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三日目 第七話

「はぁ……」

ソファに腰を落として、ため息を一つ吐く。今日この日も、昨日、一昨日と変わず散々な一日だった。振り返れば昨日今日食べたパンに塗っていたバターが、少女たちの母乳から作られたものであることを教えられ。その生産工場では、乳牛のように搾乳される少女達を見せつけられ。その中に居た一人を、目の前で殺されて。客には殺されかけて。

 ふと感じたが、これを散々の一言で済ませられる私は、どうやらこの島にかなり慣れてしまっているようだ。慣れてたまるものかと最初こそ思っていたが、慣れてしまった。変わるまいと思っていたのに、変わってしまっている。

 天井を見上げると、昨日と変わらず高く、広い。この部屋に私自身が溶けてしまったとしても、薄まってしまい誰も気がつかないだろう。

「疲れた顔してるわね」

 ソファに座り、だらしなく四肢を投げ出す私に言葉を投げかけるのは、行儀よくイスに座り、背筋を伸ばしてこちらを見つめるエンジェル。はっと気付いて、散っていた意識をかき集める。

「……ああ」

 疲れたと言っても、吐くほどではない。この程度では吐けない。初日にもっと衝撃的な光景を見せつけられて、二日目には人肉を食わされたせいで、感覚が狂ってしまっている。だが、まだ大丈夫だ。客に言われた事で揺らぎはしたが、まだ私は何が間違っているかがわかる。環境に慣れはしても、まだ思考にまで影響は及んでいない。私はまだ、正常だ。

「バター工場、見たんでしょう」

「見た」

「あれが食べられなかった私達の末路。これでもあなたには一応感謝しているのよ。人としての全てを奪われて、家畜になるはずの私を人間にしてくれたんだから」

 ……本心からの言葉なら、彼女が私に心を許したのかと思うのだが。きっと心にもない嘘だろう。彼女は私の事を嫌っている。恨んでいる。私のしたことは決して感謝されるようなことではない。そして何より彼女らしくない。仕事で多くの人間を見てきた私の直感がそう言っている。

「フィッシュに吹き込まれたか」

「正解よ。こう言うように命令されたの」

「何のために」

「知らないわ」

 目的がよくわからない。フィッシュは何を考えてこいつに今のような事を言わせたのか。やはり狂人の考えはよくわからない……わかりたくもないが。わかるとすれば、それはきっと私も同じ狂人になった時だ。

「でも、本当に消耗してるように見えるわ。狂わないでね」

「少し感覚はおかしくなってるな」

 目の前で人が、助けを求める少女が殺されても、なんとも思わない程度には。正常から逸脱した、異常。強いストレスを受け続けたことによる障害。変化。振り返れば、島に来てからまだたった三日しか経ってない。なのにここまで変わってしまっている。果たしてこれでマトモと言えるのか。

 本当に、思考まで影響されていないのか。されていないと、思っておこう。こうして自問自答できる事が、その証明だ。

「あなたが死んだら私も死ぬ。それはわかってるわね?」

「大丈夫。頭はまだマトモだから、それはわかる」

 あの客に首を絞められた時、一瞬だけ頭をよぎった殺意。あれはまだ正常な部類に入る。誰だっていきなり首を締められたら怒るだろう。それがきっかけで人を殺しても、正当防衛が認められる。だからといって殺していいわけでも、殺したいわけでもないが。

「殺人はダメよ。何があっても」

「わかってる」

「自殺するのもよ。あなたが死ねば私は死ぬ。殺される。あなたの行動で殺されるのだから、あなたが殺すも同然よ」

「わかってる」

 まだ何もしていないし、自殺するつもりもないが、彼女の責めるような強い口調の前に私はそう言うしか無かった。

「人を殺したいと思うのもダメよ」

「……」

「その考えは、例えるなら銃の引き金に指をかけた状態。環境に慣れたなら、引き金はとんでもなく軽くなってるはずよ。それこそ触れただけで弾が出るくらい」

 なぜ今、そんな話を出すのか。私が今日、客に対して殺意を持ったことを知っているような口ぶりで。

「首のアザ」

 不思議に思っていると、彼女は自分の白い首を指さして言った。首を締められたのは少し前のことだし、男を引っ張れるくらいの力で首を締められたら痣も残る。

 それを見て、一連の話をしたのか。よく見ている。私のことを嫌っていても、名前に負けないだけの行動をしてくれている。彼女には悪いが、エンジェルという名前を付けて本当に良かったと思う。これなら、私がおかしくなった時には必ず気付いて指摘してくれるだろう。

「なあ、私がおかしくなったら、誰かを殺す前に殺してくれないか」

 死は怖い。だが、死というのには二種類ある。体の死と、心の死。どちらも怖いが、どちらの方がより怖いかと言われれば、心の死と答えよう。私という心が壊れてしまえば、それはもう私じゃない。私は死んで、ジョン・ドゥという架空の殺人鬼のプロフィールだけが残る。そうなれば、私の意に反して罪を重ねるようになるだろう。そうなる位なら、そうなる前に肉体の死を迎えて罪にピリオドを打ちたい。

 そして、私の罪の被害者であるエンジェルに殺してもらうことで、犯罪を抑止し、同時に罪の償いもできる。意義のある死だ。

「他に頼みなさい」

 あっさりと、断られた。それもそうか。彼女にそんなことを頼んでも、YESと答えてくれるわけがない。

「わかった、そうする。変な頼みをして悪かった」

「私はあなたを助けない。それはしっかり覚えていなさい」

「天使は人を導く者。甘やかす者じゃないからな」

 私は弱いから甘えたくもなるが、彼女はそれを跳ね除けてくれる。その強い姿勢が、私の心を保ってくれる。


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