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 6:30。


 僕達は、リリィが運転する事務所のおんぼろトヨタカローラⅡで、ゆっくりと森本宅前を通り過ぎた。

 森本宅はススキノや狸小路の北東、札幌市東区潜古(ひそこ)の、閑静な住宅街にある。雪が積もっている為正確にはわからないが、ブロック塀に囲まれたおおよそ百坪はあろうかという広い敷地の中に、古い豪邸が建っている。これ程のものを残した亡き森本光三郎は、一体何の仕事をしていたのだろうか。


「立派な家だね~」


「いや、本当ですね。ここらで一番大きいんじゃないでしょうか」


 塀の入り口から玄関までの一本道と、京子の古い三菱パジェロの駐車スペースだけは、綺麗に除雪されている。除雪された後の地面にうっすら固そうな雪が残っている為、ロードヒーティングではないようだ。これだけの面積を人力でスコップやスノーダンプ(両手で持ち手を掴んで使う、特大のシャベルのような道具)で除雪するのは、京子やハルだけで行うのは無理だろう。恐らく、家事を手伝ったりする人も雇っているに違いない。除雪された雪は、庭の奥でピラミッドのように綺麗な山になっていた。その高さは、ゆうに家屋一階の天井を超えている。


 すぐ近くの公園脇に車を停め、車内から森本宅を見張る。面倒なことをせずに、いきなり学校に行って待っていても良いが、素行調査であるので、なるべく自宅を出た後の行動を全て把握したいのだ。エンジンを止めてしまうと凍死しそうになるので、アイドリング状態にしていたいのだが、長時間このままでいるとさすがに近隣住民の迷惑になる。


「一回、エンジン切りましょうか?」


「そうしよっか。目立つと、ご近所さんから怪しまれちゃうしね」


 エンジンを切ると、肌で感じられる程、すごい早さで車内の気温が下がっていくのがわかった。僕は黒のトレンチコートを、リリィはベージュのロングダウンコートを、それぞれ後部座席から取り出して急いで身に付けた。僕は下着の上に、上下長袖の発熱保温インナーを着ている。リリィは、インナーは何を着ているかは知らないが、ワンピースのように大きいサイズのグレーのセーター、白いニット帽、下半身は黒いスキニーパンツ。ヒールのないショートブーツは、雪道を動き回ることを考えているのだろう。寒さ対策として、衣類に貼るタイプのカイロを沢山持って来た。


「あっ、出て来たよ!」


 ありがたいことに、さほど待たずに、家からハルが出て来た。遠くからでもわかる程、写真で見たそのままの美しく鮮やかなブロンド頭だ。やはりリリィと同じ位に背も高く、抜群のプロポーションだ。これは人目を惹くだろう。適切な距離さえ保っていれば、見失うことはなさそうだ。


「バス停、先回りしとこっか」


 事前に地図で森本宅周辺の地理を確認しておいたが、ハルが向かう方向のバス停と言えば、一つしかないはずだ。僕達は着たばかりのアウターを、また急いで後部座席へ脱ぎ捨てた。車内は暖房で暑いくらいになるので、とてもアウターを着てはいられないのだ。シートベルトを締め、静かに車を発進させ、ハルに見つからないよう迂回して、先にハルが利用するバス停へ向かう。



 6:42。



 バス停には高校生やサラリーマンが数人、白い息を吐きながら、誰もがポケットに手を入れて並んでいた。


「よし、オト!ダッシュで行っといで!」


 バス停から十数メートル離れた位置にリリィが車を停車させ、ハザードを点灯させる。僕は車を降り、走ってバス停に向かい、時刻表を見た。

 路線は二つ。ここから北へ向かう東区栄町(さかえまち)行きと、北西へ向かう北区麻生(あさぶ)行きのどちらかだ。直近の発車時刻は、前者が6:50、後者が6:53。頭に叩き込み、身を刺すような寒さから逃げるように、また走って車へ戻る。


「リリィさん、東区栄町と北区麻生です」


「ハルちゃんはどっちのバスに乗るのさ?」


「ハルさんの通う北壟高校は北区の外れです。つまり、北区麻生行きを利用するでしょう!」


「ブー!外れ!」


「えっ」


「考え方が安直。北区って言っても広いんだよ。北壟高校は確かに北区だけど、地図で見たら、東区のここからまっすぐ北にあるの。ここから北西の麻生に向かったら、すごく遠回りになっちゃう。栄町で、北壟に向かう別のバスに乗り換えるのよ」


「……知ってたならわざわざ考えさせないでくださいよ~」


「あんたを調査員として鍛えるためなのよ!ほら!後ろ!ハルちゃんもう来てるよ!写真!」


「えっ!あっ!はい」


 ハルが眠そうな表情で、バス停の最後尾に並ぶのが見えた。僕は慌ててデジカメを取り出してハルを捉え、目一杯ズームさせた。50メートル程度の中距離であれば、最近のデジカメで十分こと足りる。望遠レンズを使った本格的なカメラなど必要ないし、第一目立つのでコーカクには使えない。


 バスに乗り込むハルを数枚撮影してから、発車したバスを追いかける。車両尾行は、僕にとっては初体験だった。一般車両より遅いバスに合わせて、しかも数台の一般車両を挟みながら自然を装って追うのは、これでまた大変難しい。


