一日目 第五話
もう何が起きても驚かない。そんな覚悟を持って、さっきとはまた違う建物に入っていく。内装は自分がかつて仕事で泊まっていたビジネスホテルとは比べるべくもなく、素人目にも高級とわかる調度品が並んでいた。
まあ、そんなことは利用者の層からして違うのだから当たり前なのだが。そんなホテルの裏口から入り、バックルームを通されて、AIを搭載されている幾多の清掃用アンドロイドとすれ違いながら監視室らしき部屋に入る。壁につけられた多くのモニタの中で、多くの客が行為を楽しんでいた。その中には私の知る俳優や政治家等も居たのは、もはや衝撃でも何でもない。ここはそういう島だ。お楽しみの内容は様々で、普通のプレイを楽しむ客。鞭を振って楽しむ者。振られて楽しむ客。ナイフを片手に、全身を返り血で真っ赤に染めながら楽しむ客。どれもさっき見た光景に比べれば、幾分温い。屠殺場に居るのだと自分に言い聞かせれば吐き気もしない。しかし、それでも背筋を撫でるおぞましさは消えない。感覚が麻痺していないのは良いことだが、いっそ麻痺してくれたほうが楽になれるのに、とも考えてしまう。。
「ここでの仕事は客の監視。今まで一度も無かったが、備品を壊されたりしたら困るってことで誰か一人がこの部屋で見張ることになってる。客も勿論そのことは了承してるから、覗きだとかそういう事は気にしなくていい。合意の上だ。見てて興奮したならシコってもいいぞ、ただしティッシュはゴミ箱に捨てろ」
「やらねえよ」
少なくとも、今しばらくはそんな事をする気分にはなれない。というか、下手をすれば一生そうなるかもしれない。果たしてそれはいい事なのか、悪い事なのか。良い方に取れば、彼らと同じ場所に堕ちずに済む。悪い方に取れば、適応できずにいつまでも苦しむことになる。
果たしてどちらがいいのやら。それは未来の私に聞かないとわからない。
「いい子ぶって悩むのは止めて、慣れちまえよ。その方が楽しくなるぜ、殺人鬼」
一人考えこんでいると、悪魔が囁いた。
「この島じゃ家畜相手なら何をしても許される。殺しても、犯しても。どうせお前の良心は法律を破っちゃいけねえって、下らねえ考えなんだろう? だがこの島じゃ俺達が法律なんだ。むしろ我慢する方が法に反してる」
最初見た時と同じ。禍々しさを感じる笑顔。こんな笑顔をする男に言われるのは癪だが、言っていることは的を射ている。この島で行われている非人道的行為の数々。それらは全て、外の法律に当てはめれば何もかもが法に反している。しかし、その何もかもが許されている。俳優も政治家もスポーツ選手も、黒人も白人も黄色人も関係なく、全員が許されている。この島では外の法律は意味を成さないことの、何よりの証明だ。
だが、生まれてからこの日この島に墜落するまでの間、ずっと外の法律に従い、外の法律に守られて生きてきた。ついこの前までゆりかごに揺られ、親の腕の中で育った乳飲み子が、いきなり過酷な荒野に放り出されて適応しろというのも無理な話。
「まあ、慣れたらな」
「そうか。慣れってのもあったか。ま、昨日まで牢屋の中にいたんだから仕方ねえよな。あんな禁欲的な場所にずっと居たらそうもなる」
なぜだか同情の目を向けられる。私のことが郷に入っても郷に従えない哀れな人間に見えるのだろうか。
「大丈夫だ。少しずつ、慣れてきてる」
この島に来てすぐなら、この光景だけでも吐いていただろう。しかし今は吐いていない。散々吐いて、吐くものが残ってないからでもあるが、吐き気もしない。それは自己暗示のせいもあるが、慣れてきているからだ。もっと慣れたら、この環境に適応してしまったらどうなるのか。アンドレイのように、この殺人鬼のようになるのだろうか。私が語った殺人鬼、ジョン・ドゥのプロフィールが現実のものになってしまうのだろうか。人を傷つけることに、人を殺すことに快感を覚える変態になってしまうのだろうか。
そうなるのは嫌だ。私はマトモでいたい。
「いつになったら染まるかね。楽しみだよ」
「いつになるだろうな」
私は怖い。自分が自分でなくなるのが。そうならないために、自分にだけは外の世界のルールを適用していこう。そうすれば、自我の延命はできるだろう。
自我を保つのに一番簡単な手段は一つだけあるが、私はそれをしたくないがために抗っている。
「じゃあ、仕事の紹介もひと通りこれでお終いだ」
「仕事って、これだけか?」
仕事が料理と客の監視だけとは、あまりに少なすぎやしないか。
「ほとんどの仕事は機械がやってくれてる。ヒトの手がかかるのは、ヒトにしかできない仕事だけだ」
「それが料理と監視か」
「そうだな。あと、客からの要望があれば接客もする」
徹底した人の手の排除と、それに必要になる投入資金の額には感心する。島の外でもここまでの自動化はされていない。清掃用アンドロイドを揃えるだけでもかなりの額が必要になっただろう。だが必要になる金はそれだけじゃない。島の購入に、施設の建築と整備。世界的な大企業の社長でもない限り、個人資産ではまず不可能な金額だというのはどれだけの馬鹿でもわかる。おそらくは投資で資金を集めたのだろうが……そうなると、認めたくないが、フィッシュという男はとてつもない天才だということになる。その才能をもっと別の方向に、例えば慈善事業にでも活かせば、ノーベル平和賞くらいは軽くとれただろうに。
「それじゃ仕事の紹介もひと通り終わったし、オーナーとまた面会だ。仲間が増えるのを期待してるぜ」
アンドレイとの会話が終わったら、今度は建物から出る。
一人になって、深呼吸。疲れと苦しみを息と共に吐き出して、胸を張って身体を反らし、空気を吸い込む。空に顔を向けると、息を吐き出すのを忘れるほど綺麗な星空が浮かんでいた。都市でも随分空気の清浄化が進んでいるが、この島ほど空気は澄んでいない。
そして思う。こういう星空をのんびり眺めたくて休暇を取ったのに、どうしてこうなったのだろうと。
しばらく星空を眺めていると、勝手にアプリケーションが起動して、網膜に星座の解説が映る。都会で見る偽物の夜空ならばともかく、この島の美しい星空にそんなものは無粋でしかない。二度素早く瞬きをして終了させ、星の美しさにしばし現実を忘れて呆ける。
「何してんだ。行くぞ」
「すまん。今行く」
悪魔の声に現実へ引き戻されて、また歩き始める。星空は名残惜しいが、生きていればまた見れるのだ。生きてさえいれば。




