王国の危機
王国ではクーデターが起きていて、と言ってももう数年前からずっとだから治安はそれなりに安定してる。
その昔、大統領だったタクシン派が汚職とかで大変で、王党派がそれを倒すべく蜂起。
派閥ごとにイメージカラーがあって、そのオレンジ色と水色のTシャツとかポロシャツを着た人同士が各地で衝突。
具体的にはそこかしこでカラフルなみんながうだうだ拳やら棍棒やらで殴り合ったり放火したりでえらい事に。
と、そんな風に荒れに荒れていたのを軍が出てきて、ええ加減にせえ、とクーデターで政権を奪取。
ざっと、そんな感じらしい。
で、軍事政権が憲法を改正するかどうかの国民投票を実施するそうで、何がまずいかというとお酒が販売禁止になる。
酔っ払って投票する人が出ないように、という事だそうだ。ただでさえ夜間や昼間は買えないビールが選挙の前日から二日間に渡って飲めなくなる。こいつは由々しき事態だ。
お酒が全面的に販売禁止になってしまったら人はどうやって生きて行けばいいのか?
答えは簡単である。隠れて飲めばいいのだ。
そんな場所はきっとある。
冒険者の直感がそう囁いた。
所詮人間とは堕落した、どうしようもなく哀しい生き物なのだ。
旅慣れた日本人をそろそろ見つけて本格的にインドの情報を聞いておかないといけないのもあって、俺はバンコク市内を探し回った。
警察だかアーミーだかのよくわからない装甲車が道の端っこに停まっていて、違反する店がないか、陰で飲んでいる人がいないか鋭い目で見張っている。
朝からずっと、一晩中だ。
違反をすると人も店も罰金らしい。
毎夜2時までやかましかったクラブも今日はお休みだ。
そう、結論から言うと町中を夜中までどんなに探し回っても飲める店は見つからなかった。
異世界人なんて選挙と何の関係ないのに、連帯責任で飲めないなんて人権侵害だと勝手に腹を立ててゲストハウスに帰ると、知らない西洋人が一階のバーカウンターにたむろしてバケツでカクテルをシェアしていた。氷と、ストローを何本も突っ込んだ例のやつだ。
「は?」
「よう、お前も飲むか?」
「なんだとコラ」
泊まっていたゲストハウスが闇で酒を売っていたようだった。
確かに、ここはだいぶ奥まった場所にあって当局の目も届きそうにない、しかし。
青い鳥の話は嘘だ。
人は、長い時間たくさんの場所を苦労して探して結果、目的のものが本当は目の前にあったんだよ、と言われたら通常はキレる。
その辺、西洋人は空気が読めない。
「ほらこのカクテルでいいだろ?」
「上等じゃねーか、表に出ろ」
「何で怒ってるんだ」
「待て、理不尽じゃねーか俺たちはお酒を奢ってやろうとしただけなのにウグッ」
こんな酔っ払いどもなど回し蹴りで一発だ。
部屋に帰ってふて寝した。いつもうるさいクラブが静かだったのですぐに寝れた。
※ ※
そんなこんなでテンプレのバーでの喧嘩もこなし、タイでの滞在日数も残り僅かとなったある日。
その日の夕方に日本人の転勤者の友達と会う約束があった。
奴は運転手のついてる車に乗って来た。
異世界駐在員の山崎くん、彼は現地法人のアドバイザーか何かをしていて会うのは10年ぶりくらいになる。
「めっちゃ久しぶり! 誰かと思った」
「お前だよっ! 何そのヒゲ、そんなの生やしてたっけ」
「いや、なめられんようにさ」
「運転手にばれたら乗車禁止にされちゃうよ?」
「えー?」
車にドレスコードがあって、あまりにひどいと載せられないのだとか。
そこは気にせず乗り込んで、
「それで、どこ行こうか?」
「仕方ないなあ、まあ任せといて」
彼はタイ語でドライバーに目的地を告げ車は夜の街を走り出す。
彼は日本では相当の遊び人で、タイにも何年も住んでいる。これは期待ものだ。
「ごめん結婚したんだわ」
「は?」
「だから、結婚」
異世界婚ではないらしい。
「いや、みんな現地で遊んでさ。それで出来ちゃってこっちで結婚ってパターンが多いんだよ。
んで日本に連れて帰ったら、風土が合わないとか環境が違うとかでバイバイって帰っちゃう。あとはお金だけ払い続けるのが現地駐在員のテンプレ」
「ゆ、夢がない!!」
「だから頑張ってこっち来る前に日本人と結婚して、連れて来た。
だからごめんけどそういう店とか行けんよ」
それは仕方ないけど、異世界の現実は厳しいみたいなのでチーレムを夢見て転移する人は心した方がいい。
で高めのタイ料理屋さんに行ってビールと焼き飯とか焼き鳥を注文。
「俺辛いのダメなんだよね」
「えー! トムヤムクン頼んでいい?」
「よくあんな真っ赤な奴食べれるなあ」
高級料理屋さんのようで、お値段はなかなか。タイ語どころか英語も話せないような観光客の日本人。お金だけは持ってそうな奴が何人もいて、山崎くんはせめて挨拶くらいは覚えるべきだとか同じ日本人として嘆かわしいだとか文句を言っている。
「だよね、俺もラジオ英語聞いてさー」
勿体無い事に、山崎君は大鍋で頼んだトムヤムクンを一口も食べていない。
だがこの味がダメな転移者も多いらしい、辛いのもそうだが主にパクチー。あとは出汁に酸味に甘さと唐辛子という四重奏が、慣れない人には受け入れられないようだ。
それは人によって感じ方が違うのは当然だし、無理に押し付けるようなものでもない。
「いただくね!」
実は既に今朝からトムヤムクンカップヌードルを二杯も食べているのに、更に大鍋の殆どは俺の腹に収まった。
本当に、このフクロタケという奴だけは止まらない。例えエビを残してもこいつだけは。
ただ、他の焼きそばとかは屋台なんかで食べた奴の方がうまかったように感じた。基本的に馬鹿舌だからかも知れない。
「会計は気にしないでいいよ」
と太っ腹な山崎君に、そんな事は決して伝えられないが。
で、食べ終わって帰る車の中で危機が訪れた。
「やばい」
冷や汗が止まらない。
そっと腰を浮かす。
「封印した筈の、ヤツが」
「もうちょっとだから! 頑張って!」
「俺の腸内のポセイドンが今覚醒するッ!」
「やめてー!」
高速を飛ばす、タイ人の運転手がチラリとこっちを見る。
首都高みたいな奴でパーキングなんかないし、王国ではコンビニでトイレを貸してくれない。ガソリンスタンドかマクドナルドだけだ。
「物理的に、もう無理だ」
「頼む、明日から乗る車がない!」
「あっ。ああーっ」
「もうマクドそこだから! 見えてるから!」
「……」
危なかった。
中毒だとかお腹を壊したのではない。敗因は、要はこの日トムヤムクンを食べ過ぎた所為で、腸が涙目で『辛い! 早く出して!』だか『どいて! そいつ下せない!』だか、そんなわがままを言った所為だろう。
みんなも、香辛料の取り過ぎには注意しようね。
危機の過ぎ去りしその後。
王国ではあとは大したことはなかった。
なお、この国で日本からの転移者がモテる理由というのを聞いたら、早いので所用時間が短く金払いがよく自分に自信がない分優しいからだとか。
ろくなもんじゃなかった。
※予告※
……まさか……ここまでとは………………
次回『天竺についた』ここからインド編が始まります。……自分がどれだけ、ちっぽけな存在だったのか……旅は人間を謙虚にするッ!