殺してやる。殺してやるぞ、お前も、あの連中もだ」
<俺も同じ気分だが、お前は一人で奴らを殺さないと気がすまないらしいな>
心なしか、カメレオンも、怒りに震えているように思えた。
ベレトの瞳は野望に燃え盛っていた。
「フルカネリの知識が欲しい。俺は人の世界を支配したいんだ。お前の王様は人の世界を征服する道理を知っているんだろ? 分かっているんだぜ? それはとっても、快楽なんだろ? せめてお裾分けしろよ。独占するなんて、許さねぇ。楽しいんだろうな、それは、本当に楽しいんだろうな」
ベレトは、怒りと憎悪が限界に達しているみたいだった。おそらくは、前回の傷が身体に残っている為に、絶えず憎しみに晒されているのだろう。
だが、それ故に、力は増幅しているかのようだった。
彼は両手に握られた小刀からは、その力が具現化していた。
まるで、虹の帯のように、くるくると、彼の周辺を光の環が舞っていた。
ダウンナンバーは眼球をくるくると動かす。
<俺の本当の力を使ってやる。光栄に思え>
空間が歪み始める。
カメレオンが足踏みする、岩の一部が、滝から落下していく。落下速度は、スローだった。この辺り全体で、動く物体の速度が遅くなっているのだ。そして、ダウンナンバーだけが、この遅延空間において、通常の速度で動く事が出来る。
<俺の『フェーズ・ダウン』の空間に巻き込まれた者は、ほぼ死ぬ。俺に傷を与えられないのだからな。お前は空気も含めた物質を、固定する能力みたいだが。俺は空間自体を遅延させている。果たして、お前の力で、俺に触れる事が出来るのかな>
ベレトは背後に飛んでいた。
動きがスローになっていく。
<焼け死にやがれっ!>
ダウンナンバーは、口から火炎放射の吐息を吐く。それは、空気の盾によって弾かれる。カメレオンは少し機嫌を悪くする。
<ああ、ウンザリする奴だなあっ!>
ダウンナンバーは、透明化して、跳躍する。……だが。
空中で、何かに当たった。見えない天井があった。
そのまま、バランスを崩して、彼は、滝の下へと勢いよく落下していく。
<ああ? ふざけやがって、おい、人間ごときが、ああ、この俺様を出し抜くだと。無いな、その煩わしい見えないものを壊して、お前を丸呑みしてやろうか!>
ダウンナンバーの腹に、何かが突き立っていた。
滝の真下辺りに、ベレトは、更にナイフを落としており、それは天に向かった形で固定されたのだった。
ナイフはスローのまま、ダウンナンバーの腹を突き破っていく。銃弾も通さない、彼の強靭な皮膚を持ってしても、折れる事の無い強靭な刃だった。
そのまま、ダウンナンバーの全体重が、折れない刃へと圧し掛かっていく。ついに、カメレオンの腹は裂け始めていた。彼にとっての完全な誤算だった。ナイフは、腹の中へと入り込み、次は背中を破り始めていく。
<ああ、ああ、『フェーズ・ダウン』をか、解除しないと、と……>
彼は錯乱していた。生体兵器と言えど、痛覚は存在していた。スローで身体を破壊してくる攻撃に耐えきれなかった。
腹の中で、未だ、ナイフが固定されて、ダウンナンバーを宙ずりにしていた。彼は早く、ナイフが背中から飛び出す事を考え、この時ばかり、自らの肉体の頑丈さを呪った。
ダウンナンバーは、一度、滝壺に落下した後に、態勢を立て直すつもりでいた。
スロー空間を解除された、ベレトの動きは素早かった。
まるで、ナイフを固定した空気の棒で伸ばしながら、蜘蛛の糸のように、振り子のように、ナイフをダウンナンバーの喉下の辺りに放り投げていた。ナイフは垂直ではなく、斜めに固定される。
<あああ!?>
固定されたナイフが、今度は、ダウンナンバーの胸を削りながら、喉に潜り込んでいき、そして、頭蓋の辺りを突き破っていた。
巨大カメレオンは、そのまま、滝壺の中に沈んでいき、やがて、濁流によって流されていく。
彼は舌打ちし、身震いを始める。
「……しまった、奴から錬金術師フルカネリに近付く手掛かりを聞き出すのを忘れていた」
断崖の地面に戻ったベレトは、少し悔しそうに、未だ痛み続ける右腕の接合面を眺めていた。
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