#004 黄金の遺跡 1
「何故、人形作家になった?」
球体関節人形は、無感情な声で訊ねた。
メビウスとオブシダン、二人共、互いに背を向けた椅子に座っていた。
お互いの顔は分からない。
この部屋はそういう造りになっていた。
本来、懺悔室だった部屋を改装した場所だった。
「幼い頃、私は寂しい子供でした。人形遊びが好きだった。それから動物も、私は私の心の奥底にあるイメージを形にしているのです」
彼女は顔を曇らせながら、言葉を押し出していく。まるで、自らの心の痛みを晒していくかのようだった。
「私は人形に魂があるとは思わない。それは空洞だ。私がそうであるように」
メビウスの言葉は、彼女にとって突き刺さってくるものだった。
まるで、他者への、過剰な希望や期待を塗り潰されるような。
「人形に感情があると思うのは、人形を見る人間の願望に過ぎない。あるいは作り手が自らの情念や思想を塗り込めているだけだ」
そう、まるで、自らの信仰を否定されるかのように、オブシダンは、メビウスの言葉が苦しかった。
「私には感情が無い。私は生命ではない。私は生きていない」
メビウスは無感情に、抑揚の無い声で、自らの事を言葉にしていく。
それは、とてつもない程の虚無の言葉だった。メビウスは自分自身の存在を肯定していないのかもしれない。
オブシダンは反論しようと思った。
「人間も同じでは無いのでしょうか」
「何故だ?」
「少なくとも、私自身、大きな何かがあるとは思っていません」
「人は自律して動く生命体だと、私は考えているが」
「人間も脳の電気信号によって存在でしかないのではないでしょうか。人間が人間たらしめるものは、美や正しい価値を作って、あるいは感情というものや他人への愛が、人間という存在の価値なのではないでしょうか」
「そうかもしれないな。私には何も分からない。何もな」
オブシダンは言葉に詰まる。
まるで、メビウスは、人間存在そのものに対して問いかけているかのようだ。……そんな事を答えるには、自分には荷が重過ぎる……。
「以前、何度か私の身体は戦いにおいて破壊された。コッペリアに私の身体の模造品を作って貰ったのだが、彼だけでは心もとない」
オブシダンは、息を飲む。
「お前の作る作品には興味が無いが、お前の力には価値がある。私の肉体を作って欲しい」
そして、メビウスは席を立つ。
「私の身体に触れてみるか?」
オブシダンは、メビウスの冷たい腕に触れる。
濁流のように、あらゆるものが心の中に入り込んでくる。
†
オブシダンは、人形に獣のイメージを組み合わせる球体関節人形作家だった。
毒々しい作品を作り続けていた。
ある時は、自らの性欲に任せてエロスをかき立てる獣の部位を持つ裸体の女を作った、またある時は、獰猛さと暴力性を持つ怪物の人形を作った。
それが、ある種の人間に似せた真理であると彼女は考えていた。獣性、エロティズム、崇高さと猥雑さ、この二つを併せ持った作品を作りたいと彼女は思惟していた。
メビウスは、本当にオブシダンの作家としてのアイデンティティには興味が無いのだろう。それは悔しかったが、同時に、そう告げるのも分かった。
人形作家を職業にしてきたからなのか、メビウスの身体から伝わってくるものはある。
そう。
メビウスの身体に触れた時に感じたイメージは、小さな光と果ての無い闇だった。
善と悪が、一つの作品の中に渾然一体となって表現されている。そのような感覚がした。
メビウスの身体は、今や、コッペリアの作ったボディだ。
彼からは人の温かさを感じる。光の柱のような聖性を感じた。
心の美しさとは、作品、作風に出るものだ。
だが、メビウスの肉体の底に感じるもの……。
元々、この肉体を作ったものは、人間の邪悪さの全てが詰まっているかのようだった。底の無い暗黒を感じた。根源的な悪が詰め込まれているように思えた。遥か地平線に広がる、果ての無い地獄が繰り広がっているかのようだった。
二つのコントラストは釣り合わない。闇と悪ばかりが、メビウスの肉体には刻印され、凝縮されているのだ。小さな天界の柱の周辺は、無限の地獄が繰り広げられているかのようだった。
そして、こうも感じるのだ。
絶対的なまでの実力の差、どうにもならない程に埋められない“作家”としての、創作者としての才能の差も感じるのだ。オブシダンのこれまで作ってきた作品の全てが否定されてしまうかのような、遥か高みを感じるのだ。
彼女はこれまで、小さいながらも熱狂的に支持されてきた。
メビウスの造物主への強い嫉妬。
それは、この世界全体の創造主への畏怖そのものだった。
それは、決して近付きたくもないが、同時に恋焦がれる何かでもあった。
きっと、メビウスの傍にいれば、否応でも、その輪郭を知る事になるのだろう。
†
メビウスはまるで盲信的なまでの、人間賛美の持ち主だった。
この生きた球体関節人形は、芸術の分野に何の感動も抱いていなかったが、人々がそのような行為を行う事を称賛していた。
彼女は彼女自身が述べるように何の感情も持ち合わせていなかったが、信念のようなものは持ち合わせていた。
それは、人間への、ある種、妄信的な敬意とでも言ったものだろうか。
オブシダンには分からない。
自分はこれまで、人でないモノに、人の形をした模造品に憧れ続けていた。
潜在的に他人の顔が怖かったのかもしれない。
少なくとも、彼女にとっては、人間というのは、理解不可能な不気味な者達ばかりだった。彼らと共にいると、いつもどこか落ち着かなかった。
それが、人間を厭世的に見る者と、人間に敬意を示す者の差異なのだろう。
メビウスが言うには『造物主』は、人間を人で無いプログラムされた機械に入れ替えようという計画があるのだと言う。人工生命体、メカニカルな脳、遺伝子組み換え技術、それらを構想し続けているのだと。
「何故、人間が社会や国家を形成して、法律を作り、経済を回していくのかに、私は興味がある。私には存在しない価値を求めようとするのか」
彼女の言葉は、オブシダンにとっては難しい。何故なら、オブシダンは、あくまでも、人形制作者、という小さな視点でしか世界を見る事が出来ず、ことさら学問の世界などには疎いからだ。
「お前は人間の条件とは何だと思う?」
「…………、私には分かりません」
「私は自律的に思考するべき事だと考えている。私はお前達人間で言う処の善悪の概念は分からない。だが、思考する事を放棄した時、その者は果たして人だと言えるのか? と、私は考えている。それが生きているという事ではないのか?」
懺悔室のような部屋の外は、この施設の休憩室になっていた。
オブシダンは砂糖とミルクの多いコーヒーを口にする。
メビウスは砂糖無しの紅茶を口にした。
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