 こうしてコーカクを続けながら、要所要所で写真を撮り、無事にハルに見つかることなく登校を見届けたのが8:30頃だった。



 10:00。


 学校の真向かいに建つビルの三階に、運良く大手チェーンのファストフード店があり、窓際の席からであれば校門を見下ろすことができる。この店は北壟生もよく利用するに違いない。一先ず想像していた野外での霜焼け覚悟の張り込みは、避けることができた。暖かいコーヒーを飲みながら、ピースの紫煙をくゆらせつつ、外の景色を眺めるだけの極楽のような仕事に変わった。しかし、店内で浮かないよう、怪しまれないよう自然を装うことも忘れてはいない。すでに一時間以上居座ってしまっている。夕方の下校までの時間までなど、当然粘るわけには行かない。いずれ場所を変えなくてはならないが、それを考えると憂鬱になった。

 持って来た単眼鏡を使えば、ここからの距離でも校門を通る生徒一人一人の顔まで識別できるが、不審者扱いされては面倒なので、肉眼で見張ることにした。リリィは目が悪くコンタクトをしているが、僕は裸眼で視力が1.5あるので、目立つハルならば見つけられるだろう。今は、一限目が終わったくらいだろうか。大人しく授業を受けたのだろうか。


「北壟ねえ。お坊ちゃまとお嬢様だらけの私立の進学校じゃん。あの髪、綺麗だけどさ。色々言われたり、苦労してんだろうなぁ」


 リリィはホットコーヒーをすすりながら、少し悲しそうな顔をしてそう言った。


「まぁ、そうでしょうね」


 もしかしたらリリィは、ハルに思春期の頃の自分を重ねて、心配しているのだろうか。人と違う自分の体のことで、リリィは青春時代は相当苦労したに違いない。髪や目の色が変わっているということに、周りの多感な子供達はどう反応するのか。

 しかし、ハルはもしかしたら非常に前向きな性格で、全く苦労などしていない可能性もある。余計な心配かも知れない。そうであってくれれば良いが。


 少し、しんみりした空気を変えたくなった。


「リリィさん、高校生の時からキックやってたんですか?」


「やってたよ。うちは、父親がやってたからね。もう本当にちっちゃい頃から英才教育。厳しくて嫌になることもあったけど、おかげでケンカは負けなかったからね。今は感謝してるよ」


 リリィがそう言って笑った。リリィの親の話は初めて聞いたが、仲が良いようで安心した。セクシュアル・マイノリティは、両親からの理解を得られずに、苦しんでいる人が多いと聞いたことがあったからだ。


「ハルさんの髪と目って。あれって、やっぱりハーフとかクォーターなんでしょうかね?京子さんもそんな顔してましたよね?」


「あたしもそう思ったんだけどさ。京子さんがすでにハーフかクォーターだとして、その孫のハルちゃんは外国の血は1/8とか1/16とかになるわけでしょ?顔もかわいいけど全然京子さんみたいに濃くないし。それなのに、あんな鮮やかな色だけ突然出て来るもんなのかな?京子さんだって髪も目も茶色いくらいだよ?」


「ご両親のどっちかが、また外国の人だったりとか」


「あーなるほど、それもありえるか。でもさ、あんな金色の髪と青い目なんて、ヨーロッパでも多分そうはいないよ。詳しくはわかんないけどさ、北欧の方とかに少しだけしかいないって聞いたことあるもん」


「あれは?アルビノでしたっけ?生まれつき肌や目の色素が薄くなっちゃうっていう」


「アルビノも考えたけどさ、あれって皮膚の色素が足りなくて透明になっちゃうから、髪はまあわかるにしても、目は赤くなるはずなんだよ。毛細血管とかが透けちゃって。青いってのは説明つかないでしょ」


「あっ、確かにそうですね」



 気が付くと、僕とリリィは、ハルの興味深い容姿についてあれこれ勝手に論じてしまっていた。リリィもはっとし、同じタイミングで気付いたようだ。

 こういう悪気のないつもりのやりとりが、特異な存在を取り巻く雑音なのだろう。リリィがさっき言った「苦労」の元凶だ。気まずい沈黙が流れた。僕がこの話題をふったのが悪かった。



「あたしも結局、ウザかった周りと同じなんじゃん」


 リリィが、自己嫌悪に陥っている様子でそう呟いた。さっきのように空気を良い方向にまた変えてやろうと思ったが、かける言葉が出て来ない。



 その時、窓の向こう側、僕の視界の端で、何か細かいものが動くのが見えた。


「ん?あれ……何でしょうか?」


 校門ばかりに気を取られていたが、校舎の二階の窓から、女子生徒が大きく体を乗り出している。校門よりも距離があるので肉眼ではよく見えないが、随分危ないことをするものだ。ふざけているのだろうか。あれか。今流行りの、バカなことをして写真や動画を撮影して、ツイッターとかで自慢する、俗に言う『バカッター』とか、そういうノリの遊びなのだろうか。


「えっ……!まさか!あの子!」


 リリィが、単眼鏡を覗き込みながら声をあげた。


「何が見えます?」


「ハルちゃんだよ!うわっ!危なっ!!」


「えっ!?」



 ハルと思われる女子生徒が、窓から跳んだ。

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