第3話
契約を交わした。シャワーを浴びさせてもらい、服も新しいものをもらった。契約内容の確認もした。この島で働くための準備を全て済ませたら、今度は仕事の中身を見てくるようにと命令され、今は従業員の控室のような場所で、案内人が来るのを待っている。
一応軽く説明をされた時に調理、接客等と聞いたが、こんな島だ。どうせろくな仕事ではないのだろう。
「お前が新人の男か」
ドアから入ってきた男を観察する。スキンヘッド、細い眉、深い彫り、針のように鋭い目つき。人を見た目で判断するのは良くないとわかっているが、私が抱く凶悪殺人犯の偶像とあまりに合致しすぎていて、どうしても警戒心と恐怖心を抱かざるをえない。
「そうだ。よろしく頼む」
内心では怯えながらも、表情にそれを出さないように抑えこんで握手を求める。どうせこいつもマトモじゃないのだろうが、それならばより一層対応には気をつけなければいけない。下手に気分を損ねて、襲われてはかなわない。私はただの一般市民、銃を持った男に勝てるわけがないのだし。
「ああ、よろしく」
笑顔と共に差し出した手を握られる。手は熱いのに、その笑顔を向けられてひどく寒気がした。口角を釣り上げ、目を三日月のように細め。灰色の瞳が、まるで底なし沼のように意識を吸い込もうとしているような、そんな錯覚。
今ので確信した。予想通りこの男は、いやこの男もやはりマトモじゃない。正気のように振舞っているが、中身は対極。狂気の一色だ。この男が私の見ている前で何かをやらかしたわけではない。この男を深く知るような会話をしたわけでもない。だが、今まで私が一般社会で見てきた人間とは明らかに違うとわかる。
「俺のこの島での名前は、アンドレイ。お前は」
「ジョン・ドゥ」
何も迷うこと無く名無しの権兵衛と名乗る。本名を名乗らないのは、正体を晒してしまえば、それを取っ掛かりに、向こう側へ引きずり込まれてしまうような気がするから。
「ジョンか。よくある名前だ。実はこの島にももう一人ジョンが居るんだが、二人いると紛らわしいな」
「好きに呼んでくれ」
「そうかい。考えとくよ。それじゃ案内するからついてこい」
握っていた手を放して、歩き出すアンドレイ。放された手を、見られないようズボンの裾で軽く払ってから、彼の背中を追う。
「ところで、お前はどんな罪で死刑囚になったんだ」
「は?」
あまりに唐突で、意味の分からない質問。私は模範的とは言えないが、普通の市民だった。気づかない内に何らかの軽い罪に触れることは有ったとしても、死刑になるような大きな罪を犯したことは一度もない。私にそんなことを聞くのか、わけが分からずに、言葉が詰まる。
「ああ、すまん。人に尋ねるならまず自分からだな。俺はちょっと厄介な病気で、下が役勃たずなんだよ。そんで気持よくなろうとあれこれ試してたら、サツに捕まって死刑になってな」
ひどく軽い口調の自己紹介と、それに反比例する極めて重い内容。
『死刑になった』
その言葉から、『あれこれ』の内容を想像してしまい、返す言葉を失った。ただの殺人ではなく、性欲の代償、快楽を得るための殺人。そういった犯行は、プロフェッショナルであるはずの検察官さえも吐き気を催す凄惨な死体を生む場合が多いと聞く。こいつも例外ではないだろうか。だとすれば被害者達は拷問という表現すら生ぬるい苦痛を与えられ、命乞いの果てに殺されたのだろう。
それをあれほど軽い調子で言い放ったところを見るに、笑顔を見た時からハッキリと感じていた狂気は氷山の一角で、その全体像は私の想像を遥かに超えるものだったのだ。こんな底なしのキチガイとこれからも付き合っていかないといけないとは、早くも心労で倒れそうだ。
「さあ、お前はどうなんだ?」
「私は……」
どう言えばいいのか、激しく迷う。自分は違うと正直に言うか、似たようなものだと話を合わせるか。非常に不本意ながら、ここで働くと決めた以上こいつとはこれからもずっと顔を合わせることになる。関係のスタート地点を少しでも前に進めたいのなら、話を合わせた方がいい。どうせジョン・ドゥは架空の人間、私じゃないのだし、架空のプロフィールを作っても話しても何の問題もない。
