日本人宿
薬草。
その神聖な植物はまあまあ美味かった。
この物語はファンタジーなので平気でこんな事が出来るが、日本の法律では所持の禁止されているとても悪い葉っぱだ。
夕方頃、西日の差す屋上でまわりを警戒しながら不器用に巻紙に詰める。
やり方もよく知らないので、聞きかじりの知識で恐る恐る、試行錯誤しながらだ。
「タバコの葉と半々くらいに混ぜるって聞いた事があるんだけど」
「何か枝が硬くてちゃんと巻けないんだけど、どうすりゃいいの」
「うーん、小さく切って見ようか」
聖剣、中華製アーミーナイフを抜いてハサミでちょきちょきしてみる。
「ムンバイじゃ砕いてラッシーに入ってたんですよ。でもすぐに効かなくて大体40分くらい経つとすごい来るんで調整が難しくて」
ラッシーというのは前にも書いたがいわば飲むヨーグルトで、甘くてどろっとしてとても美味い。
「僕不器用なんで巻くの無理っぽいです、ラッシー買ってこようかな」
牛乳とヨーグルトをよく混ぜて砂糖かシロップを入れるだけなので、日本でも簡単に作れる。インドではパックで売られている。アミュールというメーカーの奴をよく見る。
「でもこれ喫う用のやつでしょ、食べても大丈夫なの?」
「一緒じゃないっすか」
「だといいけど」
不器用なりに何とか巻いて、喫ってみる。深く深呼吸するように、そこで息を止めて煙を逃さないように。
咳き込みたくなるのをグッと我慢する。
何とか耐えたあと、少しずつ煙を吐く。
日本からの転移者はラッシーを買いに行ってしまった。
空を烏の群れが遠くゆっくり舞っている。あんなにたくさんいただろうか。
三階建ての宿の屋上はこの街の中では高い方で、あばら家やバラックの多い街並みがある程度見渡せる。
夕日に直線で飛ぶ烏は日本の田舎でたまに見るが、あの下あたりにゴミの集積所でもあるのだろうか、雲霞のたかるように、その周囲をずっとぐるぐる巡って飛び回っている。
烏ではなくて鳶なのかも知れない。
あんなに優雅に飛ぶ烏を今迄見た事がない。それにその数。薄い雲が大気汚染に夕日が陰っている。
夕暮れにまではなっていない。
※ ※
バラモンが偉い人、日本で言えば天皇家や豪族。
クシャトリアが王族で戦士、武士や侍。
ヴァイシャが商人。
シュードラが奴隷。
カーストの基本は大体その4つだそうだ。
その上にインドラとか更に上にシヴァがいたりするが、俺を含め実際に庶民に関係があるのはせいぜいクシャトリアまでだ。
それ以上はせいぜい、お話の中で聞くくらい。
古代インドの物語マハーバーラタ。
ギリシアはホロメスのイーリアスやオデュッセイアと並んで世界三大叙事詩に名を連ねる事もあるそのヒンドゥー教の聖典。
その内容と言えば、ラノベも真っ青のバラモンTUEEEやチートハーレム超絶展開が繰り広げられている。
バラモンが苦行の末、ガルーダという巨大化怪鳥を生み出したり、そのガルーダが神々の守る不老不死の薬アムリタをインドラの投げつける伝説の武器ヴァジュラをかいくぐって盗み出したり、バラモンの弟子にクシャトリアの王妃の耳飾りを貰いに行かせる結果地底世界で竜王を倒したり。
あるいはラーマーヤナの方が有名かも知れない。
これはその下のカースト、クシャトリアの王子、ラーマくんが主人公。で、奪われたお姫様シーターを助けに行くという、どっかで聞いたようなお話。
仲間になった猿の獣人やハヌマーンと共に魔王ラーヴァナを倒しシーターを奪還する、ただそこでめでたしめでたしとはならない。
今日のゲームや漫画などでもよくある設定、攫われたヒロイン。その『問題』を、ヒーローに憧れる少年達は見てみない振りをしている。或いは作者もか。
下世話な話、ピーチ姫だとかユリアとかの貞操だ。
亀の癖にクッパは、絶倫っぽいのにラオウは、ロリコンの変態くさいのにムスカは、異常なまでに紳士だったという無理矢理な解釈でしか納得出来ない。
