宿、恥じ入れどムエタイ叩いたM奴隷。ジハードや!
一階の椅子とかテーブルが置いてあるテラスに日本人が六、七人。
まだ起きてるとは少し予想外だった。
注目されている。
無視も悪いんで何か挨拶だ。おやすみなさいじゃ多分ダメだろう。
「お。うっす」
「あ、えっと」
「あーはい」
「昨日から」
「うん、それ。ツヅキです」
「どうも」
出会った野生動物がその瞬間でお互いの実力を判断するように、風体やオーラで相手を値踏みする。
まるで日本語の会話になっていないように思えるが、それでもこれで通じている。
若い奴が多い。女の子も二人ほどいる。
ロン毛のヒゲの奴がボスっぽい。
さっきの意識高い日本人もいた。
「あーっ言うてた」
「ええと」
「タトゥーどうでした?」
「ははっ」
ボスっぽい人はタンクトップで、腕に何個か刺青をしている。
聞けばこれっす、と見せてくれる。
「いたそう」
「やってみます?」
「えへへ」
誤魔化す。
「えっ、もう遅いよね」
「三時半、かな」
「ああ、ちょっとクラブ行ってて」
「へー」
何となく、帰って寝ていい雰囲気じゃなさそうだった。集団無意識が寂しがって引き止める、そんな匂いがする。だから皆こんな時間まで起きているんだろう。
「ここは?」
「今日から。あ、もう昨日か。マレーシアから陸路で。そう、次にインド行くんでここで情報収集でもしようか、って日本人宿で」
「情報?」
「収集?」
え、おかしな事言ってないでしょ。
帰ってきた反応の判断がつかない。
何人かが顔を合わせて首を捻っている。
だってそれがセオリーだ、と現ニートの師匠に確かに聞いたのだ。ただ彼が異世界を旅したのはもう十年も前の話で、今は状況が変わっているのかも知れない。
考えられるパターンは、
1,きょうびここで情報収集をする奴なんていねーよ
2,だれもそんな情報持ってねーよ
3,情報収集って言葉の意味が分かんねえよ
これらは実際そうであったとして、追求しても得るものがない。拠って、
4,お前の見た目からして、求める情報のハードルどんだけよ
このあたりが落とし所だろう。
「俺、実はこんな旅行とか初めてなんすよ、カオサンロード来たら詳しい人がいるって聞いて」
「あっ、そう。インドかあ」
これ多分ヒゲの効果、すごい。
さすがに剃ろうかという考えが頭をよぎる。
「ちょっとしか行ってないからなぁ」
とボスっぽい人は恐怖! インド人に騙されてえらい目にあった! という友達の話を三つ四つ語ってくれた。
「気をつけるわー」
宿のフロントから瓶のビールを買って飲む。
「いる? よかったら皆飲みますか?」
と聞くが反応がぱっとしない。
そういうものなのだろうか。
「じゃ僕ちょっと貰います」
コップを持って来てくれる、ボス的な彼は29歳だという。
異世界一周の途中で、17ヶ国目だそうだ。ワーキングホリデーというビザを使って現地で働きながら旅を続けているらしい。
「自分探しなんてくだんねーって思ってたんだけどさ。でも実際、俺は世界を旅して本当にやりたいことを見つけちゃったんだよね」
なるほど、もしかしてそういう人たちの集まりだったんですか。悪意はないのだが、一体何で俺は引いてしまっているのだろう。
それはきっと、君達の若さが眩しすぎるから。
「それがこれだったんだけどさ」
やばいっすねー。
ビールのおかわりを追加で買う時、フロントに座っている宿のスタッフに、俺たちが全員上に行けば寝られるんじゃないのと聞いたら、朝の交代までは居なきゃいけないから一緒だという。
それでも気を張らずに済むだろうに、無駄に気を遣わせてしまったかもしれない。
それから何人かが寝たり戻ってきたりでサバトの終わる様子はない。
その他大勢ももう別の話を初めている。でもそれは盛り上がっている感じじゃない。
どこか眠いみたいに、みんなとろんとした目をしている。
