三話、草原より
晴れ渡る空、見渡す限りの草原、爽やかな風。そんな素晴らしい大自然の中、俺は腰に手をあて言ってやった。
「エアリア、今日から俺を『お兄ちゃん』と呼べ!」
「…………その言葉で勇者への好感度が、七十からマイナス一兆まで下がりましたよ」
「いやそういう意味ではなくて」
軽くツッコミをいれつつ、好感度が七十もあったのかと喜びを感じ俺であった。エアリアはというと、身体を自分の腕で包み、俺からずりずりと遠ざかっていく。
「あれですか、朝起きたらロリコンに目覚めてしまったんですか。とんでもない変態ですねロリコン勇者」
「その言い方はやめろ、いろいろ語弊を招く」
「なにが招くですか幼女依存症、もうガンガンに迎え入れてるじゃないですか」
「言いたい放題だな」
「精神異常者に手加減するほど、私は優しくありません」
「そこは優しくするところでは……」
「なにか言いました?」
「いえなんでも」
このやり取りをしてる間に、エアリアは五メートルほどあった差を十メートルまで引き伸ばした。ずりずりと。このままでは本当に俺がロリコンになってしまう。
「いいか、お前が俺を『勇者』って呼ぶと、いろいろ面倒な事になる。この前もそんなことあったろ?」
「ふむ、そういえば」
三日程前、家に居る時にエアリアが「ゆうしゃ、それ取ってください」と俺に話しかけた。それをたまたま母さんが聞いていて、「なあに、ゆうしゃって?」と聞かれたのだ。とりあえず「あ、あれだよ。ごっこ遊び」と誤魔化しておいたが、五歳の男の子がごっこ遊びとか少し幼稚い気がする。まあ母さんは納得してくれたが。
「俺達はもう五歳だ。このまま俺が『勇者』って呼ばれ続けたら、俺は双子の妹に自分を『勇者』と呼ばせるイタいやつになる。それは死活問題だ」
「確かに、そんな変態さんは社会的に死んでますね。もしも生きてたら自殺を推奨します」
「そんなにか」
「そんなにです。私のような女の子を変な目で見る人たちが生きていると思うだけで、鳥肌が立ちます。今も立ってますよ、ゆうしゃが目の前にいるので」
「なんだそれは、俺に死ねと」
「首吊りはオススメしませんね、死体がかなりエグいことになるらしいので」
「なんで死ぬ前提なんだよ」
「私的には、男らしく切腹がいいと思いますよ」
「いや俺死なないからな?」
距離は更に伸びて、目測約十五メートル。そこまでされると少し凹むぞ。
「なあ、真面目に聞いてくれよ。俺はそのイタい奴になりたくないんだ」
エアリアはきっかり三秒ジト目で俺を見つめると、腕を解いて俺の所まで歩いてきた。目の前で立ち止まり、後ろに手を組みニッと笑って一言。
「これでいいですかね、『兄さん』」
………………今、ほんの少し、ほんとに少しだけロリコンの気持ちが分かったかもしれない。いや本当に一ミリないくらい。
「さ、私は母さんの所に戻りますけど、兄さんはどうします? もうご飯の時間だと思いますけど」
そういえばそうだと思うと同時に、腹の虫が小さな音で鳴いた。エアリアは反応しないので、聞こえなかったのだろう。良かった。
「俺はもう少しゆっくりしてるよ。母さんに言っといて。それとサンドイッチ、残しとけよ」
「あー、覚えてたら残しときます」
「お前いつもそう言って全部食うよな」
「あははー何のことだかー」
「はぁ………まあいいよ」
「今の言葉、覚えておいてくださいよ?」
エアリアはそう言い残して、少し離れた所に座っている母さんの元へと駆けていった。
「ふぅ」
とりあえず寝っ転がった。地面には背の低い雑草が生い茂っていて、背中やお尻にチクチクと刺さる。痛くはないがこそばゆいその感触に、少し浸ってしまった。まあ一瞬の感触だったけども。
目に入るのは、一面に広がる青。その中に散りばめられた白い綿。その景色は爽やかな風と相まって、俺の心を浄化してくれる。深呼吸をすると草の匂いが入ってきて、それもまたミントのようでスカッとした気分になる。日本にいる頃も勇者の頃も、こんな自然の中でくつろいだことなんてなかった。これはいいものだな。
しばらく空を見ていると、三角形の雲が漂ってきた。まるでサンドイッチだなー、なんて暢気なことを考えていると、また腹が鳴った。口に唾が溢れてくる。母さんのサンドイッチは不思議なほど美味い。ステーキとどっちがいいと言われれば、俺はサンドイッチを選択する。
なぜそんなに美味いかは謎だ。普通にレタス(らしき草)と卵(何故か黄身だけ)が挟まっているだけなのだが。母さんにレシピを聞いても「ふふっ、マアトとエアリアが子供を持つくらいになったら教えてあげるわ」なんて誤魔化される。
三回目の腹の虫。あー、そろそろ飯にするかー。絶対エアリア完食するし。俺は手をつき立ち上がって、絶対のサンドイッチが待つ母さんの元へと向かった。