はるか1700年昔に書かれたこの話では、しかしその問題から目を背けない。
ずっと魔王に囚われていたシーターが何もされてない筈がない。人々にそう噂され、彼女は身の潔白を証明する為に大地の女神に誓いを立て、結果地面が割れて飲み込まれて消滅してしまう。
実はヴィシュヌの化身だったラーマは悲しんで、天界に帰ってしまうEND。
リアルな面を避けずに真っ向から立ち向かっているところが素敵だ。
どちらも紀元3世紀頃、グプタ朝時代に書かれた長編ラノベである。
内容がどうあれ千と数百年も語り継がれる物語。これに現代にある、いかなる小説が太刀打ちできるだろう。ノーベル賞? 笑止。
この拙作愚作『西遊記2016』改め『ただのトラック転移で異世界観光』もあやかって主人公はブラフマーの化身だと言っておこう。言うだけはタダだ。
例えば異世界観光中に何かトラブルがあって死んだとしても、それは悲しんで天界に帰ったにすぎないと思って貰えればそれで構わない。
で、魔導通信機でグダグダとそんな無駄知識をググっていたらラッシー君が帰ってきた。
日はもう沈んで、あたりは暗くなり始めていた。
屋上の切れかけた暗い電灯の下で、買ったラッシーのパックを切ってバングーを千切って入れている。
そこに、新たな人影が現れた。インド人っぽいおっさんだ。
「やり方知ってるかも。聞いてみようか」
「大丈夫やろか、密告されたりしないかなあ」
話してみると彼はバングラデシュ人だった。
貸せ。こうするんだよと手際よく、彼はフィルタータバコの葉をほぐし始めた。
「喫うには色々方法はあるけど、俺たちはずっとこうやってるんだ。簡単だからな」
巻き紙の部分をそのままに、葉を全部出してしまうとそれを半分捨てて、ガンジャを混ぜる。
左手をお皿にして、それを右手の親指ですり潰すようにしている。
「お前もやって見ろ」
と言われて真似する。
「へー。なるほどね」
硬かった茎や花弁は指で千切る。出来た奴をさっきのタバコに再び詰めて完成だ。
回し呑みをしてバングラデシュ人もご機嫌だ。
服の貿易をしているらしい。
職業を聞かれて、元の世界ではトラックドライバーで転移したから今はただのトラベラーだと答える。
「それは何だ」
葉の入ったラッシーを見つけて聞いてくる。
ラッシー君が答えると、笑われた。
「そんなやり方初めて聞いたぜ」
「いやでもムンバイでは普通なんですって」
ははっ。
翌日、日本人宿に行ってみる事にした。
マザーテレサのボランティア施設から徒歩三分の近さらしい。
すでにうろ覚えだったが、転移初日に会ったまこっちゃんという日本人転移者が行くと言っていたそこだ。
そのおばちゃんには一ミリの興味もないが右も左も分からないインド、その情報を少しでも集める必要を感じていた。
30分くらい汚い道を歩くと着いた。
そのビルの下で三階にあると聞いて行くと四階だった。
ここもまたイギリス風の表示で、実は一階はグランドフロア、二階が1Fとの事だった。
値段は少し高く、8人部屋が一日あたり400ルピー。
ギターを練習する兄ちゃんだとか、床に置かれたバックパックだとか、まあこんなもんだろうという雰囲気。
トイレは洋式だったしシャワールームも野外ではない。今のところは屋外にあって電灯もなく、サンダルを履いて震えながら浴びなければならなかった。
日本人向けに少しは快適にしてあるのだろう、エアコンも付いている。
そこでビールを買って飲みながら他愛のない事を喋って、次の日に移る事にした。
しかし、それが世にも恐ろしいインドの洗礼の始まりだったとは、この時はまだ気付きもしなかった。
