三日目 第一話
悪い夢を見て、目が覚めた。どんな夢かは覚えていないが、とてつもなくひどい夢を見たというのはわかる。その証拠に室内には快適な空調が効いているにもかかわらず、寒気がするほど汗をかいていたからだ。おかげで服が張り付いて気持ち悪い、シャワーをあびることにしよう。
まだ日が昇っていない暗い部屋の中。静かな寝息を立てて眠るエンジェルを起こさないよう、明かりも点けず、できるだけ音を立てないようにシャワールームに移動する。服を脱ぎシャワーノズルの下に立ち、蛇口をひねると最初は冷たい水が出るが、すぐに熱い湯に変わり、気持ちの悪い汗を洗い流して冷めた体に熱を取り戻してくれる。
少しだけ気分が良くなったので、シャワーを止め、体についた湯をタオルで拭き取り、仕事用にと用意されている綺麗な服に着替える。寝たらまた嫌な夢を見そうな気がするし、今夜はこのまま朝まで起きていることにする。
着替えたらエンジェルが起きていないか見に寝室へと戻る。まだ暗いが、眼が慣れたおかげで少しずつ辺りが見えるようになっていて、幸運にもその可愛らしい寝顔を拝むことが出来た。付けた名前の通り、天使のような優しい顔に思わず微笑む。確実に磨り減りつつある心が少しだけ癒やされたような気がする。
そのままベッドの横を通り過ぎカーテンとドアを開けてベランダに出て、手すりもたれかかる。夜風が涼しく、一度温まった体をまた冷やす。しかしそれは汗が蒸発するような不快感はなく、むしろ心地よい。目を細めて空を見上げる。深海のような青色の空は地平線の向こう側から少しずつ白さが混ざり、小さく光る星は段々と太陽の光に飲み込まれて消えていく。
地平線の向こうから、太陽が少しずつ顔を出す。黒一色の海に光が反射し、景色に変化が生まれる。これほどまでに見難い島にもかかわらず、ここから見える景色は今まで見てきた何よりも美しく、感動した。その美しさに魅入られて、しばらく時を忘れて見続けていた。
「太陽を直接見ると、目を痛めるわよ」
一体どれほどの時間見ていただろう。太陽の円が完全に地平線から姿を表したところで、不意に後ろから声をかけられる。意識が現実に引き戻された。
「おはよう、エンジェル」
「おはようご主人様。今日は早いわね」
ご主人様、という声に、あまりにも露骨な嫌悪感が含まれていて、思わず苦笑する。嫌われているのも、それだけのことをしたのだから仕方がない。
「ああ、今日は君より早く起きれたよ」
「いつもこんな時間に起きるの? あまり早く起きられると、私が辛いのだけれど」
「いいや。今日は特別だ。夢見が悪くて起きただけだ」
そのおかげで、こんなに綺麗な景色を見ることが出来たのだから、気分は複雑だ。喜んでいいのか、悪いのか。
「それと、別に君が私より起きたからって、私は何も言わないし、言う権利もない。君は独立した一人の人間なんだから」
「あなたはそう言うけれど、私はとても独立なんてしていない。あなたに守ってもらわないと、いつでも死んでしまう。ただ守られてるだけじゃ、それは一方的な依存。他人を導くようにと設定されている以上、そんな無様は晒せない」
気丈なことだ。
「私も追い詰められれば、きっと君を頼るようになる。その時になったらきっと守った分以上に世話になるから、気にしないでくれ」
この島に来てから、まだ二日。それほど短い時間しか過ごしていないにも関わらず、私の心は既に深く傷を負っている。内容は覚えていないが、あれほど汗を書くような夢を見たのだ。おそらく、傷は自覚している以上に深い。
一体後どのくらい正気でいられるだろう。きっと長くは持たない。もしかすると、彼女が居なくとも崩壊までの期限だが、それでも彼女が私にとっての救いになることを祈っている。同時に、私も彼女の救いになれるように。