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ハルの家族構成について聞いてみると、何と森本家は現在、京子とハル二人だけで暮らしていると言うのだ。高齢者と高校生、女性だけの生活となると、色々と苦労が多いだろう。
ハルの両親は、どちらもハルが幼い頃にすでに病気と事故で亡くなっている。つまりハルは物心付いた頃から、祖父母に育てられた。ハルの祖父であり京子の主人でもある森本光三郎は、一昨年に胃癌で亡くなった。
ハルは元々おばあちゃん子であったと言う。そしてハルに兄弟はいない。京子とハル、お互いが唯一の肉親であり、かけがえのない存在だ。話を聞いていると、二人の間の仲が悪いということは特になさそうである。
源介が、さらにハルについて詳しく聴取を続けていく。リリィがメモを取る。京子がハルの行動を見て最近変わったことや、気になったことはないか。ハルのおおよその帰宅時間、趣味、性格など。
「そう言えば。あの子は、私には相変わらず優しいんだけど。カラオケ屋さんでアルバイトをして遅くなるから、先に寝ててって言うのよ。でも、遅いって言っても、限度があるでしょ。この前も、早朝の四時頃に、こっそり帰って来たことがあって。高校生をそんな時間まで働かせるお店なんて、変よね?」
「深夜帯の勤務は、17歳のハルさんは、法律的にアウトですね。18歳であれば法律上は可能とされてはいますが、そうだとしても、高校生を深夜から早朝まで勤務させるような企業は、常識で考えてまずないでしょう」
源介が、さっきとは打って変わって、遠慮なく事実を突きつける。ここは気をつかっても仕方がない。言う時は言わなければならない。それが探偵だ。
「あの子、私に嘘をついて、何をしているのかしら……」
京子が、不安な、そして悲しそうな表情を見せた。それを見て、僕はつい根拠のないことを口走ってしまった。
「あの、嘘をついているかはまだわからないですよ。無責任なことを申し上げるかも知れませんが、お話を伺っている限り、ハルさんが森本さんを悲しませるようなことは、しないように思うのですが……」
自信がなく、語尾が曖昧になって消える。源介が、「余計なことを言うな」と言わんばかりの表情で僕を睨んだ。僕は慌てて「すみませんでした」の表情を作る。
僕だってニート時代は、社会のゴミのような存在であっても、ゴミはゴミなりに、いかに親に心配をかけないようにするかを小賢しく考えていたものだ。もちろん、親はそれを見透かしており、相当心配してくれていただろうとは思うが。
「まぁ。あなた優しいのね」
京子が、優しい笑顔で僕をフォローしてくれた。それを見ていた源介が、今度は「しょうがねえな、全く」と言うような表情で僕を睨み直してから、京子に向き直り言った。
「それでは、一刻も早く森本さんに安心していただく為に、本件、お受けいたします。調査料金は、一日あたり50,000円でいかがでしょうか?経費込み、それ以上の請求は一銭もございません。素行調査と、非行阻止の工作、ボディーガードも含みます。森本さんからの依頼であることは、ハルさんに絶対に悟られないようにすると約束いたします。参考までに、札幌の調査料金の相場は一時間12,000円です。勉強させていただきます」
「そんなに安くしてもらっていいのかしら?さすが、評判どおりね。是非お願いするわ」
「ありがとうございます!期間はいかがいたしましょうか?」
「じゃあ、早速明日から、一週間お願い。内容によっては、延長も可能かしら?何せ、もうじきあの子は冬休みに入るから。ますます自由になるの」
最後の「自由になる」という言葉が、僕には何故か引っかかった。根拠はないが、何か不自然なものを感じた。これは一体、何だろう。源介とリリィは何か感じただろうか?
「延長は大歓迎です。人員にも余裕はありますから。是非ご検討ください」
京子は笑顔で頷いて、リリィが用意した調査以来契約書に署名捺印する。そして一週間分の調査料金35万円を、前金でキャッシュで差し出した。やはり僕の見立て通り、この人はとても裕福で経済力のある人に間違いない。ということは、京子がどういう方針の子育てをしているかはわからないが、少なくともハルは、衣食住に関しては何不自由なく育ったはずだ。
「ありがとうございます」
源介は冷静に、そして丁寧にそう言って現金を収めたが、内心は久しぶりの大口契約で跳び上がる程喜んでいるだろう。リリィが、宛名を森本京子、但し書きを調査料金で領収証を切り、京子に手渡した。
17:00。
「よし。気合入れろ。ハルお嬢様が何をやってんのか、しっかり調査してやろうじゃねえか」
謎多き少女への興味と好奇心が、僕の中で大きく膨らんでいくのがわかった。僕に任せてくれないものか。どんな性格の子なんだろうか。リリィとハル、どちらの方が美しいだろうか。好みの問題もあるし、年齢も美しさの系統もまるで違うので、比べられるものではないかも知れないが。
「とりあえず、手持ちの案件が少なくて、見た目が地味で存在感を消すことができて、コーカクが趣味とかキモくてしかもロリコンだから女子高生のケツを追いかけたがるアラサーの最近痩せたから調子こいてるオト!おまえが適任だ!」
来た。これを待っていたのだ。暴言がかなり混じっているが、それはこの際水に流してやる。
