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四日目 第九話

 途中、何体かの清掃用アンドロイドとすれ違いながら食堂へ。今の気分を代弁するかのように重い扉を押し開き、中へと入る。ほんの数秒間、私とエンジェルに視線が集まり、すぐに興味が失せたのか各々好きなことをし始める。ルービックキューブを解きだしたり、本を読んだり、ポルノ雑誌を眺めたり。どうやら料理はまだ来ていないらしいが、全く楽しみでない。果たして今夜のメニューはなんだろうか。魚料理なら問題ないのだが、肉料理ならサラダだけ食った後部屋に還ってからチョコレートを齧って飢えを凌がねばならない。

 一度視線を泳がせ、周囲にできるだけ人の居ない席を探す。この食堂はそこそこ広いが、コンサートホール程ではないのですぐに見つかった。目当ての席に着き、再び周りを観察する。

 目についたのは、食堂の中央に置かれた、これまた骨董品らしい柱時計。時間は短針と長針の指している時刻が正しければ、午後八時十五分。頭のなかの電波時計とずれはなし。どうやら正確なようだ。正確でなければどうしたというのか。逆に正確だからどうしたというのか。

 そんなのはどっちだっていいではないか、ズレていたとしても私に害があるわけではないのに。大体、時間が狂っているとしても、他の事だって何もかもが狂っているのだから今更だ。



夕食として出された魚料理を平らげてすぐ、寄ってこようとしたフィッシュから逃れるように部屋へと戻った。ゆっくりと着いてきているようだったが、嫌悪と恐怖の混ざったわけのわからない色の感情に支配されて、ひたすら走って戻ってきたせいで少し苦しい。

 外では立ち仕事よりも座り仕事をしている方が長かった私には、ほんのわずかな距離であっても走れば汗をかき、息を荒げてへばってしまうほど体力がない。部屋に戻り次第真っ先にソファに体を投げ出すありさまだ。

「体力ないわね」

「外の大人は大体こんなものだ」

 私とは違い、エンジェルは涼しい顔で私を見下ろしながら言葉を放つ。見下すでも、軽蔑するでもなく、純粋にあきれたような視線と声が胸に刺さる。咄嗟に口から出た言い訳は適当なもので、私を勝手に平均値として定めた信憑性のかけらもないデータ。データとも呼べない何か。

 もしかすると私が特別体力がないのかもしれない。学生時代には運動部など糞くらえ、とまで思っていたほどだ。そんな学生が大人になって、体力がつくものか。否、つくわけがない。

「体力がないのはいいけど、シャワーくらい浴びなさい。汗臭い男と一緒の部屋で過ごすなんて不快不愉快きわまるわ。あなたと一緒に居るってだけでも嫌なのに」

 いつも通りの鋭い言葉に口元を緩める。正常な思考に触れていると安心できるから、だろうか。正常に見えてもどこかおかしいのかもしれないが。

「そうだな。そうしよう」

 心臓の鳴りも穏やかになり、息も整ったところで立ち上がる。少しだけふらついたが転びはしなかった。自分でもあきれてしまうほどに、深刻な体力のなさだ。

 脱衣所で服を脱ぎ、体温よりも高い温度の湯を頭から浴びる。体の奥に漂っていた何かが熱い湯に溶かされ、皮まで浮き上がり、毛穴から出てきたソレが熱い湯に打たれて流れ落ちていく。気分は、やはり冴えない。当然だ、シャワーを浴びたところで、問題は何一つとして解決しないのだから。その問題を解決する手段は私にはなく、問題は時間とともに増殖し、大きくなるばかり。抱えきれないほど大きくなったとき私は押し潰されるのだが、それを避ける道はない。

 ああ、まるで十三階段。あるいはグリーンマイルか。一分一秒ごとに絞首台、あるいは電気椅子が、音を立てて歩いて迎えに来ているような気分。外の世界ではそうなるのが妥当、当然、必然。そうなるべきではあるのだが、まだ死ぬわけにはいかない。死んではいけない理由がある……エンジェルだ。彼女を残して死ぬわけにはいかない……本当は、彼女を言い訳にして生きたいだけ。自分が死ぬのが怖いだけなのだが……

「はぁ……」

 自分の屑加減にため息をつく。多くの心が溶けた吐息はシャワーのざあざあという音に混ざり、部屋に漂う湯気に包まれて消えた。

 目を閉じて、息を吸って、吐く。それから動く。頭を洗い、体を洗い、髭を剃ってからシャワーで全身を流して、湯を止める。少しだけ、冷える。気分は多少ましになった、かもしれない。気分がよくなったと思い込めば、本当にそうなる。偽薬を使った対症療法とて馬鹿にはできないものだ。

 温まった体が冷える前にタオルで体の水気を拭き取り、ドライヤーで髪をしっかり乾かして。パンツとシャツ、いつもの寝衣を着て部屋に戻る。エンジェルは私の体を見て顔をしかめるが、その顔もここ数日で見慣れたものだ。もう何とも思いはしない。