荷物をまとめて繋いであるヤギだとか道を走り回るニワトリだとか脇に積み重ねられたガラクタを眺めながら、ヒゲのムスリムに喋りかけられてタバコをせがまれたり(だが断った)赤ちゃんのミルク代を要求してくる乳飲児を抱えた母親、それでも身なりは悪くない女たちの集団に集られかけたり(先にその服とか売れよと回答)そんなよくある日常風景を躱しながら日本人宿に着いた。お金は後払いだという。
そこで過ごすこと一日半。
俺の後で入って来て口髭をダリみたいに伸ばした日本からの転生者、バックパックからタヌキの縫いぐるみが顔を覗かせている。彼と仲良くなった後でそれを聞くと、子供の頃から持っている縫いぐるみで、一緒に世界を見て回ろうと思ったと言っていた。
「バンコクのカオサンロードで会った文句ばっかり言うフランス人もバンディクーか狼みたいな縫いぐるみ付けてて、気になったんだけど聞けなくて」
インファンティリズムだとは思うが彼の境遇を何も知らない、世界を揺るがす情報の入ったマイクロチップを埋め込んで、CIAやKGBやMI6から逃げ回っているのだと心の中で勝手に決めつける。
きっと異能は時計をどろどろに溶かしたり目玉焼きを背中に乗せたフランスパンにポルトガルパンに襲いかからせたりさせられる奴だ。
「この宿ってガンジャ禁止らしいっすね」
「え、そうなの? 俺も昨日今日来たとこだから。でも確かにタバコも外で吸ってるなあ」
「バレなきゃ大丈夫っすよね」
「うん大丈夫じゃない? てか持ってんの?」
当然のように頷いて、今からしに行きます? と聞いてくる。
「えっ、いいの?」
「実は僕もう日本に帰っちゃうんです、流石に持って帰れないんで」
屋上はなくて、最上階の踊り場に行った。たぬ吉君は固形の樹脂を取り出して、 軽くライターで炙る。すると、ポロポロと粉末になって溢れる、それをココナッツの器でタバコの葉と混ぜ始める。
「すごい、なにそれ」
「これね、自作なんですよ」
ずっとゴアだとかインドの俺の知らない街を一人で旅してきて、西洋人と一緒に薬草三昧の日々を過ごして来たという。そこでやり方を色々教えてもらった。そしてこのお皿も紙やすりを買って、ひたすらココナッツの殻から削り出したのだそうだ。
「俺は昨日バングラデシュ人に紙巻きタバコで作るやり方を教えてもらったよ」
「人によって色々こだわりがあるみたいなんですよね」
「そうなんだ」
一人で部屋で、お菓子とか水を用意して篭ってするのが最高なのだと彼は言う。
「無性に甘いものが食べたくなるんですよね」
「あと、すごい喉乾くよね」
手際よく混ぜて名刺のボール紙を切ってフィルター代わりにすると巻き紙で上手にくるくるとまとめる。
「慣れてるなあ」
「そりゃあずっとやってますから」
火をつけると一服喫って回してくれる。
俺は少し喫って肺に貯める、彼はタバコと同じように贅沢に喫う。
「うまいね」
「いいでしょ、チャラスもう一個あるんですけどそっちは炙ってもうまくボロボロにならないんです、まあ安かったんですけど」
「チャラスって言うんだ」
「インドではそう呼ぶんです、ハシシ? 樹脂の塊にした奴」
長い間、冒険を喋れる日本人と会っていなかった所為だろう、彼は饒舌だった。
今迄行った街の話、部屋の中で大量のガンジャを燃やす西洋人のパーティ、温泉のあるマナリンという地方、チャラスの値段と質、味の関係。たまに有機溶剤の匂いがする奴があってそれはハズレだ、とか。
異世界冒険譚を色々聞いた、だがぼうっとしていたのであまり憶えていない。
それから30分近く紫煙をくゆらせて思い出話に興じた。
「喉乾いちゃったな」
「行きますか」
「うん、ありがとう」
立ち上がると空になった水のペットボトルを取って部屋に戻った。
水は宿に設置してあるウォーターサーバーから1リッター10ルピーで汲める。
適当に晩飯を食べて就寝。
夜中。突如、腹痛が襲いかかってきた。
※予告※
ぎゅるるるるるるるる。ぐるるるるるる。びしゃあああああああ。
次回『或いは糞で一杯の海』オナカ……イタイ…ヨ……ッ!