「はい!やります!」
「えっ、オトってロリコンだったの?」
「それは違います!」
それに、正確には女子高生はロリではないだろうが、面倒なので無視した。
「単価がいいお客さんだ。長く付き合えるようにしっかりやってくれよ。ただ、調査対象が思春期の女の子ってことで、おまえじゃどうしようもできないこともあるだろうから、女子力担当ってことでリリィにもサポートしてもらう。おまえらはチームワークいいからな」
「いいけど、樋口は払えよな」
遂に観念した源介が、ジーンズの尻ポケットからしわくちゃな五千円札を取り出して、リリィへ差し出した。同じく顔面もしわくちゃになっている。リリィが、途端に上機嫌になる。
「毎度あり~。今日もう店閉めるでしょ?」
「ん?あぁ、閉めるよ。もう上がっていいけどよ」
「了解。オト、一杯やってこ?明日の作戦会議しようよ」
リリィが小悪魔のような笑顔を見せる。僕は、今まで何度もこのリリィの笑顔を見ているし、竿も玉も付いていることを理解しているはずなのに、それでもやはりドキっとしてしまう。初めて会った時は、絶世の美女とはこのことかと驚いたものだ。泊り込みの案件の時は、寝ているリリィに間違えてキスとかしてみたらどうなるだろうかと何度も妄想した。しかしそんなことをしたら、僕はリリィの殺人的なキックを喰らって今頃この世にはいないだろう。リリィの身長は169cmで、女性として見れば背は高い方かも知れないが、男性として見れば平均的で体型は華奢である。しかし、本気を出すと複数の成人男性を一瞬で蹴散らす程に強い。
「いいですね、久しぶりに。行きましょうか」
「俺の五千円で、俺抜きで飲むのか!」
「あたしの五千円でオトと飲むんだよ!」
源介は仲間外れにされてスネたフリをしたが、これは冗談であることを僕もリリィもわかっている。源介には、まだ膨大な事務仕事が残っているのだ。誘っても来ないだろう。きっと今夜も一人で、日付が変わってもデスクに向かい続けるのだろうが、幸いにも、この事務所の二階が源介の自宅でもある。終電の時間を気にする必要はない。自分で疲れたと思えば、勝手に休むだろう。心配はしていない。偉そうで下品で口も悪いが、陰で誰よりも働く源介を、僕は尊敬している。
僕とリリィは、狸小路から札幌市営地下鉄東豊線豊水すすきの駅へ向かう途中にある、小さな立ち飲み居酒屋『72』に立ち寄った。正しい店の呼び名は特に決まっておらず、僕は「ナナニー」と呼んでいる。オナニーのアクセントではない。分厚い透明ビニールのカーテンのような冬限定の暖簾をかき分けて、店内に入る。灯油ストーブが、頼もしくこの小さな空間を暖めてくれている。耳や鼻、頬などの冷たさが、じんわりと消えていく。
「いらっしゃい!リリィちゃんとオト君、久しぶりっすね!なまら嬉しいわ!」
若くて人懐っこい店主が、笑顔で迎えてくれた。素早く灰皿とおしぼり、お通しの小鉢を用意してくれた。今日のお通しは、バターを乗せたふかしたじゃがいもに、塩辛を添えたものだった。僕の好物だ。意外に思われるかも知れないが、じゃがバターに塩辛は、これ以上ない程にあうのだ。
「国稀の熱燗、二つで」
熱燗が美味い季節である。国稀は、札幌の遥か北、日本海沿岸に位置する増毛町で作られている日本酒である。非常に辛口であり、大吟醸はできれば冷酒か常温で楽しみたいが、熱燗にしてしまっても絶品である。塩辛じゃがバターにあわないはずがない。
元々酒には全く興味などなかったのに、僕もついに日本酒まで飲むようになってしまった。リリィは格闘だけなく、酒の師匠でもある。酒の美味さや楽しみ方を、僕に教えてくれた。
「とりあえず、ハルちゃんの学校、見張ってみよっか。あれだけ特徴あれば、すぐわかるでしょ」
リリィが、おちょこでチビチビと国稀を味わいながら言った。
「早朝まで帰って来ないってことは、まぁ夜通し何かやってるんでしょうけど。どれくらいの時間帯に学校を出るんでしょうか」
「それもわかんないよね。早い時間から学校を抜け出してどこかに行くのか、それともキッチリ授業を受けて、放課後からどこかに行くのか。ずっと監視して、ハルちゃんが動いたらあたし達も動く。そうするしかないでしょ。この案件は単純だけど、根気はいるよね」
コーカクは好きだが、長時間の張り込みや徹夜などは、当然だがキツいので嫌いだ。まぁ好きな奴なんていないが。特に今の季節は、寒さが最大の敵になるだろう。
「京子さんは、薄々でも何かに勘付いていたりするのでしょうか?親だからわかることって、あると思うんですけど」
「面談では何も言ってなかったけど、それはあるんじゃない?じゃないと、大金払って探偵に調査頼んだりしないでしょ」
もっともだ、と思った。そして、言わないということは、言いにくい何か、ということか。
「まぁ、色々あるんだろうけど、そこら辺は考え過ぎないようにして、ニュートラルな気持ちで、ありのままを見て報告しましょ。それがあたしらのお仕事」
「そうですね、肝に銘じます」
僕の調査員としての悪い癖で、案件に個人的な興味を持ってしまうと、引き際を考えずに、ついついのめり込んでしまう。昨年はこの性格のせいで、僕もリリィも死にかけたことがあった。冷静になれるように、少しずつ成長していかなくてはならない。