表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/35

五日目 第一話

窓から朝の陽光が入り込んで、部屋も少しずつ明るくなってきたころに目が覚める。ベッドの上で伸びをして、シーツをのけてベッドから降りる。気分はなかなか、この島に来てからは珍しく良好。やはり良い寝具で寝れば、目覚めも良いものなるにらしい。どれほど劣悪な環境であっても、だ。

 ただ、これからまた一日が始まると思うと気分は一気に落ち込むが。

 あくびをしながら部屋の中を歩く。目的地はバスルーム。今日も早くに起きたことだし、朝食までには時間がある。その間、シャワーを浴びて目を覚まそうという考えだ。

 バスルームの扉を何度かノックして、中に同居人がいないか確認してから中に入る。もしも彼女が居ればもう少し寝ていようかと思ったが、居ないようなのでそれは無しに。服を脱ぎ、鏡に映った自分の体を眺めてみる。少しやせた、というよりやつれた、が正しいか。眠れていないわけでもないのに隈ができ、頬の肉も明らかに落ちた。目つきもだ。まるで安物のサスペンスに出てくる殺人鬼のように悪い。ひどい様だ、昔のハンサムな顔は、たった数日でどこかへ消えてしまった。

 ……自分で考えておいてなんだが、つまらない冗談だ。つまみを捻って湯を丁度いい温度に設定してから出す。最初は冷たい水だが、すぐに熱めの湯が出るようになった。降り注ぐ湯を頭から浴びる。いい湯だ、落ちた気分は一向に良くならないが、目は覚める。そのまま少しの間、寝ている間にかいた汗を洗い落とす。頭のてっぺんから、足の先まで、全身をきれいに。ついでに体も温める。

 湯を止めて、タオルで体についた水滴を拭き取り、ドライヤーで髪を乾かしたら服を着て、部屋に戻る。そこでようやく異変に気付いた。

 この部屋には、私以外誰もいない。

 ふと、彼女が寝ていたソファを見る。綺麗な正方形に折りたたまれた毛布の上に、枕替わりのクッションが行儀よく並べられているが、彼女の姿はない。どこか見えないところに隠れている事を考えて、目を閉じて耳を澄まし、息遣いを聞き取ろうとするも、物音は一つとしてない。聞こえるのは徐々に早まる自分の心拍と、呼吸だけ。

「……エンジェル?」

 不安の乗った声を出す。

「エンジェル! どこだ!」

 もう一度、私に出せる限りの大声を張り上げるが、やはり彼女からの返事はない。欠けた心が、埋めてくれるピースを探せと歯車を回す。クローゼット、ベッドの下、ソファの下、バスルーム。それだけでなく、人が入れそうにもない隙間も全て覗き込んで探すが、彼女は居なかった。どこにも、欠片も。

 だが、彼女が一人で部屋を出ていくことはないはず。外には殺人鬼がうろうろしているのだから、自殺するようなものだ。昨夜の素振りからして、自分から殺されに行くのは考えられない。

 とすれば、誰かが彼女を連れ出したという可能性が大きい。争ったような跡はないから、私たちが眠っている間にさらったか。部屋にはロックがかかっているが、解除できる人間は居る。島のオーナーの、フィッシュなら、それができる権限も持っているだろう。

「……」

 最悪の予想が浮かんではじける。悪い予感ほどよく当たる……そんな言葉が頭をよぎる。そうでなければ良い、という希望的観測が持ち上がるが、そうでなければ私は死ぬ。理性を失い、ケダモノのようになって死ぬだろう。

 時計を見る。朝食の時間が近づいてきている。フィッシュも朝食に出ているはずだ。奴を問い詰めれば答えはわかる……絶対に。だが、足がすくむ。行く先に絶望が待っていると思うと、死への恐怖からか体が動かなくなる。だが進まなければ安堵も得られない。勇気のない自分の面を殴って喝を入れ、服を着替えてネクタイをきつく締め、上着を羽織ってそのまま外へ。もう見飽きた清掃用アンドロイドを突き飛ばして八つ当たりをしながら廊下を進み、食堂に。扉を勢いよくけり開けて、わざと大きな音を立ててエントリーする。自分の小さな殻を、大きな動きで覆い隠すように。

