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男が勃起するのは、女に対して性欲を抱くからだ。もちろん僕も男なので、目の前の美少女に対して、性欲を全く抱かないと言えば嘘になる。しかし今は、少しもそんなことは考えていなかった。これは神に誓って本当だ。僕は調査の為に、頭を回転させ、神経を張り巡らせ、少しばかり緊張しながらも、彼女から少しでも多くの情報を得ようと、躍起になっていたのだ。
性欲の他に考えられる理由としては、寝起きの時であったり、非常に疲れている時などに、ワケもわからないまま突然勃起することはある。俗に言う「チンポがバカになる」と言うヤツだ。だが、今のは明らかにそれとも違う。
精神と肉体は繋がっている。心の中に生まれた小さなスケベは、ムラムラと大きく膨らんで、瞬時に肉体へと伝播し、種を繋ごうと雄の本能を呼び覚ます。一度この雄スイッチがオンになれば、6cmが13cmになり、しわが伸びて黒曜石のように光り輝き、完成する。この完成まで、通常は小さなスケベ発生からわずか数秒である。
しかし、今のはそのわずか数秒さえもかからなかった。本来あるはずである精神から肉体へのプロセスを完全に無視し、主である僕を置き去りにした状態で、まるで独立しているかのように独立したのだ。
「はい、ここまで」
下半身の様子とは裏腹に、驚き怯える僕に向かって、ハルはそう呟いた。目の色は、元の青色に戻っている。体が楽になり、13cmが6cmに戻るのがわかった。
今まさに身を持って体験し、確信した。これは本物の超能力だ。さっきのバカ共が、なぜ股間を抑えて倒れたのかがわかった。
この子は、とんでもない超能力少女だ。とんでもないのはもちろんだが、それよりも大変なのが、何でよりによってこんな能力なのだ。
「ななな何するの!や、やめてよ!!」
取り乱す僕を見て、ハルは手を叩いて笑った。僕は自分の顔が赤くなるのがわかった。
「びっくり?すごいでしょ。ちょっと下品ですけど。でも、これやり過ぎるとあたしも疲れちゃうんです」
いや知らないが。
「し、しかし、本当に驚いたよ。でも、こんなすごい秘密を、見ず知らずの僕なんかに、なぜ教えてくれたの?」
「秘密にしてるって言うか。言ったところで誰も信じないし、説明するのも面倒なだけって言うか。でも、オトさんは気付いてくれたみたいだから。それに、オトさんだって、見ず知らずのあたしを体はって助けてくれたでしょ。だからかな?」
理由になっているのか、なっていないのか、よくわからなかった。それにどちらかと言えば、助けてもらったのは僕の方のような気がする。しかし、そこを深く考えるのは、この際やめた。
「ねー、それよりオトさん。どっか行こうよ!」
「いや、だからね、僕のような会社員が、平日の昼間から女子高生を連れて歩いていたら……」
それに、こんなとんでもないサイコキネシスを使う少女と一緒にいるのは、何かトラブルに巻き込まれやしないかと、少しだけ不安だ。
「あたし、ホラ、こんな髪と目でしょ?だから、女子高生のコスプレってことで!」
考え過ぎかも知れないが、「こんな」と言う表現に、何か悲しいものを感じた。堪らず、僕は口を挟んでしまう。
「その髪と目、素敵だね。きっと、同級生から羨ましがられるだろ?」
「……どうなんだろ。よくわかんない」
ハルは、目を背けて小声で言った。この反応は、やはりハルに取っては、どちらかと言えばコンプレックスなのだろう。
「えっ、まさか、これ天然だと思ってる?あ、そう言えば、オトさん、あたしの髪と目のこと、あたしから言うまで全然触れなかったですよね。そんな人も初めてかも」
ギクりとした。知ってたからです!とは言えない。そうだ、彼女からして見れば、容姿について触れられないことは、逆に不自然なのだ。
「い、いや、その、髪は染めて、カラコンをして、お洒落なのかと思って、見てたけど。でも、天然だとしたら、尚更素敵だな」
「うっそー、こんな色、天然なわけないじゃん!」
ハルは、不自然に笑ってそう言った。
「え、やっぱりお洒落なのか?」
「さぁ、どうでしょう〜。どっちでもいいじゃないですか」
