聖剣の奪取
インド人に聖剣をパクられた。
メインロード沿いのチャイ屋に溜まっているガラの良くない奴らだ。
隣の文房具屋で仲良くなった店員の子供が、あいつらは危険だからあまり関わらない方がいい、こうなるぞと首を掻き切る真似をして忠告してくれた。
それを無視した訳では無いが、馴れ馴れしくされるまま、ある程度受け入れていた。
俺たちは友達だぜと言われて一回薬草を回し喫みした事がある。ただでくれた。
バンガロールではあまり見なかった薬草だ。自分から近付こうとしないからだろうが、ある所にはあるのだ。
お腰に付けたそいつは何だと聞かれて仕方なしに見せる。
「ヒゲも切れるし便利なんだよ」
見せびらかすつもりは無かったのだが、中国製の安物でもインド人には羨ましく見えたのだろう。
インドでも探したのだがヴィクトリノックスしか無くて、高価い上にプラスティックの持ち手の部分の発色が悪い。日本で手に入る艶やかなえんじ色と違って、くすんだドドメ色をしている。
イーゴの聖剣は艶やかでつるつるだった。
で、ある日お前あのナイフはどうしたんだと言われて見るとカラビナに付けていた筈の聖剣e-go、伊戈中华军刀红色が無い。
やりやがった。
今ここで擦られたのはまず間違いない。
やたら、
「お前さっきビリヤニ食べに行ってただろ? そこを探してみろ」
「早く行くんだ、無くなっちゃうぞ」
とその場から俺を移動させたがるのだ。
ここは抗っても仕方ない。「お前がやったんだろ」などと問い詰めても証拠もないのでしらばっくれるだけだ。
「探してくるわ」
と、諦めてその指図に乗って、あのまずいビリヤニセンターにまである筈も無いツールナイフを探しに行く。
戻って来ると、彼らはニヤニヤしながら、
「残念だな、俺たちもまた道を探してやるよ」
「見つかったら絶対教えてやるよ」
ふうん。
なるほど。
その時に算段した、取り返せる勝算はゼロではなかった。
だが、それには少し時間がかかる。
こいつは簡単に騙されている、まだ友達だと言っておけば何かタカれるかも知れない。そう侮らせておく必要があった。
その日はそのまま帰った。
「じゃあ頼むよ」
で、次の日やそのまた次の日。
一番馴れ馴れしかった奴をターゲットにした。実行犯と思しきインド人の片方、痩せ気味で、いつも暑いのにニット帽を被っている歯の汚い奴だ。
チャイ屋に行くといつものように奴が声を掛けて握手を求めてくる。
それに、気付くか気付かなくくらいの素っ気なさで、冷たくあしらう。
普通なら、何だろう? と疑問に思うだけだ。しかし罪の意識があればすぐに心当たるだろう。
そして逆に、彼以外のインド人の悪い仲間どもとは親密に話をする。彼が見ているか見ていないかのギリギリの所でだ。
それを数日続けると、やはり耐えられなくなったようだ。彼は、
「どうしたんだ? 最近、調子でも悪いのか?」
と聞いてきた。
来た。この時を待っていた。
彼の心理が手に取るように分かる。罪悪感による不安、その源を確認せずにはいられないのだ。
小悪党は分かりやすいので嫌いじゃ無い。
ここが勝負所だ、正面切って斬り込んだ。
「お前は、俺のナイフを持ってるね」
「え? 何を言ってるんだい?」
とぼけようとする。だが逃がさない。
「俺のナイフを持ってるんだろ? 俺はもう、知ってるんだ」
案の定、戸惑っている。そこで追い打ちを掛ける。
「お前の友達に聞いたんだよ、確かな話だ」
「えっ。そんな事、誰が?」
「よくここで一緒にいるだろ、お前の友達だよ。名前は何だったかな」
もちろんそんなのは嘘だ。だが今ここで、彼はそれを嘘と確信出来ない。所詮こそ泥同士、誰も信頼できる友達などでは無いからだ。
だがここで追い詰め過ぎて逆上されてはお終いだ。だから逃げ道を用意してやる。
「お前は俺のナイフを探して、見つけ出してくれたんだろ? ありがとうな」
「う、うん。そうなんだ」
ここで初めて、彼が盗んだ事が明白に確定した。
少なくとも今彼がそれを持っていると、自分から認めたのだ。