 日ごろ大人しくしている私が、突然これほど乱暴な行動をとった事に驚いたのか、すでに朝食を摂っている連中からの視線が集まり、ざわつく。それはどうでもいい。

「フィッシュ!」

 傷んだ喉で、声高に叫ぶ。するとようやく、奥の席で一人悠々と食事をしていた糞野郎がこちらを向いた。故意に歩幅を大きく、肩を揺らしながら歩き、敵意どころか殺意すら乗せた視線をフィッシュに送る。

「朝から騒がしいね。一体どうしたんだい?」

「彼女はどこだ」

「彼女、とは誰の事かな」

「エンジェルだ。朝起きたら部屋から消えてた」

「ほう。それで、なぜ私に聞くんだい?」

「彼女が一人で部屋の外に出る理由がない。誰かが連れ出したと考えて、それができるのはお前くらいだろう」

 わざわざそんなことをするのもこいつくらいな物だろうし、もしそうでなくとも監視カメラの映像を見せてもらえばどこへ行ったかはわかるはず。

 そんな浅い考えからの行動だが、フィッシュはどう応えるのか。肯定か、それとも否定か。

「彼女はどこだ、答えろ!」

「彼女がどこにいるかだって? もちろん知っているさ。私はこの島の主だからね。島の中ならば、どこで何が起こっているか。すべてわかる」

 ジャックポット(大当たり)だ。やはり知っていた。

「昼になったら私の部屋に来なさい。朝はレストランで給仕を……」

 衝動に突き動かされるままにフィッシュの胸ぐらをつかみ上げ、優雅な朝食を中断させる。私は、こんなにも苦しいのに。心臓を抉り出されて、その中に鉄球を入れられたかのように、胸の内が冷たく、重く、空虚だというのに。ゆっくりと、おいしそうに肉にナイフを通しているフィッシュに無性に腹が立った。カラン、と食器が床に落ち、より注目が集まる。

「今教えろ」

 マフィアも顔を青くして逃げ出しそうな、胸の冷たさをそのまま外に出したような、冷たく、低い声。私にもこんな声が出せるのかと、少し怖くなる。が、出かかった言葉はそのまま音となり、声となり、心を震わせる。

「さもなくば殺す」

 言葉に乗せられた意思は、胸の冷たさとは真逆に、溶岩のように熱く、研ぎたてのナイフのように鋭い。

「できもしないことを言うものじゃない。彼女と約束したのだろう? 人は殺さないと」

 胸を締め上げられて苦しそうに。しかしそれ以上に快楽で喘ぐように、フィッシュが言葉を漏らした。

 こいつの取った行動と、苦しめられて悦ぶ変態性に激しい嫌悪を感じ手を放す。一体どこまでこいつは私を不快にさせるのか。

「盗聴か」

「正解」

 悪意が溢れ、かえって純粋に見える笑顔で認められてしまった。今更盗聴されていた程度では驚きはしない、私はこの島の地獄のような……いや、地獄そのものといえる光景、行為を見てきたのだ。それを顧みれば、皮肉でなく本当にいい趣味だとすら思える。常識に照らし合わせれば、非常識で罰せられるべき行為なのだろうが。

「恋人の真似事でも始めないかと楽しみに聞いていたのだが、いつまで経っても関係が進まないから飽きてしまったよ」

「それは良かった。お前を楽しませるために何かするなんて、金をもらってもお断りだ」

「まあ、私はそれでもかまわないのだがね。オーディエンスが劇を進めろと言い出すし。おかげで予定がいくらか早まってしまったよ」

 劇、観客、予定といきなり気になる言葉が三つも出てきて、首をかしげる。

「今のはどういう意味だ」

「こちらの話だよ。君にも関係はあるが、まあ昼の楽しみにとっておきなさい。エンジェルの居場所もその時に教えてあげよう」

「……それまで待てば、彼女の居場所を教えてくれるんだな」

「もちろん。私はうそを言わない」

「……」 

 信用できない。しかし、私にはどうしようもない。相手が何か情報を持っていて、それを教えてくれるというのだから信じる他ない。言うとおりにするしか。

「朝食もまだなんだろう? 早く食べなさい。腹が減っていては、客に最高のサービスを提供できはしないだろう」

 もうすぐ100億を迎える人類の中でも、選りすぐりの悪意、邪悪さを誇る人間たち。地球という巨大な毒壺の底に溜まった、最も濃厚な毒。触れるどころか、見るだけでも体を蝕む。それでも正気を保つためには仕方がない。

 その正気も、エンジェルという支えをなくしてもはや危ういものとなっているが……生きている、と嘘でもいいから言ってくれれば、平面に立てられた卵のように安定しない心も定まるのに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