「そうだな、どっちでも、ハルちゃんはハルちゃんだ」
心臓がキュッと締め付けられるように感じた。ハルは、また笑顔に戻って、この話題から逃げるように、話を元に戻した。
「えっとー、もしオトさんと歩いてて、何かオマワリとか邪魔が入ったら、あたしの今の能力で」
ハルは拳を握って、自信たっぷりの笑顔を見せた。まさか、普段からこの能力を悪用しているのだろうか。
「こ、これでって、何を考えてるの!?」
「えへへ秘密〜。せっかく仲良しになれたんだから、もうちょっとだけ付き合ってくださいよー」
そう言えば、ハルはさっき、学校に友達があまりいないと話していた。こんなに人懐っこい子なのに、見た目も変わっているし、人に理解してもらえない不思議な能力のこともあるからか、疎外感を感じて生きているのかも知れない。こんなにしつこく、僕のような冴えない男に絡んで来るからには、きっと寂しいのだろう。そう思うと、リリィのように、僕は自分の過去と彼女の姿を重ね合わせてしまった。
「いや、その。何だか、放って置けないな。ハルちゃんは」
「えっ、何で何でですか〜?」
ハルは、首を傾げてイタズラっぽく笑った。寂しそうに見えたが、実はそんなように見えるように、狙って演じているのではないか。ちょっとわからなくなってしまった。
14:00。
結局ハルの押しに負けて、僕はハラハラしながらも、ハルを連れて歩いている。
僕達は狸小路からまた地下鉄に乗り、地下鉄東西線新さっぽろ駅で下車し、札幌市厚別区にある新札幌と呼ばれる地域に来ていた。
新札幌と言っても、札幌と別の市ではなくて、あくまで札幌市内の南東に位置する広大なベッドタウンの呼称に過ぎない。札幌の副都心として開発された為、そのような名前になったのだろう。つまり、札幌の中に新札幌と言う地名があるということだ。
駅からは巨大なショッピングモールへと繋がっており、僕達は何となく、その中にある古く小さな水族館に立ち寄った。
「頑張れ!頑張れ!あぁ〜もう!」
ハルは、水槽の中の電気ウナギに向かって声援を送っている。電気ウナギも疲れているのか、数分置きに一瞬だけ、ビリッと僅かな電気を発するだけで、少しも動かない。水槽の中には大きな電球が飾られており、電気ウナギが本気を出して張り切ると、この電球がビカビカと派手に光るという仕掛けらしい。もうさっきから十数分この水槽に張り付いて観察しているが、今のところ電球も一瞬だけ、申し訳程度に光るだけだ。
「やる気ないね、おまえ。あたしとおんなじだ!」
ハルは無邪気にはしゃいでいる。電気ウナギのつぶらな瞳が、何かを訴えようとしているかのように見えた。
「ところで、ハルちゃん。さっきの話だけれど、幼馴染みがいじめにあったって。探偵に依頼して、いじめた奴らを突き止めたとして、どうするつもりなの?」
これもちょっと気にかかっていたのだ。
「決まってんじゃないすか。あたしが、ぶっ飛ばしてやろうと思って」
水槽に映り込んだハルの顔は、険しくなっている。
「ぶっ飛ばすって、例のアレで?」
「そう、アレで」
やはり懸念していた通りだ。彼女は自らの超能力が、他人を攻撃できるものだと知っている。非常に危険だ。それは、周囲に対してでもあり、彼女自身に対してでもある。
「そ、そうなのか。ちなみに、その幼馴染みは元気でいるの?」
「学校、やめちゃった。もうずっと引きこもってる」
引きこもり。僕はかつての自分の情けない日々を思い出した。腹の底がチクチクと痛む気がした。
「あたし、学校の親友一人と、後はその幼馴染みくらいなんです。家族以外に本当に気を許せる人って。小さい頃から、ずっと一緒だった。いっつも笑ってて、優しくて、楽しくて。なのに、あんなことになって。絶対許さない」
つまり、復讐ということだ。
こんなあどけない少女が、本気で復讐を企てるなんて、何と恐ろしいことか。僕は、復讐によって身を滅ぼした、一人の哀れな男のことを思い出していた。その男もまた、ハルと同じように、他人にはない強大な力を持っていた。復讐の後に、爽快な達成感や、心の底からの笑顔なんて、ありえないということを去年思い知ったのだ。
僕はハルの若い危うさを垣間見て、段々と心配になってきた。