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四日目 第六話

 昼食後、これから一体何をしようかと思い、エンジェルと食堂の一角を占拠して考えていた。そこへ肉料理を皿に山盛りにしたフィッシュが現れた。奴は私達を見つけると、ニンマリという擬音がよく似合う、吐き気がするような笑みを浮かべて私達の座るテーブルにやってきた。

「ここに座っても構わないかな」

「駄目だ。他にも座る場所はあるだろう」

 他の連中はもう飯を食い終わって、自分のやるべき事、社会的にはやるべきではない事をやりに行った。おかげで食堂はガラガラ、座る席などいくらでもあるので、そこに座るように促す。

「じゃあ座らせてもらうよ」

 しかしその返事は無視され、許可を出していないのに私達の前に座られた。これではまるで質問の意味が無い。そして見せつけるように肉を食らう。一体何なのだこいつは、私を不快な気分にさせてそんなに楽しいのだろうか。楽しいのだろう、私が狂うのを今か今かと楽しみに待っているような屑だ。私が不快に成ればなるほど、こいつは楽しむに違いない。

 フィッシュのニヤついた顔に、テーブルの下で握っている拳を叩き込みたくなるのを必死で我慢……するのも辛いので、この場所から離れようと思い立ち上がる。

「部屋に戻ろう」

「あなたにしては珍しく良い提案ね。そうしましょう」

 私に釣られ、エンジェルも。二人でフィッシュの居るテーブルから離れる。

「午後二時に健康診断を実施する。二人でまたここに来なさい。拒否しても迎えに行くよ」

「……了解」

 午後の予定がこれで決まった。非常に、嫌な予定だが。



 それから、少しだけ部屋で過ごしてまた食堂へ戻ってきた。もう何人かはアンドロイドの指示に従って列を作り、自分の番が来るのを待っている。暇なのか、アンドロイドに話しかけたりもしている。聞いていれば返答は低品質AI特有のテンプレートなものばかりで、やはり暇そうだ。新しい話し相手に私を見つけ、寄ってくる。関わりたくないので無視していると、彼の番がやって来てカーテンの向こうへ消えた。

 さらに、しばらく待つ。私と、エンジェルの番が来た。呼ばれるままに、二人でカーテンで仕切られた入り口をくぐり抜けて中へ入る。その中には、フィッシュと、アンドロイドが一体。

「医者はどこだ?」

「医者の代わりに、私が居るじゃないか。下手な医者よりは人間の体に詳しいから、安心したまえ。それにどうせ、今日するのは免許のいらない物ばかりだ」

 あまりにも笑えない冗談に、頬が引きつって背筋に汗が伝う。猟奇殺人鬼に体を診られる。そう考えるだけで、あまりの恐ろしさに身体が震えだす。それにこいつはどちらかと言うと、健康を守るというよりは跡形もなく破壊する側の人間だ。現に私の心の健康は木っ端微塵に打ち壊され、今は接着剤で固めてダクトテープで巻き、かろうじて形を留めている状態。マトモな医者に診てもらったら、間違いなく休養を勧められるに違いない。

 そんな私の心中を知る事もなく、フィッシュは淡々と診療の用意を始める。

「上半身裸になってくれ」

 ここまで来てしまった物は仕方がないので、本当に仕方なく服を脱ぎ、肌を晒す。冷房のきいた、少し冷たい空気が体を撫でる。全身が一度震えたのは、冷えか恐怖か。おそらく後者。

「アウトローだった訳ではないのだね。傷が一つもない、綺麗な体だ」

「ふざけてないで、真面目に診ろ」

 聴診器が右胸に当てられる。

「息を吸って、吐いて。吸って、吐いて」

 何度か位置をずらして音を聞かれ、今度は後ろを向くように指示される。全く無防備な背中を向けるのは嫌だったが、今はエンジェルも居る。変なことをしようとすれば、止めてくれるだろうと思って従う。

「異常なし。血圧を測るから、腕を出してくれ」

 また前を向くと測定用の機械を腕に巻かれ、空気が入り圧迫される。腕に神経が集中して、圧迫感もだが、拍動も強く感じる。脈は少し早いような気がする。

「上が196の、下が114。脈は83。緊張しているのかな? それとも何かしら持病でもあるのか」

 間違いなく緊張だろう。一体誰が殺人鬼に体を触れられて、平常心で居られるものか。

「持病はない。健康そのものだ」

「なら結構。機械を渡すから、後で部屋で測って夕食の時にでも記録と一緒に返してくれ。あとは身長と体重を測って、いくつか質問をしてお終いだ。そこに立って」

 測定器に背すじを伸ばして立ち、数秒。すぐに結果が出た。身長は以前測った時と変わらず、体重はニキロほど減った。きっとストレスのせいだろう。

「今まで大きな病気で治療したことは。あと服用中の薬とかは」

「無い」

「睡眠はしっかり取れているか?」

「嫌な夢を見る程度だ」

「受け答えも問題なし。健康なようだね。お疲れさま。君の番はお終いだ」

 脱いだ服を着なおして、席を立つ。

「次はエンジェル、君だ」

「ついこの前までタグを付けて監視、管理されてたのに、今更必要なのかしら?」

「経過観察といったところだよ。さあ、座って、服を脱ぎなさい」

「……わかったわ」

 エンジェルは顔に出る嫌悪感を隠そうともせず、声にも出して、それでもフィッシュの前に座った。殺人鬼の手の届く所に彼女を置くのは非常に不安なので、フィッシュの動きを指先に至るまで監視する。

