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「えーと、やっぱりそうだ。去年の八月二日、午後六時頃。場所は、JR桑園駅すぐ近くの、ショッピングセンター内だとよ」
JR札幌駅から西に一駅、札幌競馬場や北海道大学が近い比較的大きな駅だ。その駅に近いショッピングセンターと言えば、普段は地下鉄に頼りきりで、電車はあまり利用しない僕でも、すぐにどこかわかった。
余談だが、北海道民はあまり『電車』と言う言葉を使わない。じゃあ電車のことを何と呼ぶかと言うと、北海道には私鉄がないので、ずばり『JR』もしくは、年配の人なら『汽車』と呼ぶことが多い。ディーゼルじゃなくても、列車であればまとめてそう呼ぶ風習があるのだ。逆に、札幌の人が電車と呼ぶなら、それは札幌市電、つまり路面電車のことを指す場合が多い。
「この時は……、えーと。ハサミを使わずに、無理やり脱がせて奪っている。デビュー戦かもな。かなりの騒ぎになっただろうが、結局捕まってない。被害者は、転倒させられた上に揉み合ったので、打撲と擦り傷などの軽傷だな」
「久我山さん!その被害者女性の連絡先はわかりますか?」
「いや、さすがにもうわからん。わかってたとしても、多分リリィとかと同じで、犯人の特徴なんて大して覚えてないだろうさ。時間も経っちまってる」
「しゃあねえだろ。一瞬なんだからさ」
リリィがそう言って口を尖らせた。
「いやわかる。無理もねえさ」
久我山は源介と同じように、リリィのプライドを傷付けまいとフォローの言葉を付け加えた。
「そのショッピングセンターの被害者以外で、コンタクトが取れそうな別の被害者は?何か情報を持っている人が、いないとは限りませんよね?」
もしかしたら、追い剥ぎの素顔を見たとか、揉み合った末に追い剥ぎのシャツのボタンを引きちぎって持っているとか、現実的ではないにしろ、手がかりになりそうなわずかな可能性ってものがあるじゃないか。
「それはそうかも知れねえけど。何しろこれは、センシティブな話だぜ。被害者は女、そっとしといて欲しい奴ばかりだ。泣き寝入りってヤツだな。そこへ顔も知らないオト君がいきなり訪ねて行って、すみません生脱ぎパンツ盗まれて大変でしたね、その話詳しく聞かせてください、なんて鼻息荒く言ってみろ。どんな顔されると思う?」
久我山が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべてそう言った。それを聞いた僕は、キヨミが警察への届出を拒んだ顔を思い出した。
「それは……勿論、最初は警戒されるとは思いますけど。でもきちんと身分を明かして、正直に追い剥ぎを追っていることを伝えれば、協力してもらえると思うんです!」
僕はつい熱くなってしまう自分に気付いた。久我山は困ったような表情で僕の顔を見てから、グラスに残ったわずかなアイスコーヒーを飲み干した。そして二本目のアメリカンスピリットに火を点けて、深く煙を吐き出してから、リリィに向かって言った。
「なんか、今までの源介の仲間にいないタイプだね、彼」
「言われるとそうかも。こう見えて結構頼れるのよ。アマちゃんだけど。ねっ?」
リリィがそう言って、僕の顔を下から覗き込みクスリと笑った。嬉しいのだが、恥ずかしい。頬がカァッと熱くなるのがわかった。
「か、からかわないでください」
「くがっち。あたしからも頼みたいんだけど。誰か、被害者でコンタクト取れる人、本当にいない?」
リリィが真剣な表情で、身を乗り出すようにして、久我山に問いかける。久我山は静かにタバコの煙をくゆらせながら、じっと僕達の目を見比べている。そして少し間を置いた後、何かを決心した様子で言った。
「仕方ねえな~。不倫揉み消しの見返りは、本当はそのUSBだけなんだけどな~」
そしてバッグからペンを取り出し、テーブルの隅にあったラウンジのマッチ箱の裏に、何やらメモをしてから、僕達の前に差し出した。
「誰かから聞いたとかじゃなくて、噂で聞いた程度って言えよ。それが約束だ。守れなかったら、俺は今後源介に協力しないぞ」