「はむはむ……あ、ひいふぁふ。ひゃふひょのほひはひふぁふぉ」
「すまんエアリア、この世界の言葉で頼む」
「ほら、エアリア。口にもの入れながら喋っちゃダメでしょ?」
母さんはリスのように頬を膨らますエアリアを、コツンと叩いた。
「ん、ごくっ。兄さん、ちゃんと残しましたよ」
「いやお前、一個しか残ってないし」
エアリアが指さしたバスケットの中には、三角形のサンドイッチがポツリと一つ、申し訳ない程度に残されていた。俺の記憶が正しければ、このバスケットの中にはサンドイッチが九つ、つまり母さんを含めて一人三つ食べれたはず。
「兄さんは個数まで指定してないので。残しただけありがたいと思ってください」
「まあエアリア。母さんが止めなかったら、あなた全部食べてたでしょ」
「か、母さん! それは言ってはいけな……」
「ほぉう? なるほどなるほど、我が妹はそんなにも兄に思いやりがないと」
「いえいえ、決してそんなことは!」
「そうかー、じゃあ俺のために残しといてくれたんだなー。じゃあ兄さんはエアリアにお返ししなきゃー。そうだなー、あの辺に飛んでるバッタとかどうかなー?」
「ひぃ! む、虫は、それだけは!」
「おーっと、エアリアの手元に虫がー」
「ふぁあ!」
飛び上がって母さんに抱きつくエアリア。母さんは笑いながらその頭を優しく撫でている。まあ虫はいないのだが。
この元魔王、虫がだいの苦手なのだ。知ったのはつい最近で、あの時は確か家の物置に入った時だった。エアリアが天井に巣を張るクモを見て「く、くくく、くくもー!」と泣き喚いたことを覚えている。すぐに親が駆けつけて、父さんがクモの処理、母さんがエアリアをあやすハメになったわけだが。
「ほらほらエアリア、虫なんていないわよ」
「うーぐずっ……ほぇ?」
半泣きで足元を何度も確認するエアリア。なんだろう、ちょっといじめたくなる。と思っていたらたまたまバッタが飛んできたので、サッと捕まえた。そして左手に保持。
「ね、いないでしょ?」
「はぁ………ちょっと兄さん!」
「ん、なんだ?」
「ほわぁ!」
怒り顔で振りかえったエアリアの目の前に、十センチくらいのバッタを出した。表情は一変、また泣き顔に戻る。
「いい、いつの間に!」
「いや、今さっき飛んできてさ」
「早く捨ててください、そんな気持ち悪いの!」
手をブンブン振りながら後ずさりするエアリア。うむ、やっぱりいじめたくなるな。
「ほれ」
「いやぁ!」
「ほれほれ」
「うひゃ!」
バッタを持ってない右手で、エアリアをチョンチョンつついてやった。エアリアは俺の指が触れる度に、変な悲鳴を上げて飛び上がり、ついにはヘタリこんでしまった。
「こ、こひが、腰がぬけまひた」
「おいおい爺さんかよ」
あわわと目に涙を浮かべ、したから目線で俺を見上げるエアリア。やばい、なんだこれ。超いじめたい。
エアリアにバッタをくっつけるべく一歩踏み出したところで、後ろから叩きを食らった。
「あいた!」
「こらマアト、やり過ぎよ。エアリア泣いちゃってるじゃない。謝りなさい」
母さんは目を釣り上げて、エアリアを指さした。エアリアはそれに反応してビクッとなる。うむ、少しやり過ぎたみたいだ。
俺はエアリアの目の前に立って、右手を差し伸べた。
「ほら、立てよ。俺が悪かった、謝るからさ」
「うー」
うるうるした目で俺を見上げるエアリア。やめてくれよ、またいじめたくなるだろ。
「……サンドイッチ」
「ん?」
「今度兄さんの分のサンドイッチをください」
「ああ、いいぞ。だからほら、手握って」
「約束ですよ?」
エアリアは涙を拭うと、俺の手を取り立ち上がった。
「もう、まだ力が入らないじゃないですか」
「そうか、そんなお前にはプレゼントをやろう」
ピトッ
「ふぇ?」
俺は左手に持ったままだったバッタを、エアリアの額にくっつけてやった。
「あ、ああ、ああ」
「ふっ、油断したな妹よ」
エアリアは手を空中で開いたり握ったりしながら、声もなく涙を流し始めた。そしてまたへたりこむ。
「こらマアト、母さんの前に来なさい!」
「じゃあ母さん、先に帰ってるから!」
「あ、こら! 待ちなさーい!」
俺は遠くに見える村へと全力疾走を開始した。文字通り風を切って、草を足で踏み固めながらとにかく走った。なんだか馬になった気分だと思いながら後ろを見ると、母さんが俺に向かって叫んでいた。何言ってるか分かんないけど。
今日学んだこと。エアリアを虫でいじめるのは楽しい。そしていじめられてるエアリアは可愛い。
その後俺は家で一時間近く怒られた挙句、夕食の肉を全てエアリアに取られた。そういえばエアリアって、蝶々は大丈夫だったよな。どういう原理なんだ?
この話以降、食べ物、動物等は地球の名前で出します。