「おい、それそんな所に出しとくなよ流石に」
若い奴のテーブルの上に乾いた薬草がジップロックに入って置いてある。
さっきからずっと、反応に違和感があった原因はこの所為か。
ファンタジー世界によくある奴だ。
砕いて飲用にしたり、タバコに混ぜて燻して吸入する事でHPが少し回復し、そして使用者に少しの幸福感をもたらしてくれる。
ただし異世界によっては使用に制限があったり、規制されている場所もある。
タイはとても厳しかった筈だ。三十年とか余裕で刑期食らう法律。
ガイドブックには、報奨金目当てにプッシャーがそのまま密告するなんて脅しまで載っている。
「あれ? あー効いてますわー」
注意されてもその持ち主はなかなか片付けようとしない。
別にいい子ちゃんぶるつもりはないが、総合的にここでのリスクは割に合わない気がする。
たかだか数グラムの所持で人生の半分をロストする、昔そんなストーリーの映画を見た。アジアの某国で欧米人が空港で捕まって、孤独やきつい牢獄の生活に苦しみ、最後に彼女が国から面会に訪ねてきて分厚い防弾ガラス越しにおっぱいを見せてくれる。とても切ない演出のシーンだったが俺から言わせてもらえばそれでも来てくれる彼女がいるだけマシだと思う。
歴史的にタイでは欧米人がフルムーンパーティという儀式を秘密裏に行うことが多く、その際に薬草が大量に使われるのを見かねた政府が厳罰化、取り締まりを強化したのだと師匠から聞いた。
状況や様子を見て、話を聞いたりして危険な気がしたら辞めておけばいいとの事。
また話題は変わっていて、近所にムエタイを体験できるジムがあるそうで、肉体派らしい茶髪の若者は、明日実力を試すとか何とか。
それより早く隠せばいいのに、薬草の持ち主君は透明ジップロックを玩具のように弄んでいる。
悪い子ぶっちゃって。
で、いじられキャラらしい多分一番若い奴がムエタイダンスをしろとからかわれている。
「いいっすけど、ムエタイってどんなんでしたっけ」
そんな振りを受けるんだと意外に思って見ていると、広い所に移動して踊り出した。
ふと目が止まる。
うまい。
瞬間で重力の束縛を解くように、魅せる動きを作り出している。
こやつ出来る。
地味ななりをして、実力を隠しておったな。
短い即興のダンスが終わると客席からは野次。
「そんなんだっけムエタイ」
「ええっ、どんなんでしたっけ」
「さあ。でももっと足をこう」
「そうですよね」
素直にアドバイスを聞いて頷いている。
聞けば彼は薬草を遠慮しているそうで、他にも回復をしていない人は何人かいた。
最後まで残っていた女の子が一人、翌日の飛行機が早いらしく部屋に戻るという。
「こんな時間だしいっそのこともう寝ない方がいいと思うんだけど、でも寝たい。あとシャワーも浴びないと」
「じゃあ時間に起こしてあげるよ、何号室だっけ」
ボスは優しい。部屋は同じ4階だそうだ。
その子が上がった瞬間に男子会になった。
「お前追っかけてこいよ」
「今なら行けるぞ」
「シャワーから出てきた時がチャンスだって」
と、いじられキャラのダンサーにまた無茶振り。
そこは、彼も躊躇している。
「えっ大丈夫ですかね」
「あー。やりてーなー」
「お前行かないなら行っちゃうよ」
この移り変わり。
他の男どものさっき迄とろんとしていたはずの目が、気のせいか今はギラついて見える。
若いって元気だ。
なので野生動物がしばしばそうであるように、彼らはお互いに牽制し合い、抜け駆けを狙い、正統性を確保しようとしている。
「あれは頑張れば落とせるでしょ」
俺も参戦する事にした。
※予告※
すぐに振られて泣きながら逃げ出した夜、新しく移った宿で引き起こされる悲喜劇、大母音推移と日仏印同盟。
次回『フレンチポテトフライ』新キャラ、フランス人アランが満を辞して登場。「アランドロンのアランって覚えてくれよな」インド人「……」こいつの名前、忘れたッ!