「検診以外は何もしないよ。安心しなさい」

「殺人鬼が言っても説得力は皆無ね」

 全くその通りだ。だからこうして監視の目を向けている。

「……」

 一度こちらを振り返り、ため息を付いて服のボタンに手をかけ、上着を脱いだエンジェル。それからシャツの裾に手をかけて、動きが止まる。一度深く息を吸い、肩が上下した。

 瞬きする間に、ほとんど日に焼けていない、綿のように白い肌が顕になった。白い大地を金色の皮を流れるように、長く真っ直ぐな髪が背筋に落ちる。下着は必要ないからか付けておらず、首から肩にかけてのなだらかな曲線を隠すものはない。

 胸を指先でなぞられるようなくすぐったさと、首を絞められるような息苦しさを同時に味わう。手を伸ばしたい、触りたい、そんな衝動がふと湧いてきた。それに身を任せることはせず、胸に手を当て、深呼吸を何度か。拍動は落ち着き、息苦しさも少しずつ収まる。なんとか理性が勝った。

 しかし、思考では理性が勝っても体はそうはいかないらしく、上着を膝にかけて少し前かがみになる。これは仕方がない事だ……刺激されたら反応するのが肉体だ。

「触れられた痕すらない。君は紳士なのだね」

「私が紳士なら、外じゃ大半の男が紳士になるな」

 私にもっと語彙があれば、もっと洒落た皮肉を返せたのだが。小説家でも多読家でもない私にはこれで精一杯。

「褒めているのだから、素直に受け取り給え」

「じゃあ素直に言おう。シリアルキラーに褒められても全く嬉しくない」

 むしろ気分は下がる。

「そうかい」

 残念そうに返事をされたと思うと、エンジェルの座ったイスがぐるりと回り、彼女の体を正面から見せつけられた。ほんの僅かな時間、驚きに身体が固まり、瞬きすらも忘れ……気がついて、慌てて目を閉じ顔を背ける。それでも見てしまったものはしっかりとまぶたの裏に焼き付いて、消えない。

「紳士だが、紛れも無い男だ。我慢せずに手を出せばいい。甘い甘い果実が、手を伸ばせば届く所にあるのだよ。きっと美味しい。いや間違いなく美味しい! 私が丹精込めて育てた果実だ。美味しくないはずがない!」

「黙れ!」

 考えないようにしていたこと、見ないようにしていた部分をえぐり出され、本性を暴かれる。それを嫌がる私の脳は、防衛行動として声を張り上げる。動物の威嚇と同じ。客は獣で、私がしている行為も獣の物。客も、私も、根は同じくヒトという名の獣。

 それを認めたくないが故に、反論しようと目を開く。なんと、視界いっぱいに猟奇殺人犯の顔が。脊髄反射で頭突きをくれてやった。

「ぐっ! 痛いじゃないか……」」

 鼻を押さえ、よろめきながら下がるフィッシュ。ざまあみろ、という思いとともに僅かな爽快感が胸に浮かんで、フィッシュの恍惚とした表情を見て裏返った。

「私の受けた苦痛の、何万分の一だ」

「もっとしてくれ」

「死ね変態!」

 息を荒げ、目に恐ろしい輝きを宿し、苦痛と悦の混ざった理解不能な表情を浮かべ、さらには瞳孔を開かせて詰め寄られたら、私でなくとも同じセリフを吐くだろう。触れたくもないが、それでも気持ち悪いので両手を使って押し返す。この男、歳の割に力が強い、押し返すにも、なかなか疲れる。

「人のご主人様に嫌がらせをしないでくれるかしら。変態さん」

 いつの間にか服を着直したエンジェルが文句を言うと、一瞬だけ彼の注意がそちらへ向く。その隙に頬を右手で殴り飛ばす。不安定な姿勢だったせいで力はあまり入らなかったが、うまく顎の先に当てられたのか、またふらついて尻餅をついてくれた。その間にエンジェルの手を引いて部屋から逃げ出す。

 しかし、この部屋から逃げたところで、島にいる限りはフィッシュの手のひらの上だ。島の中にいる限り、フィッシュから逃れることは出来ない。

 奴が本気で追うならば、私たちはまず逃げられない。本気でないことを祈るしか無い。



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