二日目 第四話
十四時。レストランの裏で、一人ゆっくりと休憩をしている。朝の八時からついさっきまで、モーニングまたはランチを食べにやって来たセレブの皮を被った食人鬼達に、吸血鬼の作った人肉料理をひたすらに運び続けた。ただ運ぶだけではなく、全ての客が上流階級と呼べる彼あるいは彼女らが普段利用しているであろう一流レストランに劣らぬサービスをするために、インストールした知識の通りに体を動かされて、精神的にも肉体的にもひどく疲れてしまった。
だが、その疲れに見合ったサービスを提供できたかといえばそうではない。思い返してみても、一流と呼ぶにはあまりにぎこちない動きしかできていなかった。しかしそれは仕方がないことだ。知識だけあっても、経験と下地がなければそれを活かすことは難しい。一般人が格闘技の本を読んだだけではボクサーに殴り合いで勝てるはずがないのと同じだ。勉強で得た知識と、トレーニングによって作られた肉体と、試合の経験で培われた判断力。この三つの内二つが欠けている時点で、一流の動きができるわけがない。これといって目立った失敗がないのが、せめてもの救いか。
これから経験を積めば、少しはマシになるだろう。希望的観測を込めながら空を見上げてのんびりとしていると、裏と表をつなぐ通路から足音が聞こえてきたので、そちらに視線を向ける。一体誰だろうかと。
「……おや」
表から顔を出したのは、ランチに人肉料理を食べに来た客の内の一人。本性を知るまでは、私がファンだった女優。今更チップを渡しに来た訳ではないだろう、一体何の用事があって、この薄汚い路地に顔を覗かせたか。
彼女は私を見るに、楽しそうに微笑んで路地に入ってきた。
「お客様。どうされました? お召し物に埃が付きますよ」
休憩中だからとゆるめていた気分を、ネクタイを締めるかのように引き締めて、すぐさま頭の中にインストールされた知識からこの場面に適切な言葉を選択して声をかける。一流の動きはできなくとも、セリフは知識だけあれば言えるのだ。
「あなたに会いに来たのよ」
いくら美女でも今は勘弁して欲しい。人肉を調理するシェフと、人肉料理を美味しそうに食べる客と。そのどちらもがおかしくて、おそろしくて。それを隠して接客するのに精神をすり減らし、休憩の間に少しでも心を休めようとしていた所にやってくるなんて。
「あなた新人でしょう?」
「はい。そうでございます」
いつも通り、作り笑いで本心を覆い隠して。相手の気分を損ねないように丁寧に言葉を放つ。
「人喰いに恐怖を抱くってことは、ひょっとして前科がないのかしら?」
貼り付けていた笑顔が一瞬で剥がれ落ちた。自分ではうまく隠していると思っていた本性を、一発で言い当てられて、大きく動揺する。
「いえいえ。そんな。私は同僚を三人殺して死刑になって、この島へ送られてきたのです。前科がないなど」
「演技してたつもりでしょうけど、私は演技でご飯を食べてるのよ? 素人にしては上出来でも、プロの目は誤魔化せない」
どうやら、私の必死の演技は完全に無駄だったらしい。いや無駄ということはないか、一応、フィッシュ以外には素性を知られてないのだし。
「そうですか。で、それがどうかしましたか?」
「興味がわいたのよ。私達も含めて、異常者しか居ないはずのこの島にたったひとりだけ正常な人間が居る。屑石の山にハイキングに来たら、ダイヤモンドの原石が転がってたような気分よ」
他人のことを屑石と表現するその思考には何も言うまい。理解したくもない。
「私はダイヤの原石なんて上品なものじゃありませんよ。せいぜいが火に放り込まれる石炭だ」
磨かれて身につけられるよりも、使い捨てられるという意味ではそちらの方が近い。ちょうど、見た目もそれほど良くはないし。
「何にせよ、珍しいものを見つけたら観察したくなるでしょう?」
「珍しいものが見たいなら、動物園か未開発の熱帯雨林にでも行ってください。そうすればいくらでも見られますから」
マトモという理由だけで目をつけられては敵わない。せっかく考えて名乗った、ジョン・ドゥという偽の名前。同僚を三人殺して死刑になった殺人鬼という偽の経歴を名乗っているのだから、そういう扱いをして欲しい。
「私はジョン・ドゥ。この島の、他の誰とも変わらない殺人鬼で、元死刑囚です。そういう扱いをしてください」
そうでなければ、折角作った偽の名前と経歴も意味がなくなる。もしも周りに、私が人を殺したことのない健常者だとバレたらどうなるかわからない。どうにもならないかもしれないが、そこは狂人達の考えることだ。予想もつかない。
そう言うと彼女は少し呆れたように肩をすくめ、こう言った。
「下手な演技じゃいずれバレるわよ。指導、してあげましょうか?」
「! ハリウッドスターの直接指導ですか。
それはまた、魅力的な提案で」
本性を知るまでは、彼女のファンだったこと。プロ直々の指導なら、データをダウンロードするだけでは得られない何かも得られるかもしれない。その二つのおかげで、心が大きく揺れた。
がしかし、相手がプロなだけに今の彼女も演技をしているのではないかと疑ってしまう。一つ疑ってしまうと、彼女が食虫植物のように見えてしまう。食虫植物が虫を引き寄せるために良い香り放ち、虫を誘き寄せて食べるように。彼女もまた魅力的な餌をぶら下げて、懐に入ったところを食べるつもりなのかもしれないと。その可能性を考えてしまうと、どうしても誘いに乗る気にはならなかった。
「折角ですが、遠慮させて頂きます」
それに、異常者との関わりが深くなればなるほど、自分もその影響を強く受ける事になる。私はできるだけ長く正常で居たい。プロは騙せなくとも、騙さなければいけない対象は騙せているのなら、これ以上上達する必要性も感じられない。なら影響を避ける行動を取るべきだろう。
「それは残念ね。でも、気が変わったらいつでも指導してあげる。待ってるわ」
彼女が少し残念そうな顔で言うと、極めて自然で、そして艶やかな手つきで名刺を私の胸ポケットに差し込んだ。
「シーユー、ジョン」
あまりに自然な行動に、身動き一つ取れなかった私を一つ笑って、後ろを向いて路地から去っていく。
しばし呆然と立ち、彼女の足音も聞こえなくなるまで待つと、体から力が抜けて壁にもたれかかってしまう。無意識の内に緊張していたのだろう。一つ息を大きく吸って、吐く。そして彼女の顔を思い出し、つぶやいた。
「全く。何考えてんだか」
この島に落ちるまでは、拙いながらもビジネスマンとして様々な人間を相手にし、仕事をもらうために相手の考えを読み、求めるものを言い当てて関係を得てきた。
当然その中にも考えのなかなか読めない相手、読みにくい相手も大勢板。実力が足らず、考えを読みきれなかった事も多々あった。それでも全く相手の考えが読めないというのは初めての経験だ。さすがは、人を騙すことを生業にしているだけある。おかげでなかなか貴重な体験ができた。もっとも、この経験が今後役に立つかはわからないが。