この瞬間を演出する為に、この数日の全てを費やしたのだ。
最初に、探してやると言ってくれたのが活きた。
賭けには勝った。あとは流れ作業だ。
「じゃあ返して貰えるかな」
「ええと」
「ほら、ありがとうって。ほら」
「ごめん、今は無いんだ」
「何で?」
「もう一人の友達に預けてある。明日、いや明後日までには返すから、ちょっとだけ待ってて」
「OK、いいよ。ありがとうな、俺たちは友達だぜ」
と親密な握手をする。
彼の友達が持っているとしたら、取り返すのに時間がかかるのは仕方ない。
だが自ら所持を認めてしまった彼には、もう俺に聖剣を返すしか道は残されていないのだ。
あとは泳がせても平気だ。
二度と顔を合わせないで逃亡するくらいしか奴に出来る事はないし、それは溜まり場のチャイ屋に来れなくなってしまう、不便なのだ。
インド人は計算が出来る。
2日後、懐かしの赤いアーミーナイフが無くした時のままの形で帰ってきた。
それまでは鉛筆を削るナイフも無くて大変だった。仕方なく隣の文房具屋で、カッターくらいペラペラの小刀を10ルピーで買ったのだが、結局そっちの方が使いやすくてイーゴはお蔵入りとなった。
今回はちっちゃなナイフを泥棒インド人から取り返しただけの大した事の無い話だった。
俺がインドを去ったあとの話だが、シン君などはそれで同室になったインド人に一眼レフのカメラを盗まれてしまったそうだ。
授業こそ一緒になった事はないが、道で会うとたまにお菓子なんかをくれた若いインド人だ。
一回無くなって、探したらそいつの鞄の中奥深くから見つかったが、しらばっくれられて結局不問。その後、もう一度無くなって今度は出て来なかったそうだ。
「一回バレたから、もう懲りた筈だって思ったんです」
それが、ずっとロックオンされっぱなしだったのだという。
警察に行こうとすると、先生からPGのオーナーから寄ってたかって止められたそうだ。きっと何かの間違いだから、と。
「誰も味方じゃなかったんです」
師匠に聞くと「インドの警察は外国人が被害届け出したら嘘でも冤罪でも近くにいた奴を逮捕して拷問するからね」
アメリカンジョークで、FBIとCIAとロス市警が山に逃げた一匹のウサギを捕まえて来いと言われてそれぞれ健闘する話がある。
FBIは二ヶ月に渡る科学分析とDNA鑑定とかの調査の結果「ウサギは既にこの山にはいない」と結論付ける。CIAは山に火を放って全焼させて、二週間後、「ウサギは焼死した」と発表する。
そしてロス市警はたったニ日後にボコボコに殴られたタヌキを連れてくる。「私がウサギです」とそのタヌキは言うのだそうだ。
ロスでもそうなのかも知れないが、インドでは確実にそうなるのでインド人は警察と関わるのを本当に嫌がるのだそうだ。
「でもこの場合はやった奴明白じゃん。盗んだ奴が絶対に悪いんだから、逮捕させたらええねん」
だが疑われたことを怒って、そのインド人は英語学校を途中で辞めて、その日のうちにそそくさ実家に帰ってしまったそうだ。
「殺す気で追いかけるんだ、そいつの実家ならオーナーから聞き出せる。
教えないなら今からすぐ警察に行くって脅せ。今警察に行けば冤罪でオーナーが捕まるかも知れないから、それが嫌ならきっと教えてくれるよ」
「そんな元気無いですよ」
と糸の電話で嘆きを聞いた。
インド人はどんなに仲良くなっても絶対に信じてはいけない。
例えば子供に面白そうな玩具を見せて、それを渡さないのは可哀想な事だ。インド人は幾つになっても、実力行使でその理不尽と戦うのだ。
我儘な子供は、無理強いしても情に訴えても決していう事を聞かない。本人からそうするように仕向けるのが出来ればいいが、それこそ奇跡みたいなものだと思う。
ちなみにナイフばその後しばらくて、今度は本当に落として無くした。
※予告※
愛すべきイエメニー。温厚なシーア派ムスリムの彼らは争いを好まない。
次回『ガネーシャとアラビアン』どんなに長生きをした者より、旅をした者ははるかに物事を知るッ!