三日目 第六話
美しいが、醜い女性。綺麗だが、汚い手に引かれて人気のない人工林の中へと連れ込まれる。手を引かれる事に、抵抗はしない。できない。
「何をして遊びましょうか」
「考えてないなら帰らせてもらえませんか」
一体何を命令されるやら、気が気でない。ただでさえ限界が近いのに、これ以上刺激をあたえないで欲しい。
「ダメよ。面白くない」
「あなたは一体、何がしたいんだ」
「ただバカンスを楽しみたいだけよ。そのために、あなたにも楽しんでもらいたい」
ただの暇つぶし。それならば、私でなくとも良いのではないか。そう思っても、彼女には私で無くてはならない理由があるのだろう。私にはわからないだけで。
「苦しむ人を見るのもいいけど、楽しそうな人を見るほうが、こっちも楽しくなるの。あなたも、苦しむよりは楽しい思いをしたいでしょう?」
「いいえ。私はこの島を楽しいと思うような狂人にはなりたくありません」
これだけは、いくら失礼でも言っておかなければならない。私の素性を知っている相手にだけは、誤解されないように。
「私が狂ってるっていうの?」
ひどく意外そうな顔をして言うが、ひょっとして自分が狂っているという自覚がないのだろうか。
「マトモな人間が、好んで人肉を食うはずがない。狂っていなければ何だと言うんです」
正常でないことを異常という。その概念は、全ての人間、現象に当てはまる。ハリウッドスターでも例外じゃない。
「じゃあ、あなたの言うマトモが異常ね。私にとってはこれがマトモ。だって私の周りは、あなた以外皆私と同じだもの。違うのはあなただけ」
そんな事は知っている。この島に来る客は皆イカれてる。だがそれは正常である人間の総数からしたらほんの一部だ。
「外の法律では……」
「この島じゃそんな物は意味を成さないわ。そもそも、その法律が正しいと思ってるの?」
「……」
もしも法律が正しくないのなら、私の信じてきたものは一体何なのか。私が守り、私を守ってきたそれが異常だとするなら、正常でありたいと思う私は。
「あなたもこの島に政治屋が来てるのを知ってるでしょう。あなたの信じる法律は、彼らが作ったもの。あなたが異常と思う彼らが作った法は、本当に正しいのかしらね」
「やめろ」
見えていたが、あえて見ないふりをしていた事実を指摘され、口調が、仮面が崩れる。すぐに冷静になり、顔を手でなでて表情を戻す。
一体この女の目的は何だ。何がしたくてこんな問答をする。
「ようやく素顔が見えたわ。素敵よ、その苦しそうな顔」
唇が触れそうなほどに近寄られ、甘い香りのする吐息を吹きかけられ、首に手を伸ばされる。恐怖と不快感からその手を振り払おうとするが、空いているもう片方の手で掴まれ、止められた。そのまま首筋を指先でゆっくりと撫でられ、快感からか、背筋に寒気が走る。
「動かないでね。命令よ」
蛇に睨まれた蛙のごとく、その場に固まる。私の手を握る彼女の手が離され、両手が私の首を撫で回す。
「自分で見つけた綺麗な宝石を、自分の手で壊す。最高の贅沢だと思わない?」
手が止まり、そのまま両手で気道を締め付けられる。
「っーーー!」
突然の凶行、苦しさにもがく。この状況で動くなという命令に従うのは、自殺するようなもの。私はまだ死にたくない。殺されたくない。
なら、殺さないと。
一瞬だけ、発作的に湧き上がったその思い。それに従うように、私の首を占める彼女の、その豊満な胸を全力で突き飛ばした。
拘束が解かれ、圧迫されていた喉が解放された。途絶えていた酸素の供給を取り戻すように、深く早い呼吸になる。心臓の拍動も、死にかけた恐怖からか随分と早い。それとも、手に残るやわらかな感触に興奮しているのか。
「ふふ……あはは!」
私が突き飛ばした彼女は、地面に倒れたまま笑っていた。何がおかしいのか。人を殺そうとしておいて、どうして笑っていられるのか。そういった怒りが胸の奥からこみ上げてくる。
お返しをしようか。そう思い拳を握り固めたところで、彼女が一掃怪しく微笑み、自分から水着のヒモを解き始めた。
「殴られるのは嫌よ。痛いだけで、気持よくないもの」
その一言で、燃え上がっていた怒りが急速に冷めた。彼女は客で、私は従業員。手を出してはいけない。手を出せば彼女の思うまま。彼女の目的はアプローチの仕方こそ異なるが、フィッシュと同じだ。私が壊れるのを見たいだけ。わざわざこうして誘ってくるということは、私を壊す過程にその行為があるということ。
はじめて話をした時に食虫植物のようだとは思ったが、行動を見れば彼女の在り方はまさしくそれだ。握った拳を開いて、背を向けてビーチの方へと戻っていく。
「どこへ行くの?」
「部屋に戻ります。あなたの遊びには、もう付き合えません」
それ以降、後ろから何か言われても無視して一人で林を抜けた。しかし、島の様子を知りたいから出歩くなんて馬鹿なことをするんじゃなかった。おかげで、また取り返しのつかない過ちを犯すところだった。