「絶対、約束守るよ。あたし達探偵は、情報提供者を守るのが鉄則だからね」
リリィがマッチ箱を受け取り、すぐにスマートフォンでメモの写真を撮影してから、僕に渡して来た。
『石堂明美』という女性の名前と、携帯電話番号、住所の記載が続く。
「その子は、去年の九月十五日、北方学園大学付近での被害者な。少しだけインタビューしたんだが、大したことは聞けなかった。期待はすんなよ。あー、勿論わかってると思うけど、いきなりその携帯に電話かけたり、自宅に行ったりするなよ」
「えっ、じゃあどうやって接近したら……?」
リリィと久我山がガクッっと肩を揺らした。僕の口をついて出た言葉は、きっとマヌケだったのだろう。しまった。
「それをうまいことやるのがあたしらの仕事じゃん!」
「オト君、何か純粋だよね~。浜田探偵事務所っぽくないよね」
二人が僕を見てクスクスと笑う。何だか子供扱いされているようで、あまり気分の良いものではない。
「大サービスで、ヒントだ。石堂明美は、ススキノの『カマロ』ってミックスバーで働いてる。今も続けていれば、の話だけどな。顔写真とかはさすがに持ってないし、俺が同行して確認なんてのはごめんだ。自力で探してくれよ」
ミックスバー。僕は行ったことはないが、ススキノにもいくつか存在する。キャバクラと違って、着席しての接待はない。ガールズバーのように、カウンター越しに、あくまで飲食店の店員が客と雑談をしているだけ、という建前で接待をする業態だ。一番の特徴は、店員つまりキャストが、女だけではなく、男やゲイも入り混じって賑やかに営業していること。確かにミックスと言える。どちらかと言えば、女よりもゲイのキャストが主役であることが多く、中には女性よりも美しいニューハーフもいれば、ノンケだが趣味で女装をしているだけの、今流行りの『男の娘』だとか、お笑い担当のムキムキマッチョな青髭お姉など、個性豊かな様々なタイプのキャストが揃っており、客は男女分け隔てなく楽しめるらしい。定期的に歌やダンスなどのショーを行う店もあり、一昔前の単純なオカマバーとは、また違った魅力を持っているのだそうだ。
「あの、その石堂明美さんは、確かに女性なんですよね?」
「あぁ。それは間違いない。今時の、そこそこかわいいスレンダーな女子大生だ。顔はもう正直覚えてないが、オッパイはDくらいはあったな」
「何で顔忘れてんのにオッパイのカップ数は覚えてんだよ!本当にスケベ野郎だな!歩くチンコだよ!一回死んだ方がいいよ!」
「しょうがないだろ!男はそういうもんだ!皆チンコで物事を考える!」
気持ちはわかる。憤るリリィに気付かれないように、僕は久我山にアイコンタクトを送り、お互いに頷きあった。この件以外で、久我山とは酒を飲んでみたいと思った。僕もチンコの端くれとして、この目の前の歩くチンコが嫌いではない。
なるほど。カマロに行って、Dカップくらいの女のキャストを探せば良いわけか。ミックスバーであるので、女のキャストは少ない上に、Dカップと来れば、かなり絞られるはずだ。比較的簡単そうではある。ちなみにリリィはAカップだ。ハルは、Cはありそうである。
「あ、それとさ。後日でいいから、くがっちが把握してる限りの、追い剥ぎ事件が起こった日時と現場、全部リストにしてメールしといて!」
「了解」
19:00。
ススキノの南西、南六条西六丁目のシーエービル三階に、カマロはひっそりと店を構えていた。
「いらっしゃませぇ~!」
店のドアを開け中に入ると、威勢の良い黄色い声が一斉に降り注ぐ。店内のキャスト全員がこちらを向いて歓迎している。
「えっ、これ、わかんなくない……?」
「で、ですね」
店内にいるキャストは四名。そのどの人物も、おおよそどこへ行っても美人で通る程の、美貌の持ち主だった。この中に、本当の女性は何人いるのか。そして、その中の誰が、石堂明美なのか。
「わ~!綺麗な人ばっかり~!」
連れて行けとダダをこねたので、やむなく連れて来たハルが、驚いて言った。