 そのまままっすぐソファへと進み、腰を落とす。やわらかいソファは自分の形に合わせて沈み込み、わずかな抱擁感を与えてくれる。安心感はないが。

「私もシャワーを浴びてくるわ。覗いたら刺すから」

「誰もそんなことはしない」

「昼間に人の裸を見て股座をいきり立たせてたのは誰かしら。説得力がまるでないわよ」

 事実を持ち上げられては否定のしようがない。

「レディがそう下品な言葉を使うもんじゃない」

「一体誰が気にするのかしら。品を持った人間なんてどこにも居ないのに」

「私が気にする」

「じゃあ、私を女として認識してるのね」

 ただでさえ不快そうな顔が、これでもかという程に嫌悪の色にゆがむ。もともとが端正な顔つきなだけに、胸の苦しさも倍増だ。

「揚げ足取りはやめてくれ。キリがない。覗かないと言ったら覗かないから、早く入ってこい」

「そうするわ」

 長めのスカートを翻して、シャワー室へと入って、ばたりと扉が閉められた。あの口ぶりと、行動からして、彼女もストレスを感じているのだろうと解釈する。どうも、私は私のことばかりで、彼女のことはほとんど考えられていない。昔、短い間だったが付き合っていた女性にも、「あなたは自分の事ばかりで、私の事を少しも見ていない」と振られたのを思い出す。その時から何一つとして成長していない。いや、こうして自覚できる分は成長しているのだろうか……しかし自覚したところで、他人を見る余裕など一分たりともないから、成長の意味などないに等しい。

 相変わらず、屑は屑のまま。そんな屑でも、この島の連中よりはましと思える。それだけが島の人間が居て良かったと思える点だ。自分より下がいると安心でき、そうなりたくないという念も強くなる。

 私はすでに落ちるところまで落ちているが、まだ最後のラインで踏みとどまっている。社会的生物である人間と、ただの動物であるヒトとを分かつ一線。倫理という最後の一線を超えれば、人間は獣になる。

 そして獣達はすでに足に食いつき、あちら側に引きずり込もうと躍起になっている。私はまだ人間でいたいのに、もがけどもがけど牙は離れず食い込むばかり、痛みも増すばかり。耐え切れず膝を付けば、獣は喉に食らいつき、致命傷を与え、引きずり倒して食い散らし、私を同類に変えるだろう。それ以外の未来が私の脳には浮かんでこない。

 避けられぬ死、というものだ。それを目の前に突き付けられるなど、外で暮らしていた時には想像もできなかった。そんなもの、フィクションの中だけのものだと思っていた。

 フィクションと違うのは、自分が主人公であり、何もかもがそう上手くはいかない点。助けてくれるヒーローもヒロインもおらず、無力な自分では状況をどうにかすることもできないこと。

 苦しい。じわりと出血は増え続け、苦痛も増す。逃げ出したくなるが、逃げ道にはエンジェルがいるせいで通れない。彼女のおかげで正気を保てていると同時に、罪を直視し続ける苦しみを抱き続ける事にもなる。

 義務のために苦しむか、義務を放棄して楽になるか。考えてはいけない。罪は償うものだ。逃げてはいけない。


 考え込んでいると、シャワールームの扉が開く。音に反応し、視線が無意識にそちらへ向く。いたのは当然だが、エンジェルだ。数日の間、着ているものは当然違うが、似たような恰好。素肌が透けて見えるほど薄いネグリジェ。下着は上下共につけていない。さっきまでまじめなことを考えていたのに、それが一時的に頭から失せるほど、美しく見えた。汚したい、と一瞬頭に浮かんだ不穏な欲望を追い払う。

「もう少し刺激の小さい服はないのか?」

 いくら好みの年齢ではないとはいえ、昼間と同様、刺激されてはどうしても反応してしまうのは、生物として避けられぬ事だ。目を閉じて刺激をシャットアウトして悪あがき。放っておけば落ち着くだろう。

「私もこんな服は嫌よ。でも他にないから仕方なく着てるの。フィッシュに頼んで、ほかの服をよこすよう言ってくれないかしら」

「自分で言ってくれ。あいつとは話したくない」

 嫌悪と恐怖。他にも色々な理由はあるが、この二つが、あいつに会いたくない最大の理由だ。

「私の言うことが聞けないのかしら」

「……わかった。明日頼んでおく」

 私は彼女に逆らえない。逆らってはいけない。

「じゃあ、頼んだわよ。おやすみ」

 エンジェルがベッドにもぐりこみ、ライトを消す。それから私も、真っ暗な中でソファに横になり、目を閉じる。

「おやすみ。良い夢を」

 きっと良い夢は見られないが、言うだけは言っておく。地獄の中でも天国を夢見られるように、と祈るのは自由だろう。

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