「会社の同期を三人殺した。いつも見下されてて、ついな」
「なんだ。思ったより普通だな」
嘘のプロフィールとはいえ、三人殺したのを普通と言うか。ならばこいつは何人殺したのか。
「三人で普通か。そういうお前は何人やったんだ?」
「俺は何人かって? 十から先は数えてねえな。まあ、多分二十三十以上は殺ってる」
目眩がして、倒れそうになったのを壁に寄りかかって耐える。こんなサイコパスの手で、少なくとも二十人以上もの尊い人命が、想像しがたい苦痛と共に失われたという事実に吐き気さえ覚える。普通ならナイスジョークと笑い飛ばすところだが、こいつの底知れない狂気を感じ取った後では、とても冗談には思えない。
「この島に来てからも、子供を定期的にやってるからもっと多いかもな」
もはや何も言うまい。考えまい。一々反応しても疲れるだけだ。ここは今までの常識は通用しないと、いい加減に理解しろと自分に聞かせて、壁から体を離してまた歩く。
彼と一緒にまた少し進むと、何やら食欲をそそる臭いが漂ってきた。そういえば、まだ食事を摂っていない。ここでの食事はどのようなものなのか、今のところはそれだけが楽しみだ。これほどの地獄でも、食事くらいはマトモならいいのだが。
「ここはキッチン。お客様に出す料理を作ってる」
扉を開かれ、招かれるままに中へ入る。
「ああ……」
甘かった。せめて。せめて食事くらいはマトモなら、と願っていたが、その願いも無残に打ち砕かれた。
寸動の鍋に入れられ、ことこと煮こまれている、人の手。人の足。
赤黒い色をしたスープ。中身が何かは考えたくもない。
部屋の中央に吊るされた、頭と皮と手足がなく、腹を縦に切り開き臓物を全て抜き出されたヒトガタ。そこからナイフを片手に肉を削いで、様々な方法で調理する従業員。
衝撃。あまりに強すぎる刺激。平静を装うこともできず、カタカタと歯が鳴り始める。
「すまん、アンドレイ。トイレはどこだ」
「ここを出て、右側。看板があるからすぐわかるはずだ」
「ありがとう」
「マスをかくならちゃんとティッシュを使えよ」
今は下品なジョークに反応する余裕などない。口を抑えて、入ってきたドアを乱暴に蹴り開き、言われた通り廊下を出て右側へ走る。トイレはすぐそこにあって、まっすぐそこへ駆け込み便器にしがみつく。そして、胃の中身を全て吐き出して、空になった胃からさらに強酸性の液体を絞りだす。度数の強い酒を飲んだ時と同じように胃酸が喉を焼く。酒と違うのは、胃に入るか、胃から出るか。
「うっ! おえ! げは、がはぁ……はぁ、あっ……うぐ。なんて、ひどい」
口元をペーパーで拭い、拭いた紙は吐瀉物ごと水に流す。最初からマトモじゃないとはわかっていた。ある程度は予想して、予防線を張っていた。しかし、まさか人肉料理を出すほどとは思わなかった。思うわけがなかった。あの少女たちも、用途はせいぜい性処理用の人形位だろうと思っていた。実際はもっとひどいものだった。彼女は獣でさえない、家畜だ。
従業員も客も少女達も環境も何もかも、この島の異常さは全てが想像の上を行く。どうしてあそこまで酷いことができるのか。どうしてここまで酷い島を作り、経営していけるのか。不思議でならない。いや、精神構造の根幹からして、私のような一般市民とは違うのだ。理解できないのが当たり前。彼らの思考を理解できるのは同類だけ。しかし日本のことわざにも『朱に交われば赤くなる』というものがある。私もこの島で働いていれば、彼らのような異常者に成り果てるのだろうか。そんなのは御免だが、死にたくもない。良心と生存本能の間の板挟み。しっかりと自分というものを握っていなければ、この狭い世界ではあっという間に汚染されてしまう。
しかし、いくら自分を強く持ったところでいつまで耐えられるものか。強烈な異常を間近で見ていれば。強烈な異常に触れていれば、いずれ私も……。