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三日目 第九話


過去二番目に最悪な夕食が終わった後も、しばらく拘束されて他愛無い話を聞かされた。主に、身の上の自慢話を。正直耳に残るような中身ではなく、ただ単に向こうの暇つぶしに付き合わされただけだ。結局開放されたのは、夜遅く。午後十一時を回ってからだった。

 こんな時間といえば、もう外は暗く、外灯の灯りと、星と、月以外に地面を照らす物のない時間。島の外ならば、こんな時間に少女を連れて歩いていたら、お巡りに声をかけられるか、暴漢に襲われて有り金と少女を持っていかれるかの二択だが、この島ではそんな心配は無用だろう。犯罪者を取り締まる警察は存在せず、暴漢も餌を与えられて満足しているだろうから、襲われる事も多分ない。だから、安心して外を出歩けるかというと、そうでもない。人間は本能的に暗闇に恐怖を感じるようになっている。そこに何も居ないとわかっていながらも、物陰に恐怖を感じる。それに耐えながら、歩く。

「止まって。茂みでなにか動いたわ」

 エンジェルの言葉に足を止め、言葉を脳の中で反芻する。この時間に外を出歩く人間が居るとは思えないが。一応注視していると、確かに闇の中で何かが蠢いた。注意を向けていると、何か液体が滴る音が耳に入ってきた。

「この島に、人以外の動物は居ないよな」

「人の形をしていない獣は居ないわ」

 では、あのうごめく何かは人間ということになる。こんな時間に、暗い茂みの中で一体、誰が何をしているのか……誰が、という疑問も、何をしているのか、という疑問も、どちらも二択しかなく、組み合わせもたったの四通りしかない。

「引き返して、別の道を行こう」

 答えが何であっても、お楽しみの邪魔をするのは悪い。というのは建前であって、答えを見るのも嫌なら傍を通るのも嫌だというのが本音。気付かれない内に退散しよう。

「見て見ぬふり?」

「……手遅れだ」

 首を振って、そう言う。悲鳴もない。暴れる音もしない。聞こえるのは水音だけ。なら私にできることは、被害者の魂が、この地獄から解放されて天国へ行けるように祈ることだけだ。

 エンジェルに動作でこの場を離れるように促し、道を引き返そうとした直後、茂みでうごめいていた何かが飛び出し、外灯の灯りに照らされた。

「……」

 外灯に照らされた男、らしい人物。らしいというのは、やはり辺りが暗いのもあるが、何より全身が血で染まっていたから。顔も、手も、足も、服も。全身が紅く染まり、その身長と肩幅でかろうじて男と判断した。

 獣の瞳が私を捉える。獣の視線と、私の視線が重なる。心臓を射抜かれたように、体が固まる。

 蛇に睨まれた蛙とは、この事を言うのだろう。数秒の間、呼吸をすることを忘れ、ただ怯えるだけしかできなかった。昼間に少女が目の前で殺されてもどうもなかったのに、自分に危険が及ぶと考えると、恐ろしくてどうしようもない。

「何を呆けてるの!」

 そこへ喝を入れられて、ようやく目を醒ます。同時に、目の前の獣も、音に反応するゾンビのように、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 一歩。命の危機を察知して、心臓が跳ね上がり、早く逃げろと急かす。無理だ。逃げられない。

 二歩。さっきより歩幅が増した。唾を飲み込んで、一歩後ずさる。

 三歩、四歩と、少しずつ歩みが早くなり、終いには走りだした。土壇場で使えるものがないかと、脳にインストールしていたデータを漁る。

「動きなさい! 死にたいの!?」

確か、治安の悪い場所へ出張に行かされた時にインストールしたものがあったはず。目を動かして一覧をスクロールし、目的のものを探す。あった。瞬きで選択して、起動。体のコントロール権を委任。許可。

 急に体が動きを止め、意志に反して構えを取る。目の前には、大口を開けて迫るケダモノが、もう。心臓が破裂するのではないかと思うほど、早く、大きく鼓動する。勝手に、というよりも、プログラムされた通りに体が動いた。迫るケダモノの鼻先に、固く握った拳を一直線に突き出し……強烈な手応え。突進の勢いが止まり、そのまま力を失って地面に倒れた。

 相手の無力化を確認したら、コントロールが戻り……途端に身体が震えだして、膝をついた。高い金を払ってこのプログラムを買った過去の自分を褒めてやりたい。もしも安上がりにデータだけで済ませていたら、きっと今頃、倒れているのは私だったろう。

「……もしかして、殺したの?」

「一発殴ったくらいじゃ死なない……多分」

ヘビー級ボクサーのパンチならわからないが、一般成人男性の体重じゃいくら勢いを乗せても、一発では死にはしないだろう。

 それよりも、せっかく寝てくれたのだから、早くここから離れるべきだ。体の震えを抑えこんで、立ち上がる。

「今のうちに帰ろう」

「……そうね」

 いつも通り、触れ合うこと無く一定の距離を保ったまま、部屋へ戻る道を歩く。

 人を殴り倒しておいて、何も感じない。倒れる男を見ても、不気味にしか思わない。正当防衛ではあるが、人を傷つけて何も感じないのは、一体どういうことなのだろう。そう疑問を抱けるなら、まだ異常の枠にはまりきっていないのだと、安心できる。

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