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16:00。
僕達は水族館を切り上げてからは、新さっぽろ駅のショッピングモールをブラついている。
周りからは、特に僕達を怪しむような様子は感じられなかったので、安心した。少し自意識過剰だったかも知れない。しかし、僕達の関係は、他人からはどのように見られるだろうか。親子と言うには僕が若過ぎるし、兄妹だと言っても、ハルの方が背が高いので、これもまた不自然だろう。
僕はハルの目を盗んでは、何度か源介に連絡を取った。不思議な能力については、まだ言っていない。
京子からの依頼はハルの非行を阻止することであるのに、学校から抜け出して来たところを一緒に遊び回っているとなれば、ミイラ取りがミイラになったようで、問題だ。このままで良いのかと焦ったが、源介は京子に現状を報告し、タチの悪いナンパから救った成り行きで仕方が無いという事情を説明してくれた。むしろ、せっかくのチャンスなので、そのままハルとデートを続行し、警護も兼ねて、観察してくれて構わないと京子本人からお墨付きをもらった。
こうなれば、調査という名目で堂々とハルとのデートを続けられるわけだが、今度は、懐いてくれているハルを裏切るようで胸が痛くなる。まさか、今日の一部始終を祖母に報告されてしまうなんて、夢にも思っていないはずだ。
「探偵って、辛いな〜……」
「オトさん、何か言った?どしたの?」
つい腹の内を呟いてしまって、慌ててごまかした。僕が探偵であることは、ハルには秘密にしなくてはならない。ましてや、ハルの憧れの浜田探偵事務所の調査員だと知れてしまったら、話が非常に面倒でややこしくなる。
「あ、オトさん、後でね、あたしの親友のキヨミが来るけどいい?学校終わったから」
「学校の、さっき言ってたお友達?」
「うん!キヨミにオトさんのこと伝えたら、紹介してーってなった!いいでしょ!?」
「は、はぁ。別にいいけど、僕はどうしてればいいの?」
「別に、普通でいいじゃないですか!あ、そうだ!オトさん、プリ撮ろうよ!」
プリって何だ?
「プリ?」
僕が間抜けヅラで聞くと、ハルもキョトンとした表情になる。
「うん、プリ。プリクラ」
プリクラってまさか。例の、あの目が異常にでかくなって肌もツヤツヤになる、ゲーセンとかにある写真か?何を隠そう、僕はプリクラなんて撮ったことがない。
「プ、プリクラ!?と、撮ってどうするの?」
「どうするのって何が?」
「えっ」
「えっ」
何やら話が噛み合っていなさそうな雰囲気になった。
落ち着け。プリクラというものは、撮影してそれをどうするとか、そんな深く考えちゃいけないのだ。女子高生にとっては、ごく当たり前のコミュニケーションの一つなのだろう。プリクラを一緒に撮影する、そしてそれを分け合って、後日また別の友達と交換し合う。それは、会社員が名刺を交換するようなものなのだろう。そうだそうに違いない。それであっているか?
「まぁいいや。とにかく、撮ろうよ!後、ラインも教えて!」
スマートフォンの通話やチャットのアプリか。ラインなら、源介達との連絡用に、僕もアカウントを持っている。
「あ、あぁラインね。オーケー。えーと僕のアカウントIDは……」
「何してんのオトさん、貸して!」
ハルはそう言うと僕のスマートフォンを奪い取り、何やら操作してから、その上に彼女のスマートフォンをかざして見せた。音が鳴った。
「はい、これで完了」
「えっ、今何したの?」
僕のラインの連絡先に、ハルが追加されている。
「も〜、オトさん、年よりも結構ガチでオッサンですよね」
ハルが笑う。僕は、自分で思っていたよりもオッサン化しているらしい。そう言えば、最近枕が臭い。すでに酒が飲みたい。何とかしなくてはならない。
17:20。
ビル二階の吹き抜け部分から、柵に寄りかかり、一階書店前の広場を見下ろす。北壟の制服を着た、黒髪ミディアムの可愛らしい女の子が、キョロキョロしながら歩いて来る。ハルと違ってアウターは着ておらず、ブレザーの中に紺色のカーディガンを着ているようだ。僕の頃もそうだったが、北国の高校生は基本的にどんなに寒くても、制服の上にアウターを着たがらない文化がある。
「あっ!いた!キヨミ〜!」
どうやらあの子がキヨミらしい。ハルが、柵から身を乗り出して手を振った。キヨミが僕達に気付いて、下から手を振り返して笑った。
その時。
突然、右側から走って来た男が、キヨミを両手で勢い良く突き飛ばした。
「えっ!?キヨミ!!」
ハルが叫んだ。
キヨミが、うつ伏せに倒れる。
男の右手には、光る短い何かが握られている。
ハサミだ!
心臓がドクンと大きく跳ねる。
「ヤバい!ハルちゃん!ここにいて!!」
無我夢中で柵の上に片足を乗せ、それを飛び越える。一階の床に着地した瞬間、足の裏から激しい痛みが走り、辺りの通行人が驚いて立ち尽くしている様子が見えたが、今はそんなことはどうでもいい。
間に合わない!
広場にいた一部の若い女性グループが事態に気付き、金切り声を上げた。それを聞いた道行く人々が足を止める。
男は、キャップにサングラス、マスクで完全に顔を隠している。中肉中背、黒のダウンジャケット。
何が起こったのか理解できず、声も出せずに倒れたキヨミに、背後から男が襲いかかった。
かのように見えた。
次の瞬間、男の左手には、何やら布切れのようなものが握られていた。
「キャアアアアア!!」
キヨミが絶叫した。何が起きたんだ?男は、すぐにその場から逃走した。
「貴様!待て!!」
僕は数メートル追いかけたが、男は流れるような動きで通行人をかわし、予想以上の早さで見えなくなってしまった。これ以上の深追いは危険だ。今はキヨミの安全確認が先だ。
「キヨミちゃん、大丈夫かい?ケガは!?」
キヨミは、泣きじゃくっている。暴行をされたようには見えなかった。出血もないようだ。倒された時も、しっかり両手で受身を取れていたように思える。
「キヨミ!」
ハルが駆け付けた。
「キヨミ、大丈夫!?何されたの!?」
「大丈夫だ。ケガはなさそうだ。それにしても、あいつは一体……」
「あ、あたしの、パ、パンツ……」
「えっ!?」
パンツ?
「キヨミ!まさかあいつ!パンツ盗ったの!?」
どういうことだ。
「体は大丈夫……でも、パンツ……」
野次馬は、何が起きたのかよくわからないが、大丈夫そうだと言ったような雰囲気で散って行く。
「キヨミ、立てる?トイレ行こ!オトさん、待ってて!」
「え、あ、ハルちゃん、どういうこと?」
「パンツ盗まれたんですよ!」
僕は、驚いて言葉が出なかった。さっきの男は、わざわざハサミでキヨミのパンツを切り裂き、盗んだと言うのか。
ハルが、腰を抜かしたキヨミに肩を貸して、女子トイレへ向かった。
17:35。
ハルの体育のジャージをスカートの下に履いたキヨミを連れて、僕達は喫茶店に来ていた。
北海道の女子高生が、スカートの下にジャージを履く姿は珍しくない。このスタイルは俗に『ハニワ』と呼ばれ、その呼び名のとおり埴輪の衣装のように見えるからだ。見た目はだらしないが、ストッキングも履かずに素足で登校した挙句、寒さに耐えかねた末の最後の手段として使われる。
そもそも零下になる気温の中を、素足で登校する一部の北海道の女子高生は異常だと思う。女子高生にしか理解できない価値観、文化があるのだろうが、女の子が下半身を冷やすなんて、やはり見ていて辛いものがある。今回の事件も、もしキヨミがストッキングを履いてさえいれば、防げたかも知れない。
キヨミは目を腫らしてはいるが、暖かいコーヒーを飲んで、少し落ち着いたようだ。
「警察に連絡しないと……」
僕がそう言って通話専用のPHSを取り出すと、キヨミが慌てて言った。
「いえ!大丈夫です!そんな警察なんて!それに……」
「いや、しかし」
「オトさん、察してくださいよ。女の子なんで」
ハルまでも、そう言って僕を止めた。そんなことを言ってられる場合なのかと疑問に感じたが、確かに性犯罪の被害者が、警察に言えずに泣き寝入りするケースが非常に多いことは知っている。大事にするよりも、そっとして置いて欲しいという気持ちは、まぁわからなくもないが。
「その、まぁ、パンツだけですし……」
キヨミが、弱々しく言った。許せないことだが、ケガがなかったのだけは本当に不幸中の幸いだ。
「大人の僕が付いていながら、何もできずに、本当に申し訳ない」
僕は実際、かなり凹んでいる。
「いえそんな!オトさんが助けに来てくれなかったら、今頃もっと酷い目にあっていたかも知れないですし。あんなこと、誰だって予想できないですよ」
「そうそう、飛び降りたオトさんカッコ良かったですよ!本当、お昼もそうでしたけど、正義感強いですよね」
「いや、夢中だったんだ」
次から次へと今日は大変なことが起こる。源介への報告も大変だ。
「それにしても、あの変態は常習犯なのかな。犯行の時の手際が良過ぎる。キヨミちゃんを予め狙ってたのかな?素早過ぎて、何が起きたのかも、最初はわからなかった」
「追い剥ぎ……」
ハルがコーヒーカップを見詰めながら、そうぽつりと呟いた。キヨミがハッとして、怯えた目でハルを見た。
「追い剥ぎ?随分古い言葉だね」
「オトさん、知らない?最近、札幌で噂になってる、連続下着強盗。そいつの通称が、追い剥ぎ」
下着を剥ぎ盗るから、『追い剥ぎ』か。確かに、そんなようなニュースを地方紙の隅で何度が見た気もするが、僕はよくは知らなかった。女性に性的な暴行は加えずに、あくまで下着だけを盗んで去ると言うのか。イカれている。
淡々と語るハルの隣で、キヨミが震え出した。
「キヨミ、ごめん。怖がらせちゃって。まだあいつが追い剥ぎだって決まったわけじゃないからね。ごめんね」
「警察は何やってんだ、ったく!」
僕は、苛立ちながらピースに火をつけようとして、目の前の女子高生達に気付き、苦笑いをしてやめた。
「あ、タバコ、大丈夫ですよ、あたしの両親吸いますし」
「あたしも、お客さんが吸うから慣れっこ。どうぞ」
キヨミとハルが僕に気を使ってくれた。情けない。
「じゃ、失礼」
思えば、朝に北壟の向かいのファストフード店で吸ってから、半日ぶりのピースだ。心が穏やかになっていく。
「あの変態野郎……あたしが捕まえる!」
ハルが、怒りを目に浮かべながらそう吐き捨てた。僕はそれを聞いて驚き、激しくむせて咳き込んだ。